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9品目

 生ビールの用意ができたあたしは、大急ぎで他の飲み物を確認し、全ての飲み物を大盆に乗せて座敷席へ急ぐ。


「大変お待たせしました。生の方ー!」

 また同じような事を繰り返して飲み物を配り終えると、とんぼ返りで調理場へ戻る。


山葵わさび、これだけあれば足りるか?」

「あと半分おろしてもらっていい?」

「分かった」

 あたしは大盆に4つの姿造りと醤油さし、小皿を乗せる。そして、おろし終えた山葵を順に姿造りの脇に盛っていく。

 その横では、親方がオーブンの焼き網に鶏肉を並べ終えた所だった。多分、これから焼き始めるのだろう。あれがまた美味しいんだよね。


 お父さんが鶏肉をオーブンに入れるのを尻目に、あたしは姿造りが4つ乗った大盆を抱えてお客様の元に再び急ぐ。


「タイの姿造りでございます」

 机の上に、姿造りを並べると、

「おおー!」

 とか、

「すげぇ!」

 とかの声が聞こえて来る。

 タイの姿造り盛合せを前に、大学生くらいのお客様達が驚嘆の声を上げていたからだ。

 これは、あたしがお父さんと料理屋を続けてて、嬉しいと思える事の一つだったりする。だって、自分たちで頭抱えて、腕を磨いて出した料理を喜んでもらえるのは嬉しい。しかも――。


「すごい! 綺麗ー」

「この皮が付いてるヤツ、めっちゃウマい!」

「マグロ、柔らかくてトロける〜」

 なんて言われた日には、嬉しさもひとしおだ。


 そんな嬉し美味しい声を聞いたあたしは、上機嫌で調理場へ戻る。もちろん、生ビールをはじめとした注文をたっぷりと頂戴して。


 ビールやハイボールの注文が焼酎や日本酒に切り替わり出し、料理も豚の角煮、天麩羅へと進んで行く。

 天麩羅のエビはやっぱり厳しかったようで、親方とヒロで半分づつ揚げており、あたしも盛付けに参加して何とか用意できた。ここまでくれば親方の手首を酷使する作業はひと段落のはずだ。


 そして、出来上がった天麩羅を運ぶ時、あたしの目には綺麗に片付けられた食器やグラスが目に入った。ヒロだった。ヒロが洗って拭いてくれたのだ。しかもヒロは、水切り棚に種類ごとに分けられ重ねてある食器達を、何事も無かったかのようにあたしのフォローに回ろうと声をかけてくれた。


