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3品目

 襖をそっと開け、小さくお辞儀をして店内に入る。


「おおっ! 小夜ちゃん、待っとったぞ」

 カウンターに座り、白髪を七三分けにしたお爺ちゃんが声を張った。

 今日のお客様は、まだ一人だけのようだ。


「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます、古田先生」

 あたしは両手を前に重ね、白髪のお爺ちゃん――古田先生に頭を下げる。


 古田先生は、この青葉町の町議会議長を務める先生だ。

 うちに毎日のように来てくれる常連さんでもあり、舌も確かで気風も良いし、酔って暴れる事も無ければ金払いも良く、料理屋にとっては非常に良いお客様なんだけど……。


 ちなみに、出口先生もそうだがここの常連さんに、あたしは何故か“小夜ちゃん”と略されて呼ばれる。まあ、嫌じゃないから良いんだけどね。


「小夜ちゃん、わしの焼酎を出してくれ。あと、氷と水」

「はい。すぐにお持ちしますね」

 あたしは古田先生に微笑むと、焼酎棚へ向かい“青葉の星古田”とデカデカと書かれた五合瓶を引っ張り出した。

 続いて、自動製氷機から氷をアイスペールに入れ、冷凍庫で冷やした焼酎グラスをお盆に乗せて、最後にマドラーとトングを差して持っていく。

 古田先生の左側に五合瓶を置き、氷、グラスを並べると、空いたお盆を後ろ手に持ち、お尻をガードすると……案の定、古田先生の手がお盆に触れた。


「こちらでよろしいですか?」

 あたしは気付かない振りをして、古田先生ににこやかに確認する。


「う、うむ。……小夜ちゃんは隙が無いわい」

 古田先生はションボリとしてそんな事を言った。

 こちとら、年頃の女子高生だ。そう易易やすやすと触られてなるもんですか!

 これさえなければ、ほんっっっとうにありがたいお客様なのに。


 あたしは焼酎の水割りを作る古田先生を尻目に、調理場に向かう。

 調理場で、お茶を飲みながら待機している親方に声を掛ける。


「親方。出口先生が夕食をとりに来て頂けるそうです。煮物とお味噌汁をあたしに作るようにと、ご注文頂きましたので、調理場を使わせて頂きたいのですが……」

 親方はあたしをジロリと見ると、

「あいつめ」

 と言って、調理場を開けてくれた。


「何、小夜ちゃんが煮物を作るのか?」

 ……できるだけ小声で言ったつもりだったけど、古田先生には聞こえていたらしい。お酒で色付いた顔をあたしに向けくる。


「え、ええ。どうしてもと頼まれて、断りきれなかったもので」

「では、わしの分も頼む」

「え、えーっ!?」

 古田先生の注文に、驚いたあたしは素っ頓狂な声を出してしまった。


「で、でも、あたしのより親方の煮物の方が美味しいですし、その、あたしなんかの煮物をお出しするわけには……」

 あたしは慌ててまくし立て、親方を見る。


「お客様のご注文だ」

 お父さんは険しい顔であたしに言った。


「で、でも、おと――」

 動揺して“お父さん”と言いかけた所で、ふくらはぎに痛みが走る。

 親方があたしを蹴ったのだ。痛みを堪え、あたしは言葉を続けた。


「親方、あたしなんかの料理を並べてしまったら……」

「何を言っている。だったら、恥ずかしくない煮物を作ってお応えしないか!」

 親方は小さい声で、でも強い口調で言いきった。


 親方はお客様がいる前では決して怒鳴らない。代わりに見えないように手が出るのだが……もし『痛い』などと声を上げようものなら、首根っこを掴まれてお客様に強制的にお詫びをさせられた後、お店から追い出されてしまう。

 親方曰く、お客様が悪い訳では無いのに怒鳴り声を聞かせるなど迷惑以外の何者でも無い。そのため、見えない様に手を出すのだと。

 言ってる事は正しい。

 あたしも何処かに食べに行った時、そこで怒鳴り声なんて聞きたくも無い。だから、あたしは親方に蹴られた痛みに声を上げない。全てはお客様が気持ち良く食事をしてお酒を飲んで頂くためだ。

