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20品目

 二人のロクでも無い会話など露知らず、あたしの一週間は瞬く間に過ぎ去って、二学期が始まった。

 一学期と大きく変わった事が一点。

 これまであたしは、お昼を学校の購買でパンを買って済ませる事が多かったんだけど、二学期からはお弁当を持って行くようにした。

 パンを買ってお腹を満たそうと思えば、最低でも300円は掛かるが、お弁当なら高くても150円程度で済むからだ。

 その分、これまでより30分程早く起きる必要があるけど、朝食の支度と併せて作ればそこまで負担は増えずに済むし、何とかなっている。


「玉子焼、一つ貰っていい?」

 昼休みの教室でお弁当を広げていると、茉莉彩の箸が伸びてきた。


「ダメ」

「じゃ、こっちの天麩羅もらいっ」

 箸の矛先を素早く変え、昨日の残りを流用した天麩羅を我がクラスのアイドルは掻っ攫って、見た目に似合わない仕草で口に放り込んだ。

 モフモフと口を動かし、咀嚼すると彼女は悪びれもせずに批評を口にする。


「美味しいんだけど、何か、衣厚くなってない?」

 相変わらず舌の確かな事でいらっしゃいますことで。

 あたしは茉莉彩の疑問に答えるべく、昨日の夕食時の事を思い浮かべた。



 昨日、夕食の準備をしている時の事――。


「小夜子、天麩羅ダネの量が多くないか?」

「うん。明日のお弁当用にもと思って」

 ナス、タマネギ、ニンジン、煮たトウガン、煮たジャガイモ、ミョウガ、大葉、竹輪にアジ。

 見事に野菜が多い天麩羅ダネだけど、お弁当になるのはこの内のニンジン、大葉、竹輪、アジの4種だ。だから、その4種の数が他より多く、ヒロはその事を言っているのだ。


「弁当か……だったら、弁当の分だけは別に揚げた方が良いな」

「どうして?」

 顎に手を当てるヒロに、あたしはキョトンとして聞いてみた。


「弁当に入れるという事は、一度冷ましてしまうという事になる。であれば、塩味の衣を厚めにして濃味にしないと、食べる時には天つゆもかけられんからな」

 何ですと!? そんな方法もあったのね。危うく揚げたてで提供するままの天麩羅を冷まして持っていこうとしていたあたしは、思わずお弁当の分の天麩羅ダネを脇に寄せた。


 夕食は天麩羅鍋を三人で囲んで揚げたてを美味しく頂いたのだけど、その時にお弁当用の天麩羅の揚げ方と、ヒロの好物が天麩羅だという事を知ったのだった。


「……という方法を教えてもらってね。確かに衣は若干厚いけど、お弁当のおかずとしては食べやすいでしょ」

「確かに、味はしっかり付いてるわね。でも、小夜子が揚げ物なんてどういう風の吹き回しよ?」

「ヒロが食べたいって言ったから」

 躊躇ちゅうちょせず、ズバッと答えると、場の空気が凍りついた。

 茉莉彩は表情から箸まで全身の動きを止め、くるみはパンを口に咥えたまま止まってしまった。


「従業員が頑張ったお陰で黒字が出たんだから、還元するのは当たり前でしょ。お給料も安いんだし」

 実際、8月の売上はヒロが来た後半に少し伸びた事もあって、夕食はできるだけヒロが食べたい料理を聞いて出している。これで給料の足しになるとは思って無いけど、働き者には何かを還元したいからだ。


 でも、それはヒロを好んでいる一面もあるからじゃないかって?


