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37品目――酒宴――

 持ち帰りの牛筋煮込みの受け取りを昼食時間後にずらしてもらい、その間に急ぎの分を圧力鍋を駆使して調理する。

 このために、たった二つしかない大型の圧力鍋を全て動員する事になってしまった。圧力鍋はご飯系がヤバくなった時のための保険だっただけに、内心ヒヤヒヤしつつも、どうかご飯が尽きませんように! と祈る事しかできないのがもどかしいところだけど。

 ……でもそんな内心、おくびにも出す訳にはいかない。あたしが焦れば、それは調理を担当する皆に伝播してしまうからね。


「藤原いるか?」

 ひょっこりと松尾が調理室へと顔を出してくる。

 ちょうど、入ってる注文分最後の牛筋煮込みの膳立てを終わらせたあたしは、何か用? と返事をするのだけれど、彼はサラリととんでもない事を言ってきやがった。


「シノブちゃんから予約が入った。先生達用だってよ」

 グッバイ、届かなかったあたしの祈り。

 ここに居もしないカミサマとやらに勝手な恨みつらみをぶつけつつ、一応、人数を確認する。


「一応聞くけど、何人なの?」

「10人分くらいだとさ」

「炊き込みご飯と白ご飯の残りどれくらい?」

 涙目になりそうなのを必死に堪え、松尾を頭を飛び越えてあたしはご飯の残りを確認してみる。

 ご飯担当の女子が苦笑いを返してきた。まあ、察しろってことだよね、これは。

 本当に泣きそうになったところで、察しの良い松尾が大事な事を伝え忘れたとばかりに言う。


「すまん、昼じゃない。夜だそうだ」

 …………まったく、脅かすんじゃないわよ! 本当に冷たい汗が首筋を流れたわよ、ええ!


「可能なら、職員室の並びにある会議室まで出前を頼むとか言い出したから、食べに来てくれって言っておいた。詳しくは後から担任が話に――」

 グッジョブ! って親指を立てたくなる機転だけど、まあ、プラスマイナスゼロだね今回は。


「って、待った。夜は6時(18時)までの営業しか認めて貰えないんじゃなかったっけ? 営業時間内に先生達が10人も来るってこと?」

「いや、営業時間外になる」

 いつの間に入ってきたのか、担任の先生本人があたし達の前に立っていた。


「……先生、それいいんですか?」

「厳密には良くないが、こういう時(文化祭)くらい先生達を労ってくれても良いんじゃないか? 何も、無料で飲み食いさせろと言っているわけではないからな」

 お盆を洗い物担当に渡しつつ言い出す担任。

 って、先生が文化祭のルール(決まり事)を破って良いわけではないだろうと思うんだけど、どうなんだろうね。


「だからと言って、給仕や調理をする皆を残すわけにはいかないんですけど……」

「まあなんだ、オードブルみたいな物でも置いておいてくれれば構わんよ。片付けくらいはやっておくからな」

 いや、気にするって。

 曲がりなりにもうち(藤華)の看板を掲げている料理屋なのに、弁当屋のようにオードブルだけ渡してはい終わりとはできない。というかしたくない。

 うちは接客サービスまで含めて料理屋だからね。だからと言って、慣れない接客に疲れるであろう皆を居残りさせるわけにもいかないし……。


「今回、オードブルの用意はできませんので、結局は残ってもらう事になると思います」

 まあ、10人くらいなら少数に抑える事はできるだろうけどと腹案を持ちつつも告げる。


「解った。では松尾、最低限の人間で誰を残らせるか差配をして俺に報告しろ」

 短くふぅとため息をつくと、先生はそれだけ言って調理室を後にする。

 後に残された松尾に、調理室にいる生徒全ての視線が集中し、彼は勘弁してくれよとばかりに額を押さえた。



「「いらっしゃいませ」」

 他の模擬店が閉店した18時、暖簾を潜って入店したうちのクラスの担任へ、茉莉彩まりあとあたしはにこやかな声を上げる。


「……今回の居残り組には面倒を掛けるが、最後の客だと思って頼むぞ」

 半分げんなりと、もう半分は義務感らしい凛とした口調で先生は言う。

 まあ、確かに面倒っちゃ面倒だけど、今回、居残り組に選抜されたメンバーはそんな事納得済みの奴ばかりだからね、それでネチネチと愚痴や嫌味を言う事はない。だって、松尾、町田、茉莉彩、香澄、あたしの5人だし。


