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24品目

 夜――いや、夜中。

 控えめにトントンとノックする音が一階の廊下に響く。場所はヒロの部屋、ノックしているのはあたしだ。


「どうぞ」

 一拍置いて、淡々とした男の声が返ってきたので遠慮無く襖を左に引く。


「夜中にごめんなさい」

 襖を開いた先には、卓袱台ちゃぶだいに座っている寝間着のヒロの姿がある。

 おそらく、書いていたノートだけを慌てて仕舞ったのか、卓袱台の上には料理の本と鉛筆と小刀が置きっぱなしになっていた。


「珍しいな。どうした」

 当然聞かれるであろう、訪問の理由。事前に予想できていたし、内容もシンプル極まりなく『聞きたいこと』と『お願いしたいこと』があるだけなんだけど、あたしは別の理由(・・・・・)で緊張して乾いた唇をこっそりと濡らしてから口を開いた。


「うん。ちょっと、聞きたいこととかがあって」

「そうか。立ち話というのもなんだからな、入る、か?」

 チラリと視線を部屋の中へ向け、言葉に詰まるヒロ。その視線の先には敷いてあるお布団がある訳で……ま、まあ、こんな時間なんだし当たり前と言えば当たり前なんだけれど。

 改めて、夜中に男の人の部屋に入るという(現実)に、あたしの心臓は大きく跳ねてしまった。


 この妙にドキドキししている理由は、茉莉彩まりあに相談した事に起因している。

 お店の運営関係は昔から茉莉彩に相談――彼女は経営に才能があるのか、結構良いことを言ってくれるんだよね――していて、今回の相談内容である、どういう風にヒロにお願いを切り出すかについても、千秋さんがヒロから見てどれくらいの戦力と評価しているのか聞くことから始めて、個室を使用するためにも、本気で頼りたい事をしっかり伝え、絶対に自分で格好付けないことという二つのアドバイスを貰っている。だけど、彼女の場合はこれで終わらず更に突っ込んで、もう一つの助言をしてくれ、それがまあ、蛇足と言うか何と言うか、ここでは裏目に出ているんだけどね。

 ――曰く『夜中に男の部屋に行くのよ? 下着くらいちゃんと勝負用のにしなさいよね。この前、ちゃんとゴムも買ってあげたんだから忘れないように』と。

 なんかもう、色々と生々しすぎる上に、聞いてるこっちが恥ずかしくなるような事をズバズバ言わないでよって感じで、怒りたいやら恥ずかしいら、困惑するったらありゃしない。

 でも、ヒロ()の部屋に入るという事は、そういうコトがあっても不思議じゃない……ということなんだけど、ここで止まったり、あまつさえ引き返してしまっては意味が無い。

 覚悟を決めて、あたしは部屋の敷居しきいまたいだ。


 卓袱台と布団とタンスがそれぞれ一つあるだけの殺風景な部屋に、あたしは何となく寂しさを覚えてしまう。おっと、それもそうか、お給金出せてないもんね。

 なんて事を考えながら卓袱台を挟んでヒロの前にちょこんと正座する。


「それで、聞きたいこととは何だ?」

 夜中という事もあってか、早速本題へとヒロは相変わるの無表情で切り込んできた。

 ヒロの質問に、あたしは深い呼吸を二回してから口を開く。


「ね、ヒ、ヒロから見て……千秋さん、どうかな?」

「は?」

 感情の無いよう表情から一転、ポカンと口を半開きにし、思いっきり困惑するヒロ。


「そうだな。……芸妓でも勤まりそうな身形みなりではあるが」

 しばしの沈黙の後でヒロは言うのだけど、芸妓という言葉から、あたしの聞き方が悪すぎた事が解る。


「芸……って、ゴメンっ! あたしが言葉足らずだったわ」

 顔の前で両手を合わせ、慌ててあたしは遮るように口を開いた。

 だってねぇ……いくら焦っていたとは言っても、この聞き方だと彼女を女としてどう思っているのかと聞いているのと変わらないよ。確かに聞いてみたいことではあるけれど、今、聞くべき事ではない。でも、続きもすっごく気になってしまったり。

