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21品目

「えーと、寝間着はひとまずあたしのを使ってもらって良いですか。今度の日曜日に買いに行きますから」

 コクリと千秋さんが頷くのを確認して、あたしは洗って収納しておいた寝間着を渡す。


 先程の事柄があった後、あたしはお父さんに車を出してもらい、千秋さんの住処に私物を回収しに向かおうとしたのだけれど、彼女から出された情報は更に過酷なものだった。


 千秋さんが住んでいるのはお店の寮らしく、六畳くらいの部屋にあまり言葉の通じない若い外人女性と二人で住んでいるとのことなのだが、仲は良く無いらしい。

 文化の違いなのか、相方は私物という概念が無く、自分が買った消耗品を使うように勧めてくれる反面、千秋さんが良い化粧品を買ったりすると、黙って使われたり、気がついたら下着を盗られたりしていたのだとか。

 本人には悪気は全くないようで、話をしても噛み合わずに直される事もなかったため、寝る時も財布等はポーチに入れて首から下げたまま、服類はバッグに圧縮して入れて枕にしていおり、お店に出る時は駅のコインロッカーに預けているとの事だった。なお、布団や寝間着などのかさ張る上に使われようの無い物は、逆に寮に置きっぱなしにしているため諦めるという事で、駅のコインロッカーからのみ私物を回収して戻って来ていた。


 なんだか、千秋さんの境遇を聞くと、親ってつくづくありがたいなと思う。甘えん坊なお父さんでも居るのと居ないのでは雲泥の差だし、実際、千秋さんをウチに置くと決めれたのも、半分はお父さんのお陰でもあるし。


「小夜子~。入るよ」

 ノックもせずにお父さんがひょっこりとドアから顔を出す。


「ノックぐらいしてよ! 違うから良いけど、千秋さんが着替えてたりしてたらどーすんのよ」

 人が心の中で感謝しているというにこれだ。あたしは足の下に敷いていた座布団を、お父さんの顔面目掛けて投げつけ――

「ふべっ!」

 見事にクリーンヒットさせる。


「酷いじゃあないか。ちゃんと小夜子の言い付け通り、エアコンのフィルターを洗ってきたのに。お詫びに添い寝を要求する!」

「だったらお返しに、あたしはお父さんのノーミソを洗ってあげるわよ!」

 今度は茶菓子の空き箱をクリーンヒットさせた。


 まったく、千秋さんも居るというのに添い寝しろとか、恥ずかしいを通り越して呆れるわ。

 ムスっとした顔でお父さんを睨みつければ、場違いな明るく上品な笑い声が木霊した。   


「ふふふっ。本当に仲がよろしいんですね」

 本当に上品に微笑む彼女。これでけばけばしくない身成なら、相当に品が良いと思うんだけどな。

 実際、後で来た出口先生からも身元はしっかりした人だとお墨付きを貰ったのだけれど、千秋さんの事を詳しく聞こうとしたら先生は、医者としての守秘義務があるから答えれないとバツが悪そうに言っていた。

 あたしはジト目で、千秋さんのお店に行っていたわけじゃないか問い詰めてみたけど、そうではないらしく、

 『僕は小夜ちゃん一筋だよ!』

とワケの解んない冗談まで言われてしまった。


 話は逸れてしまったけれど、本当に育ちが良いみたいで、千秋さんの言動や行動の端々からは品の良さが見て取れることもあり、ウチで生活する事を念頭に、軽口ついでにあたしは彼女へ髪の色を戻すように注文することにした。

 女のお洒落に他人が口出しするものじゃ無いのは身をもって知ってはいるのだけれど、こればかりはこちらも商売がかかっているから仕方が無い。


「まあ、お父さんですから、仲は悪くないですよ。添い寝とかはしませんけどね。あと、千秋さん。髪の事なんですが、ウチは和風を主にしている料理屋なので、申し訳ないのですが、黒か栗色くらいにして頂きたいんですが……良いですか?」

「元々の黒い髪は好きだったので、逆に戻せるのは嬉しいくらいですよ。明日、美容室に行かせて頂こうと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 髪の色を戻すのは構わないみたいのなので、ありがたく近所の美容室に予約を入れる旨を伝えた。



 ――――――――――――――――――――



 翌日、美容室の割引券を渡す――お金はお店へのツケにしてもらうようにお願い済み――と、千秋さんは朝から近所の美容室へと走り、髪を黒に染め直してパーマを解いてきた。天然の癖毛だと思っていたのは、少しとはいえパーマを当てていたそうだ。