 担任に続いて学年主任、各教科の担当、シノブちゃん、何となく見覚えがあるけど名前が出てこない先生達が暖簾のれんを潜ってくる。

 ……主には二年生を担当している先生達みたいだけど、一体何事? と思わなくもない。もちろん、そんなことをここで聞き出す訳にはいかないし、やっちゃいけません。


 先生達を座敷――シノブちゃんから希望があったらしく、松尾達が急造した――へと案内し、茉莉彩と共におしぼりとお茶を配る。


「本日はようこそおいでくださいました。ご注文がお決まりになりましたら、お声掛け頂ければと思います」

 茉莉彩から若干のアイコンタクトはあったものの、あくまでもここの女将は彼女だとばかりに、あたしは補佐に徹して口を開かないと口を結ぶ。それを読み取った彼女の美声が座敷を包んだのだった。


 ……。

 彼女の声につられてか、座敷を包んだものが静寂へと変わり、先生達――特に男性教諭――の視線が集中する。今の茉莉彩は見た目だけじゃなく、接客用に上品な話し方もしているからか、同じ女のあたしから見ても綺麗に見えるからね。先生達のお気持ちはお察ししますよ。


「……こほん。では、まず飲物を」

 静寂をワザとらしく咳をして終わらせたのは担任だった。

 ま、ここには彼女を鑑賞するために来たワケではないだろうから。


「ビール――もちろん、校内なのでアルコール飲料の名前を使っても全てノンアルコール飲料――の人」

 担任の声に一斉に手が上げられる。

 これを数えるのも女将をはじめとした給仕の仕事だ。もちろん、あたしもささっと数えてメモを取り、チラリと茉莉彩が持っている伝票と確認するんだけど、彼女も同じ数をメモしていた。

 流石にこの人数くらいで間違えるようなことは無いか。


「他の飲物の人は――」

 担任の声に続いた飲物は、梅酒、チューハイ、お茶だった。



 ――――――――――――――――――――



「――刺し盛が御二つですね」

 人数分の飲物と、種々の単品料理の注文を手元の伝票に書き止めた女子生徒――古賀茉莉彩と無音で付随していた藤原小夜子――が一礼をして座敷を辞した。


「……メニューだけを見れば本格的ですな」

 上座に座る学年主任が、古賀が遠ざかったのを確認してから言う。その視線が彼女の発育の良い胸や尻に向いていなければ、中々に様になっていたのに残念だと、声を掛けられた彼――この模擬店の担任教諭は思った。


「昼に調理室を見た限りだと、変なものは出してこないと思いますよ」

 担当教諭の言葉だからか、実際に見た話だからかは分からないが、学年主任を含む回りの教諭達が安堵した雰囲気を醸し出す。

 どれだけ外装やメニューが整っていようと、商品となるモノ――今回は料理――が悪い場合が多い。そこが所詮は学生の模擬店と思われる要因であり、模擬店を回って評価を下す教諭達の不安材料でもある。

 昼に回った店舗は、学生らしい怖くないお化け屋敷――そもそもアトラクションでしかない――、どこかで見た事あるキャラクターに似せたマスコットグッズ店、大型魚ばかりの釣れない釣堀など、評価する方が冷や汗を流してしまうものも多かった。もちろん対照的に、ガーデニング用の植物から野菜まで用意した本格的な園芸店、レシピと共に提供されるフレッシュジュース店など、本店顔負けの内容を誇るものもあったが、そんな模擬店はこの学校といえども極少数だ。


(やれやれ。うちのクラスはギリギリまでまとまらなかったようだが、どちらの評価を受ける事になるのか)

 配られたおしぼりで手を拭きながら思案する。

 何だかんだ言っても自分が担任として受け持っているクラスである。生徒の前では憮然としていても、評価が高ければ嬉しいに決まっている。


「失礼します」

 手前で一礼し、声を出してから茉莉彩が、続いて小夜子が座敷へと上がってくる。彼女達が手にしている大盆には全員分の飲物と、お通しと思しき小鉢が載せられている。

 二人はテキパキと給仕を終わらせると、再び一礼をして座敷から去っていった。

 一連の動作については、担任という贔屓目を抜きにしても良い。そもそもがセミプロである小夜子の動きに文句のつけようは無いのだが、普段が飄々としている茉莉彩にまで関心させられるとは思ってもみなかった。


