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22品目

 夜、来店した茉莉彩とくるみは食事をしつつ、横目で千秋さんを観察していたようだったんだけど……支払をする時に、茉莉彩からは面と向かって、

「あれは無理。小夜子じゃ勝てないから、さっさと諦めて別の男探しなさい」

とまで言われ、くるみからは、

「小夜ちゃんには料理の腕があるんだからそっちで押すべきだよ。男を掴むには胃袋を掴めって言うし」

 などと、フォローになってない言動が飛んできた。

 日中、ずっとヒロの事が頭から離れなかったあたしは、それから寝るまでの間、すっかり落ち込んでしまったのは言うまでもない。


 そんな悲しいやら腹が立つやらの思いをしつつも、千秋さんが貴重な戦力であることには違いない上に、家事の手伝いまでしてくれている。ここまで頑張っている人なんだからと考えると、あたしの余計な感情(嫉妬心)はそれだけで小さくなるし、それに、その……ヒロはあたしに格好付けたいって言ってくれてたんだし、ね。と、前向きに考えるようにした事もあって、彼女とは仲良く働くようになった。

 そして、一ヶ月ほどが経過したある日――。


「なあ、小夜ちゃん。アキちゃん――千秋さんのお店での呼び名。本人の希望で省略して偽名にした――も給仕に慣れてきたようじゃし、昔のように個室を使わせて貰えるとありがたいんじゃがな」

 カウンターで焼酎のグラスを傾けた古田先生がそんなことを言ってきた。


 かつて、お母さんがまだ居た頃には、お店に入ってすぐ右に防音の壁と戸を備えた個室を用意していた。そこは古田先生のような議員の先生や商工会議所の会長さんなど、発言内容がともすれば新聞を賑わすような人達が利用していたんだけど、お母さんが出ていった今は暖簾をしまったりする物置に成り下がっている。


「個室……ですか」

 いつものように、オーダー用紙を片手に注文に備えていたあたしは、その手を顎に当てて考える仕草を取る。


「あの部屋が使えるようになるのは、僕も助かるんだけど……どうかな?」

 一つ席を空けて座っている出口先生も、お箸を持ったまま言ってきた。

 その出口先生を親方はジロリと睨み付けるが、先生は軽く受け流し、あたしの顔をマジマジと見てくる。


 個室の使用について親方が黙ったまま、口を出さないのにはちゃんと理由がある。

 個室は完全防音――盗聴器の類もきちんとチェックする――なので、中で何があっても部屋の外には聞こえない。例えあたしが悲鳴を上げようとも・・・・・・・・・・・、だ。加えて、防音の部屋を望むお客様なので、ノックだけして入って給仕をすれば良いというものでもなく、次の料理が出来上がる頃に一度ノック――どういう仕組みか解らないけど、襖に決められた場所があり、そこをノックすると中に音が聞こえる――をし、運ぶ時にも再度ノックをして一拍置いて戸を少し開け、声を掛けなくてはならない。その時にお客様から待ったがかかれば、戸を閉めて料理を持ったまま待たなくてはならず、個室にお客様が入るという事は、女将も貸切になる可能性が極めて高い。

 このため、個室を使う場合は、女将であるあたしの覚悟がいる事、女将の作法がちゃんとできる事、女将が給仕を任せれる仲居を育て切っている事……など、判断基準のほとんどが女将であるあたし次第だからだ。


 もちろん以上の理由から、個室は“場所代”が加算されてかなりの高額になるので、お店の経営的には使えた方が良い。

 実際、千秋さんにお給金を出すようにしてからは、ヒロのお給金を1万円まで下げても先月は結構な赤字で、スマートフォンを手放そうか真剣に悩むくらいだったし、今月も黒字になる見込みが今のところないし……。

 でも、マイナスの要因ばかりではない。現に、千秋さんは仲居として十分な仕事をこなしてくれているので、今回の話は結構魅力を感じたり……さてさて、どうしたものか。


「でも、個室を使うような会合は最近は減ったって、古田先生も出口先生も仰ってたじゃありませんか」

 あたしはふと、個室が使えなくなった時に聞いていたことを聞き返してみる。すると、先生二人はお酒を呑むのを止め、顔を見合わせて溜息をついた。


「……本当はそんなに減っておらんかったんじゃ」

「ゴメン。そういう時は別のお店に行ってただけなんだよ」

 本当に申し訳なさそうに声のトーンを下げ、古田先生と出口先生はこれまでの経緯をかいつまんで説明≪はくじょう≫してくれた。


 お母さんが出て行って、個室の使用ができなくなった頃は、重要な会合がある時は古田先生も出口先生も町内のとある料亭を渋々使うようになったらしい。

 ただこのお店、町内では老舗で有名なのは良いけれど、店員の態度が非常に横柄な事、料理も値段の割に大したこと無い事、また、盗聴器をお金で見逃しているなど悪い噂≪うわさ≫が増えてきており、二人とも別のお店を探そうとしていたそうだ。


