32品目
今年最後の投稿になります。皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
一先ず、あたしが請け負った鮮魚も含めて文化祭用の仕入れは目途が立った。
その事をを後日の実行委員会――放課後集合メンバー――に報告し、それぞれの担当分野との情報交換も行った。貴重な放課後の時間が削られたのには涙が出そうだったけれど、文化祭が終わるまでは仕方がないとあきらめる。
朝は家事、昼は学校、放課後には文化祭の準備、夜はお店と、目を回しそうな日々――と言っても一週間程だけど――を過ごしていると、あっという間に迎えた前日の最終準備。
鮮魚の類は明日受け取る事になるので、今日は煮物なんかの下準備が主になるのだが、皆の手際の悪さに引っ張られて仕込みは右往左往を通り越し、もはや七転八倒しているんじゃないかと思えるほどに忙しさを極めた。
「牛筋は圧力鍋で煮込んで――あと、生姜を忘れないで!」
とか。
「天婦羅用のエビは背ワタを取った後、筋切をしておいて!」
など。
あたしは自分でも仕込みをしながら、方々で調理をしてくれている同級生に責任者としての指示を飛ばす。
もちろん、ウチの味付けを基本とした指示内容なんだけど……何と言っても相手は高校生。
『ええーこれくらいでも十分じゃん!』とか『この味でイケるって〜!』とか、余りにもテキトーな返事が飛んできて、焦燥感とイライラがダブルで押し寄せてくる。
ああーっもう! ちゃんとやってよと思うけれど、あたしは何とか笑顔を張り付けて指示を重ねて飛ばし、ダメ出しを繰り返す。
きっとそのお蔭なのか、時間を追う事に疎外感が強まってく気がして、なおの事焦りに支配されてしまっていた。
そして、その時はやってくる。
「ちょっと小夜子。あんた、あたしに恨みでもあるワケ?」
一番家庭的なメニューであるトン汁の仕込みをしている女子の一人――藍井春子が、あたしからのダメ出しにキレる。
「何であたし達だけ4回も作り直しさせられるのよ。大体、文句があるなら小夜子がすればいいじゃない!」
「うちの店の味になってないからやり直しになってるのが解らないの? 時間が無いんだから文句言う暇があったらもっと真剣にやってよ」
気が付けば、売り言葉に買い言葉と表現するのもおこがましい程、短絡的、いや幼稚に言い返してしまっていた。
もちろん、普段ならこんな言い方は絶対にしない。元々乗り気でなかったイベントに無理しているストレスか、仕事ととの掛け持ちによる疲労からなのかは解らないけれど、最悪の行動を起こしたことだけは間違い無かった。
後になれば自分でも認めるほど最悪の声に、調理場――にしている隣の空き教室――に詰めていた女子の視線が一斉に向けられた。
「……そんな言い方無いんじゃない?」
誰かがポソリと言う。
「自分は解ってるからって、偉そうに言わないでよ」
「別に、あんたの店の従業員じゃないんだから」
「そんなにイライラされてちゃ、やりづらくてしょうがないわ」
最初の切っ掛けができてしまえば、後から後からまるで堰を切ったかのように皆の口から、非難と不平不満が溢れ出た。
……どいつもこいつも、あんたたちが勝手に盛り上がってやるって騒いだ企画でしょうが! と、一気に怒りのボルテージが最大値まで登り、頭に浮かんだ罵る言葉をそのまま声に出そうとした瞬間――。
「小夜子〜。そろそろ夕食作って」
この場の雰囲気と真逆の、上機嫌な優しい声が響き、全員が黙ってしまう。
「ほら、今日は長丁場になりそうだからさ、今のうちに夕食作って食べようよ」
声の主――茉莉彩は静まった皆を前に、あっけらかんと言い放った。
いきなり現れた彼女お蔭(?)で怒りまま罵る事態にはならずに済んだものの、大変な事をやらかしてしまうところだったあたしは、急激に気持ちが萎れてしまっていた。
