その7
○登場人物
成宮保裕・なりみややすひろ(特別刑事課、過去に事件でトラウマを抱えている)
金井睦美・かないむつみ(特別刑事課、成宮と同期、あっさりした性格)
成宮心・なりみやこころ(成宮保裕の妹、兄と同じ事件でトラウマを抱えている)
正代豪多・しょうだいごうた(特別刑事課、リーダーとして全体をまとめる)
薬師川芹南・やくしがわせりな(特別刑事課、自分のスタイルを強く持っている)
住沢義弥・すみさわよしや(特別刑事課、人間味のある頼れる兄貴肌)
井角・いのかど(特別刑事課、正代とともにリーダーとして全体をまとめる)
根門・ねかど(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
六乃・ろくの(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
壷巳・つぼみ(特別刑事課、成宮と同期、頭脳班として事件に向かっている)
但見・たじみ(特別刑事課課長)
筑城晃昭・ちくしろてるあき(麻布警察署少年課、成宮と過去に事件で接点がある)
大床・おおゆか(麻布警察署刑事課、成宮と過去に事件で接点がある)
鍋坂・なべさか(子供警察署長)
翌日、朝から太陽の輝く様の主張が専用車の中から確認できた。今日は日差しの強い
一日になりそうだ。疲労の溜まってきている体には栄養剤になりそうでもあり、さらに
余力を奪われていきそうでもあった。
住沢は神奈川にある病院の駐車場内で3日目の朝を迎えていた。リーフの警護でここ
に来て以来、狭い車内に閉じこもりきりの状態でいる。単独での行動のため、入れ替え
の要因がいないので仕方はない。距離的に東京から頭脳派の面々に来てもらうことは可
能だが大阪の成宮や福岡の金井はそれも出来ないのだから自分だけというわけにもいか
ない。それでも、夜間だけは職員用の出入口のみが開いているので地元の神奈川の子供
警察から来ている面々が「我々が見ておくんで休んでください」と気をつかってくれる
から甘えさせてもらっている。ただ、睡眠はとれても状況的に充分といえる休息にはな
れていないのが現実だった。
病院は朝8時から診療の受付が始まるので7時半に起きれるようにしておく。今日は
天気の良さもあってか、まだ8時過ぎなのに正面出入口に向かう人の姿はそれなりにあ
った。こちらは職員用の出入口を担当し、出入りの多い正面出入口は2人いる地元の子
供警察にまわってもらう。薬師川さんや成宮は地元警察からの協力はあまり期待しない
方がいいと言っていたが神奈川の子供警察は友好的だった。ちょうど大きめの事件がな
いときだったこともあり、余所者の来訪にしては温かく迎えてもらえたと思う。
目の前の病院を見上げてみる。縦に5階、横にも結構な広がりがある大きな病院だ。
その中にある一室に目を向ける。5階にある個室の病室の一つ、そこにリーフはいる。
もうとっくに目は覚ましているだろう。今は何をしているだろうか。輝きを放つ太陽を
ここより高い位置から眺めているのか、趣味に時間を費やしているのか、自らの未来に
ついて考えているのか。後者とすれば、それは明るい希望か暗い絶望か。おそらく、後
側になるのだろう。
他のサイト参加者たちとは違い、リーフの苦しみの種は対人ではなく自らの病。その
ため、警護も他とは違った形になってくる。我々が警護するのはリーフ本人。当人と対
象が同一人物というややこしさを伴うが方法はこれしかないといえる。ティアラはこれ
まで仲間を救うために苦しみの種に手をかけてきた。ただ今回の場合、仲間はリーフ、
苦しみの種は彼の病にあたる。どちらも彼自身にあるものだ。一体、ティアラはそれを
どうしようというのか。
病を消す方法、考えつくのは誰か有能な医者でも紹介すること。しかし、それは難し
