11品目
「それでは、第1回経営会議を始めます」
「わー。パチパチ」
翌日の日曜日、朝食が終わった所であたしはヒロに“藤華”の運営方針やこれまでの経緯を説明し、お父さんも含めた経営会議を提案したら、あっさり『やろう』と同意してくれた。
お父さんが擬音を口で言うのがちょっとイラっとするけど。
「まずは“藤華”の現状をあたしから説明するね」
先程プリントアウトした今年の1月から昨日までの会計簿を二人に配り、あたしは説明を始める。
「収入の所にその日の来客数も書いてるから、昨日の人数が数ヶ月に一度しかない特殊な例だということが解って貰えると思う……それを入れても赤字の月を補填したりすると、ここ半年の収支が何とか黒字になってるのが現状なの」
あたしは眉根を寄せ、内情をヒロに暴露する。
「もうちょっと黒字の額は大きいと思ってたのに……お父さん凹むな〜」
お父さんは机に顎を投げ出して突っ伏し、ダラけた態度で言う。
「しかし、数人の客が入った時の方がお客1人当たりの収入が少ないようだが……ソロバンは無いか?」
「電卓でいい?」
「デンタク? 昨日、親方が使っていた機械の事か?」
「あれはレジ。こんなの」
あたしは私服のポケットに入れていたスマホを取り出し、電卓ソフトを起動させた。
「売上額をお客様の人数で割れば良いから……こう?」
慣れた指裁きで割り算をし、お客様1人当たりの売上額を計算して、ヒロに見せる。
「……相変わらず珍妙な道具が多いな」
もはや、聞くのも面倒だと言わんばかりに、ヒロがうんざりした声を出した。
「まあ、いい。昨日の団体客を除いて、こことここだと解りやすいか。5人の客数の時はお客1人当たりの売上が2,000円程度、こっちの個人客が2人の時は1人当たりの売上が5,000円を超えている……ついでだから聞くが、ここのお客1人の平均的な売上額はどの程度か解かるか?」
「あー、うん。ちょっと待って」
あたしは自分用にプリントアウトした紙をめくり、様々な平均値や最大、最小値を計算したページを開く。
「これの……ここ。大体3,500円ってトコかな」
「なるほど。どちらも平均との差、1,500円か。結構大きいな」
「そうねぇ……」
生返事を返しつつ、あたしは会計簿の日付を確認する。
……案の定、ヒロが言った個人のお客様が2人ご来店された日は、出口先生と古田先生が来られた日だった。あの2人の財力を基準に話を進める事は難しい。
ならば、1人当たりの売上が2,000円くらいのお客様はどうかとなると、そういったお客様は前回に安い焼酎のボトルをキープしておき、自分たちで焼酎を作りつつ、安価な肴で呑むという手法を取る。あたし達、お店側の時間対価は少ないが、賢い呑み方の1つであることは確かだ。
まあ、安く呑もうとするお客様を侮れない所は、ボトルが無くなる頃に人数を連れてきて、宴会の終了間際に新しいボトルをキープしていくという方法を取ることがある事だ。個人や少人数でボトルを入れれば高く付くが、人数が揃えば新しいボトルを入れても1人当たりの金額は飛び抜けた額にならないからね。
「で、だ。この個人のお客2人は、もしかして定期的に来店しているのか? ここと、ここのように、1人だけの来店で、売上額が5,000円程というのはこの2人のどちらかが1人で来店したということではないか?」
「当たり。うちで平均的に5,000円くらいの金額で飲食してくれるのは、出口先生か古田先生しかいないわ」
「ふむ。あの御方達か……。出口先生がお医者様で、古田先生が町議会議長だったな」
「そ。だからあの2人が落としてくれる金額を基準にするのは危険よ」
「ならば、尚更だな。ほとんど毎月、売上額の約半分が、先生方を相手にすることで賄われてる事になるが?」
あたしが配布した会計簿を険しい目つきで睨みつけ、ヒロは指摘してくる。
