その4
○登場人物
成宮保裕・なりみややすひろ(特別刑事課、過去に事件でトラウマを抱えている)
金井睦美・かないむつみ(特別刑事課、成宮と同期、あっさりした性格)
成宮心・なりみやこころ(成宮保裕の妹、兄と同じ事件でトラウマを抱えている)
正代豪多・しょうだいごうた(特別刑事課、リーダーとして全体をまとめる)
薬師川芹南・やくしがわせりな(特別刑事課、自分のスタイルを強く持っている)
住沢義弥・すみさわよしや(特別刑事課、人間味のある頼れる兄貴肌)
井角・いのかど(特別刑事課、正代とともにリーダーとして全体をまとめる)
根門・ねかど(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
六乃・ろくの(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
壷巳・つぼみ(特別刑事課、成宮と同期、頭脳班として事件に向かっている)
但見・たじみ(特別刑事課課長)
筑城晃昭・ちくしろてるあき(麻布警察署少年課、成宮と過去に事件で接点がある)
大床・おおゆか(麻布警察署刑事課、成宮と過去に事件で接点がある)
鍋坂・なべさか(子供警察署長)
翌日、サイト参加者全員の詳細を頭脳派チームを中心に調べあげていく。ティアラの
狙いが参加者の仲間たちの苦しみの種を消していくことならば早急に態勢を整えなけれ
ばならない。まだ仮説でしかないが現実になってはいけない展開だ。事が起こる前に手
を打たないといけない。
コンビートには気力のいる取り調べを続けている。彼は何も話さない。掲示板の他の
参加者についても。仲間たちを売るようなマネはしない。もう警察に対して反抗的な態
度を示すこともしない。前の方がまだよかったかもしれない。このままダンマリを決め
こまれる方が困る。
マジュニアには宮城での取り調べが続いてるらしい。ただ、向こうも知らないとしか
発しないようだ。自分は無実。加害者についても見当がつかない。それだけだ。正直、
このままでは埒があかない。
ティアラを探しだすのは現状では難しい。なら、次に起こりうる事件を未然に防ぐこ
とに全力を向けるしかない。被害者になりうる対象を調べ、狙われないよう慎重に警護
にあたる。
「でもさぁ、警備をつけるのはいいにしても要は何も起こらない状態にするってこと
っしょ。ティアラに何も起こさせないわけだから。それはもちろんベストなんだけど、
今の状態がずっと続くってことになるわけじゃん。それって捜査に何も進展がないって
ことにもなるじゃん。平行線がどこまでも続いてくだけで。頼みのコンビートとマジュ
ニアも喋る気配ないし。もしかして、これっていつまでも解決になんない方法でもある
気しない?」
特別事件課のみんなの昼食の買い出しに行ってるときに金井が言いもらした。彼女の
言葉はいちいち的を得ている。良いようにもそうでないようにも。確かに我々のやろう
としている策は新たな被害を出さないものであって犯人逮捕に結びつけるものとは言い
がたい。
「仕方ないだろ。犠牲者を出さないことが最優先だ」
「そりゃそうだけど。ティアラ、いつまで経っても出てこないよ。別にティアラ自身
の報復じゃないんだし、向こうに無理する必要はないわけでしょ」
「出てこないなら見つけだすまでだ」
「ほぅ、何を根拠に」
金井はリポーター気分で左手にあった缶コーヒーをマイク代わりに向けてくる。
「見つけだす。必ず。それだけだ」
根拠なんかない。ただ絶対に捕まえてやるという思いだけだ。こんなことをされてみ
すみす逃してやるなんてしてたまるか。
「いいねぇ、信念のある人は」
金井は感慨にひたるように目をつぶり、首をかしげていつもの調子に入りこむ。ここ
で最初に知り合った頃からのどこか掴みにくい調子。
「お前にはないのかよ」
「さぁ、どうだろうね」
お気楽そうに振る舞いながらその奥に信念を潜ませているのは知っている。多分、感
情を素直に吐露するのが苦手なんだろう。恥ずかしさを出さないように本当を閉まって
いる。
ボルト・フロム・ブルーの参加者たちと対象者たちの情報は一つずつ集まってきた。
サイトの主な参加者8人のうち、コンビートとマジュニアの対象は糾弾されている。テ
ィアラを含む残る6人とその対象はそれぞれだった。
ティアラとコンビートの他に都内から発信しているのはアシュリ。掲示板の内容から
一貫性の学校に通っている高校生、苦しみの種を与えているのは担任の教師であること
は分かっている。耳にすれば大概は理解できる名門校のため、成績にかかる重みは自然
と大きくなってくる。それだけなら自分との戦いになれるがそういう場所には大抵いら
ない圧力をかけてくる人間もいる。それがこのケースでは担任になる。こういう学校に
なると生徒の出来が教師の評価にも繋がってくるところもある。成績の優秀な者が多い
担任は良しとされ、脱落する者がいる担任には評価は下降する。昨今の場合は特に親御
がうるさくなっている。成績のおぼつかない生徒の親からは教師のせいだとさえ言われ
