28品目
「あれはやり過ぎだ。親方が言われた時は、流石に肝が冷えたぞ」
朝食を終えて食器を洗うあたしに、横で食器をすすぎながらヒロが言った。
確かに、言い訳は考えていたけれど自分でもやっちゃった感はあった。もちろん、そんな殊勝な事を考えたのは後になってからだけど。
でも、彼の為にと頑張ったあたしは物悲しい気分になってしまう。
「そう……ヒロは嬉しくなかったんだ」
「嬉しくないという話では無くてだな……」
返答に困ったとばかりに視線を泳がす彼をあたしは手を止めて見つめていた。
時間的には大した事無いと思ったのだけど、彼はバツが悪そうに頬を掻いてあたしに言った。
「いや、それはその、美味かった。あと、嬉しかったから、な、泣かないでくれ」
あれ? そんなに悲しそうな顔してたかな。と、思わなくないけれど、あたしはヒロに心配させない事を第一に考え
「ヒロにそう言って貰えるのが嬉しい」
と元気に言ってみる。
「そ、そうか」
フイっと彼は視線を切って短く言った。満更でもない、そんな言葉が聞こえた気がしたのはあたしの気のせいなのか、思い込みだったのか。
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「じゃ、投票の結果を発表するねから、静かにしてー。ってか黙れ!」
ワイワイと騒がしい教室にクラス副委員の女子――中野順子の声が響く。
週が明けた翌日、今日から個室利用が始まるってのに、あたしは時間が無くてイライラしつつ、教壇へと顔を向けた。
今日は文化祭のクラス店舗の内容決めの日だった。お店と言えば家の事で頭が一杯なあたしは何でも良くって、とにかく早く決まる事を願っているのだけど……。
「とりあえず、3票づつしか入ってない、メイド喫茶と執事カフェは没ね。これ、毎年出てるよね。んで……マテ、この女子校生コスプレクラブと男子校生ホストクラブって何? しかも5票づつあるんだけど? 現役がコスプレしても意味ないし、ウチのクラスにホストできるくらい男子いないから没ねー」
書記を担当した女子が整理したノートを見ながら言う順子の声には特に反論も無く、何人かの愉快犯がギャハギャハ品無く笑うくらいだった。
こんな茶番みたいな話し合いはもういいから、あたし先に帰っちゃダメかな? クラス店舗の内容なんて何でも良いから、不毛な時間の使い方はやめようよ。イライラするし。
早く帰ればヒロは居るし、ヒロと一緒に仕込みできるし、ヒロの為に夕食作れるのに……本当、時間が勿体ない。イライラする。
などと不謹慎な事と今日の夕食の献立に考える力を傾けていると、順子から驚きの声が上がった。
「次は……小夜子の料理屋? 8票もあるけど何するの? この字は……茉莉彩でしょ、説明して」
なぬっ!? クラス委員と一緒に驚いてしまい、夕食の献立が思考から飛び、更にイラついてしまうあたし。てか、この元凶は茉莉彩か……余計な事してからに!
あたしの憤慨を他所に、席に座ったまま茉莉彩は持ち前の美しい顔のまま眉ひとつ動かさずに応答する。
「読んでそのままよ。毎年恒例の出来合を並べるだけの喫茶店やるくらいなら、生ものでも出せて助っ人も一人までなら呼べるるウチの学校の強みを活かそうと思って。ウチはバザーをやるクラスや部活もあるから大人のお客に事欠かないし、味で勝負できる料理屋さんなら料理にも相応の価格帯で設定できるし、結構イイトコまで行けるんじゃない?」
イイトコ。そう、茉莉彩が言いたかったのは学校独自の規程の事だ。ウチの文化祭は各クラスが模擬店をする――もちろん、例外で展示や舞台もある事はある。少ないけれど――のだけど、魚屋や寿司屋といった生ものを扱う店舗でも開設可能で、一名までなら外部から助っ人も呼べる。
何でそんな規程があるかと言えば、店舗の売上や先生達の票により、毎年、優秀店舗の選定と表彰が行われているのだ。競争理念を勘案した商業の基本を体験するという学校独特の理念によるのだけど、生徒からすればそんな理念はどうでも良く、商人の基本よろしく優秀店舗に選ばれたクラスへの報奨が狙いだったりする。
特に最優秀店舗に選ばれたクラスへの報奨には、売上金額が丸々当てられる――普通は純利益のみ――上に、ある専門科目が5――5段階評定。優秀店舗はその順位に応じての加点式――で確定するという破格のものだ。売上金額がそのまま報奨となるということは、経費も学校に返還しなくて良いためかなりの額をつぎ込んでも、最優秀店舗に選ばれさえすれば相当な金額が報奨になるという、垂涎のものだったりする。