いと思う。リーフの専門医に聞いたところ、彼の体はもう先が見えるほど短いところへ
迫ってきているらしい。病院も最善は尽くしてきたし、今現在も治療は続けられている
が希望は持たない方がいいと言われた。本人も衰退していく己の様を分かっているので
柔にそのことを告げてあるようだ。掲示板にもそれをほのめかす内容が抽象的に書かれ
てあり、そこからはそう遠くない未来に訪れるであろう結末を迎える心組みを感じられ
た。当然それは望むべきものじゃないが長期入院を続けてきたリーフにはこのまま何も
変わらず延々と病を抱えたままの病院生活を送る未来も望むものではなかった。爆弾を
体内に携えて憂鬱に過ごす絶望感、それを逃れられる先にあるものが死だなんて悲しす
ぎる。
ティアラはそのことに気づいているんだろうか。掲示板を見ていれば察することはで
きるだろうし、そうでなくとも情報はすでに渡っているかもしれない。そうだとしたら、
ティアラはどこまで分かっているのか。その情報の包囲網はどれだけのもので、どうや
ってそれを行っているんだ。未だに全くといっていいほど掴めていない。
リーフと直接の繋がりはあるんだろうか。あったとしてもこちらには確認の方法がな
い。今回は当人と対象が同一なのでリーフ本人への接触はしていない。これまではサイ
ト参加者たちからの話も聞いてきたけれどリーフは対象も兼ねているので自粛を決めた。
仮に彼に話をしてティアラの情報が聞けるとも思えない。今までのサイト参加者たちか
らも聞けてないし、繋がりがあっても仲間を売るような行為をしないだろう。だからと
いって、先の短い病人に深く問い詰めるようなことも出来ない。ここからあの病室を眺
める、それぐらいしか出来ないのが現状だ。
ティアラがリーフの現在の状態を掴んでいるならどうしてくるだろう。腕のある医者
を探すツテがあるとは思えないし、それをしたとしてももうおそらく救いにはなれない。
このまま仲間が対象に苦しみを与えられていくのを待つしかない。ただ、そんなふうに
仲間を見過ごしていくとも思えない。殺人を犯すほど仲間に執着しているティアラがお
めおめとくすぶるだけで終わるのか。
何を考えている。
何を起こそうとしている。
どういう結論に至ったんだ。
ティアラの思惑を想像していくがこれというものには行き着いてくれず、目をつむり、
息をついた。
そのとき、馬鹿大きな衝撃音が車外から突き刺さるように轟いて体が瞬間的に跳ねあ
がった。バウンッという日常で耳にすることはないほどの破壊的な音。只事じゃないの
は瞬時に分かり、音の方へ振り向くとそれは形となって見えた。正面玄関口の方の駐車
場で車同士が衝突し、煙ものぼっている。何が起こったんだ。
急いで走り向かうとさらなるショックの連続に襲われた。衝突していた車の一方が神
奈川の子供警察の警護の専用車だった。前席にいた2人は苦しむ表情をしているが体は
多少動かせている。運転席側が衝突にあっていたので助手席を引くと扉は開いた。声を
かけると2人とも辛そうにではあるが返答してくれた。煙ものぼっていたため、周囲に
集まってきていた野次馬に危険を呼びかけて離れさせ、車内の2人の救出にあたる。助
手席側はなんとか自分の力でも動けたが、運転席側は衝撃が激しく慎重に体を動かして
いく。流血はなかったがかなり全身をやられているようだ。
2人を車から離れた場所まで連れていくとすぐに医者が病院から来た。適切な処置を
受け、1人は担架で運ばれ、1人は医者の肩を借りながら病院内へ向かっていく。一体、
何があったんだ。そう眼前で起こった唐突な出来事に漠然とした思いにさせられ、衝突
した車の方に目を向ける。衝突部分からはまだ煙がのぼっている。車の痛ましさから警
