29品目(2)
「しかし、ウチワエビを用意したのがヒロ君だったとはな。流石に驚いたぞい」
これまで、一度も出した事が無かったお刺身なだけに古田先生も驚いていたけれど、種明かしをすると一層驚いていた。
「ふむ。聞くに若い料理人のようだが、大したものだな」
古田先生からの質問とあたしからの答えで解ったのか、町長までもがヒロの腕前を評価する。
この二人がヒロを評価する理由、それはウチワエビの存在を知っている事に加え、そのお刺身の味が個室の特別料理に使える事を知っているからだった。
――イセエビに勝るとも劣らぬ味。
見た目が独特な形状をしているウチワエビの味を知っている者は、存外少ない。地元の魚屋でも存在は知っていても、その味やおろし方を知っている者となると少数だからだ。
現にあたしも知らなくて、初めて見た時には独特の姿から『これ本当に食べれるの!?』と聞いてしまったくらいだし。
「わしらが若い頃は、炊いたものを食べたりしていたものじゃがな」
懐かしそうに眼を細め、古田先生が件の刺身を一切れ口に運ぶ。
「そうだったな。最近は殆ど口にできることも無くなったからな。ああ、懐かしくて美味い」
あれだけ悪ノリしていた二人が、打って変わってしんみりとする。口数が減り、一切れ、また一切れと消えて行く儚げな白いお刺身。つられてお酒も一献、一献と進んでいく。
「……あの、差し出がましいとは思いますが、ウチワエビのお造りをもう一善ご用意させて頂きましょうか?」
お通夜の時の様に黙ってしまった二人に耐えきれず、あたしは本来ならばご法度なはずの口を開いてしまう。
「良いのか?」
真っ先に町長が食いついてきた。
「ふむ。……ではもう一皿づつ用意してくれい」
あたしの顔を見ていた古田先生は、町長の反応を聞いて逡巡した後、追加のオーダーを出した。
先生の追加オーダーを確認したあたしは、頭を下げて個室から一度下がる。
「ウチワエビのお造り、二人前追加をお願いします」
個室から出たあたしは、お酒を用意しながら調理場へと声を張った。
「解った!」
応答してくれたのが、話題に登ってた本人だったりするのがまた面白いところではあるんだけれど。
「……ヒロ、お客様がウチワエビ美味しいって」
お酒の用意をするためにヒロの後ろを通った時、あたしはコッソリと彼へ伝える。
褒められた事はさっさと伝えた方が嬉しいかと思っての配慮なんだけど、彼は『ああ』と返事をしただけで、ウチワエビをさばき出した。
彼の素っ気ない返事にちょっと、いや、結構ガッカリしつつも、あたしは個室へとお銚子を運ぶ。
べ、別に寂しくなんか、寂しくなんか……うぅ、素っ気ない反応は寂しいです。
どんよりとした気分へ一気に落ち込んだ状態で、個室へ向かうためにヒロの後ろを再度通ると、ウチワエビの白い身へ視線を向けたままの彼が口を開く。
「酒を運んだら、直ぐに戻ってきてくれ。それまでには絶対にお造りを用意しておくからな」
顔こそ見えないけれど、その上機嫌な声に、お銚子を載せたお盆を持ったあたしは
「はい!」
と、にこやかに返事をしたのだった。
――追加が一品あったものの、献立は順番通りに進んで行く。
お刺身の次に登場するのは焼き物――マツタケの炭火焼だ。
こればかりは流石に、安価で手に入れる伝手はウチには無い。だから、市場を通じて今日の為だけに手に入れてきたんだけど、あたしは親方から聞いた値段に卒倒しそうになってしまい、ヒロはヒロで『マツタケがそれほどの高級品になっているとは……』と、釈然としない顔をしていた。ちなみに千秋さんは『お吸い物にすると風味豊かなキノコですよね』と、ニッコリと言っていたけどね。
話は逸れたけど、そのマツタケを焼くためだけに備長炭も購入し、数年ぶりに七輪を引っ張り出してきて焼いたものだから、香りの良い事良い事。……お盆から漂う香りにあたしは涎を零しそうだよ。
「マツタケの炭火焼でございます。お好みでスダチをかけてお召し上がり下さい」
「ふむ。焼物では相当ぶりだな」
ポソッと言って、町長はスダチには目もくれずにマツタケへと箸を伸ばした。
「昔はな、松山を持っていれば良く採れたものだったのだがな……」
「そうじゃな。そう言えば、お前の親父さんの山はどうなったんじゃ?」
コリコリと小さな音を立てて噛んでいたマツタケを咀嚼した町長へ、古田先生が話の先を向ける。
「もう、大分前になるが、松食い虫――松枯れの事――にやられて全滅したぞ」
「残念じゃの。昔は葉田の親父に食い飽きるほど食べさせてもらっていたものじゃがな……それももはや昔か」
……そっか、先生達は昔、食べ飽きるほどこの高価なマツタケを食べていらっしゃったのね。
「……古田、それ以上言うな。女将の顔が引きつっているぞ」