「全部、持てるか?」

「……半分お願いしても良い?」

「任せろ」

 かさ張る角皿が乗ったお盆。二往復すると思っていただけに、ヒロの申し出はありがたい。なんだか、ベッタリ甘えてる気もするけど、あたしは半分をヒロにお願いした。


「天麩羅でございます」

 定型句とともに、角皿を配膳していくあたしとヒロ。


 全てのお皿を配り終わった所で、

「女将さ〜ん」

 と声が掛かった。


「はい!」

 飲み物追加かと思い、腰から注文表を引き抜くあたし。お盆はヒロに持っていってもらった。


「生1つと芋焼酎のロック2つ」

 あたしを呼んだのは例の山内さんだった。仕事に没頭しているからか、澱み無く営業スマイルが張り付く。


「はい。生を1つと焼酎の芋をロックで2つですね」

「あとその……今日、魚市場にいませんでした? そちらの料理人さんと一緒に」

 飲み物を定形通り復唱したあたしに、山内さんはそんな事を言ってきた。注文表を落とさなかったのは奇跡だ。


 ……ヤバイです。どうやら覚えられてしまったみたいです。


「え、ええ」

 生返事をして、引き攣りそうになった営業スマイルを何とか維持し……あたしは無駄に腹を括った。


「魚市食堂を探されてた方ですよね?」

「あ、やっぱり。そうです。お陰様で1日限定5食の海鮮丼にありつけました」

「それは良かったです」

 あたしからの返答に、山内さんは天麩羅をつつきながら乗ってきた。

 でも凄いな。一応、昼間と違って今のあたしはお化粧だってしてるのに、それを見破るとはね。


「それで、えと……女性に非常に聞き辛いんですけど、お幾つですか?」

 非常に言いづらそうに、それでいてハッキリと山内さんは乙女の年齢を聞いてきた。

 もちろん、年齢を聞かれた時の返答は決まっている。


「それはヒミツです」

 笑顔のまま言い切る。これで人差し指でも口に当てれば、小さい頃に見たアニメのキャラクターの仕草まんまなんだろうけど、仕事の応対でそんなことはできない。


「うおっ!?」

「じゃ、じゃあ、俺たちで年齢言うんで、ハズレているか近いかだけでも……」

 3人組の一人、メガネを掛けた男が上擦った声で言う。


「できればごえん――」

「間違い無く俺より年下だ!」

 遠慮し(止め)てと言おうとしたら、横から顔を赤くした幹事の西川さんが現れた。


「そんなの、当たり前じゃないですかー。西川さんより年上だとか、女将さんに失礼ですよ」

「ここの女将さんはかなり若いからな〜。若くてもお前らよりしっかりしてるぞ!」

 既にお酒が回ってるみたいで、山内さんも、西川さんも言ってる内容に容赦が無い。


「そうなんですよ! だから俺は絶対に俺より年上のお姉さんだと思ってるんです!」

「そうか? 俺らと同級かプラマイ1歳くらいじゃないか?」

 力説するメガネの男の予想を、山内さんがほんのり否定する。


「福田も山内もヒドイな。女将さん、もっと若いと思うぞ」

 焼酎のグラスを傾けながら、小太り――良く見ると太っているのではなく、筋肉質だった――の男が言う。

 あんたはエライ! 今度来店してもらえたら一品おまけしてあげよう。


「え? 何、岩村が女将さんナンパしてるの?」

 今日のお客様の中で、数少ない女性のお客様が梅酒のグラスを片手に割り込んでくる。


「いや、ここの女将さんの年齢を当てようと話になったから、俺らより若いだろうって話しをしてただけだ」

 クイッと焼酎グラスを煽る筋肉質の男――岩村さん。


「ふーん」

 女性はジロジロと遠慮無くあたしを見回す。


「ま、あたしより年下って事はないだろうから〜」

「ヒドっ! どう見ても浜崎より年下だろう」

「えー。岩村の方がヒドくない? だったら答え合わせ。女将さん何歳?」

 結局そーくるのか!

 誰が易々と年齢を教えるものですか。

 酔ってポーっとした表情でさらりと言う女性――浜崎さんに、あたしは笑顔のままテンプレートを繰り返す。


「年齢はヒミツです」

「えー。30くらい?」

 ……さて、次は良く漬かった唐辛子酒でも出してあげようかしら。


「ちょ、おま……それは無いって」

「だって落ち着き払っているし、お母さんって感じだし〜」

 酔った表情のまま言い切る浜崎さん。

 あのさ、それくらいでヤメにしない? いくら接客業だと言っても、あたしも人間ですよ?


「30か〜。ギリギリOK!」

 飲みきった焼酎グラスをテーブルにトン! と、勢い良く置いたメガネの男――福田さんは妙な目つきであたしを見て、

「俺、今年で21なんですけど、年上……ですよね?」

 と、期待の籠った口調で言ってきた。


 若おばさんを自覚するあたしだけど、ここまで回りから年上に見られると凹んでしまう。

 そりゃ、和装に合うように、メイクも落ち着いた感じにしているけど……あたしは今年、やっと17になるんですよ?