察専用車の方が追突されたんだろう。追突していたのは引っ越し業者のトラックだ。あ
の大きさにぶつけられたら、そう思うだけで痛みが来るようだった。
瞬間、ハッとなる。トラックの側にいるべき運転手がいない。仲間の安否に気を取ら
れてしまい、姿の見えなかった相手側の人物に頭がまわらなかった。
危険を承知で現場に走り、トラックの運転席の扉を開ける。誰もいない。誰かいない
か、と声を張りあげる。応答はない。トラックの周囲を用心深く探ってみる。やはり、
誰の姿もない。どうなってる。
病院内へ走っていく。遠くをまだゆっくりと医者と歩いていた仲間を見つけ、急いで
駆け寄る。「ちょっと待ってくれ」と2人を止め、息を切らしながら疑問を投げる。
「追突したトラックの方に誰も乗ってないんだ。何か知らないか」
回ってないであろう思考を巡らせてくれる。その言葉を待った。
「誰も・・・・・・乗ってなかったと思います」
「誰も乗ってない? どういうことだ」
確かにトラックには誰もいなかった。ただ、衝突後に運転手が事態の悪さを察知して
逃げたんじゃないかとここに走ってくるまでの少しの時間で考えていた。誰も乗ってな
いとなると話が全然違ってくる。
「ちょっとしか見てないんですけど・・・・・・多分、乗ってなかったと思います」
また思考を巡らせた結果、同じ見解が届けられた。これ以上は聞いても同じだろうと
して、足止めして悪いと治療へ向かわせた。
病院内から再び野次馬の集まっている現場周辺へ戻る。人の数は増えて面倒くさそう
だったけど車の衝突部分からのぼっていた煙は沈静していた。発火やら二次的な災害は
防げそうだ。ホッとする心内の中、どうにも煮えきらない思いも残っている。運転手が
いなかった。途中でいなくなったんじゃなく、始めからいなかった。それじゃ、どうし
てトラックが専用車に追突したっていうんだ。エンジンやら何かしらのトラブルで車が
勝手に発車したということなら考えられるケースではある。だが、それなら持ち主であ
る運転手が出てきていないことも疑問になる。引っ越し業者なら診療の受付に来ていた
というのが妥当だろう。こんなにもの衝撃音が起こったのだから現場に来ていないのは
おかしい。診療は9時からだから現場に来れないという状況にはいないはずだ。仮に入
院患者だったとしても軽度の状態なら現場を目にする位置には来れるはずだ。実際、院
内の窓からも多くの患者がこちらを眺めている。重度の入院患者だとしたらトラックを
運転してくるような状態ではないだろう。あまりの大事に竦んでしまってるだけ、そう
考えるのが最も的確と思える。
だが、それが正解なのかと自問自答する自分がいた。そうしてしまうのは簡単だが本
当にそれでいいんだろうか。もっと奥深い何かが存在してる気がしてならない。
胸騒ぎに駆られていると携帯の着信が来た。壷巳からだった。
「住沢さん、危ないです」
いきなり本意気の調子で言われ、何事かと思う。
「どうした」
「今、出社してボルト・フロム・ブルーの掲示板を確認したらティアラからの書きこ
みがありました」
ティアラから。一連の事件が始まってから初めてだ。
「何が書いてある」
「リーフのスレッドに対するレスです。リーフのスレッドは3時48分、『今日は眠
れない。トンネルの先が見えてきている。そこに何があるのかを知るのが怖い。何もな
いかもしれない。何もなくなるかもしれない』。ティアラのレスは4時12分、『ダメ
だよ。苦しみに負けないで。何があったの。言ってほしい』。それに対するリーフのレ
スが4時21分、『医者から余命に近い宣告を受けた。別に明日死のうが明後日死のう
が構わないと思ってきたけど、迫ってくると恐怖で拭いされなくなってきた。特に残し
ておきたい風景もないし、未練もない。なのに、死ぬのが怖い。だんだんと弱ってくる