 そしてもう一つ。料理についても親方の言ってる事は正しい。

 出口先生も古田先生も、あたしの料理をご注文下さったのだ。だったら、二人が美味しいと言ってくれる煮物を作れば良いのだ。

 ……でも、これらの正しい事も、赤の他人から言われたら、あたしは耐えることはできなかっただろう。反射的に相手に言い返し、口論の末に仕事を辞めているかもしれない。

 あたしの夢の事を考えてくれるお父さん、親方だから、あたしは素直に聞き、痛みに耐えながらでもお客様に笑顔を向けられる。


「親方のお許しもでましたし、頑張らせて頂きます」

 あたしは文字通り営業スマイルを貼り付け、古田先生に返事をした。


 自分の薄刃包丁を取り出し、仕込んだ鶏肉――軽く塩をし、下茹でしてある――、シイタケ――干した物を戻したもの――、ニンジン、ゴボウを取り出す。

 鶏肉は小さく切り分け、シイタケとゴボウに薄刃で飾りを入れる。ニンジンは既に飾り切りしてあるので、まな板の上に並べて、他の具材と一緒に数の確認をする。

 今回は二人分なので、小型の片手鍋を取り出して、昆布出汁とシイタケの戻し汁を混ぜて火に掛ける。

 煮立ったら鶏肉から煮えにくい順に鍋に入れ、沸騰しないように暫く煮て、具に火が通ると味付けをするのだが……この味付けが親方とあたしでは異なる。

 お酒、特に焼酎を好むお客様に絶対的な評価を得ている親方の煮物。だけど、あたしにとっては少し濃い。だからか、あたしは反対に味付けを結構薄くする。

 素材の味を大事にと言えば聞こえは良いけれど、親方からは“お酒を出す料理屋(プロ)”の料理じゃないと、まあ、口酸っぱく言われてしまう。

 でも、今回、出口先生も古田先生もあたしの煮物を希望して下さった。だったら、あたしは自分が信じる味付けで行く。それが、二人に対するあたしの礼儀だから。


 味付けに先立ち、茹った鍋に酒を入れてアルコールを飛ばす。次にみりん、薄口醤油を順に入れ、味を整えて暫く煮る。また煮立ってきたら、筋取りをして薄く斜め切りにしたインゲンを投入、火を止めてふたをして暫く蒸らせば完成だ。


「こんばんは」

 鍋に蓋をした所で、出口先生が入ってきた。あたしは調理場に立っているので、軽く会釈だけする。


「おう。いらっしゃい」

 あたしの代わりに、親方が出口先生に声を掛けた。


「よう。今日は誰かさんの自慢話を我慢した甲斐があったぞ。小夜ちゃんの煮物、楽しみだ」

「娘が羨ましかったら、さっさと結婚しろってんだ」

 親方はおしぼりを渡しながら、出口先生が一番気にしている事を容赦無く言う。


「そうだそうだ。回りを綺麗処に囲まれて結婚せんなんぞ、全ての男の敵じゃい」

「うおっ! 古田先生まで!? そんな事言わないで下さいよ」

「いーや。病院持ちでモテておるくせして、その年まで結婚せんとは何事だ。我が町の少子化対策に喧嘩ぁ売っとるのか? ん?」

 お酒の回っている古田先生は、饒舌に出口先生を責め立てる。


「縁がないんですよ。職場の看護師は怖いし」

 出口先生はボソっと愚痴と思える一言を零した。


 確かに、出口先生は診療所でモテている。でも、診療所の大半の看護師さんは、鷹のような眼付きで出口先生を見ており、何とか出口先生をゲットしたいと思っているんだろうなということが、女の目から見れば分かる。どんなに猫撫で声を出そうと、甘えるようにしなだれかかって子猫を演出しようとしてもね。