あたしをチラ見すらせずに町長が言う。な、何で!? 顔に出ていたのかとあたしは意識して営業スマイルに戻すのだけど、町長はそれさえも見透かしたのか、
「そんなに気にせんでも良い。昔は肉よりクジラが安かったのと同じ話だ」
と言った。
釈然としないモノを感じつつも、あたしは二人の角皿に残っているマツタケが少量である事に気付き、無言で頭を下げて個室を出る。そう、次の料理を運ぶためだ。
音も立てずに襖を閉めると、あたしは調理場に向か――おうとして、町田に捕まった。
「あ、あのさ、藤原さんは、えと、今日は何時まで、そ、その、仕事なの?」
もうちょっとハッキリ喋ってくれたらいいのに――という言葉を飲み込み、あたしは早口気味に言葉を紡ぐ。
「11時まで!」
言って直ぐにあたしは彼の目の前から消え、次の料理を用意する。
次は煮物であるサトイモと豚の三枚肉の角煮だ。
トロットロの豚肉と、ホクホクして豚の旨味を吸い込んだサトイモが美味しんだよね。
お父さんから煮物を受け取り、あたしは急いで個室へと向かって配膳をする。
その後は天麩羅、酢の物、ご飯物に止め椀、水菓子と続いて行く。
出した料理の中でお父さんの料理もさりながら、ヒロの料理を先生達二人に褒められると、まるで自分の事のように嬉しくてついつい顔がほころんでしまうあたしがいたのはココだけの話だったりするのだけどね。
またまた話が逸れたけど、水菓子――最後のデザートをお出しした時、それまで比較的大人しかった町長が声を上げた。
「何だっ!? こいつが梨だと」
今回のデザートとなった梨、それは新高梨と呼ばれる品種で、風味が良くて多汁で柔らかく甘いというこれだけで下手なお菓子より美味しい一品だ。最近はこれより美味しい梨もあるらしいけど、ウチが手に入れる事ができるので最上の梨はこの新高梨だ。
「俺は、梨と言えば豊水――三水と呼ばれる三種類の梨の一種で、多汁で甘く程よい酸味もあるバランスの良い美味しい梨。人気があって生産量も多い――が一番だと思っていたが……長生きはするもんだな。これは美味い」
お酒の後だと言うのに、恐ろしい勢いで小鉢を空にする町長。
議会中継とかニュースで見る――女将として話題についていけるように朝夕食時に千秋さんと一緒に見ている――限りだと、気難しい顔がスタンダードで、今日だってお酒をしっかりとお召しになり、いぶし銀を彷彿とさせる町長からは想像できない行動だった。
「ここで食べれる新高梨が特別に美味いんじゃ。他所で食べた事もあったが、出来不出来の差が激しいぞい」
正反対に落ち着いた速度で梨を口に運ぶ先生が言う。
あたしは新高梨は仕入れた分の残り――お客様にお出しする為に切った梨の切れ端――しか食べた事が無いから、この味が標準なんだけどね。しかし、仕入先によっては遥かに劣る味が存在するんだ……ちょっと勉強になったかも。
水菓子を終え、暫く二人は歓談した後にお開きとなった。
町長はタクシーを呼ぶように言いつけると、慣れたようにあたしだけのお見送りで帰宅し、古田先生も珍しくタクシーでお店を後にした。
支払? そんなのはもちろん後日だ。一応、当日の支払い――現金又はカード――もできるが、今回は後日の支払いということで事前に調整がされている。だってね、今回は二人ともそのまま帰ったけれど、大体はお次のお店に向かったりして、支払に取られている時間が惜しいだろうしね。
でも、今日の古田先生は超が付くほどご機嫌だったな〜。
帰り際に『ヤツ――町長――も結構気に入ったようだからな、また連れて来るわい。じゃが、次は議会の連中でも誘ってくるかの』と口角を吊上げた嬉しそうな表情で、それでいて珍しくピシッとキメたまま言っていた。
本当、普段から酔ってもあんなにピシッとしてくれていたらな〜。
ちょっと(?)だけ失礼な事を考えながらも、個室の片付けを手早く終わらせると調理場へと戻る。本格的な片付けや掃除は閉店後だ。
調理場へと戻ったあたしの目には、山になった洗い物とうなじが薄らと桃色に染まった千秋さんが目に入る。
……きっと、疲れているんだよね。この人数、任せちゃったしな〜。
調理場から店内を一望すると、あたしは手早く冷茶を一杯用意して千秋さんに、
「代わりますから一服して下さい」
と声を掛ける。
「で、でも、私だけ休む訳には……」
額にも薄らと汗を滲ませた千秋さんが言う。
丸投げしてたあたしが言うのもなんだけど、最近、ご来店されるお客様の数が増えているんだよね。
嬉しい事には変わりないんだけど、そんなところにウチのクラスの連中なんかが来たものだから、千秋さんの負担が激増したのは間違いない。このまま倒れられるとかなりヤバいので、その事を小声で伝えて控えの和室へ連れ立ち、用意した冷茶を差し出した。