「まったくのう、秘書に予約を入れさせた時に『人数を確定してから予約しろ』とつっかえされたのには参ったぞ。歴代の町長が贔屓ひいきにしていたからといって、調子に乗り過ぎじゃい」

 古田先生はひとしきり不満を口にして、サンマの塩焼きを口に運ぶと、残っていた焼酎をぐいっとあおる。


「古田先生もですか。人数が一人増減するかもしれないと言っただけでそれですからね。あと、肝心の料理やお酒もそんなに美味しくないんだよね……」

 古田先生の話に出口先生も同調し、ボソリと愚痴を零すと、手にしていたお酒を飲み干した。


「町内の老舗と言っても、三十年程前は、住宅団地も高校も無かった田舎町の料理屋にすぎんかったのだがな……」

 サンマの手前で箸を止め、苦虫を噛み潰したような顔でブツブツと言う古田先生。

 あたしはくだんの料亭よりも、先生の言った『高校も無かった田舎町』というフレーズが耳に残った。


 そうなのだ。三十年も前は青葉町の住宅団地の辺りは山ばかりだった、というのは知っているけれど、うちの学校の辺りってどんな風だったのか……。

 一ヶ月前の記憶を引っ張り出しつつ、あたしは古田先生になるだけ相槌を装って聞いてみることにした。


「昔はこの辺りも山だったんですよね? やっぱり大学とかうちの学校の辺りまでずーっと山並みが続いていたんですか?」

「いや、大学がある辺りは昔は谷があってな、谷沿いに棚田が広がっておったよ。丘の上団地やここ、あじさい団地を造成する時に出た土を使って谷を埋めたんじゃ。小夜ちゃんの高校の辺りは山というか丘があってな、原っぱが広がっておったはずじゃ」

「改めて言われると、本当に青葉町って昔は田舎だったんですね」

 納得という顔をしつつ先生に返答するが、あたしの頭の中は別の事が占めていた。


 一ヶ月に学校で見た風景は、昔の学校。更にその前、ヒロと一緒に観覧車に乗った時に見た風景は昔の港……。最近のあたしは時々昔の風景が見えているみたい。

 何故そんな事が起こっているのか、それがどういう影響があるのか、そっちの方が個室使用の話より大事で、色々と考えてみなきゃいけない気がするんだけど、そうしようとすると、霧散するかのように思考が散り散りになってしまい、考えるどころじゃなくなっていた。


「小夜ちゃん、舞茸の土瓶蒸しをくれい」

「はい。ありがとうございます」

 仕事中だというのに、そっちの思考まで飛んでしまそうになっていたあたしに、古田先生が秋限定の料理を、献立表も見ずに注文する。


 頭の体操替わりに説明しておくと、うちでは、季節限定の料理が存在する。古田先生が注文した舞茸の土瓶蒸しはその典型で、毎年、原木栽培している農家から入手して調理している。


 具材は舞茸、エビ、鶏のつみれ、三つ葉の4種で、これらと鰹と昆布の合せ出汁を塩、醤油とごく少量の酒で味付けした吸い地を合わせて土瓶に入れ、蒸し器で加熱すれば出来上がりという、言葉にすれば簡単な料理だ。もちろん、エビは頭や尻尾などの殻を入れない、鶏のつみれにはムネ肉かササミを使う、などの舞茸の風味を殺さないような配慮は必要だし、蒸時間に神経を尖らせないといけない。そして、最後にスダチを付けるのは必須事項だ。

 そうして出来上がった土瓶蒸しは、まず出汁の旨味を吸い込んだ舞茸の味と触感を口の中で楽しみ、次に舞茸の風味と合さったエビやつみれをしっかり味わい、三つ葉を途中のアクセントに挟む。そして、最後にはスダチを出汁に絞り入れて後味をサッパリさせるのが、あたしの土瓶蒸しの楽しみ方だ。

 あと、舞茸は他に天麩羅もあったりする。これもまた秋の味覚で美味しいんだよね。


「舞茸の土瓶蒸しお願いします」


 あたしは内心で自分に活を入れつつ、古田先生の注文内容を厨房に伝えるのだけれど、その時にヒロとバッチリ目が合ってしまう。


 あたしは先月の出来事から、更にヒロを意識するようになっていた。今だって、ヒロには微笑みを向けているのが解りやすい例だろう。

 しかも、ヒロもほんのわずかではあるけど、口の端を上げて答えてくれ、それがあたしの最近の楽しみなのは誰にも言えない秘密だ。


「……小夜ちゃん、この前入荷したって言ってた栃木の純米大吟醸はまだある?」

「ありますけど……今、呑まれます?」

 妙に表情を固くした出口先生が聞いてきたお酒は、栃木県にある酒蔵が限定醸造している純米大吟醸のことで、これは冷酒として呑むのが最も美味しいため、うちも例外無くお酒用の冷蔵庫でキンキンに冷やしてある。そのために、入荷した日や今日みたいに肌寒い日に呑むのは勿体ないと先生は言っていたはずなんだけど……どうしたんだろう。