「そう……ね。ちょっと悪いんだけど、お米を炊いてもらっていいかな」
「良いけど?」
「直ぐに戻るわ」
萎れた心を気付かせないように茉莉彩にだけ聞こえる声量でやりとりし、あたしは調理場を一度出る。
背後からは「何よあれ」とか聞こえた気もするけれど、今は調理場を出る事を優先した。
一人で人気の無い屋上の入口へと続く階段を足早に上り、最上階の踊り場で愛用のスマートフォンを取り出す。
震える指先で呼び出したダイヤル先は、最も馴染の深い場所だった。
――短い電話を終えたあたしは宣言通り、真っ直ぐに調理場へと戻る。
扉を前に深呼吸をして気を引き締め、電話口で聞いた助言を反芻して、勢いよく扉を開けて入室した。
「皆、さっきはゴメン! あたしの言い方が悪かった」
大きな声で言い放ち、深々と頭を下げる。
多分注目していたのであろう、全員の視線が驚きに変わるのが解った――気がした。
「……まあ、今回だけはいいわ。あたしもイライラしててキツイ言い方かなとも思ったし」
バツが悪そうに言う春子。
そんな彼女にあたしは敵意も文句も無いと言わんばかりに、
「それで、今から夕食を作るついでで悪いんだけど、あたしがトン汁を作って見せるから、ちょっと参考にしてみて」
と、本心からの笑顔で伝えるのだった。
視界の端では『やれやれ、やっと本領発揮ってとこかしら』とでも言いたそうな茉莉彩が、小さく溜息をついていたような気がしたけれど、お腹を空かせた彼女達の目を輝かせた視線が交差する中であたしは愛用の包丁を手に、材料の処理にかかる。
あたしが受けた助言はたった一つ。いつものあたしらしさを出せという事だったから、文化祭の出店計画そのものよりも、皆で楽しめる――文字通り美味しい思いができるようにという事を主に置いて行動するよう見直しを行った。
ただし、折角なので具材の切り方のレクチャーや、味付けの小技等を説明しながら調理をしてたりするんだけどね。
「何で最初からそういう風に教えてくれないかな。今の方が断然解りやすいし、やる気でるし」
小言のようであるけれど、機嫌よく言う春子が横でマジマジと調理法を見ていたりする。
そうなんだよね。この娘みたいにやる気があると、丁寧に指示を出した方が今みたいに協力的な反応を示してくれるのは解ってたハズなのに……こんな気遣いもできない程、あたしは何かに焦ってしまってたのか。と思ってしまい、ちょっとヘコんでしまう。
「後は、軽く煮立ったらお味噌を溶いて完成なんだけど、ちょっとオマケね」
と言って、あたしはトン汁なんかに使った大根に付いていた葉――大根菜を引っ張り出す。
何をするのかと言えば、そう、大根菜飯を作ろうとしているのだ。だって、トン汁だけじゃとてもおかずが足りないしね。
助言をくれた主に教わった手順通り、下茹でして絞ってざく切りにして醤油と和える。それを小鉢に小分けにしつつ、まじまじとあたしの手元を見ている春子に自然な笑顔で言った。
「さあ、できたわよ。大根菜飯だから、炊き立てご飯に掛けて食べてね」
――――――――――――――――――――
「小夜子〜、シャワー室空いたってさ。今のうちにパパッと汗流しちゃおうよ」
夕食後の作業まで終わったところで、残っていた茉莉彩がスマホの画面を見ながら言った。
うちの学校は女子の割合が圧倒的に多い事もあってか、部室棟の中にシャワー室が設置されており、普段は部活後のみ解放されているんだけれど、今日のように行事の前後は特別に使用可能となる。
準備でペンキや油の匂いが付くだけでも気になるし、ステージ関係の出し物をするグループは顔料なんかも使うので、そういったのは落として学校を出たいという女の子の心情を勘案してくれているんであろう事に感謝し、バッチリ着替えも準備してたりするんだよね。
「そうね。そろそろ帰りたいしね」
