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18品目

 幸いボタンは取れずに済んだけど、あたしのカラダは薄手のインナーシャツだけとなり、ボディラインをヒロの眼前に晒す事になった。

 ここまでされれば目的が何か確定するだけに、あたしは恥ずかしさとその恐怖から彼を押しのけようと両手に力を込めるのだけど、弱々しいあたしの両手首は頭上に押さえ付けられ、身体はベッドへと縫い付けられてしまう。


 荒っぽい行動でも、ヒロが触れた先からピリピリとした電流のような感覚が送られてきて、力が抜けていってしまうのは何故だろう……。


 手首を押さえられたことで首は自由に動かせるはずなのに、力が抜けているからか顔を背ける事ができないでいるあたしに、再び真摯な瞳が向けられる。

 相変わらず余裕は無さそうなのに、その瞳に浮かぶ光はどこか優しい。

 ヒロの優しい瞳に魅入られて目を逸らせずにいると、先程まで感じていた暴力への恐怖心が解凍……いや、反転した。

 あたしを押さえ付ける荒々しい手は力強く逞しさを、のしかかられて無骨さを感じさせる胸板は鋼のような男らしさを感じさせてくれる。

 好意を持つ相手と抱き合うのがこんなにも安心させてくれるなんて……ってそうじゃない!

 絶対に今のあたしはおかしい。最初はお酒のせいかと思ったけれど、これはお酒のせいなんかじゃ無い!


 だって意識ははっきりしているのに、ヒロと視線を交わしているだけで心臓が早鐘を打ってるし、あまつさえ自分で慰めた時のように身体が熱を持っている。

 しかもだ、その熱につられるように、うっとりとした顔であたしはヒロを見ていることまで自覚しているし。


 そんな風に自分の状況を、どこか他人事のように見ているあたしは、先程とは違う恐さに感情を支配されていた。

 誰かに操られている――そんな得体の知れない恐怖のピークとヒロがあたしのシャツに手を掛けるタイミングがちょうど重なり、じんわりと視界が歪んだ。

 歪みはそのまま温かな雫となって目尻からこぼれ落ち――


「泣くほど嫌……なのか」

 薄らと震える声がかけられた。


 あたしは涙をこぼしながら無言で首を横に振る。

 そう、嫌な理由は実は無い。まだ体は火照ったままだし、恐怖心もあるけれど、不思議なほど嫌悪感は無いし。


「ならば、どうした……」

「……怖い」

 ヒロからの問いかけに涙と同時に零す様にして、あたしは自分を支配している感情を口にする。

 お互いの視線が交差する中、ヒロは僅かに顔を歪ませると、腕の力を抜いて身体を離したのだった。


 何故かは解らないけれど、ヒロの体が離れるに従ってあれだけ火照っていた体から、波が引くように熱が冷めていき、自分の身体を取り戻したような――戻って来た感覚まであった。


「…………」

 ヒロは無言であたしを見つめていたのだけれど、その瞳には珍しく焦りの光が滲み出ている。

 あたしは俯いて二三度小さく呼吸を繰り返し、そしてゆっくりと顔を上げた。


「……聞いてもいい?」

「あ、ああ」

「どうして、どうしてこんな事したの?」

 自分の顔が恥ずかしさで熱くなるのが解る。でも、確認しない事には始まらない。


「……夜這いに理由は無いだろう」

「よ、よば――!?」

 怪訝な顔をするヒロの一言に、あたしは顔を真赤――鏡を見てるワケじゃないけど解る――にし、思わず声を上げてしまう。

 ……夜這いと言ったらアレだ。身体だけを目的に、男が女の寝込みを襲うヤツだ。

 何!? ヒロはあたしなら簡単に襲えるとでも思ったっていうの?


「そ、そ、そんなの最低じゃない! よりにもよって夜這いなんて!」

 あまりの衝撃に大声を出してしまう。


「しっ! 声が大きい」

 ヒロは慌てて人差し指を唇に当てるのだけど、あたしは構わずに続ける。


「大きくもなるわよ! だって、だってあたし……」

 大きな声で言いかけた所で止まっていた涙が一粒、再び頬をつたい……口ごもってしまう。


 そう、あたしはヒロに押し倒されて乗りかかられても、嫌悪感どころか安心感を持ってしまっていたのに……なのに、彼にただの夜這いだと言い切られてしまっては立つ瀬が無い。