この身体が愛しくてたまらない。夜が恐ろしい。そのまま闇に包みこまれてしまいそう
になる』。ティアラのレスが4時24分、『今から行くよ』」
今から行くよ。その最後の言葉に重く圧しかかるものを感じた。ティアラがリーフの
もとへ行く。リーフがいるのはここ。じゃあ、ティアラが行くところは・・・・・・。
「ここ、ってことか」
「書きこみから4時間たってます。ティアラがどこにいたのかは分かりませんけど近
くにいるかもしれません。気をつけてください。すぐにみんなへ報告を入れます」
そう言われ、電話は切られた。電話越しに壷巳が言った言葉をもう一度起こす。嫌な
予感が近づいてくる。これまでリーフは掲示板に具体的な文章を書いてこなかった。参
加者たちへの気づかいだろうがどこか現実的ではない文章をあえて並べてきた。それが
最後に書いたレスだけはいやに具体的なものだった。気づかいを失い、頭にある感情を
ままに映した言葉ということだろうか。リーフはもう悟っているのかもしれない。己の
先にあるものを。そして、それに対するティアラのレス。奴もリーフの状態を察したん
じゃないだろうか。対象にやられそうになっているリーフのためにここへ来ようとして
いる。一体、ここへ来て何をする気だ。一連の事件から行き着くのは対象の消去。これ
までの事件でティアラはそうしてきている。でも、リーフの対象は彼の中にある病だ。
どうしようというんだ。すぐそこに迫ってるかもしれない場面に焦りが起こり、思考が
空回りしかしてくれなかった。
馬鹿大きな衝撃音が突き刺さるように轟く。大型病院の駐車場の何気ない朝の空気が
漂う中、無人のトラックが警察の車へ突っこみ、敷地内にいる全員の注意がそこへ向け
られる。
その一部始終を遠巻きに眺めながら機会をうかがっていた。別にいた刑事が車を離れ、
守衛室にいた警備員たちが部屋を離れていく。職員用の出入口はこれでノーガード状態。
このときを待っていた。
バイクで敷地内へ入っていく。誰もこっちなんか見てやしない。みんな向こうで起こ
ってた意味の分からない惨事に目を奪われている。職員用の出入口にバイクでつけると、
守衛室で監視カメラの映像を遮断して院内に潜入する。
院内は人気がないような静けさだった。人はくさるほどいるのにその全員が同じ光景
を目にし、同じように行動を止めている。廊下や階段を歩いてる暇人はいない。みんな
それぞれの部屋から一点に視線をそそいでいる。おかげで、全身黒ずくめでフルフェイ
スのヘルメットまでかぶってるこっちの行動はあまりにスムーズに進んだ。
5階まで階段をあがると個室の病室の中からリーフの名前を見つける。コンコンとノ
ックすると返答がなかったからそのまま扉を開けさせてもらった。広めの部屋の中には
これといった物もなく、いやに閑散としている。リーフはベッドの中にいた。上半身だ
け起こし、窓の外を見ずにこっちに顔を向けてくれている。恐怖や疑問じゃない自然な
表情だった。
「はじめまして、リーフ」
ヘルメットをはずして柔に笑みを浮かべながら言った。緊張感を抱えてるだろうリー
フのためにそうしようと思ってたけど、実際は半分以上が仲間に会えた喜びから出た表
情だった。
「はじめまして」
リーフも同じように表情をくずして柔らかい言葉を返してくれた。温かく迎えてもら
えて嬉しい。喜色に包まれていき、ここだけが外や他の病室とは全く違う空間のように
思えた。リーフも外の惨事について何も触れず、今ここにあるこの空間を心地良く感じ
てくれている。何も言はなくとも通じる感覚があった。
ベッドの横に行き、リーフの心臓のあたりを洋服の上からさする。近くで見ると生気
の薄さが感じられ、直に触れると身体の衰えを感じられた。仲間の現状に直接ふれ、切