 ……もちろん、ヒロが夜這い未遂をしてからというもの、あたしは毎日一緒にいる彼のことをイロイロと考えた。


 お洒落とかには無頓着だし身長も高くはないけれど、身嗜みは清潔感があるし引き締まった体つきで力も強いから自分の好みから言えば見た目は問題無い。

 仕事は超が付く程真面目で朝から晩まで文句一つ言わずに黙々とこなしてくれるのは女将の視点から言わせて貰えば、しっかりした給料を出せていない現状が悔やまれる程だ。

 そして、一番重要な性格だけど、普段、淡々とした喋り方をしているのは仕事の癖らしく、お互いに言い合いをする時はある程度感情が表に出ているけど、大半が軽口と小言だ。あたしも言い過ぎたと思ったら謝るようにしてるし、ヒロは口にしなくても態度で示してくれる。今日のお弁当に入っている玉子焼だってヒロ作の品だし。

 それらの事をぐるぐる悶々と考えて至った結果、あたしはヒロが好きだという結論に達していた。


 元々、ウジウジ悩むタチじゃ無いし、一日の殆どを一緒に過ごすのだから、遠くから見てドキドキするだけとか、余計な気遣いをしたいワケでも無いので、あたしは自分の気持ちを素直に認め、ヒロとは自然体で接するように心がけていた。


 もちろん、これにはヒロもあたしを少しは好んでくれているという、安心材料があるからだけどね。


「…………なるほど、小夜ちゃん頑張ったんだね。今は階段の何段目まで登ったのかな〜」

 一週間の経緯を思い起こしていると、何だか遠くの人を見る目でくるみがあたしを見る。手に持った食べかけのパンが何故か儚さを煽っているのが凄い……。


「従業員ねぇ……従業員の松永さんが大きく黒字を出したらナニを還元するのか楽しみね」

「さーて何だろうね」

 妙に真剣味のある、それでいて人を喰ったような表情で茉莉彩が問うてきたんだけど、まあ、この顔をした時はロクでも無い事を考えている事が多いので、あたしはさらりと受け流した。

 茉莉彩とくるみが『私達の気遣いなんて……』とボソボソ言っていた気もするけど、きっと気のせいだ。うん。


 取り敢えず、このテの話はここまでかと一息つくように、あたしは玉子焼を口に運ぶ。


 冷めているとはいえ、口の中に卵の焼けた香ばしい風味が広がり、しっとりふんわりとした柔らかい感触と、プツリと噛み切られる幾重にも巻かれた卵の層が歯触りを楽しませてくれる。

 噛み口からは卵そのものを、出汁、塩、醤油、砂糖によって高められた甘い風味が口の中を上書きして行く。

 甘めの味にも関わらず、ごはんも進むのは卵の品質もあるけど、ヒロの腕がすごく良いからなんだろうな〜。


 幸せな味覚を満喫しつつ、そんな事を考えていると……嫌がる声と共に、クラスのヤンチャな男子(問題児)の声が耳に届いた。


町田まちだの弁当、相変わらずビンボーくせぇな。おっ、ミートボール発見! 貰いっ」

 いつの時代、男女の分け無くヤンチャな人種は存在する。声の正体は、うちの学年きっての問題児がカモにしてる男子にタカっているものだった。


 うちの学校は身嗜みにもそれなりの分別を求める校則があるので、昔のドラマみたいに奇抜な髪型や色の生徒は少ないが、それでも出来る範囲で乱した装いを意識している生徒はいる。

 眉を釣り上がったように細くすることから始まり、ネクタイを緩めて胸元のボタンを開ける、袖口のボタンは留めない、ズボンはパンツが見えるんじゃないかってくらい下げて履き、結構なだらし無さをかもし出しているのが件の問題児だ。

 対して、カモにされてる男子――町田は服装こそキッチリと真面目にしているが、身長も低く顔に合ってないのか、少々歪んだメガネや身嗜みに無頓着さが伺える髪型……そして何より、気弱そうなサラリーマンに見える老け顔が現状を物語っている。


川中かわなかは文句を言うのに結局食べるのか」

 淡々と反論らしき言葉を紡いでいるが、問題児――川中は聞いていないのか、他人のお弁当箱からオカズを物色し、口に奪っている。

 そんな光景を見ていると、ついつい口を出してしまうあたしがいた。


「川中、そんなにお腹が減ってるなら購買でパンでも買ってきたら?」

「んな金あるワケねーだろ。それだったら藤原のくれよ」

 テンプレートな質問に、これまた予想通りの答えが返される。

 ここまでは予想通り。


「何? 前にあげた激辛柚子胡椒、そんなに気に入ったんだ?」

 遠足の時にタカられたオカズに、自家製の激辛柚子胡椒を仕込んだ仕打ちを思い出させるべく、あたしは笑顔で記憶の傷を抉った。


「うぜぇ。思い出させんなよ」

 見事に記憶の傷を抉れたようで、あの時に相当に堪えていたのか、顔をしかめた川中は町田の席を離れる。だけど、当の町田のお弁当箱からは、ご飯のオカズになりそうな主菜が全て消えていた。

