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2品目

 朝仕入れていた魚を、お父さん――親方が捻った右手に四苦八苦しつつも、三枚おろしにして小骨を取る。最近は親方もあたしの提案を聞き入れて、高級路線を取りつつも、大衆的な料理も取り入れるようになってきている。

 今おろしている魚も、サバとアジ、そしてカワハギという大衆魚だ。もちろん、冷蔵庫には切り身になったマグロとヒラマサが入っていたりするのだけど。


 親方が魚の下処理をしている間に、あたしも自分の手を動かす。

 サラダに使うキャベツやニンジンを千切りにし、サニーレタスを1枚ずつに分ける。

 それが終わると、今度は刺身用のつまを用意する。海藻を種類事に良く洗い、ザルに打ち上げて水を切っている間、今度はダイコンをけんに切る。ダイコンを切り終わった頃には海藻の水切りが終わるので、それぞれを樹脂製の密閉容器に詰めて冷蔵庫へ入れる。


「親方、明日の料理の事ですが……」

「手を止めるな!」

 親方の方を向いた時、うっかり手を止めてしまったのを見られていたらしい。思いっ切り怒鳴られた。


 調理場に立った時のお父さんは親方となり、別人じゃないかと思うくらい厳しくなる。仕込み中に『お父さん』と呼ぼうものなら『バカヤロー!』と鬼の形相で怒鳴り返される。あたしは初めて調理場に入った中学生の時に、それをしっかりと思い知らせれた。それ以来、調理場ではお父さんを『親方』と呼んでいる。


「す、すみません!」

 先程までとは立場が逆転し、あたしは平謝りに徹する。


「明日の予約は飲み放題付きの会席形式(コース料理)で、材料はあるから、怪我で時間がかかる分は夜中から寝ずに仕込めば料理は何とかなる。明日の盛り付けと給仕には時間がかかるからな、仕込みが終わったら助っ人を当たってみるつもりだ」

 何のかんのと言っても、親方はしっかり考えていたらしい。まあ、助っ人の確保が一番難しいのだけど。

 ひとまず、明日の料理に問題は無いとの事なので、あたしは目の前の仕事に集中する事にした。


 つまの用意に続いて、ニンジンやキュウリを飾り切りにしたり、煮物用の野菜の皮剥き。下拵したごしらえが終われば、今度は掃き掃除と机拭きをして、まかないを用意する。そこまですれば開店の20分前だ。