 って、あれ? あたしが泣いてるのって別の理由だったんじゃ……と思うが、もう思い出せなくなっていた。

 しかも、思い出せないなら良いかと頭が切り替わり、あたしの口は自然と開いていたのだ。


「ヒロにとって、あたしは手近な捌け口なんだ?」

「何を言っているのだ?」

 自分でも聞いた内容に驚いたけど、ヒロも一瞬だけポカンとした顔をして、直ぐにしかめっ面で問い返してきた。


「よ、夜這いなんて男が自分の欲望を満たすためだけの最低な行為じゃない」

「そうか……確かに、小夜子は上流の出だしな」

「何言ってるの? うちはフツーの庶民だけど」

「いや、庶民であれば高等学校になど上がれるはずも無い。だが、言い寄られた男もいたようだからと思ったのだが……?」

 お互いに疑問を返し合い、中々に意思や意図が伝わらない。


 しばらく並行路線の疑問をぶつけ合った後で、お互いの常識が全く違った事が解ったのだけど……それからはまあ、一つづつお互いの質問に答えていき、何がどう違ったのかを理解するに至った。

 でもその間、あたしはかなり恥ずかしい質問にも答えたし、えと、アダルティな質問もバンバンしてしまった。しかも、質問に答えて行く中で、ヒロには自分が未経験な事までバレてしまい、もう、何というのか、滅茶苦茶恥ずかしい。いや、恥ずかしさで死ねる。


 とまあ、恥ずかしいとばかりも言ってられないので、情報を整理するとこうだ。


 まず、ヒロが育った所で夜這いと言えば、男女合意――特に女性の意思が優先で子供でもできようものなら、父親の指名権まで女性にあったとか――の上で関係を持つらしく、あたしにしたように事前に夜の予定を空けて――というか寝る部屋に入り易くしてもらって、夜中にこっそり忍び込むのだそうだ。


 ちなみに、ヒロが言った『かきとりに行く』は『夜這いに行く』の隠語らしい。当時は昼間に人前で男女が大っぴらに仲良くする事は出来なかったようで、好みの女性にこっそりと回りの人に解らないように耳打ちしていたのだとか。

 ただ、ヒロの時代でも上流階級の人達は男女問わず夜這いの風習は無かったらしく、最初はあたしを上流階級の人間かと思ったそうだけど、あたしに言い寄ってきた男――例のバカ――を振ったという情報から、夜這いされたけど断ったと勘違いしていたのだそうだ。


 その上、今日は今日とて海に行って水着――ヒロ曰く裸同然の――姿で一緒に泳いだりしたものだから、ヒロの期待は高まり、宴会で勢いが付いた事もあって声をかけたら、あたしは勘違いしたまま合意と取れるような返事をしたし、部屋でいくつかの問答をして寝床に入った――ベッドに腰掛けた――ため、準備OKと受け取って行動に及んだらしい。


 今まで見てきたアニメ映画やドラマの影響で、ヒロが生きていた戦争中と言えば、命懸けの青春時代を生抜き、男女のピュアな愛情が実を結んで家庭を持って健気に強く逞しく生きていくイメージがあったのに……。あたしは自分が持っていたイメージが音を立てて崩れていくのを感じていた。


 まあ、イメージ通りじゃ無いからどうだこうだと文句言ったりはできないので、一応、現代の情報もヒロに伝えておいた。


 現在、ヒロが言う夜這いの文化は無くなっていて、先ずは告白から始まり、両思いになればデートして手をつないだり、キス――口付けをしたりと進み、えっと、カラダに触れ合ったりして、最後がその、アレだ。お互いに愛を確かめ合うに至るというか何というか。


 所詮は経験の無いあたしが聞き集めた情報だから偏りがあるかもしれないけど、いいのだ。


「……なるほど、手順を飛ばしていた。という事か」

 眉間に皺を寄せてヒロは言う。


「順番通りにすれば良いワケではないけど……。大体、昔はそういうのにはその、今より手順を踏んだんじゃないの?」

「逆に、今日のように男女混成で出かけるという方が有り得ない事だったからな。夜にこっそりとというのが常道だった」

 自分の知識で昔と言えば、結婚するまで純潔を守り抜くというイメージが強かっただけに、なんか意外なんだけど、これ以上言いだしたら平行線に戻りそうだから、あたしは、


「そっか。でも、他の子に夜這いとかしたら即、警察に捕まっちゃうから、絶対にダメよ」

 と、特に深く考えずに注意だけしておいた。


「……わ、解った。今日は夜分に済まなかった。その、今夜の事は俺の早とちりだったと思ってくれるとありがたいのだが」

 少しだけ考える素振りをしたヒロは、あたしの注意を了解して、バツが悪そうにお願い(?)を口にした。

「うん、忘れる。結果的には何事も無かったんだし、ヒロだって悪意があったワケじゃ無いって事が解ったから。だから、明日からまた一緒にガンバろ?」

 できるだけ明るい口調を意識して伝える。もちろん顔には微笑を浮かべて。


「ああ。明日からも変わらず頑張らせてもらう」

 ヒロはヒロで、先程とは打って変わってニヤリとした小憎らしい――それでいて自信タップリの笑みを返してきた。

 笑みを消し、立ち上がって部屋を出ようとするヒロ。彼を見送ろうとあたしも立ち上がったんだけど、痺れが切れていたのか、ふらついてしまった。そこに、見事に不意を付かれたかたちでギュッと握られる右手。


