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12品目

 青葉町の隣の市にある大型ショッピングモール。

 あたしとヒロは今そこにいる。


「ね、今日は観覧車が無料だから乗っていこ」

 あたしはカチカチに緊張しているヒロの手を引き、無料観覧車の列に並んでいた。

 ここはあたしが中学生になった頃にオープンした比較的新しいショッピングモールで、当時、この界隈では珍しく観覧車を備えた唯一の建造物だった。

 観覧車から南を見れば港がある海が一望でき、北や東を見れば市街地が一望できるとあって、オープンしてからしばらくは、有料――大人1,000円、子供500円――にも関わらず、長蛇の列で待ち時間が凄いことになっていたらしい。それで元が取れたのか、今では年に何回か無料開放日がある。今日はそれに運良く当たったらしいので、ヒロを引き連れて並んだのだった。


「いや、今日は買い物に来たはずであってだな――」

「買い物に来たついででしょ!」

 ヒロの言葉を遮り、あたしは言い切った。


「むぅ……そもそも、観覧車とは何だ?」

「高いところから見下ろせて、クルクル回るヤツ!」

 ヒロの疑問にテキトーに答える。


「これ、乗りたかったんだよね〜」

 意外に早くきた順番に、ヒロの手を引いて観覧車のゴンドラへ入り込む。


「おや、彼女の尻に敷かれんようにするんだよ」

 係員のお爺ちゃんがヒロを見て、ニコニコ顔でワケの解らない事を言っていた。





 ――2時間前。


「お腹も一杯になったし、今日はショッピングモールに日用品の買い出しに行きたいから、お父さん駅まで送って」

「買い出しなら、お父さんも小夜子とデートしたいから一緒に行くよ」

「絶対イヤ!」

 ニヤケ顔で言ってきたお父さんを一言(一撃)で撃沈させ、あたしはヒロに水を向ける。


「ヒロの日用品も買う予定だから、一緒に来て。お父さんの服のままなのも嫌だろうし」

「嫌という事は無いが、親方の服を取ったままも良くないからな。それに、日用品は自分で負担しないと、雇ってもらう以上、そちらに迷惑はかけられん」

「うちのを使うのは迷惑じゃ無いけど、アメニティ……えっと、石鹸類とかボディタオルの銘柄とか自分の好きな物の方が良いんじゃない?」

 あたしにとっては友だちの家に泊まりに行くだけでも気になる内容を口にしたんだけど、ヒロはそもそもの考え方が違った。


「石鹸なんぞあるだけで贅沢だ。今使わせてもらっているボデータオルとやらも手ぬぐいより洗いやすくて助かっている」

「……細かい話は聞かないでおくけど、毎日お風呂に入って頭と体は石鹸で洗う! 身だしなみはしっかり整える! の二つは守ってね。銘柄を気にしないんだったら、石鹸とかは引き続きうちのを使って良いから」

 もしや入浴時に、シャンプーやボディーソープを使わずに水洗いで済ませていないかと思い、あたしは眼付き険しくヒロを見て、頭のフケや指の爪を目視でチェックする。


「解ったから、そう睨むな」

「に、睨んでなんかいないわよ。それより、どうなのよ。行く?」

 慌ててヒロの頭から視線を逸らす。まあ、目立つようなフケは無いし、爪も伸びてないから大丈夫かな。


「折角だ。行こう」

「さ、小夜子! お父さんも一緒だよね!?」

 ヒロの返事に瞬時にお父さんが反応した。


「駅までね。嫌だったらバスで行くわ」

「うっう……。ヒロ君! 僕は君を信じているからね!」

 しれっとしたあたしのセリフに、涙を流しそうな勢いでお父さんはヒロの手を取った。


「はい。小夜子はしっかりとお守りさせて頂きます」

「うんうん。何事も無く、買い物が終わったら真っ直ぐ帰ってくるんだよ」

「はい。明日の仕込みもあるでしょうし、必要な物を揃え次第帰って参ります」

 ……会話にはなってるけど、二人の話が噛み合って無い気がするのは気のせいじゃ無いよね。

 大体、ヒロがあたしみたいな若オバサンに興味を示すとは思えない。街に出れば可愛いコはいっぱい居るし……自分で思って悲しくなってきた。止めよう。


「じゃあ、ヒロは朝の服に着替えて。あたしも用意するから」

「解った」

 ヒロには朝、お父さんが持ってる服の中からTシャツとジーンズを渡していたんだけど、まあ、バッチリとシャツをジーンズの中に入れて着ていたのには吹き出しそうになってしまった。