 全く。これじゃあ、ご飯だけで食べなきゃいけないじゃないの。小さく溜息をつき、あたしはお弁当箱の蓋に、本日の主菜であるアジと竹輪の天麩羅を並べて町田の元へ持っていった。


「あんまり大した物じゃないけど、良かったら食べて」

「……ありがたい」

 少し間を置き、引きつった表情で天麩羅に箸を伸ばす町田。そんな彼の行動を待っていたかのように、川中の大声が教室に響いた。


「ちゅーもーく! 藤原の愛情弁当を町田が食べるよ!」

 その大声と釣られるように出た男子達の失笑と、女子達の妙に温かい視線に、伸ばされていた箸が引っ込められる。


「やっぱり、藤原さんに悪いからいい」

 何であんなヤツの事を気にするのかね。無視すれば良いのに。


「あんなの、お弁当持って来ない川中のヒガミじゃない」

 そう言ってオカズを勧めるのだけれど、町田はあたしと視線を合わせる事も無く、いらないの一点張りだった。


「……あんたね、何でワザワザ町田に構うのよ、放っておけば良いのに」

 席に戻るなり茉莉彩が小声で捲し立てる。

 だがそれよりも、彼女が顔を寄せて耳打ちした追加の情報に、あたしは面食らってしまった。


「無頓着にあんな事やってるから、あんたは町田の事が好きだって噂になってるよ。根も葉も無い噂だけど、松永さんの耳に入ったらヤバいんじゃないの?」

「…………町田は別に好きでも何でも無いわよ。ただ、前に週番を一緒にした時、町田のお母さんは病気で大変みたいだって聞いてたから、川中がオカズ取るのが許せなくてつい、ね」

 驚いて黙ってしまったけれど、すぐに気を取り直して茉莉彩に経緯を話す。でも、ヒロ、ヒロか……こっそりお弁当のオカズをクラスメイトに上げてるってのがバレたら怒るかな? 従業員にちゃんとしたお給料も出せて無い状態でだからなぁ。


「町田を好きじゃ無いなら、あいつの事情なんて別にいいじゃない。あんただって、松永さんが他の女と仲良くしてたら嫌でしょ」

 茉莉彩の責めるような視線にたじろぎつつも、

「そ、そんな事ない……」

 あたしはついつい嘘をついてしまった。


 そう、ヒロが他の女にあたしと同じ様に軽口を叩いて、気を使ってくれて、あまつさえ触れ合ったりなんてしていたら……考えただけでも嫌だ。

 なのに、あたしは茉莉彩と自分に嘘をついてしまう。そんな自分の心の狭さを思い知りながら、残りのお弁当を口へ運ぶ昼休みになった。



 ――――――――――――――――――――



 その日の夜。


「酷く降ってきたな」

 古田先生をお見送りした親方が、白衣から水を滴らせて言った。


「親方、びしょ濡れじゃないですか、今の内に着替えて下さい」

 あたしは親方にタオルを渡しながら言う。

 古田先生が帰った事で、今のお店には誰も居ない。もう少しすると出口先生が来るかもしれないが、平日の雨の日はお客様が来ない日も多いので、無理して濡れたままより着替えてもらった方が良いのだ。