なさが込みあげてくる。まだこんなに若いのに、先のある人生のはずなのに。そう思う
とやるせなくなる。
多様な感情に揺れていると体をさすっていた手を取られた。目を向けるとリーフもこ
っちを見ていた。
「君の苦しみの種を聞かせて」
少しの間が生じる。
「小学校に入ってからそうしないうちにここにいないといけなくなった。最初は通う
だけだったのが長い休みは全部入院になって、そのうちに休みじゃなくても入院するよ
うになった。自分は普通の子供じゃないんだ、って思わないといけなかった。病のこと
を言われても昔はよく理解できなかったけどだんだん分かるようになってくると怖さが
同じ分やってきた。少しずつでも確実に迫ってくる終わりが怖くてたまらなかった。夜
に眠れない日が増えて、誰かが僕を死に引き寄せる幻覚も見えてきて、もう生きてるこ
とが辛くなってきたんだ。なのに、周りはちょっとでも僕が生きられるようにする。戦
うのをやめたいのに無理にでも起こされる。地獄みたいだ。どうせ死ぬならいつだって
いいじゃないか。僕の死にたいように死なせてくれよ。これまで散々苦しんできたのに
死ぬときまで痛めつけられないといけないのか。そんなの嫌だ。もう・・・・・・楽に
させてほしい」
途中からリーフは泣いていた。小さな泣き声で一つ一つの途切れそうな言葉を紡いで
いった。その痛々しさが繋いでる手から心に届き、奮えが止まらなくなる。こんな思い、
耐えられない。
「今まで頑張ったね。偉いよ」
リーフの手を取り、思いを込めて伝えた。だけど、リーフはそれに首を振った。
「本当は死ねないだけなんだ。死んでやりたいけど自分では出来ない。ただ臆病で弱
いだけなんだ」
「それは違う。君は正義を貫いてるんだ。自分で命を落とすなんて苦しみから逃れる
ために負けを選ぶのと同じことさ。正義は弱いんだ。弱いから卑劣な悪に苦しめられて
しまう。でも、弱くて限りなく強いんだ。君は強いから負けなかった。簡単に死を選ば
なかった」
泣き続けるリーフをそっと抱きしめて言った。肩先で彼は子供みたいに泣いていた。
きっと、今までどれだけも胸に押しこめてきた思いを吐きだしてるんだろう。掲示板で
接してきたリーフはやけに大人っぽかった。文章はいつも淡々とつづられていて、他の
仲間たちへの言葉も年齢を思わせないような空気感を漂わせていた。自身の中にある何
かを押し殺してるように感じていた。それを外へ出せる場所や関係が彼にはないことも
察した。なんとかしてあげたかった。それを今ここで、初めて会ったばかりの自分に解
消してくれている。それがたまらなく嬉しかった。
2分から3分ほどでリーフは泣きやんだ。抱きしめていた体を離すとその表情は精悍
なものに変わっていた。思いの固まった表情。今までに見たことのないぐらいに綺麗な
顔だった。それを目にし、こちらの思いも固まる。
「目をとじて」
そう呟くとリーフは両手の指を絡め合わせ、静かに目を閉じていく。その姿は聖者の
祈りのように見える。忍ばせていた拳銃を取りだし、その心臓にあわせた。
「思い残したことは」
何も言わずにリーフは首を振る。
「言っておきたいことは」
同じふうにすると思ったらリーフは考えるように止まった。
「君に会えてよかった」
零れるような言葉に心を根っこから温かくされた。最後の言葉が自分に向けられたも
のだと思うと。涙が出そうになったけど強く留めた。ここで泣くわけにはいかない。泣
くのはもっと後だ。
「私も会えてよかった」
精一杯の思いを込めて伝えた。リーフの口角が気持ち緩み、こっちもつられる。その
まま引き金をひいた。
住沢は反射的に後ろを振りかえった。病棟の方からいきなり銃声が響いてきた。どう
して銃声なんか、そう考えを巡らせていくと一つの見解に行き着くまで時間はかからな