 あたしも貴重な休日の買い物時間を削らないように急いで準備する。

 下着が透けない程度の厚みを持った半袖シャツにデニムのショートパンツを合わせ、サンダル用の薄いショートソックスを履く。


「ヒロ、用意できたー?」

「ああ」

 階段を降りて声を掛けると、部屋からヒロが出てきた。バッチリとTシャツをジーンズに入れて。


「また? Tシャツはジーンズに入れないの!」

「裾を出すなどというみっともない格好で外を出歩けるか!」

「その服は入れる方がみっともないって教えたじゃない」

 あたしは言いながら、ヒロのTシャツを掴み、ジーンズから引っ張り出す。


「こら、女がはしたない真似を……な、何だ!? 小夜子、その格好は!」

「へ? 夏のフツーのカッコだけど」

 Tシャツを引っ張り出したあたしを見て、声を上げるヒロにおかしい所が無いかを確認して返した。


「いや、いくら夏で暑いとは言ってもだな、年頃の女が首元や足をおおっぴらに露出させると言うのは――」

「今からそんな事言ってると、買い物に行ったらもっとビックリするわよ?」

 怪訝な表情のヒロに、あたしは意地悪く言う。きっと今のあたしの顔には意地の悪い笑顔が張り付いている事だろう。


「……全く、未来の女というのは」

 ムスっとするヒロ。


「はいはい。未来の女は活動的なの! 昔と違ってね〜。用意ができたのなら出ましょ。時は金なりよ」

 あたしは意気揚々と玄関でサンダルを履き、ヒロを連れ立ってお父さんの車に乗り込んだのだった。





 ショッピングモール内の衣料品や生活雑貨の店舗を回り、あたしはヒロの衣服や日用品を買い揃えることになるんだけど、夏で露出の多い服装の男女に、ヒロはしきりとブツブツ言っていた。


 このショッピングモールでは、お父さんやあたしの衣類もまとめ買いすることがあるだけに、どこに何があるのかも解っているし、知っている店員さんなんかもいたりするのだけど……何と言うかまあ……。


「いらっしゃ――おめでとう!」

「な、何ですか、いきなり」

 総合衣料コーナーに来た時、あたしはお世話になってるお姉さん(長崎さん)――年齢は20代後半――に捕まってしまった。


「小夜ちゃんよかったわね〜。旦那さん、良い男じゃない」

「は? いえいえいえ。うちの新しい従業員です」

「言い訳は見苦しいわよ。従業員が服を買うのに普通の女将さんは付いてこないけど?」

 長崎ながさきさんは中々鋭い事を言ってくる。まあ、普通はそう思うよね。

 ちなみに、長崎さんはあたしが家の料理屋で女将をやっている事を知っているし、呑みに来たこともある人で、呑んだ時の長崎さんからは、あたしに男ができるイコール旦那になると言われていた。だから冒頭の言い方をしたんだろうと思う。

 まあ、あたしからすれば長崎さんは、そんな話もできる頼れるお姉さんって存在だ。


「えーと、新しい従業員は松永博巳さんって言うんですけど、田舎から出てきた時に着の身着のままになっちゃって……うちで働いてもらうにしても、着替えとかを先ずは用意しないとってことで、松永――ヒロを連れて買い出しに来たんです」

 あたしは誰かに聞かれた時用に用意しておいた創作話を淀むことなく口にする。


「ま、そういう事にしておこうか。じゃあ、その旦那さんに似合う服と下着を何セットか用意すればいいのね?」

「だ、旦那じゃないですけど、服は……理解が早くて助かります。お勘定はお店から払うので、あたしに言ってもらっていいですか?」

「OK! じゃあ、小夜ちゃんがくらっとくるようにチョイスしてみるわ」

「お値段的にふらっと買いたくなるようにお願いします」

 お互い顔見知りとあって、あたしも容赦無い返しをする。長崎さんとのいつものやりとりだ。

 ヒロはすっごい田舎から出てきたから、服どころか下着に至るまで何も知らないと言い含めておいたけど、ヒロが自分のサイズすら解らないと言ったのには長崎さんも驚いていた。