「でもさ、料理屋さんなら三年生で毎年料亭をやってるクラスがあるよね? 料理屋と料亭じゃやる前から勝負がついちゃうんじゃない?」
クラスでも上位の成績を修める前田香澄が、持ち前の頭の回転を活かしてか即座に疑問を呈する。
彼女の疑問は尤もで、件の三年生のクラスには、吹田先生と出口先生が愚痴った料亭の三男坊が在校しているのだ。
件の料亭は学校でも宣伝になると踏んでいるのか、去年やもプロの板前さんを連れて来た上に、骨董品などの小物まで持ってきて料亭を再現して見せたのにはあたしも驚いた記憶がある。ちなみに、その料亭は一昨年が3位、去年が2位だったらしい。最優秀店舗にならないのは、先生達の心象があまり良くないのだとか。ま、あくまで、噂だけどね。
ちなみに、去年の最優秀店舗に輝いたのは、郷土を研究をするクラブ――人数の問題から部活動認定されていない――の代表が所属しているクラスの店舗で、青葉町の歴史や文化を学べるパネルや小物と共に、郷土料理を味わえるクラス展風の軽食屋だった。これは逆に、表彰時に先生達の印象が恐ろしく良かったのを覚えている。
「料理屋と侮るなかれ、小夜子のトコは美味しいよ。少なくとも三年生のトコよりはね」
また、茉莉彩も容赦なく煽るんだから……まったく。
ちなみに、茉莉彩は香澄より成績が良く、クラスでも片手、学年でも20位内の成績を誇っている。そのためか、香澄は茉莉彩に対抗意識を燃やしているようで、体育祭の時も意見をぶつけていたんだよね。それを面白がって茉莉彩が煽るというのが、ある意味うちのクラスの風物詩になっていたりもするんだけど。
「そんなの、食べ比べでもしてみないと解らないじゃない!」
「食べ比べてみたから言ってるに決まってるでしょ」
必死に反論する前田さんに、茉莉彩は飄々として反撃(?)していく。このあたりも何時ものことなのだが……。
「皆で、小夜ちゃん家に食べに行ってみれば良いんじゃない」
何かをノートに書き込んでいたくるみが突如として入ってきた。
って、そんなの無理無理。今日から個室利用が始まってただでさえ忙しくなる――お客様の動向が読めないから――のに。ぶっちゃけ、文化祭レベルの事に構ってる余裕はうちに無いしね。
「それもそうだよね。事前に味の違いという情報を集めてのマーケティングも大事だし」
回りでワイワイ言っている声に混じってそんな言動も聞こえてくる。
こりゃあ、皆が本気になる前に釘をさしておかなきゃね。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、ウチは今日から忙しくなるから味見に来るって言われても対応できないからね」
あたしの容赦無い声に、喧騒がピタリと止む。
「だったら、お客さんが来る前の今からなら大丈夫なんじゃない?」
にこにこといった調子の茉莉彩が反論を開始した。
「それに、忙しくなるからっていうのは、個室利用のお客に備えなきゃってだけで、人手は待機要員が必要ってだけでしょ」
まあ、その通りではあるんだけど、個室利用のお客様からの注文に即応できなければ、女将失格と思っているあたしはどうしても正しいね、ハイそうねとは納得できない。
「理屈上はそうだけど、個室利用のお客様を蔑ろにはできないわよ。……ってか、何であんたが個室利用を始める事を知ってるのよ!?」
「藤華の事であたしが知らない事なんて無いわ」
何で他人のお店の事を自信満々に言えるかな。
あたしは痛む頭を押さえつつ、話を逸らすために口を開いた。
「取りあえずうちの話は置いといて、他にも案が出てるんでしょう? そっちも発表してよ」
箱を右から左に置く仕草をしつつ、順子へ向けて問い合わせる。
今までの票を合計しても24票にしかならないしね。残りの16票でもっと良いアイディアがあるかもしれないじゃない。という期待も働いたのだけど……。
「一応、9票獲得しているのがあるけど……休憩所だよ? 他は全て1票づつで7案」
やや呆れた口調で伝えられたのは、去年、あるクラスがやった休憩所として教室を開放するという、去年話題になった店舗(?)のことだった。
教室を休憩所にするというのは、貴重品等を置かないようにすれば2〜3人の管理人を置くだけで良く、残りの生徒は文化祭を堪能する側に回れる事になるのだが、この話には続きがある。
うちの学校はお客様と同じ側に回るという、遊んで楽しむ事を認めるほど甘くはないようで、例のクラスは専門教科の評定がマイナス1されてしまった――部活やクラブ、他クラスの手伝いをしていた生徒を除く――そうだ。苦りきった顔をしているクラス委員の顔を見ていると、今回、休憩所を提案した9人にその話は伝わっていないのか……。