 いかんいかん。自分の勝手な思い込みに耳が熱くなるのを感じながら、あたしは慌てて言い直す。


「千秋さんの仲居としての能力って、どうかな。ヒロがどれくらいの戦力として評価しているのか教えてもらない?」

「そちらか。同年代の仲居としての能力は高い方になるな。最も、現状で満足されては困るが」

 ふむ。という擬音が似合いそうな顔と仕草で悩むこと数秒。ヒロは元の淡々とした表情で、同じく淡々と評価を口にした。


「そっか。じゃあ、もしもヒロと千秋さんでお店を回す事になっても大丈夫なくらいかな」

「何を目的に聞いているのか解らんが、俺と千秋じゃあ、店を構えても立ち行かなくなる」

 一瞬だが、ヒロの目の色が変わる。この色はちょっと機嫌を悪くしてるみたい。でも、だからと言ってあたしは話題をそらすことはできない。

 だって、ちゃんと確認しておかないと、今あたしが考えている事が実行できるかどうかが解らなくなってしまうもんね。


「立ち行かなくなるって事は、戦力的に二人だと問題があるという事?」

「店を構えるとなると、料理、給仕の腕はもちろんだが、金銭感覚や近所付合いも非常に大事な事となる。俺がこの時代の常識にうとく、金銭感覚が身についていない事もあるが、千秋の感覚も小夜子とかけ離れている気がするな」

 ヒロが言っている事は一理ある。確かに、千秋さんの金銭感覚は少しおかしい。苦労している人だから、お金の大切さは身に染みているはずなのに、お給金が無くても良いと言ったり、あたしの手荒れ対策用に高級なハンドクリームをプレゼントしてくれたり。そう、お金に困ってないというか、苦労してきた人の金銭感覚ではないのだ。

 おっと、話が千秋さんのプライベートなことに逸れてしまった。あたしが聞きたいのはそこでもないので、話を戻すべく、再びヒロに向かって手を合わせた。


「ゴメン。なんか自分の意図を伝えきれてないね。お店を回すのは、ウチのお客さんを相手に、ヒロと千秋さんの二人で料理と給仕をこなせそうか聞きたかったの」

「そうだな。平時の人数ならば大丈夫だろう。一通り、親方から献立にある料理の調理法を教えて頂いたからな。もっとも、俺が厄介になった日のように、団体客が相手では千秋の方がもたないだろうが」

 いつの間に親方から習っていたのか、頼もしいことこの上ない答えが返ってきた。これなら、個室にお客様が入った時、あたしと親方が手を取られていても大丈夫だ。続けて、ヒロに“お願い”をしようと口を開きかけた時、あたしより先にヒロが口を開いた。


「どうしたのだ? 今日の小夜子は言葉足らずな事が多いぞ」

 眉根を寄せ、いぶかしがるようにヒロは正面からあたしを見据える。


「あう……その、えーと」

 前みたいに感情に任せて押し倒されたりするのではないかという心配も手伝って、言葉を選で話すうように心がけたつもりなんだけれど、逆に何を言いたいのか解らなくなってしまい、あたしはスッと目線を逸らしてしまう。

 あたしからの話題を止めてしまい、夜の話題(・・・・・)になってしまうとマズイよね? 防護策は一応ポケットにある――茉莉彩にもらったゴム製品――けれど、何か話すネタ、ネタ……。


「慌てなくて良い。ゆっくりと話してくれ」

 あたしの心配と打って変わって、ヒロからは柔らかい口調で言葉が上からかけられる。

 やっぱり慌ててしまってたのかなと自省し、あたしは再度深呼吸をしてヒロの顔を見る。恥ずかしがらずに正面から見たヒロの顔はいつも通りの無表情……なのに彼が優しい表情・・をしているのだと解ってしまった。

 毎日見ている異性(・・)の顔。そう、毎日だ。どれだけ茉莉彩達に煽られようとも、途中から千秋さんも一緒に住んでいると言っても、あたしが一番プライベートな時間を一緒に過ごして好きになった男なんだ。