 でも、そこはプロ。メジャーを片手にヒロの寸法を測ると、下着類はMサイズ、シャツ類や上着はLサイズであると告げ、いくつかの服をチョイスしてくれた。


「小夜子。このシャツの裾はズボンに入れなくていいのか? 何だか腹が落ち着かんが」

「いいの。長崎さんの言うとおり着てみて」

 とか。

「このズボンは何だ? 細くて非常に窮屈で動き難い。何かあった時に走り難いぞ」

「いいの。慣れれば走れるんだから」

 などなど。まあ、ヒロは現代の若者ファッションは落ち着かないようだった。


「ね。小夜ちゃんて年上風の落ち着いた感じも大丈夫だったよね?」

「え? まあ、逆に落ち着いた感じで清潔感がある方が……って、何言わせるんですか!」

「だったら、こんなのどう?」

 長崎さんが勧めてきたのは高校生と言うより、若い社会人が好むような、夏用のジャケットとパンツのセットだった。


「また、高そうなものを勧めてくるものだ」

「そうでも無いわよ。ま、着てみて」

 長崎さんがヒロに洋装一式を渡して数分後。

 シャッと試着室のカーテンが開き、柄物のシャツと明るい色のパンツに、夏らしい薄いジャケット姿のヒロが現れた。

 元々が短髪なのもあり、実に夏らしい爽やかな青年に仕上がっていた。顔がしかめっ面でなければ……。


「んー。いい感じね。ひとまず夏用にこんな感じの服装を3着チョイスしたらと思うけどどう?」

「あ、あたしはそれでいいと思います。その、似合ってるし。でも、ヒロはどう?」

 あたしの意見だけではダメだと思い、ヒロにも水を向ける。


「今までの服よりは格段に良いが……いいのか? 3着も買ってしまえば相当に値が張るだろう」

「値段は大丈夫よ。心配しないで」

 ヒロは服そのものより、値段が心配だったらしい。あたしもそんなに高いのは買えないから、長崎さんに相談してるんだし、大丈夫と言っておいた。


「じゃあ、決まりね。それで小夜ちゃん、こういった服を彼に着せるなら、今のトランクスは止めさせてスウェットパンツにした方がいいわよ? 下着、スウェットパンツを用意するから」

 長崎さんから不意に出た下着の話に、あたしはつい、引き締まったヒロのスウェットパンツ姿を想像してしまった。

 ……やだ、あたしって変態だ。

 自分の想像に恥ずかしくなったあたしはフイっと顔を逸した。


 そんなこんなの洋服購入もひと段落し、日用品を適当に買い揃えると、あたしは夕飯の材料も買おうと、張り出されているチラシをチェックした。

 その時に、見てしまったのだ。


 ――本日、お客様感謝デーにつき、観覧車無料開放!


 普段は良い値段だし、無料開放に遭遇した事が無かったため、乗る機会が無かった観覧車。それに今日は無料で乗れる! そう思ったあたしはヒロの手を引いて、観覧車乗り場に一目散に走っていったのだった。





「しかし、男女がこれほど狭い部屋で膝を突合せるとは何たる乗り物だ。しかも外からも丸見えとあっては道化ではないか」

「そんな事無いわよ。それに、窓が無かったら、折角高いところに行くのに全く外が見えないじゃない」

 あたしは噂には聞いていたが、始めて乗る――しかもタダ――ショッピングモールの観覧車に興奮していた。


「ほら、そんな仏頂面してないで、外を見なよ。まだあまり高く無いけど、あっちの山の住宅地とかがバッチリ見えるわよ」

 あたしはヒロの手を引っ張り、窓に寄せる。ヒロは全くとかブツブツ言いながらも窓から外を見た。


「……何がまだ高く無いだ! 目眩めまいがするほど高い所にるじゃあ無いか。こんな危ない所になんぞ居れん、直ぐに出るんだ」

「残念でした。観覧車は一周するまで外に出られないんだから、しっかり楽しみましょ」

 窓から眼下の景色を眺めるヒロが、眉根を寄せて言う。額に浮いてる汗は冷や汗なんだろう。


「煙ではあるまいし、このような危険な乗り物をどう楽しめというのだ」

「観覧車に乗って下を見るからよ。これは窓から遠くの景色を見て楽しむ乗り物なんだから」

 ヒロの手を引き、あたしは自分が覗き込んでる窓へと寄せた。


「ほら、港から出たフェリーがちょうど橋をくぐるわ。あの大きな橋は対岸を結んでるの。ヒロがいた頃には無かったでしょ? こうして、高いところからいろんな場所を見て楽しむの」