 大体、あんな猛禽に囲まれたような職場……あたしなら考えただけでも嫌だ。


「なんだ、出口先生は女が怖いのか。軟弱だの」

「医学バカだから女の扱いを知らんのでしょう」

 古田先生と親方は、相変わらず好き勝手に出口先生を責めている。


「お二人と違って、出口先生は女の人に真面目なだけですよ」

 あたしはお父さんと古田先生目掛けて言うと、用意した夕食のお膳――御飯、味噌汁、香の物、煮物、小鉢――を持って、出口先生の前に並べた。


「さ、小夜ちゃん」

 出口先生が潤んだ目であたしを見ている。……何かマズイ事言ったかな。


「先生にご注文頂いてました、お味噌汁と煮物です。あたしが作ったので、味付けが物足りなければ醤油をお足し下さい」

 あたしは出口先生に頭を下げ、続いて古田先生に煮物を持って行――こうとしたら手を掴まれた。


「小夜ちゃん。あと、お昼にお願いしたお酒……今頼んでもいい?」

「え、あの……御酌の……ですか?」

「うん。お願い」

 古田先生がいる前でとは思わなかったので、ちょっと慌ててしまうあたし。

 その横で、出口先生が古田先生に勝ち誇ったような顔を向けているのは……気のせいかな?


「はい。かしこまりました」

 あたしは自分の出した条件を反故ほごにする訳にはいかないと思い、承諾の返事をするが、それはもう少し後だ。

 先に、手に持ったままになっている煮物を、古田先生の前に置いた。


「ご注文の煮物です」

「おお。嬉しいね」

 早速、煮物に箸を伸ばす古田先生。


 あたしはお盆を持って調理場に戻り、冷酒用の容器――真ん中に氷を入れる別の空間がある徳利――に保冷用の氷を入れると、お酒保管用の冷蔵庫から出口先生が良く飲む日本酒――新潟の純米大吟醸。うちで一番高いやつ――を取り出して、

「こちらでよろしいですか?」

 と聞いた。


「いや、今日は暑いしビールも飲んでないから、岡山の純米吟醸の方、ある?」

 これまた出口先生が良く飲むお酒だ。確かに、今日みたいにビールを飲んでない時はこっちを頼む事が多々ある。


「こちらで?」

 あたしは手にしていた瓶を置き、冷蔵庫から目的のお酒を取り出すと、出口先生にラベルを見せる。うなずく出口先生。

 このお酒はさっきの新潟のお酒に比べると大分安い。もしかしたら、出口先生は気を使ってくれてるのかもしれないと思って、あたしは容器になみなみとお酒を入れた。


 お酒の入った容器とガラス製のさかずきをお盆の上に載せ、あたしは出口先生の席に向かう。

 出口先生の前まで来ると、お父さんに教わった作法に則り、微笑んで一礼する。

 お盆を脇に置くと、出口先生におチョコを両手で渡し、あたしは冷酒の容器を取る。もちろん、利き手でしっかりと容器の重心を持ち、もう片方の手を容器の尻に添える。相手から見える人差し指と親指は曲げないようにするのも大事だ。


「先生、本日はありがとうございました。今日一日お疲れ様でした」

 ゆっくりと、媚びるのとは違う甘さのある声で口上を申し上げ、容器――本来は徳利――を傾け、3回に分けて盃へお酒をそそぐ。

 この時、隣りに座ったりせず、お客様の頭より低くなるように中腰か跪いた体勢になるのがポイントだ。


「な、なぬ!? 出口先生よぅ。そりゃ、反則じゃろう!」

 煮物を食べていたはずの古田先生が頓狂とんきょうな声を上げた。


「いや~。小夜ちゃんが注いでくれた酒は美味しいですよ~」

 盃に口をつけ、すごーく意地の悪い笑みを浮かべた出口先生が古田先生に言っている。何でかあたしの方が恥ずかしい気がするんですけど……気のせい?


「わ、わしもだ。小夜ちゃん。わしにも御酌しくれ。一番高い酒でいい!」

「ダメです。そういった事はそういうお店で頼んで下さい」

 出口先生への御酌は今日の特別報酬だ。それを表明するためにも、古田先生の注文をあたしは無下に断った。


「だが、出口の奴にはやっておったじゃないか」

「出口先生は今日、親方の怪我を治して下さいましたから、特別です」

「む、むぅ……だったら、わしにも何か頼ってくれ。小夜ちゃんの御酌が受けられるなら何でもするぞ」

 口を尖らせ、ちょっと情けない顔で出口先生を羨む古田先生。その姿が子犬みたいで可愛いくて、あたしは小さく失笑を漏らしてしまう。


 そうまでして断るくらいなら、何で御酌の作法なんか知っているのかって?