「ええ、その通りよ」
真面目な経営会議――という事もあり、つられてあたしも厳しい表情で返すと、ヒロはあたしの顔、目を見てまた会計簿に視線を戻した。
「それで、他のお客様からの売上を上げるために、あたしから提案があるの」
「ふむ。教えてくれ」
「……また、居酒屋に戻せって言うの?」
真面目な顔のままのヒロとは真逆に、うんざりした顔のお父さんが口を開いた。
「小夜子とは何回も議論してるけど、お父さんはこれ以上、料理や材料の質を落とす気は無いよ。その事は十分に話し合ったと思うけど?」
「その事は解っているわ。今からの話は別の事」
あたしは真面目な顔でお父さんに返答すると、一旦言葉を切り、息を吸って提案を口にした。
「今、月曜から金曜まで1日限定10食のランチ――お昼の献立を、月曜から土曜日までに伸ばして、できれば30、最低20食用意したいの。理由は、意外とお昼は人気で、10食だとすぐに品切れになっちゃうし、品切れ後に来店頂いているお客様を数えていると、合計で20人を超えているのよ。だから、10食に20人分足して30食」
「今の10食でも結構ギリギリなのに、30食……結局は料理の質を落とす事になるんじゃない?」
お父さんは拗ねた顔で反論を飛ばす。
お父さんの懸念はもっともで、何せ、現在のランチメニューは日替わり定食が600円、エビの入った天麩羅定食が900円。どちらも限定5食で安くはない値段設定だけに、定食の数を増やそうとして、事前に揚げたり焼いたりして料理の質と味を落としてしまうと意味が無い。
「そこは、お父さんとヒロで、焼方と揚場に分かれて対応とかで、15食づついけないかな? もちろん、夏休み中のあたしも配膳をするから」
「夏休みが終わったら、小夜子の労力はアテにできなくなるんだから、小夜子を頭数に入れたらダメだよ。それに、主菜だけに時間が掛かる訳ではないしね〜」
「だったら、10食づつだとどう? 料理人が2人になる事を考えれば可能じゃないかな?」
あたしは上目遣いでお父さんを見やる。
お父さんの口は尖ったままで、表情も硬い。
「親方、押し寿司は如何でしょうか? 値段やお客の好みに合うかは判りかねますが」
「押し寿司ねぇ……最近はスーパーとかでも普通に売ってるからね。ちょっと厳しいかな」
ヒロからの提案にお父さんが返事をする前に、あたしが険しい表情で否定すると、顎に手を当てていたお父さんが、ヒロの顔を見た。
「いや、スーパーの……お惣菜屋の押し寿司と同じ出来栄えだと話にならないけど、魚介類を使えば大丈夫かも。押し寿司なら朝から作り置きできるし、値段も安く抑えられるかもしれない」
「魚介類を使う押し寿司でしたら俺も作れます」
「試しに、お昼に作ってもらっていい? 小夜子は材料から値段を計算して!」
硬かったお父さんの表情が一気に和らぎ、乗り気になった。心なしかヒロの押し寿司を楽しみにしている節もある。
お父さんが前向きになり、ヒロも話し合いに加わってくれるのは嬉しい。あたしはランチメニューの数が増やせそうだと期待し、了解の返事をした。
お昼になるまでは4畳半の部屋を3人で片付け、布団と衣装ケース、座卓を運び込んだ。テーブルと椅子にしなかったのは、ヒロが座卓の方が落ち着くと希望したためだ。……こんなところは妙に爺臭い。
あと、ちゃんとエアコンは掃除をして、動くか確認もした。無事に動いて冷たい風が出た時にはホッとしたけどね。
片付けが終わると、ちょうどお昼の準備を始める頃合で、ヒロは白衣に着替えて押し寿司作りに取りかかった。
「俺が生まれた竹松には竹松寿司という押し寿司があってな。祭の時なんかに作ってもらっていたのだが、今日はそれを奢った作り方で作る」
材料確認と手伝いを兼ねて調理場に一緒に立ったあたしに、ヒロは独白のようにボソボソと小声で言って聞かせてくれた。