「そうか……確かに、遠くまで見えるな。だが、町の形が大きく変わってしまったのか、俺の記憶と結びつく建物は無いな」

 そりゃそうか、ヒロが生きていた時代からは何十年も経っているし、それに……この辺はたった一発の爆弾で一度消滅したのだった。

 そう考えると、ちょっと酷なことをしてしまったと思い、あたしの中には罪悪感が膨らんできた。


「そ、そうよね。大分、年数も経っててるし……。でも、港とかどう? 海の位置とかは変わってないだろうし、風景とか見覚えない?」

「確かにな。言われてみれば、地形そのものは近所の山から見たものと大きくは変わって無いように感じるな。港の近くにあった市場は無くなっているようではあるが」

「市場はほら、一緒に仕入にいったじゃない。あそこに結構前に移ったらしいわよ」

 ヒロが口にした市場をキーワードに、あたしはすかさず話を逸した。


「そうだったのか。大きい市場だったから、全くの別物だと思ったぞ」

「でも、昔の市場って、どの辺にあったの?」

 あたしはヒロが見てる窓に顔を寄せる。

 ちょうどあたしの顔とヒロの顔が並ぶ。


「そうだな……建物が変わっているのでハッキリとは解らんが、あの、車が沢山並んでいる場所があるだろう。あの辺りの港に近い所だったと思う」

「駐車場の辺なんだ――」

 今では港の利用者の為の大きな駐車場になっている所、そこに目を向けると、瓦葺の建物群が目に入った。

 え? と思い瞬きをすると、瓦葺の建物群は消え、後ろのゴンドラの光景が目に飛び込んできて……あたしは絶句した。


「……」

 顔を逸したあたしの目に、同じように驚いて絶句しているヒロの顔が入った。

 ヒロは堅い性格なんだろうと思ってただけに、この反応に納得するあたし。

 なんてったって後ろのゴンドラでは、あたし達と年の変わらない若いカップルが抱き合ってキスをしていたのだから。


「全く、公衆の面前で……」

 しばしの沈黙のあと、苦虫を噛み潰したような顔でポツリとヒロが言った。

 確かに、マンガやドラマでは観覧車の頂上で愛し合ってる二人が誓いと共にキスをするなんてのはありがちだ。中学生の頃には何となく憧れもあっただけに、あたしはヒロほど嫌悪感が有る訳ではない。

 だけど、それを間近で見てしまうと何と言うのかね……逆に見てるこっちがこれほど恥ずかしくなつてしまうものだったとは。


「……」

 恥ずかしさで、俯き黙って座るあたし。

 対面に、ムスっとしたヒロが座った。

 気まずい長い沈黙があたし達のゴンドラを支配する。


「……小夜子?」

「な、なに?」

 突然のヒロの呼びかけに、どもってしまうあたし。


「その、あのような事を見て腹が立っていると思うのだがな、降りる時の事を教えてもらっても良いか?」

 ちょっとだけ気まずそうに、ヒロは聞いてきた。

 何だか、気を使わせて悪いな。


「あ、うん。別に怒ってるわけじゃないから大丈夫。それで、降りる時も乗る時と一緒で、このゴンドラ――カゴは動いたままだから、ぐずぐずしてるとまた上っちゃうから、急いで降りなきゃいけないの」

「解った」

 ヒロは簡潔に返事をすると、黙って遥か下の方の降りている人たちを観察し出した。


 沈黙に再び支配されるゴンドラ内――無料で観覧車に乗れるということで、ハイテンションのままヒロを引っ張ってきたあたしは、今更ながら二人っきりで観覧車に乗っている事を自覚した。

 これではそう、まるで彼氏彼女のデートじゃない。

 一度意識してしまうと、やたらと落ち着かなくなる。だって、個室に二人きり――あたしの頭の中を先ほどのカップルのキスシーンがグルグルと回っていた。


「……よこ、小夜子?」

「ひゃいっ!?」

 思考の迷路に迷い込み、桃色思考に陥っていたあたしは、思いっきり声を裏返らせた。


「そろそろ一周するぞ。降りないといけないのだろう?」

「あ、うん」

 あたしが返事をすると、係員のオジさんがゴンドラに近付いてきた。


 ガチャリと音がして、ゴンドラの扉が開く。


「ヒロ、先に降りて」

 ヒロはコクリと頷くと、勢い良くゴンドラの進行方向に飛び降りた。

 唖然とするあたしと係のオジさん。

 しっかりと着地したヒロは、ゴンドラを押さえ、扉の部分から手を差し伸ばしてきた。

 あたしは周りへの恥ずかしさで、慌てて降りようとして……手をヒロに掴まれてしまった。


「わっ!」

 降りようとしたところにかなりの力で手を引かれ、バランスを崩すあたし。

 前のめりに倒れるようにゴンドラから離れる。

 ヤバイ――これはコケる。


 あたしは自分の体勢からそう判断した。

 その瞬間、ギュッと音がしそうな程の力強い腕にあたしは抱き留められ、そして、地面に下ろされた。


「全く。危ない乗り物だ」

 あたしを抱え下ろした張本人がそんな事を言った。

 ヒロが手を引かなかったら安全に降りれた気もするんだけど……今のあたしは恥ずかしいやら驚いたやら怖かったやらで頭がグルグル回り、混乱の境地にあった。


「どうした。買い物の続きがあるのだろう?」

 先に歩き出していたヒロが振り返り、あたしに言う。


「あ、うん」

 混乱し、ぼぅっとした頭のまま止まってしまっていたあたしは、短く返事をし、慌ててヒロの元に駆け寄った。

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