 それはだ。将来、あたしが女将になり、必要になった時に恥をかかないために、親方に頼み込んで教えて貰ったからだ。

 でも何故か、教わっていた間、親方は超が付く程上機嫌で、物凄く美味しそうにお酒を飲んでいたんだけど。


「小夜ちゃん、もう一杯」

 出口先生が空けた盃を突き出してくる。

 その顔は、相変わらず勝ち誇ったような笑みが浮いているのだが……でも、何で出口先生はそんな顔を古田先生に向けているのだろう? 何かあったのかな。


「はい先生」

 そんな事を考えながらでも、あたしは営業スマイルの張り付いた顔で、出口先生の盃を満たしていく。


「……我慢ならん! 小夜ちゃん、わしにも岡山の純米吟醸をくれ」

 古田先生が出口先生を睨み、同じお酒を注文してきた。あたしは慌てて返事をし、調理場へ向かったのだけど……その横で、出口先生がニヤリと口角を釣り上げていた。


「お待たせしました。純米吟醸です」

 出口先生の時と同じ手順でお酒を用意し、古田先生の席へ運ぶ。唯一、違うのはお酌をせずに、冷酒のガラス容器は古田先生の前に置いただけということだ。


「はぁ……手酌はわびしいな」

 凄く哀れを乞う表情と声で、古田先生があたしに訴えてくると、

「じゃあ、僕がお注ぎしましょうか?」

 と、出口先生が横から口を挟んだ。


「嫌味か! まったく……」

「そうでも無いですよ。その酒、小夜ちゃんの煮物を肴に、やってみて下さい」

「言われんでもそうするわい!」

 とーっても不機嫌な古田先生に、出口先生がニタニタとした含みのある笑顔で言った。

 出口先生の、爽やかな笑顔しか知らない看護師さん達が見たらどう思うだろうか。などと考えていると、古田先生が声を上げた。


「美味い! 焼酎を飲んでいる時はあまり感じなかったが、小夜ちゃんの煮物、美味いぞ」

「へ?」

 予想外の反応に、あたしは驚いてしまった。ってゆーか何で?


「でしょう。小夜ちゃんの煮物はこの酒と合うんですよ」

「うむ。何だか、久しぶりに死んだあいつ(家内)の飯を食ったようだ。あいつの煮物も美味かったからなぁ」

 懐かしさに目を細めた古田先生は、急ピッチでお酒と、あたしの煮物を平らげた。


 お客様があたしの料理を美味い美味いと言いながら食べてくれる。それは料理をした者にしか解らない、嬉しいひと時だ。

 でも、美味しいと言ってくれた理由が解らない今回は、単純に喜んじゃいけない気がするのは何でなのか。 


「いやー、食った飲んだ。満腹じゃい」

 さっきまで出口先生に向けていた渋面じゅうめんは何処へやら、古田先生は満面の笑顔で言って席を立った。


「親方、勘定だ」

「はい」

 親方は店の端にあるレジスターをカタカタと叩き、簡易領収書にメモした金額を古田先生に渡す。

 古田先生はお勘定を済ませると、お店を出ようと出入口に向かう。

 あたしは小走りで追いつくと、戸を開け、外まで付いて行ってお見送りをする。


「ごちそうさん。小夜ちゃんの煮物は美味しかったぞ。どうだ、わしの後妻ごさいにならんか」

「古田先生、お酒が入ったらそればっかりですね。でも、先生の心は、奥様で一杯だと仰っておられましたよね」

 古田先生は奥様と死別されて結構な年数が経つ。それでも再婚していないのは、今でも亡くなられた奥様を大事にされているからだ。この事は、古田先生がかなり酔った時に白状した話だ。


「むぅ……人が酔った時事を引っ張りだしてきてからに……そんな小夜ちゃんはこうしてやる〜」

 酔った千鳥足で、あたしに抱きつこうとする古田先生。そんな足取りじゃあたしは捕まらない。

 半歩横にずれて抱擁を躱し、次の抱擁を回避するため、古田先生の両手を握る。


「またのご来店、お待ちしてます。古田先生、気を付けてお帰り下さいね」

 古田先生の手を握ったまま、あたしは特技の女将スマイルで見送った。

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