「親方、賄いできました」

 と、声をかければ、親方は電話中だった。


「そこを何とか。明日の夜9時(21時)まででいいんで……はい。はい。すみません、では又の機会によろしくお願いします」

 電話を切り、親方からお父さんに戻り、控え室にしている和室へ入って来た。


みんな、明日は忙しいらしい……やっぱり小夜子に負担をかけるかも知れない。お父さんも給仕できるように頑張るよ」

 弱々しくお父さんが言った時だった。

 外から眩しい光が一瞬入ってきて、お店の戸が強風に吹かれたようにガタガタと鳴った。


「お客さんかな……」

 車で入口に乗り付けたお客さんがいるのかと思い、あたしは手にしていた賄いのおにぎりを皿に戻して入口に向かう。


 引戸を開くと、目の前には料理人とおぼしき、白衣に身を包んだ男の人が倒れていた。

 このご時勢に行き倒れ? 嘘でしょ!? と思いながらも、あたしは慌てて男の肩を揺する。


「だ、大丈夫ですか? 声、聞こえますか?」

「うぅ……」

 良かった。生きてはいるらしい。


「あたしの声、聞こえてます?」

「み、みず……」

 額に薄らと汗を浮かべ、苦悶の表情で男は言った。


「お父さん! おしぼりとお冷!」

 お店の奥に向かってあらん限りの声で叫ぶあたし。

 バタバタとお父さんが動く音を聞き、あたしは男が水を飲みやすいようにと思って頭を膝の上に乗せると、丁度お父さんがおしぼりとお冷を手にやってきた。

 お父さんが手にしているお冷をひったくり、男の口に付ける。

 男の喉が上下に動いて嚥下えんかしている事が解ると、あたしは「ほぅ」と息をついてお父さんの方を見た。


「……さ、さよ、小夜子の膝枕を……そこへ直れ! 引導を渡――」

「すなっ!」

 物騒な事を言いながら、口をパクパクさせているお父さんから勢い良くおしぼりを奪い取り、あたしはお父さんを睨む。


「だ、だって小夜子の膝枕……お父さんだって、してもらった事無いのに」

 泣きそうな顔のお父さん。調理場から離れるとこれだ。調理場に立った時の10分の1でもいいから、威厳とか落ち着きとかを持ってもらいたいものだ。


「あーっもう! 後でいくらでもやってあげるわよ! それより、お父さんも運ぶの手伝ってよ」

 あたしは男の顔に浮いた汗をおしぼりで拭き取り、男を抱えあげようとしてお父さんに言った。


 お父さんと二人で男を和室に運び、布団の上にタオルケットを敷くと、男を横たえる。

 もう一度頭から首筋までをおしぼりで拭き、額に手を当てる。

 特に熱があったりするわけじゃないみたいだけど、あたしの知識じゃ解らない事だらけだ。


「お父さん、救急車呼んだ方がいいかな」

「今から開店だしな。来てくれたお客さんにも迷惑になるから……智を呼んで、ヤバければ出口医院から救急車を手配してもらおう」

「……そうだね」

 あたしが肩を落とすと、お父さんは出口先生へ電話を掛ける。


「あとちょっとで診察時間が終わるから、それから来るってさ。先に飯食って……小夜子、あんな奴と一緒にいるのは非常に嫌だとは思うが、智を任せていいか」

 お父さんは賄いが並んだ卓袱台を挟んであたしの前に座り、苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。


「出口先生なら全然嫌じゃ無いよ。むしろ、セクハラしてくるお父さんより安心だし」

 あたしが並べたおにぎりに手を伸ばしながら言い返すと、お父さんはおにぎりを落とし、卓袱台ちゃぶだいの上にのの字を書いた。


 落ち込んだお父さんを叱咤しったしつつ、5分程度で夕食を済ませてあたしは賄いに使った食器を洗う。

 最後に箸を水切りカゴに並べると、玄関のチャイムが鳴り、あたしは小走りで玄関に向かった。


「先生、ごめんなさい。2回も来てもらっちゃって」

「倒れた人がいるって聞いたから話は別だよ。案内して」

 玄関と廊下の照明のスイッチを入れ、出口先生を和室に案内する。


 布団に寝かせた男を見た先生は、鞄から聴診器を出して装着すると、男の白衣をはだけさせ、その逞しい胸に当てた。


「最初は熱中症かと心配したけど、熱や心音、呼吸も問題無いみたいだね。胃が動く音が結構してるから、空腹状態で無理な運動とかしたのかもしれない。起きたら消化の良い物を食べさせてあげるといいかな。まあ、ここの料理を食べさせたら問題無いよ」