 ……あたしは目の前に現れた美少女に、ただただ絶句してしまった。

 艷やかな長く黒い髪に、年相応の儚げで色白な美貌。元々がスレンダーな体型だけに、日本人らしい美しい顔がマッチし、どこのお姫様だ! と力一杯ツッコミを入れたくなってしまったのに、全くもってそんな事は言えなかった。


「えーと、本当に千秋さん?」

「はい? な、何かおかしいですか」

「そんな事は全く無くて……えっと、今の方がすっごく綺麗なんですけど」

 触れてはいけないような美貌の持ち主に、あたしは陳腐な言葉しかかけれなかった。


 今の姿が家出をした直後に、親から見分けがつかないよう、自分の好みにイメチェンしたのが今の格好らしい。その後、夜のお仕事の為に髪を染めたりケバケバしいメイクをして、万が一にも知り合いにバレないようにするために言葉遣いまで変えていたと言うから何ともはやとしか言い様はない。だけれど、これにばかりは流石に、女スパイですか! と思い切りツッコミをいれてしまった。

 まあ、千秋さんの経緯いきさつを聞いていれば、そうせざるを得なかったのかもしれないけれど……。


 そんなこんなで、夜には見事に美少女中居――お給金を出せないから仕事はしなくて良いと言ったんだけれど、本人は住まわせてもらう分労働で返すのは当たり前。と言って聞いてくれなかった――が藤華に誕生して、我が家の男衆をあっと言わせてくれた。


「うわー。名家のお嬢様みたいだね。すっごく似合ってるよ」

「……もはや同一人物とは思えないな。銀幕から出てきたようだ」

 お父さん、ヒロ共に超好印象。

 加えて、その後に来店した古田先生や出口先生、珍しく呑みに来た山内さんと福田さんからも絶賛のあらしだった。

 何であたしの回りには美人ばかりなんだろう……この配材を恨めしく思いながらも一日の仕事を頑張った。


 仕事、夜食、お風呂を終え、片付けまで手伝おうとした千秋さんに休むのも仕事の内! と言って部屋に戻るように言いつけてあたしも自分の部屋に戻る。


 今日、千秋さんに仕事に付いてもらった感想を言うと、まあ良く出来た人だった。

 夜の仕事で客あしらいが上手なのは解るとしても、誰が何を注文したのかをほとんど一回聞いて覚えているし、料理は無理でもお酒の作り方はバッチリだし、今日が藤華での初日とは誰も思わなかったらしい。


 そんな千秋さんの仕事ぶりに何とか報えないかと今日の売上を計算していると、ヒロがやってきて、

「なあ、千秋を雇う事にするのは本気か?」

 などと眉間に皺を寄せて言う。

 マテ。いつの間に呼び捨てにする仲になってるのよ!? そりゃあ、ヒロと千秋さんは同い年――千秋さんは高校にはいってないとの事。いってれば今は三年生のはず――みたいだけどさ……。