かった。目の先で今も痛々しさを残している運転手の見当たらないトラックと警察専用
車の衝突、病棟からの銃声。それと壷巳からの言葉を結びつけるのは難しいことではな
かった。ティアラ、その名前が浮かんだ。
揺らぐ思いを抑え、決意を固める。辺りを見渡すと職員用の出入口付近に黒のバイク
が置かれてあった。さっきまであそこを見ていたがあんなものはなかった。ということ
はあれはティアラのものか。生々しい唾が喉を通っていく。
病棟まで一気に走り、院内に入るといったん歩を止めた。拳銃を取りだすと発砲可能
にセットする。緊張はどんどん高まっていく。この建物のどこかにティアラがいるかも
しれない。慎重を喫する必要があった。特別刑事課に属していても容疑者とこれだけの
接近戦になることは少ない。大抵は事件が起こった後の現場に行ったり、抵抗力の薄い
相手に対するぐらいだ。こっちは一人、向こうもおそらく一人。こっちには拳銃があり、
向こうも間違いなく拳銃がある。条件はほぼ同等だろう。こういう先の読めない展開は
そうそうない。
気を強く定めると階段を上がっていく。さっきの発砲がティアラによるものならやっ
たのはリーフのいる5階のはずだ。リーフを撃ったのか。いや、仲間を撃つようなこと
を奴がするとは思えない。リーフ自身に撃たせたのかもしれない。でも、どうして。そ
こで我に返る。今はそれを考えている状況じゃない。一瞬の油断が命取りになる可能性
が高い。
階を上がるたびに細心の注意をはらいながらフロアの各部屋を確かめていく。拳銃を
構えた自分の姿に驚く病室の入院患者たちに警察手帳で安全を諭しながら不審人物の有
無を聞いていく。あの銃声のときにティアラが5階にいたなら奴は階を下ってくるはず
だ。つまり、こっちが5階に上がるまでの間にどこかで奴と同じフロアにあたることに
なる。
そして、5階に行き着いた。今まで会っていないということはここにいるということ
か。それとも、こちらが気づかないうちにすでに下に行ってしまってるのか。ただ、階
段を上がるときに各階の踊り場の窓からバイクがまだあるのは確認している。もしかす
ると、あのバイク自体がフェイクなんじゃないだろうか。ティアラは実際は何食わぬ顔
をして正面の出入口から脱出しているのかもしれない。そんな思いを頭の片隅に並べな
がら現実への集中は乱さなかった。それが薄まることの意味は刻みこんである。死も含
めた危険が伴っているのだから。
5階の各部屋を調べていき、次はリーフの病室となった。少しずつ近づいていくにつ
れて緊張感も増していく。個室の病室が並んでいるせいでいやに静けさがあり、それが
またなんともいえない。
扉は開いていた。あとは一歩を出せば中を確認できる状態。一体、何が待っているん
だろうか。あの銃声が何を起こしたんだろうか。心を決め、一歩を踏みだす。目にした
光景に身が固まった。リーフは胸のあたりを赤く染め、両手を合わせたまま目を閉じて
いる。その姿になぜか綺麗なものを見たように思わされた。なにより、彼の表情が穏や
かさを帯びていた。ティアラに襲われて撃たれた結果を第一にしていた予想を裏切られ
た感覚になった。
そのとき、不意な衝撃に襲われた。左側から肩に受けたことのない感覚が抜けていく。
何が起こったのかは静けさに響いた音で想像がつく。銃声だった。自分の発したもので
はない。リーフの姿に目を奪われて生じた隙にやられてしまった。そのまま右側へと倒
れこんでいく。何をする抵抗感もなく、頬のついていた近辺の床を目にするしかない。
後ろを通りぬけていく足音がした。ティアラだろうか。それを確かめるだけの気の余り
もなかった。次第に遠のいていく意識の中、リーフのあの姿がやけに頭に映しだされて
いた。




