31品目(3)
「流石よね、伊嶋さん夫婦揃って絶賛だったじゃない」
帰りのバスの中、回り――と言っても乗客数は他に二人しかいないけど――に聞こえないくらいの小声であたしは言った。
エビのしんじょの茶巾蒸しを主菜に、揚げ出しにしたナスと豆腐、小松菜の胡麻和えの副菜二品、シイタケと三つ葉のお吸物、香の物替わりの昆布の佃煮という、和食の基本に忠実かつ、一般家庭でも作られているような献立のお膳を伊嶋さんご夫妻にお出ししたのだけど、味付けや盛付けを含めた細かい所に技を凝らしており、見た目でも味でも驚いてもらった。
しかも、茶巾蒸しについては、二人ともエビが好物との事で、奥さんから作り方まで聞かれていたんだよね。もちろん、家庭用に簡単にした作り方――ヒロがやった方法を再現しようとすると、慣れてない人はかなり時間がかかる――ですがと断りを入れ、ヒロは教えてあげていた。
「そうだな。ありがたい事だ」
あたしが小声だった事を察してか、彼も同じくらいのトーンで返事をするのだけど、それが生返事に聞こえたのは多分気のせいじゃない。
結局、これ以降はあたしが何かを話してヒロが相槌を打つだけの会話と呼べない会話を繰り返して家路に着き、いつもの様に夕食の準備をしている時だった。
「小夜子」
珍しく、和室の方のキッチンへヒロが顔を出した。
「どうしたの? もう、お腹でも空いた?」
「子供扱いするんじゃあない」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくって――」
ちょっとしたお茶目のつもりだったんだけど、気を悪くさせちゃったかな。素直に謝って言い訳をとした所で、悪戯っぽく口角を上げたヒロが遮って口を開いた。
「なに、ちょっとした冗談だ。それよりもな、日頃の食事や今日の事で気になったのだが……。小夜子は、店で出す料理――御馳走だけが料理だと思っていないか?」
「え、急にどうしたの? あたしの料理はほとんどお店に出させてもらえないから、そんな事は無いと思う……んだけど」
うっかりと、ヒロがロクな食べ物が無い時代から来た事を忘れ、自信満々に言い返しそうになったところで尻すぼみになる。
「例えばそうだな、この切り分けた大根の葉だが、漬物以外の料理ができるか?」
うちは大根に関しては葉まで漬物にしたりするので、農家から直接買い取っているのだけど、逆に言えば、漬物以外で大根の葉を使う事は全くと言っていいほど無い。
正直にその事を伝えると、ヒロは小夜子でもそうなのだなと呟き、一転した真顔で言葉を続けた。
「小夜子に連れて言ってもらった大衆店では葉を切り落として売っていたからな、もしやと思ったがやはりか。大根の葉は一般的に汁の実や煮物など、様々な料理に使えるのだが……今からやって見せるのは最も簡単な料理だ」
確かに、大根の葉――大根は農家から直接仕入れる事が多いので、葉を漬物にすれば食べれる事は知っていたけれど、汁の実や煮物にもってとろで既に驚いているあたしに、彼はもっと簡単な調理方法があると言ってのけた。どんな調理方法なのかとも思うけれど、思うだけであたしには何一つ思い浮かばないという悲しい状況だったりもするんだよね。
それってどんな――という言葉を発する前に、ヒロは大根を手に動き出した。
大きめの鍋に水を入れて沸かし、株元が繋がったままになるように大根から切り落とした葉を丹念に洗う。
お湯が沸いた所で水を切った大根の葉を根元から鍋に入れ、さっと茹でて引上げ、流水に晒す。何とか触れるくらいの温度まで冷めると、力強く絞って水気を落とした。
そこまでやってまな板に置くと、株元を切り落として平たく広げ、株元近くの固い部分を包丁の背で軽く叩き、短く切り揃える。
切った大根の葉をボウルに入れ、醤油を少しづつ足しながら混ぜる、混ぜる。
「これくらいだな。飯を茶碗に軽くよそってもらえるか」
大根の葉を一つまみ味見したヒロが言った。
「う、うん」
慌てて茶碗を食器棚から出し、炊飯器の蓋を空けて軽くよそった。
「これくらいで良い?」
よそった茶碗を渡すと、混ぜていたスプーンでご飯の上に大根の葉を乗せ、サクサクと軽く混ぜた。
「大根の葉――大根菜を使った菜飯だ。そのまま食べてくれ」
渡した茶碗があたしの手に戻された。
菜飯――葉物野菜をちりめんじゃこなんかと炒めて、ご飯に混ぜ合わせたものが多いのだけど、ヒロが作った菜飯はシンプル極まりない。
茶碗を手にしたあたしは、洗い籠で乾かされた箸を手に菜飯へと切り込んだ。
ふわふわとしたいつものご飯の感触に混ざり、ザクザクとした大根の葉の食感が楽しい。そして、葉から染み出る爽やかな旨味と醤油の塩気が入り混じり、よくぞ日本人に生まれてくれました! と、感謝したくなるような、素朴で力強い美味が口腔を満たす。
気付けば、あたしは手にした茶碗をすっかりと空にしてしまっていた。
「俺が食べていた大根の葉は苦味もあったのだが、この“あおくび”とか言う大根の葉は苦味が無く美味いのだ、使わなくてはもったいないぞ」
「確かに美味しいわ。これならお茶漬けと並んで、シメのご飯物に良いかも」
「いや、菜飯なんぞを店の献立に追加はできん。そもそも、献立の話ではなくてだな」
新メニューの案としてスマホにメモしようとしていると、止められた。てっきり、あたしが気付いて無いメニューの話かと思ってしまっただけに、驚きを表情に出してしまう。
「俺達に出す賄には、お客に出せない部位も使えるという事を知ってもらえればだな……」
目線を逸らしつつ言う彼の印象が余りにも強かった事と、作り方がすごく簡単だった事もあってか、あたしはこのメニューを何故か一度だけでバッチリと覚えたのだった。