 そう思うが早いか、あたしの口が勝手に動いた。


「えっと、年下です。…………しかも結構」

 今、営業スマイルが強ばってる気がするんだけど、大丈夫かな……。


「え、あ……ウソ……」

 福田さんは目を大きく見開いたと思うと、がっくりと項垂れた。


「だろうだろう」

「同級くらいだと思ったのになー」

「ウッソ! あたしより年下!?」

「いや、どー見ても俺らよりは年下だと思ってたぞ」

 西川さん、山内さん、浜崎さん、岩村さんの順で4人が好き勝手に言う。


 さて、この話題もひと段落したと判断し、あたしは立ち上がる。

 背後では、

「岩村の一人勝ちかよー!」

 とか、

「せめて、1歳でも上だったら……」

 とかの声が聞こえた気がするけど、構ってられない。

 立ち上がった時に、追加注文も受け、ずらずらと書かれた注文表を片手に、調理場へと戻った。


「長く話していたようだが、料理に問題でもあったのか?」

 焼酎をグラスに注いでいるあたしに、洗い物をしているヒロが小声で聞いてきた。


「違うわ。お客様の話題があたしの年齢だったから、付き合わされただけよ。30くらいとか言われたのは堪えたわ」

 ゲンナリしながら焼酎グラスの淵を拭く。


「三十路か……小夜子はそんな年齢には見えんが」

 器を拭きながら、ヒロは言う。気を使ってくれるのが、流石に今は嬉しい。


「気を使ってくれてありがとう。今はお世辞でも本当に嬉しいわ」

 自分でも頬が緩むのが解かる。

 これでヒロがいつもの仏頂面じゃなければ、更に癒されるところなんだけど、表情は仏頂面のままだった。


 それから5回ほど飲み物のオーダーをこなすと、ラストオーダーの飲み物と一緒に、ご飯とお吸い物、香物の出番がやってくる。これは流石に量があるので、お吸い物を作り終わったばかりのヒロにも手伝ってもらい、二人で運んだ。



 お吸い物はヒロがあたしと親方に作ってくれたカワハギのお吸い物だ。今お盆に乗っているのはもちろん、お客様に出すようにグレードアップしたバージョンで、そぎ作りにしたカワハギを松葉で留め、塩を基調とした出汁を塗って軽く蒸したものと、出汁で湯通しした浅葱の小さな束を汁の実としている。

 あたしが頂いた時のお吸い物より、出来が格段に良い。

 ご飯はガス釜で炊いているし、香物も近所の農家が自家用に作ったダイコンを買取って親方が漬けた自家製の沢庵漬けだ。

 そして、ご飯物が終わると、デザートとして季節の物であるスイカが控えている。


「ご飯になります」

 ヒロにも手伝ってもらって配膳する。

 天麩羅の時もそうだったけど、ヒロは配膳の経験もそれなりにあるようだった。 

 仏頂面さえ何とかなればと思うのは贅沢かもしれないけどね。


 配膳を終えてチラリと宴席を見渡すが、案の定、箸を付けている人はかなり少ない。ご飯物のサガというか、お酒でお腹の膨れた人はご飯物とデザートを良く残す。気を使って作っているんだけど、お客様の満腹感には勝てない。