ちょうどモツ煮が出来上がり、火を消した――後は一晩置いて味を染み込ませる――ところだった事もあり、彼女の提案にあっさりと同意する。
前掛けを外して着替えの入ったバッグを手にすると、隣の教室から手提げ袋を下げたくるみも姿を現した。恐らく、茉莉彩がメールででも呼び出したのだろう。
「空いてるのなら早くいこ〜よ」
はいはいと、子供に言うように相槌を打ち、三人で部室棟へと歩いて行った。
部室棟の二階にあるシャワー室へ入ると、ちょうど三人という事もあるんだけど、暗黙的に一応施錠する。
まあ、そう易々と学校内に不審者が入ってくるワケではないけれど、シャワーを浴びている間は無防備だし、貴重品もあるしね。
施錠を確認すると、それぞれの脱衣所に入ってまあ、何と言うか準備を始めるわけだけど、そこは学校の施設特有の薄い壁を利用して茉莉彩が大声で会話を試みて――いや、確信的に色々と問うてくる。
「小夜子、揉まれて少しは胸大きくなったー?」
ぶっ。
思わず噴き出してしまうあたし。
「誰が揉むのよ! 大体、あんたに比べれば少しくらい育ったって変わらないっての」
つい、大声で反論してしまうのはまあ、愛嬌だ。
その返事を聞いてか聞かずか、彼女は次の標的をくるみへと移しているんだけどね。あいつめぇ、こんな事がしたいが為に真ん中のシャワー室を陣取ったのか。
油断したころの茉莉彩の下ネタ攻撃にプリプリとしつつも、改めて視線を下へと落とした。
……ホントになー、茉莉彩くらいまで育ってくれれば少しは自信も付くのにな。あの時も、結局直ぐに二人そろって寝てしまってたようで、あたしの体には未だに無傷なんだよね、悲しい事に。だから、長崎さんから成長はしているから心配するなと言われても、近くに比べ物にならない比較対象がいると不安で仕方がない。やっぱり、繋がりを実感できる何かは欲しいというのが本音だよ。
そんな下らないことを考えつつも、あたしはぱっぱとシャワーを二人より早く終え、髪を拭こうとしたところでバスタオルを脱衣所に置いたままな事に気が付いた。
扉を開け、脱衣所でタオルを手に取ると、脱衣所の外――シャワー室の扉が開くカラカラという音が聞こえた。
え? カギを掛けたはずなのに……何で? というか誰。
慌ててタオルで前を隠し脱衣所の戸に耳を立てる。
耳にひんやりとした感触が伝わると同時に、勢いよく戸が開かれた。
「え?」
「うわっ!?」
あまりにも突然過ぎて、短い声を出しただけのあたしとは正反対に、戸を開け放った主が驚きの悲鳴を上げた。
悲鳴を上げ、驚いた顔のままこちらにバッチリと視線を向けているのは町田だった。
いや、普通上げる悲鳴は反対なんだろうけど、ヒロにお風呂を覗かれた――半分以上濡れ衣――の時とは真逆に、落ち着きはらっているあたしがいる。
「……町田?」
自然と口から出た不機嫌な低い声に、汗――恐らく冷や汗――を浮かべて反応する町田。
「ご、ごめん。でもここ男子シャワー室じゃ……」
困惑しつつも言い返してくる。
まて、ここはれっきとした女子シャワー室よ。消えかかってるとは言っても戸に付いた表札も確認したもん。
「男子シャワー室は一階でしょ」
疑問へと答えながら、そういえばカギを掛けたハズなのに、何で開けれたんだろ? と疑問が浮かんでくるんだけど。
「え、そうなの? でも、このカギで空いたんだけど……」
あたしの疑問に答えた町田の言葉通り、手にしているカギには“男子シャワー室”と書かれたタグがぶら下がっている。
……マテや。これ、男女のシャワー室のカギは同じものって事だよね。何でウチの学校はこういう所で手抜きをするかな。
これじゃあ、町田が完全に悪いと言えない。言えないんだけど……。
「空いたのは仕方ないけど……いつまで見てんのよ、アンタは!」
脱衣所の戸を開いたままの町田に、ある程度思考を巡らせてなお、理不尽だとは自覚しつつあたしは脱衣籠を投げつけた。