「ああ。雨も冷たかったから着替えさせてもらおう。その間は頼むぞ」

 まだ残暑の季節ではあるが、今日は夜になると雨が降りだし、気温も下がっていた事もあって、親方もそそくさと奥の部屋へ着替えに入る。

 それと入れ替わるようにして、あたしとヒロがカウンターに立った時だった。


 勢い良く引戸を開け、長い茶髪にケバケバしいメイクを施したずぶ濡れのお姉さんが入ってきた。


「た、助けて、警察を呼んで下さい!」 

 お姉さんは、元来なら美しいであろう均整の取れた顔に必死の形相を浮かべ、震える声で訴える。そんな彼女の表情と力任せに引きちぎられたようなブラウスの胸元を見て、あたしは頷くと、

「こちらへ」

 と言って調理場の奥へと隠す。そして、元の位置に戻ると同時に再び引戸が勢い良く開かれる。


「おい、ここに女が来なかったか?」

 会社では相応の地位を持ってるのであろうサラリーマン風の中年男が、その証明のような立派なスーツを濡らし、荒々しく宣った。言い方が荒っぽい事と発音が若干おかしい事から、恐らくは酔っているのだろう。


「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」

 そういうお客様にはすっとぼけるのが一番なので、あたしは幾度となく口にしているテンプレートを、営業スマイルとともに男へ向ける。


「ここに女が来なかったかと言ってるだろう。茶髪の女だ」

「ご覧の通り、私は黒髪ですが」

 更にとぼけてみるんだけど、男の顔はどんどんとイラついたものへと変わっていった。


「奥に隠しているのは解っているんだぞ。どけ!」

 男は床の濡れ具合を見てあたしを怒鳴り付けると、右手で押し退けて奥へと進み、待機部屋と仕切ってある襖を勢い良く開け放った。


「小夜子、お父さんの生着替えが見た――」

 ちょうど上着を羽織ろうとしながら軽口を叩いたお父さんと、男の目が見事に合い、お父さんは笑顔を一気に引きつらせる。


「……いらっしゃいませ。お席はカウンターか座敷でお願いします。ここは従業員用です」

「…………すまない」

 目を丸くしたお父さんが引きつった笑みを浮かべて言うと、男は一気に酔が覚めたような真面目な顔をして、静かに襖を閉めたのだった。


「それで、ご注文は何になさいますか?」

 間髪入れずにあたしは必殺の女将スマイルで男に問うのだけど、状況が状況なだけに、相手はしおらしく、

「騒いだお詫びだ。何も聞かなかった事にしてくれ」

 と言って、諭吉さんを一枚置いて出て行った。


 男が出て行った後、あたしは表に準備中の札を下げ――暖簾は出したままだけど――て、鍵をかける。


「それで、警察を呼ぶ前に事情を話して頂きたいのですが」

 バスタオルを件のお姉さんに渡しながら、問いかける。

 でも、このお姉さんって何処かで見た事があるんだよね……どこだったかな。頭の奥を捻って考えていると、答えはお姉さんから出てきた。


「あの、お盆前くらいにショッピングモールにいましたよね?」

 ……そうだ! 髪が濡れてたから解りにくかったけど、このお姉さんはショッピングモールで絡まれてた人だ。


「あ、あの時の!」

「二度も助けて頂いて、ありがとうございます。もう、警察は呼ばないで下さい」

 綺麗な声に丁寧な口調で話し出すお姉さん。

 あれ? 前に会った時ってこんな話し方じゃ無かったような……。


「え? でも、危ない事が……」

 言いかけてあたしはハッとする。お姉さんの状態を見て思いつく危ない事なんて、お父さんやヒロを前にして話せるような事じゃ無い。

 あたしはこちらへとお姉さんを奥の待機部屋へと案内する。


「合う服が無いので、ひとまずこれで我慢してもらいたいのですけど……あと、良かったらシャワーも使って温かくして下さい」

 あたしは控えの仕事着――作務衣――を引っ張り出しながら、お姉さんにシャワーも勧める。


 お姉さんは『お言葉に甘えて』と断ると、シャワーを浴びて着替え、事の経緯いきさつをポツポツと話し出してくれた。


 お姉さんはミキさんと名乗り、今は駅の近くにあるスナックでホステスさんをしているそうで、そこの常連さんである先程の中年男――社長さんがお店にお金を払い、ミキさんをデートへと連れ出したらしい。これまでも何回かあったらしく、いつもの様に食事に行くのかと思いきや、近所のラブホテルへ連れ込まれそうになって、逃げ出したとの事だった。

 ブラウスが破れていたのは、逃げ出そうとした時に咄嗟に掴まれたのが首元で、たまたま胸元まで破れたのだとか。

 カラダへの害が無いみたいで、同じ女としてホッとしたのは言うまでもない。


「それって犯罪じゃないですか! 店長とかに相談して、何とかならないんですか?