 最初の頃はそれを物凄く勿体無いと思っていたけれど、最近は慣れてしまって「またかー」と諦めた心境で見やるだけだ。


 今日もそうなり、あたしはいつもの様に調理場へと戻るはずだった。ヒロの悲しそうな顔を見るまでは。

 ……そうだよね。折角作ったのに、一口たりとも口を付けてもらえないのは悲しいよね。

 そんな事を思ってしまったあたしは、意を決して一番近くにいた山内さんに声を掛けた。


「あの、お吸い物は温かいうちが美味しいので、是非飲んで下さい」

「え? ああ。そうだね」

 あたしから声を掛けた事で驚いたのか、山内さんは呆気にとられたような顔をして、すぐさま福田さんと岩村さん、その他の近くに座っている人に、

「おい、お吸い物が来たから飲もうぜ」

 と声を掛けてくれた。


「な! これメッチャ美味いって。ちょ、ちょっと、西川さん、お吸い物飲んでみて下さいよ!」

 汁椀を持って、行儀悪くすすった山内さんが驚きの声を上げる。


 山内さんに言われて、無言で汁椀と箸を手にした西川さんも、

「これはいいな。美味い吸い物なんて久しぶりに飲んだぞ」

 なんて言ってくれている。


 誰かが、美味い美味いと騒ぎ出せば全体に伝播するもので、ほとんどのお客様がお吸い物に箸を付けた。それを目で確認したあたしはヒロへと顔を向ける。


「良かったわね。みんなヒロのお吸い物美味しいってさ」

「あ、ああ……」

 お客様のほとんどがお吸い物を褒めてくれているのに、ヒロの顔から悲しみは消えていなかった。


「その、いつも宴席の時はああなのか?」

「いつもはもっと酷いわ。ほとんどの人はご飯もお吸い物も、次に出す果物も残すことが多いから……」

「食い物を、飯を粗末にするとはとんでもない話だ」

 ヒロは座敷を睨むように見ている。

 確かに、ヒロの時代――戦争中は食べ物が不足していたって聞くし、思うところがあるのかもしれない。

 ヒロにヘソを曲げられても困るあたしは、慌ててフォローする。


「でも、今日はヒロのお吸い物は飲んで貰えたし、そのお陰でにご飯にも箸を付けて貰えてるし、ヒロの手柄じゃない」

「いや、小夜子の手柄だ。……親方が果物の用意をしている。手伝いに戻ろう」

 ヒロは軽くあたしの頭を撫でると、調理場へと戻って行く。

 あまりに自然に撫でられたせいか、この時のあたしは、全く不快感がなかった。


 調理場へ戻ると、親方は左手で四苦八苦しながらデザートであるスイカの入った小鉢を冷蔵庫から出していた。


「親方、残りは俺がやりますから、そろそろ薬を塗って手を休めて下さい」

 片手だけで小鉢を3つ持ち、お盆に並べる親方から小鉢を取り上げ、ヒロは言った。


「親方、あたしからもお願いします。もう、休んで下さい」

 調理をする手前、薬もぬらず、湿布や包帯もしていない親方の手は、見ていて痛々しいほど腫れており、あたしも流石に休むように言った。

 まったく、ここまで腫れるほど痛めていたなんて……ヒロが現れてくれなかったらどうなっていた事か。


「いや、店の主がお客様を前に休むわけにはいかん」

「だったら、レジをお願いします! あとはデザートを用意するだけなんですから」

「親方に向かって、金勘定だけをしろとは何事だ!」

 あーもうっ! 調理場に入ったら、本当に頑固なんだから!


「でも、腫れが酷くなってるじゃないですか!」

「腫れようが折れようが、お客様の前で休めるか!」

 徐々にヒートアップしていくあたしと親方。

 これ以上酷くなったら、休業の危機だし、何よりお父さん(・・・・)が苦しんじゃうじゃない! 何で解ってくれないのよ。


「小夜子。お客様がお呼びだ」

「あ、うん。行ってきます」

 ラストオーダーは終わっているが、追加の飲み物の注文だと思い、あたしは座敷に走る。

 背後では、ヒロが親方に何事か言っていたようだが、あたしには良く聞こえなかった。



 呼んでいたのは西川さんで、デザートの前に早めのお勘定をという事だった。

 一応、追加注文があった場合に別会計になってしまう旨を説明したが、会費制だからそれで良いとのことで、あたしは、

「ありがとうございます」

 と頭を下げて調理場へ戻る。


「お客様、お会計です」

「小夜子、伝票をこっちに渡せ」

「はい……って親方!?」

「俺の気が変わらん内に早くしろ」

 ブスッとした親方があたしに向かってレジスターの前から左手を差し出す。


「はい。お願いします」

 あたしは嬉しくて、両手で伝票を差し出す。

 全く意識はしていなかったのだが、あたしの顔には満面の笑みが浮いていたらしい。


 親方が左手でレジのキーを叩いて計算をしている間に、あたしはヒロとデザートの用意を済ませ、お会計額の記入された簡易領収書を受け取る。

 そして、本日最後の料理、デザートの配膳をする。ヒロと二人で。


 配膳が終わると、静かに西川さんの横に向かい、

「本日のお食事代になります」

 と、簡易領収書を渡す。


「よぉーし。OBの上から傾斜割りだ! まず、俺とパチ屋で稼いできた竹山が1万――」

 金額を確認した西川さんが大声を張り上げ、景気の良い事言う。


「わー、西川先輩ステキー!」

 何てわざとらしい女性陣の声を背後に聞き、あたしは座敷から下がった。

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