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17品目

「改めて、乾杯〜!」

 席に着いたヒロには麦茶――泡立って黄色い液体だけど、麦を原料にしているから麦茶だ――、あたしにはオレンジジュースが入ったグラスをそれぞれ手渡され、茉莉彩が音頭を取った。

 カチンとグラスを当てて中身を口に運べば、普段より少し苦いオレンジジュースが喉を潤すのだけど、結構喉が渇いていたようで、あたしはお代わりまでして一気に飲み干してしまう。

 都合3杯を飲み切り、4杯目に突入した所でジュースの苦味が増した。


「……何か苦くなった気が」

「なーに言ってるの気のせいだって。ほらほら、呑んで呑んで〜」

 グラスの半分を空けて机に置けば、茉莉彩がそんな事を言いながら速攻で次を注ごうとする。

 何かおかしいと思ってくるみに視線を送るのだが、くるみまで

「小夜ちゃん、追いつかなきゃダメだってー」

 なんぞと言いながら、ジュースを更に注ごうとしてきた。しかも赤い顔で。

 その状況を見れば、何となく茉莉彩の悪事に予想が着いてしまった。


「……ま〜り〜あ〜っ! 何混ぜた!?」

「ちょ〜っと楽しくなる飲み物よ〜」

 その細くスラリとした美しい脚で隠そうとした瓶に、気付いたあたしは冷たい声を突き付けた。


「足元の瓶、こっちに渡して」

「えー。何にも無いわよ」

「見えたんだから嘘つかないの!」

「ちぇー」

 隠しきるつもりは無かったのか、茉莉彩は少し抵抗しただけでブツを机の上に乗せた。


「……ウォッカ? って、これお酒じゃない! しかもかなり強い」

「だって、ジュースだけじゃつまらないし」

「あたしらは未成年でしょう! 何考えているのよ」

 あー、もうっ! 本当に何考えてるのよ……。あたしは大きい声にならない程度に強く言い、頭を抱えていた。


「良いじゃない、普段は人見知りするくるみが、お喋りしてお酌までしてるんだしさー」

「うん。ふわふわ〜ってして、楽しいよ〜」

 トクトクとグラスへ液体が入る音と共に、イントネーションが怪しい子供のような声が聞こえてくる。

 しかもだ。声の主はあたしのグラスにジュース(?)を注いだ後、焼酎と日本酒の瓶を持って男性陣のお酌に回り、持ち前の可愛らしい声と甘える仕草で無理やり今飲んでる飲み物を空けさせて注いでいるし。

 ……その光景にあたしは頭痛までしてきた。


 ひとまずくるみの狼藉と茉莉彩の暴挙を止めて、ひとしきりお説教したあと、お茶――余計なものが入ってない緑茶――を飲ませながら歓談させ、あたしは自分の料理に箸を付けた。


「何か二人のお母さんみたいだね。ねー女将さん、酔う前に着物着て見せてよ」

 一口運んだ所で、据わった眼付きのままの浜崎さんから言が飛んできた。

 未成年はこれ以上飲みません! と言い返したいところだけど、それこそ酔っ払いの証明のような気もしたし、約束は約束なので、

「着替えてくるのでちょっと待ってて下さい」

 とだけ言って席を立った。


 一応、ヒロにはすぐ戻るからと声をかけておき、自室まで戻ってきたあたしは、当時自分の貯金までつぎ込みお気に入りだった着物を衣装ケースの奥から引っ張り出す。

 この着物をカタログで見た時は、何が何でも買ってやろうと思って買ったものだけど、着るのが自分だってことをすっかり見落としていたからな〜。たった一ヶ月ももたなかったこの着物は、身の丈に合わない物を買っても役に立たないという、自分への良い戒めになっていた。


 Tシャツとブラを脱ぎキャミソールを着て、ショートパンツも脱いでベットの脇に置いておく。そして直ぐに引っ張り出した着物を着るのだけど、これは着物に見えるが作務衣の作りになっているので、一般的に言う着付けをする必要は無い。同じような作りの着物は普段から着ている事もあり、あたしはさっさと着替えてしまう。

 ……って、ちょっと待った! 着替えてしまった後で気付いたけど、あたし、自分で似合わないと思ってる着物で皆の前に出る事になるんだよね。これ、何の罰ゲームよ。断りきれなかった自分への罰ゲームです。はい。