「……何だか、本物のお店に来たみたいで、良い意味で緊張してしまいます」

「やっぱり? あたしもそう思うわ」

 数少ない女性教諭同士が小声でやり取りをするが、静かになってしまったこの席では丸聞こえだった。

 もちろん、その話に乗るような者はおらず、もはや幹事と化した担任教諭の声が場を進行するのだが。


「折角、飲物もツマミも来たことですし、始めるとしましょう。一応、乾杯をしたい――実際の呑み客と同じに振る舞うため――ので、学年主任、簡単な挨拶と音頭をお願いします」

「えー、僭越ながら――」

 担任教諭が学年主任に振るが、振られた彼は彼で予想していたのか、慣れた(・・・)口調で一言二言の挨拶を行う。


「……では、明日までの文化祭の成功を祈って、乾杯!」

 それぞれが掲げたグラスに注がれている液体を、音頭と共に喉へと流し込む。


「「ぷはっ! これが、本物ならな~」」

 若手の教諭達が口々にそんな事を言うが、本物であれば大問題になり兼ねないだけに、担任教諭は苦笑を隠せなかった。


「本物を呑むためにも、しっかりと仕事を終わらせてくれよ」

 気付けばそんな事を口にする。

 とは言いつつも、ここで頼んだメニューは夕食も兼ねるのだ。呑めない分しっかり食べようと、彼はグラスを置いて小鉢へと箸を伸ばした。


 盛られているもみじおろしとネギを軽く和え、そっとつまんで口に運んだ。


 コリコリ、クニャクニャとした独特の食感に、ポン酢の酸味ともみじおろしの辛味が良く合う。

 彼の脳裏には、昔、子供の頃に遊びに行った祖母宅で出た酢味噌和えがこんな感じだったなと思い出されていた。


(子供の頃はあまり美味いとは思わなかったのだがな……オヤジになったとでも言うのか、今日のは何か美味い)

 そう、彼が思いだしたこの食材は、近年ではあまり食べられなくなったものだ。

 かつて、海辺に住んでいた祖母が祝い用のブリ料理の一端として出していたそれは、かの魚の内臓だった。


 魚の内臓だけを食べると言えば、学生には塩辛か、精々ウルカくらいしか思い浮かばないだろうと思っていただけに、これには驚かされる。実際、ブリの内臓は臭みも無い上に美味い。手間はかかっていても材料費は安価であるうえに、この辺りの隠れ伝統メニューでもある。

 実際、他の教諭達の小鉢に目を向けても、同じように手間は掛けても材料費は安価に抑えてある料理で占められていた。

 恐らく、タイあたりの皮を湯引きしてポン酢で和えたもの、魚の身をほぐして使っている昆布巻き、サツマイモの皮のきんぴら。お通しとして申し分なく、かつ、サービスとして出したとしても金額的に負担にならない料理である。

 そんな料理の数々を見た彼は、スマートフォンのメモ帳にこっそりと、評価点(・・・)を書き加えるのだった。



「……これは、そろそろ頃合いだ。委員長は松尾だったな、おい、松尾!」

 お通しをあっさりと平らげた後、刺し盛と牛筋煮込みに箸を付けた学年主任が裏方に徹している松尾を呼び出す。


「な、何でしょうか?」

 流石に学年全員の生徒が苦手にしていると言っても過言では無いこの教諭を、当の松尾も苦手なのか、若干噛んで答えた。


「今から先生達何人かが、酔った客のフリ(・・)をする。ちゃんと対応できるかのテストだと思ってもらいたい」

「は、はぁ。解りました」

 元々接客などやったことがない松尾は、解ってないようでも頷いて見せる。それを後ろで見ていた茉莉彩がこっそりと溜息をつくのを担任教諭である彼は見逃さなかった。模擬店の評価をしている事を隠すように指示したのは他でもない学年主任だと言うのに、ここであっさりとそれをバラしているのだ。……彼女でなくても、自分が溜息をつきたいくらいなのだから。