「常連さんが相手なので、店長に言ってもしかたないんです。逆に、大事な常連さんを無下にしちゃったと怒られます」

「そんな……」

 あたしが知らない夜の世界の厳しさを、ミキさんは目を伏せながら告げる。

 カラダを売る仕事では無いのに、求められると断れないなんて……。


「今日は匿ってもらってありがとうございました。この着物は洗ってお返ししたいのですが、良いですか?」

「いつでも良いですし、洗わなくても良いんですけど……その」

 控えの仕事着だからそれは別に良いんだけど、あたしはミキさんの生活が大丈夫なのかと聞こうとして、一瞬言い淀んでしまう。

 ヒロにさえ満足な給金を出せていないあたしが、これ以上どうやって他人の心配ができると言うのだろうか。胸にズキズキとする痛みを感じながらも、次の言葉を紡げないでいると、スッと音を立て、襖が開けられた。


「話がひと段落着いたようだからな、温かいものでも食べてもらったらどうだ?」

 調理場の方から湯気を立てるお椀の乗ったお盆を持って、ヒロが入ってきた。

 確かに、ミキさんは冷たい雨に打たれているので、温かくした方が良いだろう。本当にヒロは気が利くわ。デキる従業員を持てて女将としては嬉しい事この上ないのだけれど、何故だかあたしの胸にはチクリと痛みが走った。


「そ、そうね。ミキさん、風邪なんか引かないように、是非食べていって下さい」

 頬のこわばったスマイルでミキさんに告げる。彼女はヒロが持ってきたお椀――そうめんを早速啜っているのだけれど、その姿に再び胸がチクチク痛んでいる。あたしはその痛みに知らないフリをして、

「そうめんだけだと足りませんよね。ご飯物をお持ちします」

と、断って席を立つ。

 調理場にあるご飯を茶碗一杯分取って二つのおにぎりに握る。具材は梅干と昆布の佃煮というありふれた二種類なんだけど、これ、もちろん自家製だ。

 おにぎりには海苔も巻いてお皿によそうと、急いでミキさんに出す。


「芸のない物ですけれど、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 ちょうどそうめんを食べ終わったミキさんは、一瞬どうしたものかと考えたようだけど、あたしの

「しっかり食べて、元気出して下さいね」

 の一言で、おにぎりに手を伸ばして一口噛じった。


「……っ」

 パリっという海苔の音がするのと同時だった。ミキさんの目から涙がこぼれ落ちる。


「え? 梅干、酸っぱかったですか?」

 突然の事に取り乱してしまうあたし。

 ミキさんはふるふると首を左右に振り、おにぎりを置いて言葉を続けた。


「私、女将さんに嘘を付いてました。私が名乗ったミキと言う名はお店で使ってる偽名です。本当は……千秋ちあきという名前なんです。今、家出していてお店を追い出されたら行くアテなんて……ないんです」

 最後は涙声で聞き取り難かったけど、何故だか千秋さんの言葉は一言一句ハッキリと聞こえた……気がした。


「そ、そんな……だったら、今日はどこに帰るつもりだったんですか! 千秋さん、綺麗なんですからあの社長さんじゃなくても危険極まりないですよ」

「……」

 自分の事をかえりみないように見える千秋さんに、あたしは感情の限り怒鳴り、当の本人は涙を流したまま俯いていた。

 その姿があまりにも哀愁を漂わせており、あたしがとうとう感情に負けてしまって、押さえ込んでいた一言を口にするのと、千秋さんからの一言が同時に出た。


「千秋さん、行くアテが無いのなら、うちにいて下さい!」

「ここで、働かせて頂けないでしょうか」



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