玄米から精米した米を研ぎ、昆布と一緒に十分吸水させた後、昆布を取り出して炊飯器のスイッチを入れる。
ヒロは釜と薪で炊きたいと言っていたが、家には釜も薪も無ければ竃も無いから、ガス炊飯器の出番だ。薪で炊くのには勝てないけれど、ガス炊飯器だってお米の炊き上がりを吟味して選んだ一品なんだから。
炊いている時間を利用して、戻した干し椎茸をスライスし、細かく切ったレンコンとタケノコ、ささがけにしたゴボウ、頭とスジを取ったインゲンを合わせて、鰹出汁に醤油を始めとした調味料を加えて煮る。これが押し寿司の具になる。
煮込んでいる間にタイを昆布〆にしてすし酢を作り、卵を薄焼きにした。
薄焼きが出来た時に具を煮込んでいた鍋の火を止める。冷ましている時間を利用して錦糸卵に切った。
ご飯が炊き上がり、蒸らし終えると素早く寿司桶に取って、団扇で扇ぎながらすし酢を和える。
ヒロは寿司飯の味を確認すると、寿司型に下から寿司飯、具、寿司飯、具の順で重ねて行く。一番上の具にはインゲンを斜め切りにして散らて昆布〆にしたタイの薄切りで覆い、最後に錦糸卵をまんべんなく盛る。
「これで固まったら完成だ」
寿司型に蓋をし、漬物石で重しをしながらヒロが言う。
「中々、美味しそうね」
あたしはヒロにお手拭きを渡しながら言った。
あたしは何か手伝おうと思って調理場に立ったのだけど、ヒロの手際の良さをしっかりと見せてもらうだけになってしまった。
本当に動きに無駄は無いし、一つ一つの調理は丁寧で早いし、こんな料理人をあんなに安い月給で雇ってるなんて、今更ながらあたしは自分に降った幸運に感謝する。
「では、お待ちかねの試食兼昼食だね〜。さ、楽しみだ。ヒロ君の押し寿司」
ヒロが皿に盛り分けた押し寿司を和室に運ぶと、今まで横になってテレビを見ていたお父さんが身体を起こした。
今日の昼食はヒロの押し寿司――盛り付け時にイクラも散らした――と、あたし作のワカメとお麩のお吸い物だ。
「親方の舌に適えば良いのですが」
「味は大丈夫だと思ってるよ。でも、ヒロ君の課題は盛り付けだね」
恐縮しているヒロに、お父さんは目の前の押し寿司にダメ出しをする。
「小夜子、ヒロ君の押し寿司の盛り付けについて改善点を言ってみて」
やっぱりお父さんも気付いたか。
ヒロの押し寿司の欠点は――そう、彩だ。ヒロが腕を磨いた時代と現代とでは、お客様から求められる派手さが違うようで、ヒロの盛り付け方は良く言えば“控え目で上品”悪く言えば“地味”だ。
「そう来るだろうと思ってたわ」
あたしは自分の前にある押し寿司を箸でつつき、インゲンを取り出す。
「先ずはこれね。折角の緑なのに、煮たインゲンだとくすんだ緑になってしまって、全体の具材が茶色で統一されてるように見えて地味よ。それから、赤の要素もイクラだけじゃ弱いし、錦糸卵の量も多すぎて折角のタイが見えないってとこかな」
「ふむ。だが、錦糸卵で埋め尽くすのは竹松寿司の特徴だぞ」
「そこがそもそもの間違いよ。うちで出すのは押し寿司にしようということであって、竹松寿司に固定してないわ」
せっかく作ってくれたけど、ただの賄では無い事も加味し、あたしは厳しい言葉を並べる。
「……本当に未来の女というのは情け容赦が無いな」
「何よ」
……そう、今は新メニュー検討の時だから、厳しくても改善できるところはできるだけ上げていかないといけない。なのに……何で? しかめっ面のヒロの言葉に胸が痛んだ。
「改善するべき所があるのは解ったが、どうする? インゲンより明るい緑を出す食材やイクラ以外の赤い色を出す食材で押し寿司に合うものは限りがあるぞ」
「一応、盛り付けを見ながら用意したものがあるわ」
あたしは言い残して席を立ち、調理場の冷蔵庫から食材を持ち出した。
自分の押し寿司から錦糸卵とインゲンを取り払い、小さなあられに切ったサーモンを5切れほど散らし、錦糸卵を薄めに盛る。その上に今度は塩茹でして細く切ったサヤエンドウとイクラを散らした。