 初志貫徹――ウジウジ考えるのはやっぱりあたしの性に合わない。自然体で行く。

 そう思えれば、こっちのものだった。自然といつもの口調で口が開き、言葉を紡いでいった。


「本当はね、ヒロにお願いがあって来たの。お給金も十分に出せてないのに厚かましいとは思うけど、今日、話題になった個室をあたしは使えるようにしたいと思ってる。でも、そのためには最悪の場合、個室以外の料理をヒロに、給仕を千秋さんだけにお願いすることになってしまうから、それで……」

「親方に色々と教えて頂いていた事が早速実践できるありがたい機会だ。喜んで受けよう」

 あたしはなんとか仕事中に考え付いた事を、ある意味やっとの思いで口にしたのだけれど、肝心な最後の一言を言う前に、ヒロはかぶせるように言い切った。

 うぅ、最後まで聞こうよ。まあ、良いけどさ。


「大体にして俺は三食付きの住み込みだ、給金があるだけでも贅沢な話なのだから、小夜子が心配することはない」

 ヒロはあたしの反論を許さないかのように畳みかける。しかも格好付けるように自分の損を引き受けて。

 ずっと、ヒロの目を見ながら話を聞いていたのだけれど、気の利いた返答も、意見への反論もが思いつかずにうつむいてしまう。

 下を向いたあたしの頭に、温かい声がぎこちなくかけられた。


「お前は何でも抱え込み過ぎだ。まったく、普段は容赦無く言うというのに、このような時に尻込みをしてどうする」

 温かい声音はまったくのくだりで切り替わり、ちょっと悪戯っぽい口調で言われる。


「尻込みもするわよ。無償でこき使おうとしてるんだもん」

 心中で、自分がされたら嫌な事なのに、と継ぎ足した。


「金銭か現物かの違いでしか無いというに、俺にはそんなに言い難いか?」

「あんたって、何も言わずに仕込みから朝食の手伝いまで何でもやってくれてるじゃない。例え現物支給と言い張るにしても、働かせ過ぎだもん」

 ヒロが来てから今日こんにちまでやってくれている仕事と、寡黙な事を条件反射で言い返す。

 だってね、ヒロってお父さんが横になってテレビを見ていても、愚痴一つ零すでもなくお風呂掃除をしていたり、食事の準備を手伝ってくれたりしてして、本当に寝ている時以外働いているんじゃないかって心配しちゃうのよ。

 頭に浮かんだ言葉を飲み込んで彼の顔を見れば、

「それは好きでやっている事とだからな。大体、郷に入れば郷に従えとも言うでは無いか、俺がここでいう昔の事を振りかざしても役には立たんのだからいう事は無い」

 などと、何でもない事のように言ってくる。


「言いたい事も言えないんじゃ、ストレス――えっと、負担が大きくなっちゃうじゃない」

 文句の一つも言わないなんて、あたしなら絶対にストレスを溜め込んでしまう。

 ヒロがストレスを溜め込んでギスギスしちゃうなんて嫌。そんなの罪悪感だけで凹んでしまう。だからか、あたしは話題が完全に逸れる事も気にせず、せめて、愚痴でも良いから言わせないとと考えた。

 ウチにヒロが来てからの出来事で、彼が顔をしかめた出来事を探し出す。


「ほら、来たばかりの頃に山内さん達がご飯を残しているの、気にしたりしてたじゃない。やっぱり、昔は食べ物が少なかったとか聞いたから、思うところがあったんじゃない?」

「戦争が始まっては、食糧を兵隊さんに優先的に送るからな。それは仕方がない事で、今の生活が贅沢過ぎるだけだ」

「ヒロこそ、仕方がないって抱え込んで何も言ってくれないじゃない。えと、折角なんだから言ってよ」

「……言いたい事も黙っておくのが男の道なのだがな。俺が話す事などつまらんぞ」

 やれやれとでも言いたげな口調。だけど、ヒロの目は何かにホッとしたような柔らかい色が見て取れる。

 これで少しはあたしの罪悪感も紛れるってもんだ。あと、ヒロの事も聞けて嬉しい部分もあったり。

 ……いかんいかん。また考えが別の方向へ飛んでしまう。


「たまには良いじゃない。あたしなんてヒロにお願い聞いてもらってばかりなんだから」

 飛びそうになった思考を何とか引き戻し、先を促した。


「そうだな。今の、この時代の人間達は食い物への感謝が無い」

 あたしの目を見据え、ヒロはぽつぽつ語り出したのだけど、言葉を切ったところで目線を外した。


 食べ物への感謝か、確かに足りないかもしれない。料理屋をしていると、日々出る生ゴミの量が半端じゃない。ゴミの半分は食べ残しで、もう半分は仕入れた食材から廃棄している物――野菜の皮とか魚や肉の切れ端とか――だし。