 先生の診断結果にホッとする。お店の前で行き倒れがあったとか、マイナスイメージもいいところだ。

 だが、これから大事な話を出口先生にしないといけない。こっちの方がある意味もっと緊張する。


「そ、それで先生、診察料なんですけど……」

 そう、診察料。出口先生に支払うお金だ。


「うーん。お父さんに聞いたんだけど、この男の子に膝枕をした代わりに、お父さんにも膝枕と耳掃除をしてあげるんだって?」

 出口先生が発せられた内容に、あたしは思わずズッコケた。


「な、何でそれを! っていうか、耳掃除は約束してません!」

「電話を受けた時、凄く自慢げに言われたからね~」

 思わず赤くなるあたしに、出口先生はにこやかな笑みを向けてきた。


「そ、それはその場の勢いというか、このひとを急いで運ばないといけないと思ったからでして……えと……」

 しどろもどろになって、上目遣いにあたしは出口先生に言い返した。


「でも、その男の子にはしたんだ。膝枕……」

 出口先生は下手な口上じゃ見逃してくれず、膝枕の話題を引っ張ってくる。


「だ、だって、水を飲ませるのに頭を高くする必要があったし、えと、その、そういう時は頭を高くしないと喉に詰まる危険性があるって先生に教えてもらってたし……」

 半ばパニックになりながらも、何とか状況と事情を説明する。

 何であたしがこんな恥ずかしい思いをしなくてはいけないんだろう。……もう、穴があったら入ってしまいたい。


「それ、覚えててくれたんだ……」

 たどたどしい言い訳に、出口先生は妙に感動してくれていた。なんだか、目まで潤んでる気がするけど……気のせいだよね。


「だって、熱中症の時の応急処置ってことで、先生が教えてくれたじゃないですか」

「いや、医者が教えても、看護師だってロクに覚えて無いものなんだよ。それを小夜ちゃんが覚えててくれるなんて……俺、感動した」

 妙に感情込めて言った出口先生は、あたしを抱き締めてくる。

 出口先生はお父さんの同級生には見えないほど童顔で、爽やかなイケメンなのだが……抱擁されるのはちょっと身構えてしまう。


「せ、先生、あの……その……」

 あたしは出口先生の胸に手を添え、抱き留められた状態で言った。


「あ、ごめん。嬉しくてつい」

 出口先生は慌ててあたしを開放する。どうしたんだろう、酔ってもないのに抱きついてくるなんて。


「そ、それでその、診察料……」

「結果的に診察だけだったし、お父さんへの膝枕と耳掃除無しというのでどう?」

「っ! で、でも、それって先生への報酬になってないじゃないですか」

 膝枕の話題を掘り起こされ、あたしは一瞬言葉に詰まる。出口先生はうちが貧乏な事も知っており、現物支給(料理やお酒)でも診療をしてくれるけど……こんな、報酬にならないような提案は今まで無かっただけに、ちょっと戸惑ってしまう。


「そ、そんな事は無いよ」

 出口先生の様子がおかしい。日々の接客で鍛えられてしまったあたしの目は、出口先生の目が僅かに泳いだ事を見逃さなかった。


「……先生、何かありました?」

「な、何も……」

 やっぱりだ。昔から出口先生は嘘をつくのが苦手みたいで、すぐに顔に出る。今、正にそんな顔を出口先生はしている。


「あるって、先生の顔にしっかり書いてありますよ?」

「うぅ……小夜ちゃんには隠せないか……」

「ええ。あたしで良ければ聞きますから、言っちゃって下さい」

 シュンとなる出口先生に、あたしはできる限り優しい口調で言った。


「今日、午後の仕事中にちょっと嫌な事があってね。イライラしてる時にお父さんから電話があって、小夜ちゃんの膝枕と耳掃除の話を自慢気にするものだから、尚の事イライラしてしまって……大人気なく八つ当たりしたんだ……ごめん」

 ……出口先生がおかしかった原因はお父さんだった。

 あんのバカ親父ぃぃ! お父さんが余計な事言わなければ何事も無かったんじゃない!


「……お父さんが原因だという事が、良く解りました。お詫びにならないかもしれれませんが、晩御飯、お店で食べていって下さい。あと、お酒飲みたくなったら遠慮せずにどんどん飲んで下さい。全て、お父さんのお小遣いで払わせますから」

 あたしは営業スマイル全開、そしてさっきまでの優しい声音で出口先生に告げた。


「い、イライラしてたのは俺の仕事の事でもあるし、そこまでしたら、お父さんがまた凹んじゃうから……小夜ちゃん、ほどほどに、ね?」

「大丈夫です。モップで力一杯ひっぱたきたいのを、お小遣い減らすので済ませてあげるんで」

 努めて優しくしているはずなのに、出口先生が怯えたような表情になったのはなんでだろう。

 そんなに仕事中の出来事が嫌な事だったのかな。


「だったら、診察料はその夕食でいいよ」

 出口先生はそんな事を言ってきた。昼が現物支給だっただけに、非常に心が痛い。


「でも、お昼もお金で払ってないですし……」

「じゃあ、ワガママ言わせてもらって、夕食は小夜ちゃんに煮物と味噌汁を作って欲しいな」

「へ? あたしの?」

 またまた先生が妙な事を言う。普段は現物支給の話になったら、最初はふっかけてくるはずなのに、あたしの料理なんかが診察料じゃ安すぎる。というかお金にならない。

 これが昼間のように、久しぶりの現物支給とかなら『ラッキー』と思って終わりだが、流石に連続ともなると、そういうわけにはいかない。


「あたしの料理じゃお金取れないから……診察料の代わりになりませんよ」

「あれ? やっぱり気付いて無いんだ……」

 出口先生が顎に手を当て、妙に真剣な表情で何事かをブツブツ言っていた。


「ひとまず、診察道具置いて書類整理だけしてくるから、煮物と味噌汁を用意してて」

 出口先生は言い残し、あたしがお送りする間も無く、そそくさと診療所へ戻っていったので、あたしもお店にと思い、寝かせた男が起きた時のために、メモ書きと呼び鈴を置いておいた。

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