 しかも、あろう事か酔い客のフリときている。


 大体にして当該の学年主任は、教諭内では一二を競う程の酒好きで知られている。そんな彼がこんな模擬店に来て、ただで済ます訳が無いと警戒はしていたのだが、ストレートにこう来るとは付き合いの長い担任教諭でも考えが至らなかった。


 学年主任と小夜子たちの担任教諭の付き合いは古く、その始まりは担任が新米だった頃まで遡る事ができる。今でこそ規則に則った細かい事を言って生徒に嫌われているが、それは学年主任の役割を果たすべく敢えてやっている事であって、生来の彼は生徒思いで優秀な教諭であることを担任は良く知っていた。酒さえ呑まなければ。

 まったく、来年は教頭にという話も出ているのだ、いい加減、酒が絡んだ時に回りを巻き込むのは止めて大人しくしていてくれと内心で悪態を付いてしまう自分がいるのだが、反面、仕方がないと思う自分もいて苦笑してしまう。

 もちろん、そんな事はつゆ知らずか妙にウキウキとした学年主任の顔を一瞥だけして彼は、

「あくまで、フリ、だからな」

 と念だけは押すよう松尾に、いや、半分は学年主任に向けて言うのが精一杯だった。


 担任の言葉に短く、はいとだけ返事した松尾が座敷から下がると、学年主任は何事もなかったかのようにポケットからスキットルを取り出し、先ほど頼んで空にしたウーロン茶のグラスへと注ぎ込む。

 また、そのスキットルの中身を、数少ない女性教諭との会話に気を逸らせている若手教諭のグラスにも注ぎ込むあたり、悪質この上ないのだが、そこは日本人サラリーマンのさがというのか、上司の悪行をも敢えて見なかったふりを決め込んだ。


 案の定、いや、予想より早く学年主任を筆頭にした飲酒組――本来なら免職モノ――は酔いが回りだし、呂律が怪しくなってくる。そして、担任教諭である彼ですら予測して居なかった事は、女将を担当していた茉莉彩と調理主任を担当しているはずの小夜子の立ち回りだ。

 どうやって購入してきたのか、酒好きと目した教諭へ、ノンアルコール飲料と言いながら、徐々にアルコール飲料へすり替えが行われていたようで、女性教諭の一人、自分と保険教諭以外の男性教諭は酔いが回っているのが確認できてしまっていた。

 しかも、酔って気が大きくなった――本人曰くフリだが――のだろう、言いだしっぺの学年主任は呑み屋の女性へするように、茉莉彩を側へ座らせて酌をさせているのだが、当の彼女はそれを可愛らしい笑顔でこなしつつ、時折伸びるセクハラの魔手を上手にかわしながらも気持ちよく酔わせているという、もはや学生の芸当とは思えない接客術が駆使されていた。

 一方で、酔ってない教諭や女性教諭への対応は小夜子が当り、愚痴の聞き手に回ったり、お勧めメニューの紹介で不満を食欲へ誘導するなど、上手に場を誘導している。


 お通しの後に出てきた本格的な“料理”は舌鼓を打つほど良くできているにも関わらず、さらにこの二人の存在である。もし、この模擬店が料理屋では無く呑み屋をやっていたら、どれほどの高評価をしなくてはならなかったものか。


(藤原といい、古賀といい、この歳で酔っ払い客のあしらいがここまで上手いとは……末恐ろしいぞ)

 彼は呑んでもいないアルコールの苦味を飲み込んだような表情で、手元のスマートフォンに点数を加算したのだった。



 ――――――――――――――――――――



「「ありがとうございましたー」」

 見事な千鳥足のフリ(・・)を披露してくれた先生達を見送りながら、あたしと茉莉彩は声を上げる。


「ああ。古賀と藤原は100点付けるから安心していろぉ」

 若干呂律の怪しいフリ(・・)をしている学年主任の先生が景気の良い事を言っているけれど、担任が横で頭を押さえているくらいだし、ここは話半分に聞いて置くのがベターだ。うん。


「はーい、期待してますね」

 ちゃっかり乗ったように言う茉莉彩に気を良くしたのか、学年主任の先生は目尻を下げ、大きく手を振りながら去っていった。あたしはそれを尻目に、この女狐を問いただす算段をしていたのだが、当然の様に顔になど出さず隠しておいた。