 思い当たる事が多いヒロの指摘を、あたしは黙ったまま聞く。


「お客人しかり、料理人しかり。食材を手に入れてきて使い尽くす事に関しては、俺の年代には全く及んでいないようだ。実際に小夜子に連れて行ってもらったお店もほとんどがそうだ」

 予定の無い週末、ヒロに現代の常識を学んでもらうべくお出かけした時の事を言っているだろう。ファーストフードやファミレスなどのチェーン店からちゃんとした各種料理屋まで、あまりお金を掛けずに行ける所は連れて行ってみたからね。


「揚げジャガイモ――フライドポテト――を床にこぼすことも厭わない店、つけ合わせの野菜に手も付けず残す客とそれを当たり前の様に捨てている店、捨てられている食材でどれ程の料理ができる事か。他にも、捨てずに丁稚のまかないに使えば良いのに、捨てられているキャベツの葉や芯、三枚肉――豚バラ肉――の切れ端。思い出すだけでも勿体ない限りだ」

 ちょっと待って、連れて行ったのは店内であってキッチンじゃないのに、そこまで見て考えていたんだ。もはや関心してしまう。


「ヒロから言う“未来”にガッカリした?」

 意識している訳ではないけれど、自分の口から悲しい時の声音が聞こえた。


「料理人としては憤りもあるが、食うに困らない社会は安心の材料だ。だがな」

 再度言葉切ってヒロはあたしの顔を正面からマジマジとみた。

 頬が緩みそうになってしまうけれど、あたしはちゃんと真剣な顔を意識したまま続く言葉を受け止める。


「これだけはしっかり聞いて欲しい。いつでも、何でも腹いっぱい食べられる事にありがたみを感じないのはおごりを生み、人間が駄目になってしまう。食べれる事の感謝は忘れてはいけないものだ」

 何が自分の言う事は役に立たないよ。思いっきり今の時代に大切な事じゃない。


「少なくともあたしは、ヒロが言ってる事はためになったと思う。だから、自分が言う事は役に立たないなんて決めつけないで言ってよ」

「いや、自分へのいましめ半分に言ったまでだ。食材に不自由しない事に慣れてきだしているからな。慣れると言うのは頼もしくもあり恐ろしくもあるものだぞ」

 お互いにかなり真剣な表情で最後は話していたと思う。だからか、ヒロの語尾はちょっとだけ緩やかなイントネーションだった。


一先ひとまず、好きなように話させてもらった。もはや食うに困らない事へのひがみとも言えるが」

「そんなに自分を追い詰めなくて良いじゃない。こっちが為になったって言ってるんだから」

「そうだな。では、他に尻込みしている事があれば遠慮なく言ってくれ」

「今考えている事で黙っている事は無いよ。大体、ヒロに頼りだしたらあたし見境無く甘えそうだし」

 できるだけ優しい口調を意識して伝える。一応、大体〜の件は小声でプイッと顔を背けて言ったけどね。

 何か無性に恥ずかしいけど、ここは自分の感情なんて黙殺するに限る。


「甘えることができるのは女の強みだ。それこそ気にするな」

 しっかり聞こえていらっしゃったのね。妙に引っかかる言い方ではあるけれど、これは多分、常識の差なんだろうな……最初の頃に出口先生に聞いていたから、男尊女卑だー! とか騒ぐ気はないけど、ちょっと見下された気がするのは確かだ。これがなければ綺麗に纏まってたのに。