「あー、うん、まあ。だって、身の上話を聞いちゃったら可哀想な人だし」

「そうなのか。だが、雇うとなれば給金の問題が出てくるのでは無いか?」

 そうなんだよね。半ば勢いで千秋さんを置く事にしちゃったけれど、十分な給金の原資は無い。そもそも、ヒロにも十分な給金を渡せていないのに、だ。


「小夜子の事だ、勢いで言った後で身の上話を聞いて、引っ込みがつかなくなっているのだろう?」

 あんたはエスパーか! と言いたくなるけど、図星を突かれてあたしはしゅんと小さくなってしまう。


「ま、まあ、当たらずといえども遠からずと言った所だけど……」

 ちょうど給金の試算をしていたこともあり、下から覗き込むようにチラチラと、ヒロの顔を伺いながらモニョモニョとした口調で言うのだけれど、何だか凄く気不味いよ……。


「だろうと思ってな。一つ提案なのだが、収益が伸びるまで、俺の給金を無しにして千秋への給金にしてはどうだ」

「そ、そんなっ!」

「代替え案があれば聞くが」

 さらりと提案された内容は、現状には非常にありがたいけど、雇用する側として頷けるものではなかった。

 でも、代案なんて都合の良いものは咄嗟に思い浮かばない。

 どうしよう。どうしよう……千秋さんは可哀想だし、ヒロの給金は下げたく無いし。


「……無いようだな。であれば今言ったようにしてくれ。折角、身なりも整えてやる気のようだったからな」

 まごまごして何一つ言葉を紡ぎだせないでいたあたしに、ヒロは真顔で、それでいて優しい瞳で言い切る。

 その瞳を千秋さんにも向けてるんだと思うと、少し……いや、かなりあたしの胸は苦しくなり、負の感情が首をもたげる。


 ――何よ、ヒロが千秋さんに優しく気遣うのは、あたしと違ってやっぱり美人だから? 少しでも好んでくれていると思ったのは気のせいだったのかな。


 お金のことで気分がやや落ち込みだしていたことも加算され、マイナスに向いていたあたしの思考は一気に氷点下を示し、刺々しいものになる。


「……そんなに格好つけたいんだ?」

「そうだな。ただの格好つけかもしれないが……何を怒っているのだ?」

 何よ、人が給金の事で頭を痛めていたのに、やっぱり千秋さんに対して格好つけたいだけなんじゃない。あたしの事なんてもう、どうでもいいんだ。


「解ったわよ。そんなに格好つけたいのなら、希望通りにしてあげるわよ!」

 あたしはマイナスになった感情を、氷柱≪つらら≫のように尖ったままヒロへと突き刺す。


「だから、何を怒っているのだ? 小夜子らしくもない」

 あたしらしくもないときましたか。あたしらしいって何よ。ヒロが飽きたら物わかり良く身を引いて、次の女のために協力するっていうわけ? ……あたしは、あたしはそんなに何でもかんでもヒロに都合の良い女じゃない!


 不安定だった心はあっという間にイラつきに支配され、整然とした思考ができなくなってしまう。普段なら、こんな一方的に感情を押し付けるような事はしないのに……もう、最悪としか言いようが無い。


「千秋さん、綺麗だもんね。好きなだけ格好つけさせてあげるって言ってるの!」

 あたしは目尻に涙まで浮かべて言い放った。


「いい加減にしないか。今の小夜子が言っている意味が解らん。そもそも、俺が格好つけたいのはあの女にじゃ無い」

 険しい顔つきで言い返され、あたしは反射的に言い返してしまう。


「誰に格好つけるのよ」

 売り言葉に買い言葉というのがあるが、今のあたし達はそんな感じだったと思う。頬の一つでも引っぱたいてやろうと、言葉に合わせて振り上げたあたしの腕を、怒った(?)ヒロに掴まれ――バランスを崩したあたしはそのまま後ろ、ベッドへと倒れ込む。

 前の時の様に、ヒロに触れられている所からはピリピリと甘い感触が伝わってきて、それがあたしの自棄感を煽る。


「もう、どうでも良いわよ、好きにしたらいいじゃない」

 どうせヒロに振り向いて貰えないなら、どうでも良い……無理やりでもなんでも好きにしたらと投げやりになり、あたしは顔を横へ逸らして体の力を抜いた。


「小夜子、お前俺が――いや、いい」

 ブスッとしていてそれでいて切羽詰まった顔で、あたしの頭上にぶっきらぼうな声が響いた。

 声の主はあたしの腕を掴んだまま、優しく上体を起こそうと引っ張り上げてくれる。一瞬、反抗してふて寝しようかとも思ったけど、もうどうでもいいやと思ってされるがままにする。


 ゆっくりとヒロの顔が近づいてくる。

 ちょうど向かい合って話すような距離まで近づいた時だったと思う。


「俺が格好をつけたい相手は…………お前だ」

「っ!」

 ギリギリ聞こえるくらいの小声でボソリと、ヒロは言ったのだった。咄嗟にあたしはヒロの寝巻の胸元を握りしめ、顔を埋める。涙がぽろぽろと零れ出て、余さずヒロの寝巻へ染み込んでいく。

 耳の奥にはヒロの言葉が反芻し、身体は甘ったるいような悦に包み込まれていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。酷いこと言ってごめんなさい」

 ヒロにしがみ付いたまま、あたしは小声で繰り返す。

 

 従業員同士が助け合おうとしてる良い事なのは解りきっているのに、ヒロが他の女に優しくするだけで胸はムカムカして、気遣ったり意識を向けたりするとイライラとした気持ちになってくる。

 やだ、ヒロには――あたしだけを向いて欲しい。


 今まで感じた事のない異性への感情に翻弄され、ヒロに精一杯しがみ付いていた。


 ……マリア様、ゴメンなさい。あなた様の言う通りでございます、大嘘を付いた自分をお許し下さい。あたしはヒロが誰かに優しくするだけで取り乱してしまう、こんなにも心の狭い自己中心的な人間でした。