「え?」

 驚いて声を出せば、目の前には先程と同じように真剣な瞳があたしを覗き込んでいた。


「大丈夫か」

 ヒロの眼差しにあたしの心臓は一際大きな音を立てた。聞かれてしまったのでは無いかと思う程の大きな鼓動。それをごまかす様にあたしは小声で返事をした。


「うん……」

 男子とだって手ぐらい繋いだことはあるけど、こんな真顔でしっかりと握られたら……ヤバイ、今の自分の顔って絶対赤くなってる。顔見られるだけですっごく恥ずかしいから下向いちゃってるもん。


「……すまん。手を握って良いのもまだ(・・)だったな」

 慌てて握られた手が離される。掌を通じて心音を聞かれる心配が無くなった事に安堵すると同時に、繋いでいた掌から伝わってきていた温もりが遠のいてしまう事に、寂しさを覚える自分もいる事に気付かされてしまう。

 しかも、今のってまだ先に進めるって言外に言ってるんだよね? 聞き間違いじゃないよね? 嘘……期待しちゃうよ。って何なのよ、この一貫性の無い思考は。

 ヒロの言葉に、あたしは嬉しいやら恥ずかしいやら、思考がグルグルとかき回され、頭がパニックを起こす。

 だからなのか、あたしはどもりながら何とか口にしたのは、


「え、えーと、お、おやすみ……なさい」

 といった、一辺倒の挨拶だけだった。


 ヒロが部屋を去った後、あたしはドアに鍵を掛け、電気を消してベッドに潜り込んだ。


「あたしのバカ……意気地なし……」

 寝間着の袖をギュッと掴み――寝間着のボタンはヒロと話しを始める前に止めて、今は普通に寝間着姿――自分を責め立ててみるが、事態はどうにもならない。

 去り際のヒロの言葉を何度も反芻しているけれど、すればするほど告白されたように思えてならなかった。それをこれだけ意識するって事は、あたしもきっと……と、それ以上を考えようとすると、脳内で自分の叫び声――わー! とか、きゃー! とか――が聞こえてきて、思考が先に進まない。


 悶々としたキモチを抱えるように、あたしは身体を丸めて眠りへと落ちていった。



 ――――――――――――――――――――



「!」

 まだ日が昇る前の明け方、あたしは不意に目が覚めた。

 汗をかき、下着がベットリと肌に張り付いて気持ち悪い。

 何だろう……夢の内容は結構幸せな内容だった気がするのだけど、身体が火照りと息苦しさを覚えているだけで中身は全く思い出せなかった。


 このままでは流石に気持ち悪いので、着替えて汗に濡れた衣類を一階の脱衣所に備え付けた洗濯機――タイマーでの起動にはまだ時間があった――に放り込む。

 まだ起床時間までには時間もあるし、部屋に戻ってひと寝入りと思ったところで、廊下を挟んで反対側――ヒロの部屋――のふすまが開き、部屋の主が顔を出した。


「お、おはよ」

 まだ昨晩の事を引きずっているのか、あたしの挨拶は短く、顔にも引きつった笑みを浮かべてしまう。本当はにこやかに挨拶したかったのに……。


「小夜子か。今日は随分と早いな……朝風呂でも入っていたのか?」

「違うわ。寝汗をかいてたから着替えただけ。ヒロこそこんな早くにどうしたの?」

 あたしが普段起きる時間もそこそこ早いけれど、今の時間は普段とは比べ物にならない程早い。こんな早く起きてヒロは何をするつもり何だろうという疑問が膨らんだ。


「いつもの時間に起きてみれば、物音がしたのでな」

「へ? いつもこんな時間に起きてるの!?」

 えーと、今の時間って滅茶苦茶早いんですけど? しかも、いつもとか言ってるし。


「前は歩いて市場まで買い出しに行っていたから、癖になっているだけだ」

 とか何とか言っているヒロの脇から、部屋の卓袱台に広げられた料理本とノートが見て取れた。あたしが渡した料理本とノートを使ってレシピ帳を作っているのかな。


 口では早起きは癖だと言ってるけれど、こんな早起きして勉強してたんだ……どうりで、お店の料理内容とか直ぐに覚えるワケだ。

 真面目な彼の行いに感心すると共に、隠れて努力する姿勢を尊重すべく、あたしは気付かない振りをして受け答えをする。


「そっか。だったら朝ごはん、早めに用意しようと思うんだけど、何がいい?」

「……厚揚げとナスの味噌汁」

「解った。できたら呼ぶから、それまでは部屋でノンビリしてて」

 にこやかに言い残し、あたしは着替えるために自分の部屋へと向かう。

 背後では「いてっ」というヒロの声が聞こえた気がした。


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