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35品目――朝御膳――

 伊嶋さんから受領した食材(鮮魚)を町田と後で合流した松尾と香澄に手伝ってもらい、何とか無事に調理室の大型冷蔵庫に運び終えた。

 その代償か、仕込みの間ずっと香澄からのラブラブ惚気のろけ攻撃――松尾は手伝い後にシノブちゃんの所に逃亡済――に晒されながらも、あたしは相槌と共に朝のみのメニューである朝食の御膳を作っていた。


 流石に朝から大した時間が掛けれるわけでは無いから、シンプルなご飯とみそ汁に香の物と卵だけだけどね。


 ご飯は昨日精米した米を丁寧に洗い、給水させたものを借りてきたガス炊飯器で炊いたので、お店のに同じくふっくら艶々に炊きあがっているし、みそ汁は鰹でしっかり出汁を取り、水を落とした豆腐、乾燥ワカメ――生が手に入らないので――、ネギの三種の具材で作るシンプルなもの。

 これは言ってしまえば香澄が作ったのと同じだけど、売り物なので彼女の味噌汁より濃いめに出汁が取ってある。え、味噌? 味噌は材料と交換という形で、あたしの手作り黒大豆味噌を使ってますよ。


 香の物は流石に手作りと販売品の混合になっている。出汁を取った昆布の佃煮やキュウリの浅漬けは昨日の内に準備できたけれど、沢庵漬けや奈良漬けは直売所の御婆ちゃんお手製の品なんだよね。これは昼の定食なんかでも一緒だ。


 以上、文化祭特別メニュー朝御膳、税込100円也――。

 この値段設定、助っ人以外の人件費を勘定に入れない文化祭の独自ルール――技術料は加算できる――により可能となっているのだけど……料理屋的にはあり得ないこの値段、調理しているあたしのモチベーションは心もち低い。しかし、それはそれと割り切り、これまでの経験(女将スキル)でカバーする。


「お待たせしました。朝御膳になります」

 開店前(・・・)の模擬店内で、ブレザーが汚れないように上にエプロンを着けただけの格好のあたしが配膳する。


「うわ。何か良いね」

 本当に嬉しそうに、そう、嬉しいと前面に出した顔で町田が御膳の箸を取る。

 これがあたしのモチベーションを下げているもう一つの要因だ。

 食材の搬入を終えた彼が、このメニューに目を付けて『お客だったら問題無いよね』と開店直前のお店でお客様第一号の名乗りを上げたのだ。調理を前倒しにする事になったため、あたしはまだ着物に着替えれていないので、ごゆっくりとだけ言い残してさっさと更衣室へ向かうのだけど。



 ――――――――――――――――――――



 温かい湯気を立て、ほのかに食欲をそそる香気を漂わせる御膳を前に、少年――町田――は胃袋が大きく反応するのを自覚していた。


(これが、ね、念願の……)

 得意では無い肉体労働により完全な空腹状態なのだが、手に取った箸を一度置いて制服のポケットの携帯電話を引っ張り出す。

 御膳の写真を撮る前に、配膳を終え更衣室へ向かおうとする少女――小夜子――をこっそりと撮り、続けて御膳も二枚ほど撮影する。自分の為だけにエプロンを着けた彼女への渇望は、空腹時の食欲に勝るのだと改めて驚いてしまったが。

 驚きを表に出すことなく、用を終えた携帯電話を無感情に制服のポケットへ戻すと、今度こそと再び箸を手に取った。


 最初に手を伸ばしたのは味噌汁。この膳の中で最も手がかけてあると言って良いのもあるが、やはり最初は汁物で口を潤したいという理由もある。


 箸で軽くかき回し、椀の縁に口を付けて汁をすする。

 味噌の優しい風味が駆け抜け、鰹出汁の旨味がじわじわと口の中に広がる。運悪く汁と一緒に流されてきた豆腐がくにゅりと潰れて口腔を楽しませてくれた。


(はぁ〜。お、お袋のと同じ……いやそれ以上に美味い!)

 旨味を乗せた舌が仕事している内に、炊き立ての白米を放り込んでやる。

 むわっとする程のご飯の風味が口に広がり、鼻孔を抜けていくのだが、その間に噛み進めることで米の旨味と甘味が舌を覆っていく。

 日本の朝を現した(幸福)が口腔を満たした。


 しかし、幸せは感じれば感じる程、もっと、更にと貪欲になるもので、彼もその例外に漏れずに味噌汁、ご飯と交互にせわしなく箸を進める。

 味噌汁の具材である豆腐は良く水が切ってあって、食感が良い上に味も染みてそれだけでおかずになる。ワカメも乾燥物とはいえ、インスタントに入っているような切れ端ではなく、舌先に張り付いて味を感じさせる絶妙な大きさと厚さのものだった。


 あっさりと味噌汁の具が無くなり、ご飯の量も半分を切ったところで小鉢に添えられた卵を割り溶く。カチャカチャと音を立てて透明な卵白が薄黄色になっていった。

 お猪口に注がれている醤油――恐らくは出汁醤油――を小鉢に追加して混ぜ、均した飯の上に掛ける。

 ザクザクと荒っぽく混ぜ、いや、絡めただけで荒っぽく、そう、行儀悪くも茶碗の縁に口を付けて品の無い音と共に流し込んだ。


(っ!)