「最低でも20分は休憩して下さいね。業務命令ですからね」
この期に及んでお茶すら遠慮しようする千秋さんを漢字四文字で黙らせると、あたしは再び調理場へと舞い戻る。
「ゴメン、お待たせ」
煮物を鉢に盛り終えたヒロに声を掛ける。
「ああ。カウンタァのお客様へのナスと鶏の煮物が上がったのだが……持って行けるか?」
流石に疲れているのか、心配してるっていう素直な意思表示がヒロから示された。
「もちろんよ。ヒロこそへばってるんじゃない?」
彼の方が絶対疲れているんだからと、あたしは表に出すこと無く気を引き締め、余裕の笑みを浮かべるのだった。
――午後10時。
この頃には大分お客様の数も減り、いつもなら仕事に余裕が出てくるんだけど……今日のあたしには全く余裕は現れなかった。原因はカウンターに一人だけいるある人物の所為だったりする。
「おい、藤原が学校に持ってきてた鶏天はねぇの?」
一人だけでカウンターに陣取っている川中が言う。
「誠に申し訳ありません、当店は鶏天は扱ってございませんで」
調理場――というか親方に近いカウンターで学校のようなタメ口などで話せるわけも無く、あたしは川中を一人のお客様として丁寧な口調で対応する。
しかし、それはそれ、これはこれ。あたしは親方が調理中なのを確認してから川中の近くに寄り、
「てか、何であんた一人だけカウンターにいるのよ」
と、容赦無く口調を切り替えた。
「座敷で正座すんのがイヤなのと、折角オープンキッチン――カウンターのお客様から調理場の様子が見える形式の事――の店に来てんのに、座敷なんかもったいねーって」
「……あんた本当に川中よね?」
喋り方に変わりはないけれど、話しの内容のお蔭で、あたしが川中を見る目が少し上がる。
いつも、手のかかるガキンチョだと思っていた川中。そんな奴が、オープンキッチンの利点を言ってのけたのだからね。
「誰に見えんだよ。でもよぉ、お前の親父も兄貴も良い腕だな……」
てか、本当にこいつ誰? 町田と言い、川中と言い、あたしが知らない内にナニがあったのヨ?
思わず、顔が引きつりそうになるのを堪えつつ、言葉を紡ぐ。
「そりゃあ、二人ともプロだもの」
あと、ヒロはお兄ちゃんじゃないけどね。心の中で付け足して、あたしは改めて川中を見てみる。
するとだ……奴の手元にはとんでもないものが握られていた。
「っ! あ、あ、あんた、何呑んでるのよ!」
ここで大声を出さなかったのは奇跡だと思う。
だってね、彼の手にはビールが入ったジョッキが握られていたのだ。
「あ? ビール。見て解んねーのかよ」
当たり前のように言う川中。
何がビールよ、あんた未成年でしょ! という言葉を飲み込み、あたしはキッとした鋭い視線を川中に向ける。
「ふぅ。酒でも呑まねぇと、真面目な話なんてできねーだろ」
据わった目で負けないくらいのピリピリした視線が返され、川中はジョッキを置いてポツポツと語りだした。
ウチのお店が美味しいという褒め言葉に始まり、文化祭時に誰がこれほどの調理を行うのかという疑問点まで。そして、最後にボソリと彼は言う『散々クラスのヤツらの弁当を食ってみたけどよ……美味かったのは町田と藤原のだけだ』と。
……コイツ、バカの振りして弁当の吟味をしていたのね。もしかしてと思うこともあり、あたしはカマをかけてみた。
「意外だわ。あんたのトコも料理屋だったなんて」
「料理屋なんて立派なもんじゃねーよ。親父が雇われシェフだから味にウルセエだけだ」
サラッと白状した川中は、残っていたビールを煽る。
「なあ、このメニューの中で藤原が担当してるのはどれだ?」
「無いわよ。大体、あたしが作る料理なんてお店に出せるワケ無いって」
「……つまんね。もういいや、俺の分だけ勘定してくれよ」
本当につまらなさそうに言う川中、だったらと啖呵切って作って見せたい気もするけれど、相対することになるのがヒロや親方の料理になるので、あたしはグッと堪えて伝票を整理する。
料理2品に、ビールが1杯。
思ったより呑んで無くてホッとする。あの目の据わり様は結構呑んでると思っていただけにね。
本来なら、未成年の飲酒は通報モノなんだけど、少なかったことと、逆に落ち着き払った態度になった事から、今回だけ大目に見る事にした。
「これ以上呑むんじゃないわよ」
温かいお茶と一緒に、簡易領収書を渡す。
料理屋的には大した金額じゃないんだけど、万年金欠を自称している川中は大丈夫かなという思いもあるのだが……。
ヤツはお茶を一気に飲み干し、領収書に目を通すと、無言であたしに紙幣を差し出してきた。
一度レジスターまで赴いて清算し、お釣りを渡すと川中は『俺が言った事はあいつらに言うなよな』と座敷の茉莉彩達を顎で指し、そのまま座敷に戻って行った。