 あたしが残念な気持ちを胸中に抱いていると、ヒロはタンスに手を伸ばし、中から缶を取り出した。更に缶の中から包み紙を取り出して卓袱台に広げた。


「甘いついででな。少ししか無いが夜食にどうだ?」

 包みの中には、黄褐色の砕いた軽石のような物が多数あった。


「この匂い……綿菓子?」

 見た目とは裏腹に、甘い香りがするそれが何なのか、あたしには解らなかった。


「知らないのか? これはカルメラ――別名、カルメ焼き――だ」

「ヒロが作ったの?」

「ああ。夜食用にと思ってな。砂糖と脹らし粉で作る簡単な菓子で日持ちもするからな」

 ヒロに聞きながら、あたしは包みから一欠片ひとかけらつまんで口に入れる。


 サクッとした歯応えと共に、濃密な砂糖の甘味が口に広がる。甘味と同時に広がる香ばしさはそれこそ綿菓子を彷彿ほうふつさせた。綿菓子とは真逆で飾り気も何もないのに口解けのはかなさとどっしりした甘さを感じさせてくれるお菓子の原点みたいな味がそこにはあった。


「……美味しい」

 ポソリと、飾り気のない言葉があたしの口から出る。


「こいつを作るのは自信があるのだ」

 口に手を当ててヒロを見ると、目の奥に悪戯っぽい光をたたえつつ、モグモグと口を動かしながら言う。


(このお菓子、なんだかヒロみたいだな)

 少ない材料を純粋な技術だけで作り上げた菓子は、華美な装飾も香料も無い。まるで飾り気が無くても格好良い男のように。

 甘さで緩んだ頭でそんな事を考えながら、目の前のヒロをマジマジと見る。坊主頭で洒落っ気も無く、浮ついた事一つ言わず、男は仕事とばかりに真面目に一生懸命に働いている。今はちょっと悪戯小僧のような目をしているけれど、そこはまた母性本能をくすぐったりするわけでして。


 あたしの思考なんてきっと知らず、ヒロは饒舌に――珍しいことに――近所の講習会でもカルメラは褒められた事があるという事を話してくれている。


「足りないようなら、すぐにでも作るから遠慮無く食べてくれ」

 ちょっとだけ誇らしげな目の輝き(表情)

 しっかりしているようで、時折見せる子供のような表情かお。そのギャップにあたしは惹かれているのかな。

 ……あわわ。本人の前で何て事を考えているんだか。


「甘いもの好きのあたしに、そんな事言って良いの〜?」

 慌てて桃色思考を振り払い、敢えて煽るような口調で返す。


「お前が食べ終わるよりも早く作れるぞ」

 なんてヒロも言い返し、ちょっとだけお喋りに花を咲かせた。


 まあ、和気藹々とした雰囲気は長くは続かず、ヒロはあごに手を当てて思い出したかのように低い声で問うてきた。


「だが、小夜子は大丈夫なのか?」

 難しい顔して、急にどうしたんだろうと思いつつも、何の話かと考え、個室使用の話だと合点した。でも、実際に負担をかける二人の方が大変だしと考えて口を開いた。


「へ? あたしよりもヒロや千秋さんの方が大変――」

「俺や千秋は良いだろうが、親方の承諾が必要になるのではないのか?」

 それはまあ、そうだけど……個室使用は女将であるあたしの裁量が大きいし、親方からの承諾は特に気にしていない。

 この事を伝えるべく、綿菓子の様にふわふわになった頭をカルメラの様に固く引き締めた。


「個室の使用に関しては、あたしの権限が大きいから大丈夫だと思うけど……明日、千秋さんにお願いしたら、親方にもすぐに相談しておくわ」

「ふむ。それが良いだろうな。もしも困った事があれば、抱え込まない内に言ってくれ」

 頭に置かれた手が遠慮がちになでなでと動く。またもや思考が綿菓子みたいにふわふわしてしまう。

 本当に、ヒロが触れる処が心地よくなるのはなんでなのか、あたしはその心地良さに溺れそうになる気持ちを何とか掬い上げ、営業用でも商売用でもない自然な笑顔で言うのだった。


「大丈夫。また相談しに来るから、今度はカルメラの作り方を教えてよね」


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