「……で、先生達にこっそり出していたお酒はどこから出てきていたのかしら?」

 調理室に戻ってきてから直ぐに、顔は女将スマイル、心は捜査官となったあたしが問いただす。


「小夜子が知らない所から」

 負けじとよそ行きの笑みで返されるのだが、ハイそうですかと納得するわけにはいかないため、笑顔と笑顔のぶつかり合いになるのでが、その笑顔がぶつかり合っている所に、扉が開かれ、一人の男子生徒が入ってきた。


「古賀さんいる? 頼まれたもの買ってきたんだけど」

 入ってきたのは町田だった。そして、その手に握られた袋――の中身――を見てあたしは絶句する。

 ビール、チューハイ、カクテル、梅酒……どれも本物だったからだ。


 ……なるほど。茉莉彩のやつ町田を使い走りにしていたのね。でも、川中との一件から使い走りを断るようになっていたこいつが、大人しく使い走りしているのに驚いてしまうけれども、今はそんな事に構っているわけにもいかず、あたしは女将スマイルのまま、ドスの利いた声で二人を前に座らせるのだった。



「……もし、お店で捕まってたら、下手すれば退学になるかもしれなかったのよ! ちょっと、解ってる!?」

 あたしの怒気を孕んだ声が静かに目の前に座った二人を責め立てる。


「大丈夫よ。バレないし」

 のほほんとした声で即答される。

 茉莉彩、バレなければ何をして良いわけではなくてよ? なんて、女将スマイルに似合いそうな事を正反対の低い声で言いたくなるけど、一先ず怒気を向けるだけにしておく。

 茉莉彩は向けられた怒気が増した事を感じたのか、フイっと目を逸らしたんだけど、もう一つの声があたしへ向けられてきた。


「レジは大人の人にお金を渡して頼んだんだ。だから、バレる訳がないよ。それに、ここに持ってくるのも先生達が通らない道使って入ってきたから大丈夫。でも、心配してくれて、えと、ありがとう」

「大人の人って……まさか、親に頼んだの?」

 お詫びだけはちょっと言い難そうだったけど、それ以外は悪びれる事も、怯える事も無く、淡々と町田が状況を説明する。

 待って、お酒を買った事を親が黙認するのも問題だけど、町田の場合は|たった一人しかいない親《母親》をお酒を買う(こんなことの)ために呼び出したってこと? しかも、あたしや茉莉彩と違い、遠くから。

 そう危惧して口に出したんだけど……。


「いや、親じゃない。たまたま知り合いが近くにいたから頼んだだけだよ」

「お、噂の彼女?」

 町田の回答から間髪入れずに茉莉彩が口を挟む。おいおい、今、あんたは反省を促されている所なんだけど? 何をそんなに意気揚々としているんですか。


「いや、か、彼女なんていないってさっきも言ったよね」

「ふ~ん。小夜子に二股掛けたら怖いわよ?」

 ……は? 何であたし?


「いや、お、俺は藤原さんだけ――」

 思いっきり驚いていたあたしの視界には、町田の顔が入っている。そして、目がばっちり合ってしまう。いや、入ってしまった。

 え、ちょ……あんた顔真っ赤よ!?

 声には出さなかったものの、すっかり女将スマイルを崩してしまったあたしを前に、

「っ!」

 言い切らなかった町田は踵を返し、脱兎の如く調理室を出て行く。あたしは元より、茉莉彩も彼に何も言わず、追う事もしない。


「……町田は完璧に滑ったわね。と言っても小夜子、あんたの答えは決まってるでしょ」

 町田が出て行ってしばらく無音だった調理室に、妙なふてぶてしさを醸し出した声が静かに響く。


「何? 今の何だったのよ」

「はぁ? あんた、あれで解らなかったの!?」

 先程の静かな話し方はどこへやら、一転して素っ頓狂な声が調理室に響き渡る。

 いや、解らないから聞いてるんですけど、何か?


「……本当に解らない?」

「だから、何が?」

「もういい。あれ、告白しそうになってたのよ」

「……誰に?」

「あんたに」

「な!?」

 何でさっきのやり取りでそこまで解るのよ。何かおかしくない?