 逞しい胸板に支えられ、まどろんだあたしは自分を責め立てる。クラスの女神さまに謝罪してしまうほど。



 ――――――――――――――――――――



「……なるほど、そういう事があったのね。今日は、町田に目もくれないし、素直に言う事を聞くと思ったら」

「うぅ……」

 容赦無くあたしのお弁当箱から、カイワレ大根のハム巻きを強奪しつつ茉莉彩は言う。


「でも、あんたバカよね。そんなライバルになりそうな女なんか、雇わなければよかったのに」

「だ、だって、滅茶苦茶大変そうな人だったし……」

 人差し指同士をくっつけながら、射るような視線を向けてくる茉莉彩をあたしは探るように見る。


「困った人を見捨てれないのは小夜ちゃんの長所でもあるんだから、良いじゃない」

 黙ってノートに何かを書き込んでいたくるみがフォローしてくれるのがありがたい。


「ライバルキャラの登場なんて、王道だけどオイシイ展開は歓迎だよ。ふふふふふ」

 ……前言撤回。くるみの続く含み笑いに、妙な悪寒が背中を走り抜ける。


「でも、松永さんは小夜子の為にって無給を申し出たんでしょ? だったらいいじゃない、お金の代わりに毎晩癒してあげれば」

「それって既に小夜ちゃんの日常なんじゃないの?」

「どーせ小夜子の事だから、いつもは相手任せに決まってるじゃない。そこを自分から積極的にってね」

 何やら妙に熱が入ってくる二人のやりとりなんだけど、何かあたしのキャラクターが彼女達の中で一人歩きしてない? と思うのは気のせいだろうか。

 置いてきぼりになったあたしを放っといて、二人はキャーキャーと盛り上がっている。


 あー、でも、今回はあたしからヒロに抱き付いちゃった形になったんだよね。もちろんこんな事は二人に話してはいないけど、二人ともカンが良いからね。顔に出ない内にと別の事を考え出すあたし。

 早速、今日の夕食の献立でも――。

 そう思い、レシピを思い浮かべた時だった。


 リィィンという耳鳴りのような音が聞こえると、立ちくらみのようで視界に靄≪もや≫がかかる。

 視界からは教室が消え去って、代わりに山なりに続く原野が広がる。耳からは教室の騒めきが無くなり、風に草が揺れる音が聞こえていた。


(この景色は?)

 どこを見ても変わり映えしない原野が続く。

 キョロキョロと辺りを見回していると不意に、上の方――曇った空からゴゥンゴゥンと大きな音が聞こえ出した。


 何処かで聞いたような音なんだけど思い出せず、良く見て確かめてやろうと目を見開くんだけど、音の正体はおろか、視界からは曇り空と原野が陽炎の様に消えてゆき、風になびく草の音も聞こえなくなった。何だろう、この景色にはちょっとした既視感がある。


「――こ? 小夜子?」

 急激に戻ってきた視界、目の前には覗き込むようにした茉莉彩とくるみの顔があって、耳にはお馴染みの教室の喧騒が聞こえている。


「ご、ごめん。ぼーっとしてて聞いてなかった。何?」

 茉莉彩の声にさっきまでの景色を頭の隅に押しやり、表情を取り繕って聞き返した。


「いきなり黙っちゃったから、どうかしたのと思っただけよ。松永さんの事でも考えてたんでしょ?」

「そんなワケな――」

 一蹴しようと口を開くんだけど、声が止まり、回りに音が聞こえたんじゃないか思うほど、大きく心臓が一跳ねする。


「……ヒロ」

 ボソりと本当に小さくつぶやくあたし。


「ちょ、ちょっと小夜子、あんた顔真っ赤よ、本当に大丈夫?」

 珍しく茉莉彩は驚いた顔であたしの顔を覗き込む。とりあえず、あの大きな鼓動は聞かれてないみたい。良かった。

 ……でも、なんでだろう、茉莉彩がヒロの名前を言った時、急に頭にヒロの顔がよぎったような気がしたんだけど。


「……小夜ちゃん、一応、熱計ってもらったら?」

 茉莉彩の呼びかけに反応しなかったからか、くるみまで真面目な声で言ってくる。


「ううん、全然大丈夫だって、平気平気」

「なら良いけど……具合悪いんだったら早く言いなよ」

 本当に体調は何ともないんだけど、持つべきものは友達だ。心配してくれるのはありがたい。

 ただ、この後ずっと、あたしは体調は万全なのにヒロの顔が頭から離れなくなっていたのけどね。


「あと、今日の夜ご飯食べにお店に行くから、その時に例の女≪ひと≫を品定めしてあげよう」

「茉莉ちゃんが行くならわたしも行こうっと」

 上から目線な言い振りにはムゥと思う部分もあるけれど、二人の発言にあたしはニコッとして

「ご来店お待ちしております」

 と返したのだった。

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