 トホホと肩を落とす時間も勿体無いと思い、あたしはメイク道具と髪飾りを慌てて化粧台から取り出した。


 ――10分後。

 何とか体裁を整え、道具類を仕舞う。こんな時に茉莉彩に撮ってもらった写真が役に立つとは……妙なこそばゆさを感じながら部屋を後にした。


「ふーん。そんな良い着物持ってたのに見せてくれなかったんだ?」

 宴席に戻ってくると茉莉彩がジト目で冷やかな言葉をぶつけてきた。


「だって、似合ってないし」

「……女将さん、それ本気言ってるの?」

 茉莉彩の視線から逃げるように顔を背ければ、浜崎さんが厳しい眼付きを向けてきた。

 って、顔近い、近い。


「本気も何も――」

「そこに座る!」

 仰け反るように顔を離すと、両肩に手を置かれて力ずくでその場に座らされる。

 浜崎さんは自分のバッグをたぐり寄せると、中から昼間のメイク道具一式を取り出し、問答無用であたしの顔に化粧筆を走らせた。


「ま、こんなもんかな」

 5分も経たない内に、据わった眼付きのまま上機嫌なトーンで浜崎さんに言われ、あたしは鏡に映された自分の顔と相対する。

 ……一瞬、自分の顔が解らなかった。

 お化粧自体は薄く、ナチュラルメイク――自分でしたのより薄くなった気がする――なのに、頬が血色が良くなったような仕上がりになっている。

 しかも、眉やまつ毛も整えられ、髪も和装に合う細いリボンでハーフアップにまとめられている。お陰様で、普段の自分を今と比べてどれほど清潔感に欠けていたかという事を気付かされてしまった。


「……」

「小夜子も本気でお洒落するべきだって!」

「小夜ちゃん、今の方が良いって〜」

 鏡を前に微妙に落ち込んでいるのに、茉莉彩もくるみも容赦無く今の格好を推してくる。

 あたしは二人の意見を無視して、疑問を正すべく化粧品を収納しているひとへ顔を向けた。


「……でも、浜崎さんはどうしてこんな事ができるんですか?」

「そんなの、女子力を磨くために決まってるじゃない」

 即答された。


「それより、女将さんどうよ? 前の格好より今日の方が良くない?」

 浜崎さんはあたしを前面に押し出し、後ろに隠れるようにしながらそんな質問を男性陣に投げかける。

 待ってー! 超恥ずかしいんだけど。何で今日だけで二回も恥ずかしい思いをしなきゃいけないのって思うけど、お酒が入っているためかみんなのノリが半端じゃなかった。

 お盆を持たされたりと色々なポーズを取らされた後、講評が行われる事になった。

 山内さんからは今の方が年相応に見えるとシンプルに言われ、岩村さんからは今の方が断然可愛いと断言された。福田さんは前の方が年上って感じで良かったようで、うなじの色気が云々とご高説を賜る事になったんだけど……ヒロだけは何も言ってくれず、黙ってサザエの壷焼を口に運んでいた。


「ほら、料理人さんは? 何かないの」

 再び両肩が浜崎さんに掴まれ、あたしはヒロの前に押し出される。


「……どう、かな?」

 恥ずかしさで縮こまりながら、上目遣いで問うのだけれど……。


「ああ、美味い。こんな上品な壷焼もあるのだな」

 返ってきた答えは壺焼きのものだった。




 

 宴も終わり、席を片付けて洗い物をしている時――あたしはヒロと珍しく喋っている。


「直火の壷焼は醤油の焦げた風味で食欲をそそるが、反面、どうしても磯臭く焦げ臭い野趣溢れる漁師料理になってしまう。その点、小夜子の壷焼は出汁醤油を使っており、サザエが品の良い一丁前いっちょまえの料理になっていた」