「あるならそれと、焼きナスをお願い」

「ありがとうございます。追加、焼きナスです」

「焼きナス、もう一つお願いします。あと、サンマの塩焼きをお願いします」

 先ほどと同じように厨房へ注文を伝えると、座敷の方から戻ってきた千秋さんが食事の追加注文を淀みなく伝える。

 本当にすらりとした姿勢といい、美麗な声と言い、同じ女のあたしでも惚れ惚れするほどなんだよね。


「女将さん、お飲物、生1、芋焼酎のお湯割り2を頂きました」

 出口先生のお酒を用意しながらぽやんとした思考になったあたしに、真面目な彼女は注文内容をあたしにも復唱する。こうすることで、注文内容の漏れや分担するときの確認の効果があるので、今の4人体制になってから取り入れた仕事の仕方だ。もちろん、あたしが座敷で注文を受けると千秋さんに復唱している。

 ただし、カウンターで受けた注文は調理場へしか復唱しない。ぶっちゃけた話、調理場からはカウンター全ての席が見えているし、復唱しなくてもお客様の声も十分に聞こえているからだ。それに万が一あたしに何かあっても、調理場からの対応ができるし。


「生はあたしが用意しますから、お湯割り二つをお願いしますね」

 お盆にお酒の入ったガラス容器――ガラス製の徳利と杯を乗せ、生ビールの用意を買って出る。


「ありがとうございます。お願いします」

 ニコリと柔らかい微笑みで返す千秋さん。

 お店に立っている時は、あたしも千秋さんもお互いに敬語を使い合っている。千秋さんは敬語じゃなくて良いと言ってくれてたけれど、なんだか独特の上品な雰囲気がある彼女には、自然に敬語で通すようになっていた。


「栃木の純米大吟醸です」

 お盆から杯、徳利の順で出口先生の前に置く。先生はありがとうと言いつつ、徳利を手に取って杯にお酒をそそぐと、一息に飲み干した。


「ふぅ……やっぱりここで呑むと美味い」

 再びお酒を杯に注ぎながら、出口先生は意味深にありがたい台詞をボソリと言う。

 呑む直前にあたしの顔も見ていたし、仕事中に落ち込むようなことでもあったのかな……。

 先生の呑むピッチとしみじみとした言動に、これまでの経験(先生とのやりとり)からちょっぴり心配になるけれど、あたしは自分が買って出た生ビールの用意を急がなきゃと、頭を切り替えて取り掛かる。


 ジョッキを斜めにセットし、コックを捻って金色の液体を満たしていく。一回でビールと泡を丁度良い割合になるように注

ぐのは難しいみたいで、ヒロも――練習の末、げるようになった――千秋さんも、四苦八苦しながら注いでいる。あたしはこれまでの積み重ねからほぼ百発百中で注げるから、今回みたいに生ビール以外の飲物の注文があると、できるだけビールを注ぐようにしているんだけどね。


「千秋さん、よろしくお願いしますね」

 あたしも千秋さんばりに柔らかく微笑んで、ジョッキを彼女が持っているお盆へそっと乗せる。

 この柔らかい微笑みは、千秋さんと一緒に仕事をするようになって良かった事の一つで、彼女の品のある仕草を真似て自分に取り込んだものだ。他にも接客業で鍛えられていた千秋さんを見ていれば、学べる事は多いのだけれど、今はこの微笑みだけしか取り込めていない。


 本当に色々な事ができる千秋さん。彼女とヒロなら小さいお店なら回せるのかもしれない。

 気難しいけど腕の良い料理人に、美人で上品で愛想の良い女将さん……かつて、お母さんを見たあたしが目標にした姿だ。

 でも、実際に自分が女将――見習いだけど――になってみると、中々上品にというのが難しい。愛想をよくしようと思えば、アットホームな感じを出すのが手っ取り早いこともあるからだ。それに、元々がこんなぎゃーぎゃー言う性格だし……ね。

 本当に、千秋さんの半分でも良いからあたしに上品さがあればな〜。


 お盆を持って優美に座敷へ向かう千秋さんの後ろ姿を見ながら、あたしはそんな事を考えていた。


 ……マテ。今、あたしは何を考えていた?

 千秋さんの半分でも上品さがあれば? 違う、その前。

 ヒロと千秋さんなら小さいお店が回せる……これだ。

 舞茸の土瓶蒸し完成の報を聞きつつ、あたしの頭の中では、今の人員でどうすれば個室が使えるようになるかが発案されていた。

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