 卵自体もスーパーで安売りしているものとは違い、変な臭みが無いのだが、加えた醤油が卵の風味も旨味も引き立たせている。

 卵白が少ないのか卵黄のねっとりとした濃厚な旨味に加え、予想通りの、昆布をベースにしたのだろう主張しない旨味が寄り添っている。それはいいのだ、問題は風味だ、風味。どこかしら生物なまものらしい風味――人によっては臭みと言い換えられるそれを、醤油とほのかに香る紫蘇しそが中和し、卵の美味さを引き立たせていた。


 気が付けば茶碗は空になり、勢いで啜ってしまった味噌汁も空だ。


(もう一度、た、食べたいな……)

 寂しく香の物を茶請けにお茶を頂きつつ、調理室へと去った料理人の姿を思い浮かべる。


(で、できれば、ま、毎日…………)

 美味しそうに朝食を取る自分を、エプロン姿で微笑ましく見守ってくれている……そんな想像が掻き立てられ、残り少なくなったお茶が入った湯呑を無意味に見つめ続ける。


 今は良く分からない勘違いをされているようだが、自分の行いは彼女を得る為にしている努力の一環に過ぎない。ある人から助言を得て、ハッキリ言いきるような話し方を心がけ、実行るようになり――頭の中でつっかえてしまうのは愛嬌といったところだが――少しは見られ方も変わったように感じているのだ。

 ……だが、まだだ。まだ、彼女に見合う男になるためには更にしっかりする必要がある。そのためにも、このまま努力を続ける事が重要で、いつかきっと彼女は振り向いて、自分を評価、理解してくれるはずなのだ。


 彼はそんな青臭く、もはや願望とも呼べる気持ちに、食後の余韻と共に浸り続けるのだった。



 ――――――――――――――――――――



 ……朝のお客様――特に男子生徒――の食欲を舐めていたわ。


「追加、カウンターに3膳!」

「こっちも追加、えーと、テーブル席に合計5膳!」

 と言った声がひっきりなしに上がり、給仕の女子生徒がひたすらに調理室と教室(店内)を往復しているのだ。


 パンフレットの模擬店舗紹介に朝食もやってると値段と共に載せてはいたけれど、ハッキリ言って、早く来なくてはいけない先生と毎年早朝から並ぶ近所のお年寄り達くらいしか来ないだろうと思っていた。それが、席は満席、一人で2〜3膳の注文が相当数あり、回転が速いメニューなのに並んでいるお客様までちらほらいる始末だ。

 ちなみに、お膳を用意しつつつぶやいた『朝食くらい家で食べてこようよ……』という言に、登校してきた女子生徒から『朝ご飯なんか登校中に消化しちゃったんじゃない?』という返しが乾いた笑みと共に飛んで来て、思わず目頭を押さえてしまったよ。


 それでここ、調理室では登校した順に捕まえられた女子生徒がひっきりに無しに手を動かし、茶碗にご飯をよそって、お椀に味噌汁を注ぎ、小鉢と卵を並べている。

 最後にあたしが盛付けや配置をチェックして、OKサインの代わりに香の物を綺麗に盛付けた小皿を置いていた。


「これ、カウンター2番と6番のお客様に、こっちはテーブル3番のお客様にお願い!」

 OKを出したお膳を、注文を受けた順に給仕担当の女子生徒達に回し、それぞれに持って行ってもらう。

 流石に淀みなくとはいかないけれど、彼女達は手元の伝票板――裏に配席図と番号が書いてある――とにらめっこし、調理室からお膳を運び出していく。あとは店内のカウンターやテーブルにしれっと貼ってある番号を確認し、放課後に練習しまくった通りに配膳していくことだろう。


 彼女達を見送ったあたしは、香の物の盛付けをしながらいくつかのダメ出しをし、その都度見本を見せる。給仕の手が追い付かなくなれば調理室に近い席への給仕もしてと慌ただしく朝の時間を過ごすことになった。


 朝食のオーダーストップは9時なので、それまでお客様はご来店頂けるんだけど、流石に8時半からはそれぞれの準備があるからか、学生のお客様は激減して一気に来店者は減る。並ぶ人は当然おらず、店内も空席が目立つようになってきた。

 来客が減って余裕ができた時間であたしは売り上げの概算をしていくんだけど……って、待った、既に全校生徒全員が食べたの同じくらい出てるよ。学生の食欲ってすごいな〜と、思わず感心してしまったほどだ。


「皆のおかげで、予想を遥かに超える売り上げになったわ」

 計算した売り上げ額を紙に大きく書き、調理や給仕に往復している皆に良く見えるように掲げながら言う。


「うわっ、そんなにあるんだ。予想の何倍よ?」

「部活の朝練と同じくらい疲れたもん」

「ご飯、途中で炊いて慌てて追加したしね〜」

 と口々に調理や給仕を担当した生徒達から声が上がる。でも、何のかんの言っても声が上機嫌なのは、予想を遥かに超えた売上額を見たからだろうか。額に汗をかいたり息が乱れたりしていても、彼女達の表情は明るく誰一人、売上額に満足して休憩したいと言い出さないのはありがたい事だ。


「えっと、オーダーストップになったら調理担当から順に休憩して良いから、それまであと少し、手も足もクタクタだろうけど頑張ろう!」

 お店で千秋さんとやり取りする時のように、にこやかになるように意識して言いながら、あたしは頭の中で、これだけ頑張ってくれたんだから皆は仕込みの間しっかり休んでもらおう。と、考えるのだった。

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