「それは褒めすぎだって。あたしはヒロがお寿司まで握れる事の方がビックリ――驚いたわよ」

 何だかお互いにダラダラと褒め合っている気もするけれど、手は動かしているしいっか。


「気に入って貰えたのであれば何よりだ。……もう少し握ろうかと言いたい所だが、すまんな、寿司ネタが尽きてしまった」

「今日はお腹一杯だから大丈夫。それより、ヒロこそご飯、足りてないんじゃない?」

「そんな事は無い。いつもが食べ過ぎな程だからな。っと、この鍋で終わりだな」

 最後の洗い物だったフライパンが渡され、蛇口が締められる。

 ヒロが流し場に掛けていたタオルで手を拭くと同時に、あたしは受け取ったフライパンの水気を布巾で拭き取り、所定の位置に収納した。


「お疲れ様。結局最後まで手伝ってもらっちゃったね……夜食に何か作ろうか?」

 蛇口の栓を開けて手を洗い、タオルで拭きながら聞くんだけど、返事は大丈夫の一点張りだった。

 ……まあ、ヒロは炭酸の入った飲み物だったしお腹も膨れてるのかな。と思いながら彼の顔を見やる。


「「……」」

 バッチリ目が合ってしまった。


「あの、だな……」

 逸らそうとした目を、ちょっとだけ困惑した色を浮かべた瞳に射抜かれ、あたしは動きを止めてしまう。


「もう夜ではあるのだが……夜、良いか?」

「確かにもう夜だけど……?」

 見つめ合ったまま、ヒロは意味が解んない事を言ってきた。

 夜の都合が良いかって聞かれても、もう夜だし、あとはシャワーを浴びて寝るだけ……と言えばそれだけだ。


「ええっとだな、後でかきとりに行きたいのだが?」

「書き取り? まあ、良いけど……」

 何か聞きたい事でもあるのだと解釈し、あたしは特に考えずに了承した。


 それからあたしはシャワーを浴び、寝間着に着替えて自室でお店の出納帳とにらめっこをしている。


「ふぁ……眠」

 あくびを噛み殺しつつ、電卓機能を起動したスマートフォンのパネルを叩き、計算結果を出納帳に記入していく。

 お父さんは既に部屋に下がって眠っている時間帯になっているのだけど……ヒロが聞きたい事があるって言ってたのは、今日じゃなくても良かったのかな。


 出納帳に今週の収支を記入し終え、帳簿を閉じると同時に、ガチャリとドアノブを回す小さな音をたててドアがゆっくりと開いた。

 ドアに目を向けると、案の定ヒロが顔を出す。


「ヒロ? もー、部屋に入る時はノックくらいしてよ」

 事前に部屋に来る事を聞いていたからいいものの、あたしだってまがりなりにも年頃の女なんだから、それくらい気を使ってもらいたいな……。


「いや、家人に解るような音を立ててはだな……」

「何言ってるのよ。突然入ってこられたら驚いちゃうじゃない」

「そ、そうなのか? 確かに小夜子の個室だとは聞いていたが」

「昔はどうか解らないけど、今は一人一部屋が基本なんだから、入る前にはノックするか声を掛けるのが礼儀よ」

 お父さんの修行時代以前の住込みとなれば、複数人で一部屋を使っていたようだし、現代とは考え方が違うのかもしれないけど、今は人の部屋に入る時の無音無言は失礼以外の何者でも無いので、ヒロにも教えるように言う。

 もしかしたら、こういう事を聞きたいのかもしれないしね。


「それで、聞きたい事って何? 解る事なら答えるから何でも聞いてみて」

 予め広げておいた折りたたみ座卓の対面のクッションを勧め、床に腰を下ろしながら声をかけるのだが、座卓の対面にヒロは立ち尽くしていた。


「それが未来の問答なのか……今の作法は解らないから、教えて貰いながらだと助かるのだが」

「あ、そうよね。書き取りって言ってたから、ペンとノートもいるよね」

 勉強机からシャープペンを探し出したが、鉛筆やノートの類は見当たらず、ひとまずシャープペンを座卓に置いて、ヒロが使いやすいであろう鉛筆とノートをベッドの脇に下げている鞄から取り出そうと、ベッドに腰掛けて身体を捻る。


 ばふっ!


 身体を捻った瞬間だった。

 音を立て、あたしはベッドに押し倒される。


「ひゃっ! 何……?」

 驚いて声を上げて顔を向けると、目の前には切羽詰った表情が浮き出たヒロの顔があった。


「ちょっと、何す――」

 何するのよ! と叫びそうになった口元の動きを止めるように、ヒロの力強い手があたしの両頬を抑える。

 か、顔! 近い、滅茶苦茶近いって!

 顔を抑えられたあたしに、ヒロの顔が近付いてくる。ちょっと待って、こんなムードの無いキスなんてヤダ!

 って、ムードがあれば良いとかいう問題でも無いんだけど、いや、でもヒロが嫌ってワケじゃ……。

 コンマ数秒の間に、あたしの頭を大量の思考情報が駆け巡る。

 カチコチに硬くなり、深く顎を引いて目を閉じていたあたしの唇へあとほんの数ミリという所で、ヒロが動きを一瞬止め、額へと進路変更された。

 どうやら、深く顎を引いていた事で、口付けは無理だと判断したのか、ヒロの唇はあたしの目よりも上へとその対象を変えていた。


 本当に触れるだけのキスがあたしの額に降る。

 マンガで見るような『ちゅっ』という擬音が似つかわしく無いキスだけど、触れられたそこから、じんわりと温かくなる。

 しかもだ、温かさの後にはそこを起点としてジンジンと優しい快感が広がってくる。嘘でしょ……今のあたしは何でだかもっと触れて欲しい――いや、口付けがしたいと思っていた。


 ヤバイ、何だか変だよ……これがもしかして話に聞くお酒の魔力ってヤツ? 今のあたしは喚く事も、ヒロを押しのける事も出来ずに黙ったままで、先程のキス――額への――で骨抜きにされているのを自覚させられる。

 あまつさえ、条件反射というのか、ぼんやりとした視界、おそらく熱っぽいのだろうと思う視線をヒロに向けてしまう。


 こんなのオカシイ。ヒロと出会ってまだ一週間と少し。いくらなんでも早すぎるし、あたしはそんな簡単に、えーと、イロイロと許したりはしない自負もあったのに……なんだか他人を見てヤキモキしているような、そんな気分だ。


 本来ならそれだけで興ざめするような思考状態。なのに自分の口から出た声は、明らかに色と熱を含んでいた。


「ヒロぉ……」

 甘い甘い女の声……自分でも出た声に内心驚いてしまう。

 声を合図に、ヒロはその逞しい右手をあたしの寝間着に掛け――。


「小夜子!」

 力任せに前合わせの部分を剥ぎ取った。

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