「知らない奴はいないと思ってたけど、文化祭で休憩所をしたら評価下げられるからね。9人はそれでもいいの?」
流石に情報を出してからと思ったのか、クラス委員も教室を見渡しながら大きな声で問うた。
「えー! 評価下げられるだけなんだろ? だったら休憩所にした方が楽じゃねーかよー」
さらに大きな声で川中が、休憩所肯定の意思を示す。
川中の大声で静まり返る教室。彼はクラスの中でも問題児の認識で通っており、誰も相手にしたがらないのだ。あいつに文句を言えるのは、男子では今居ない松尾、女子では茉莉彩とあたしくらいだ。
……仕方がない、あいつの相手をするのもあたしの役割の一つだもんね。ホント、手間のかかる大きなガキンチョと言うか何と言うか。
「評価下げられたら一番ヤバいあんたがそんな事言ってどーすんのよ! 留年確定するじゃない」
「留年したら一年多く高校生ができて得じゃねーか」
言うに事欠いてそれか! まったくダメだ、こいつは本物のバカですね。
余りにも情けないやら開き直ってるやらの回答に、あたしは絶句してしまう。
「留年したいなら一人でやれよ。クラスを巻き込むなっつーの」
ガラガラと教室の扉を開け、一人の男子生徒が入ってきた。
生徒会の役員兼クラス委員をしている男子、例の松尾だ。
「わり、生徒会の打合せが長引いた。中野、交代するぞ」
生徒会の仕事から帰って来て、直ぐにクラス委員の仕事とか大変だろうけど、川中がギャーギャー言いだした事もあってか、順子はよろしくと言わんばかりに教卓を開ける。
そんな順子に香澄が親の仇でもみるような視線を放つのだけど、彼女はあっさりと松尾の背後に身を隠した。
何人かの女子が一瞬だけ香澄を見て、あたしと町田に向けたような生暖かい眼差しをしているところを見ると、なるほどと流石に気付いたりもする。自分の時には気付けなかったけれど、他人のだとこうも解るとは……やっぱり経験って大事だよね。
勝手に心の中で納得していると、教卓から松尾の声が響いた。
「んで、さっき生徒会顧問の先生からも言われたけど、今年は休憩所なんてふざけた催しは認めないってさ」
「えー。休憩所じゃなくてもよ、もっと楽なのにしようぜ」
自席でおちゃらけながら言う川中。いつもならここを松尾がのらりくらりと言いくるめて終わりの流れなのだが、思いもよらない所から槍が飛んで来た。
「川中は退学届を出せば楽になれるじゃないか」
座ったままの町田が静かに、だけどハッキリと言った。
静まり返り、肌寒さすら感じてくる空気がクラスを支配する。普段は川中が町田に絡んで――というより半ば虐めているのは周知の事実なので、ここで、このタイミングで町田が牙をむくとは誰も想像していなかった。
一瞬で凍りつく教室。
そんな冷たい空気の中、
「あ? 何つった、町田テメェ――いてぇっ!」
と更に温度を下げるかのような低い声が木霊する。
椅子を蹴り転がし、町田の方に体ごと向いた川中。そんな彼の手は怒りを表すかのようにきつく握られていた。
だけど、ここで二人が喧嘩なんて始めてしまうと、あたしの貴重な時間が更に無くなってしまう!
焦燥に駆られたあたしは、反抗期を抑えつけるお母さんよろしく、実力行使に出た。
「川中、五月蝿い。あんたの為に割く時間が惜しいんだから、喧嘩なんて後でやれ!」
立ち上がってお昼に飲んだ栄養ドリンク――眠気対策――の空き瓶を前述のイライラと共に思いっきり投げつけ、彼の顎にクリーンヒットさせる。
全く、ただでさえこいつのためにどんだけ時間をロスしていることか。
顎を押さえている川中を尻目に、あたしは尚更静まり返った教室で、自分の不機嫌さを強調するかのように荒っぽく椅子に腰を下ろす。
二つ隣の町田はムスッとした顔をしてたけど、あたしの視線に気付いたのか、こっちを見ると一瞬だけニヤリと口角を上げ、顔を前へと戻した。
あたしが川中を黙らせた事で気分が良かったのかもしれないけど、町田もちゃんとここまでやってくれれば文句ないんだけどな。
心の中で悪態をついてみるが、当然、時間と機嫌は元に戻らない。
「やれやれ、川中は暫くオブザーバーだな。一先ず、休憩室は無しで再投票をしよう!」
時間と機嫌は元に戻らなくても、何とか話は元に戻して欲しいと思い、町田につられるようにして前を向けば、オーバーに肩を竦める松尾が、苦笑いと共に話を元に戻しているところだった。