 大体、町田があたしを好きになる要因なんて――。

 そこまで考えたところで、更なる追撃が見舞われる。


「はぁ……その分じゃ、町田が正面から告白してきても気付きそうにないわね。もっと前に気付いて、離れるかキッパリ振るかしなきゃいけなかったのよ」

「な、んで……」

「そりゃあ、クラスヒエラルキーの最下層に押し込まれた男に仲良く話しかけて、あまつさえご飯まで分けたりしてたらね」

「……まったくそんなつもりは無いんだけど」

「そりゃあ、あんたの好きは松永さん一択でしょ。でも、あいつはその事も知らないし、知っても引き返せない深みまで潜ってきてるからね。それともあんた、あいつを二股かけて手玉に取れる自信でもあるわけ?」

「そ、そんなことしな――」

「どうせお節介焼きのあんたの事だから、曖昧な返事をして落ち込まないように甲斐甲斐しくするんでしょ?」

 ずけずけと放たれる図星に、あたしは反論できずに黙ってしまう。

 そう、あたしが好きなのはヒロに間違いは無い。町田の事は別に何ともないけれど、正面から好きって言われたら、断るにしても曖昧な態度を取り兼ねない。あいつにはあいつで妙に放っておけない所があって、あたしはこれまでお節介を焼いてきてしまったところもあるし……。

 でも……。

 “町田があたしの事を好き”だとは思ってもみなかったんだよね。


「ああしてるけど、町田だって男なんだよ? 好きって言いながらも力技で迫られたらどうす――」

 自分が考えた事と、茉莉彩の言葉が重なった瞬間、それはやってきた。


「気持ち……悪……い」

 痙攣しているかの様に全身が震え、こみ上げる吐き気を堪えるためあたしはその場に膝を折った。自分の肩を抱く両手から痛いくらいに締め付けられ、冷たい汗が吹き出てくる。


「ちょ、小夜子!」

 先程までの責めるような視線から一転し、本気で心配しているのか、大きい目が更に大きく見開かれる。

 懐に忍ばせていたのか、汗をハンカチで拭ってくれるのが心地いい。


「もう……大丈夫、だから」

 震えは3分程度で収まり、吐き気も下火になったのだけれど、茉莉彩から“町田”という名称を聞く度に妙な嫌悪感が背筋を走るようになっていた。


「本当に? ちょっと、前にもそんな事あったよね。今日はおじさんに迎えに来てもらいないさいよ」

 落ち着いたあたしを座らせると、言うが早いか彼女はスマホを操作して耳に当てていた。


「……直ぐに、千秋さんをタクシーで向かわせるってさ。常連さんがまだ居るみたいで、おじさんと松永さんは動けないみたい」

 ……あれ?

 先ほどまで背中を走っていた悪寒が消える。


「松永さんじゃないのは残念だろうけど、今日くらいは早く寝なよ」

 今度は震えと吐き気が完全に止まる。


「……何か、本当に大丈夫みたい」

「え?」

 言われて見れば顔色が良くなってる。と、キョトンとした顔で茉莉彩は言うが、続けて、今のうちに着替えて玄関まで降りろとも言われ、半ば強制的に着替えさせられて調理室を追い出された。

 とにかく、トボトボと歩いて玄関まで向い、靴に履き替えて外に出た所で車のヘッドライトが飛び込んでくる。


「女将さん! 御無事ですか!?」

 タクシーの後部座席から和装のままの千秋さんが飛び出して来る。


「倒れたとお聞きしたのですが……」

「あ、はい。もう、何とも無いみたいで……その、すみません、こんな使い走りみたいな事をさせてしまって」

「倒れるまで無理をさせてしまっているのは私の方ですから……その、すみません」

 目を伏せたあたしの視界の更に下まで、千秋さんが頭を下げる。千秋さんの所為では全く無いのでこっちが逆に恐縮してしまうんだけど、タクシーをいつまでも待たせる訳にはいかないと思い直し、一言、そんなことは全くありませんとだけ言って、彼女をタクシーに押し込みながらあたしも乗車した。


 そして、タクシーが校門をくぐる時、あたしと千秋さんは目撃してしまう。


「あれ? 町田――」

 校門のそばに止めてある車に乗ってる女の人と、町田が会話をしているようだった。ぞくりと僅かに悪寒が登る。


「な、何で……」

 その悪寒を掻き消すように何かを口にしようとした時、横からかすれた声が上がる。


「何でいるんですか、お母さん」

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