「どう? これで明るい緑と赤の盛り付けが加わると思うけど」
「そう……だな」
やっぱり悔しそうなヒロ。
本当はこんな指摘なんてしたくない。ヒロの前では大人しく――って、あたしは何を考えているんだ。
「盛り付けはこれくらいがいいね。早速食べてみよう!」
あたしの思考を打ち切るようにお父さんが言って箸を取る。
「盛り付けが駄目だというのに、食べて頂けるのですか?」
お父さんのセリフと行動に、ヒロは冷水を浴びせられたように驚いていた。
「そりゃ、今は試作段階だしな〜。ちゃんと試食もしないと今後に活かせないからね」
「そういうコト。あたしも頂くわ。せっかくヒロが頑張って作った押し寿司だし」
お父さんの意見にあたしも同意し、しっかりとフォローの言葉も乗せる。
「……小夜子、折角だから今の盛り付けを親方と俺の分にもさせてくれ」
眉根を寄せ、ちょっと、ホントにちょっとだけ口元をほころばせたヒロが言う。
ちゃんとフォローになったのか判断しにくい顔だけど、あたしは微笑んでヒロに食材を渡した。
ヒロは一度見てしっかりと覚えたようで、お父さんと自分の押し寿司をあたし盛り付けに直して箸を付ける。
それを見てからあたしも箸を付けたんだけど、ヒロの押し寿司は……息をするのを忘れそうになるくらい美味しかった。
上品な風味に仕上げられた酢飯に、下品ならないギリギリの甘さと優しい味わいの具、押し寿司なのにふんわりとした感触を失っていない錦糸卵、噛めばネットリと柔く、魚の旨みを伝えてくるタイ……それらが口の中で混ざり合い、味、香、食感と美味しさを伝えてくる。
スーパーのお惣菜コーナーに売っている押し寿司とは比べ物にならない程の美味。それ程の料理があたしを楽しませてくれている。
「美味しい」
あたしの口からはシンプルな一言しか出なかった。
人間、本当に美味しいものを食べると、言葉数が少なくなるもので、黙々と食べてしまう。
見た目は地味だと思ったけど、味の構築は間違いなく一級品。やっぱりヒロは凄いな〜。
「……親方、味の方は如何でしょうか?」
黙々と箸を進めるあたしをチラリと見たヒロが、お父さんを見て伺う。
「ん。おかわり!」
お父さんは講評の代わりとばかりに、空のお皿をヒロに渡した。
結局、昼食としてお父さんは3杯、あたしは2杯食べて昼食を終えた。ヒロは……その……2杯だった。でも、お吸い物もお代わりしてたもん!
「さて、これでコストが大丈夫ならランチメニューとして即採用だね」
片付けの終わった卓袱台でお茶を飲みながらお父さんが言う。
「ちょっと待ってね…………イクラがこれくらいだから……よし!」
横で電卓を弾いていたあたしは最後の計算を終わらせる。
「出た。ご飯系のメニューだから小鉢も一つだし、お味噌汁じゃなくてお吸い物にしても600円で利益が出せるわ。味もいいから700円にできるとありがたいけど」
「日替わりと差別化するために700円が妥当かな。味もかなり良いしね〜」
「そうね。あと、春以外はタケノコを外した方がいいかも」
お父さんと珍しく値段設定が一致した。いつもならここで揉めるんだけど。
「竹松寿司と小鉢、吸い物で良いのなら、俺だけで10食は用意できる。タケノコを外す理由を教えて貰いたいが」
ヒロは頼もしい事を言ってくれる。
「うちは高知県のタケノコを使ってるのだけど、春以外は缶詰を買ってるから、コスト……材料費が高くなっちゃうのよ。それに、食感や味わいはレンコンがあってタケノコは弱くなっちゃうから」
「破竹の類かと思っていたが……缶詰だったとはな。それは高くなるはずだ。解った筍は抜いて作ろう」
料理の手法に注文をつけたから、反論されるかと思ったけど、ヒロはあっさりと同意してくれた。
この日“藤華”に新しいランチメニューが誕生した。