ることもある。そんなプレッシャーに悪く育てられた教師は成績を重視しすぎてしまう
結果におちいる。そして、その被害にあっているのがアシュリだった。頑張っていても
結果がうまく出せないタイプの人間は多いがアシュリはまさにそれだった。毎日ちゃん
と勉強していても同級生に着いていけない様に担任が噛みつき、標的と定めたように成
績の伸びないのは努力をしてないからだと非難した。日頃のストレスを発散するように
当たりちらされ、勉強を頑張っても成果のあがらない現実との板挟みに心身の疲労は蓄
積されていき、思いの行き場に困っていたときにサイトへと辿り着いた。今は掲示板が
吐き出し口になれているようだ。
神奈川から発信しているのはリーフ。掲示板の内容から病院に長期入院しており、苦
しみの種はその病であることは分かっている。具体的な病名は明かしてないが症状がい
つ変化してもおかしくない状況らしい。まだ身体は自由に動かせる状態だが医者から無
理は禁止されてるし、そんな不安を抱えた身体を無理に動かそうとも思えない。多少の
散歩には出てみるが大抵は病室のベッドの上で過ごしたまま憂鬱に暮れていく。爆弾を
体の中に携えている現状に絶望感ばかりが募り、どうにも出来ない現実に怒りをおぼえ
ていく。見舞いに来てもらったり、趣味に興じたりする楽しい時間も一時だけのもので、
何をしていても自分自身の爆弾が心の中に散らついてくる。希望の薄い未来しか見えな
いやるせない日々に思いの行き場に困っていたときにサイトへと辿り着いた。今は掲示
板が心のゆとりになれているようだ。
埼玉から発信しているのはクライス。掲示板の内容から公立校に通っている高校生、
苦しみの種を与えているのはクラスメイトであることは分かっている。その理由は僻み、
クラスメイトの恋人の感情を奪ったことにある。奪ったといっても感情の動きは一方的
なものでクライスには何をした試しもない。クラスメイトとその恋人の仲は周囲には公
然の事実で本人もああだこうだとのろけたり、「結婚したい」とか先の事もよく考えず
に気持ちだけを走らせていた。仲間内のたまる場にもよく恋人を連れてきていたため、
クライスも話をする機会が多かったらしい。話をするうちにその恋人との共通点も多く
話も盛り上がるのを感じていたがクライスには何という思いはなかった。だが、恋人の
方には芽生えるものがあった。ある日にクラスメイトから呼びだされると「どうしてく
れんのよ」と勝手な怒りを押しつけられる。訳も分からないままにしていると、恋人か
ら好きな相手ができたから別れて欲しいと言われ、その相手が自分であることを告げら
れた。そんなことを言われても困るだけだったがクラスメイトの逆上はおさまらない。
「あんた許さない」と立ち去られ、そこから地獄の日々が始まった。身体的と精神的、
両方のいじめを受けることになっていく。これまで友達と思って打ち明けてきた悩みや
秘密も全てバラされてしまった。どういう癖をしてるか、どういう体をしてるかまで。
完全に女王様になったクラスメイトにこれ以上やるなら親や教師に言うと突きつけるた
めに呼び出すと逆に刃物を向けられ、「そんなことしたらどうなると思う」と脅された。
被害妄想に陥ると手がつけられないタイプなだけにどうしたらいいかに迷う。もし本当
にやられてしまったらと思うと手足がすくんでしまう。底から抜け出せないジレンマに
思いの行き場に困っていたときにサイトへと辿り着いた。今は掲示板で参加者たちの意
見を聞き入れているようだ。
大阪から発信しているのはタマゴ。掲示板の内容から中学の卒業とともに働いている
社会人、苦しみの種を与えているのは同僚であることは分かっている。幼い頃に父親に
死別してから母親が仕事をしながら育ててくれていたため、少しでも早くその恩を返す
ために中卒で社会へ飛び出すことを決めた。飲食業に就職し、安めの給料でも常に全力
投球した。折からの不況での人員調整が上からの指示で入り、どうしても少数でまわす
ことを余儀なくされ、これまでの6割から7割の人員で10割当時の仕事をこなさなけ
ればならなくなり、毎日ヘトヘトになるまで動きつづけていく。そんな切羽詰まった状
態にもなれば人間どうにもなれない部分は出てくる。ミスだってすることもある。この
状況なんだからしょうがないとしてもらいたいところだが、その同僚はそれを許さなか
った。タマゴがミスをするたびに店の裏へ連れていき、叩きつけるような説教を浴びせ、
数発の暴力をくわえる。教育ではなく詰まりきった日々の憂さ晴らしだった。その同僚
がミスしたときでさえ、目が合っただけで「笑いやがったな」と発奮して店の裏へ連れ
てかれた。一度だけ反論したときは「態度がでかい」「上に報告して辞めさせてやる」
と言われた。謝るしかなかった。きっとある事ない事を言って無理やりにでも追いこま
せようとするだろうし、ここで意地を張って仕事を辞めたら後悔すると思ったから。仕
事をしているのは自分だけのためじゃなく、ここまで頑張ってきてくれた母親のため。
そう思うと独りよがりの決断にはいたれない。自分は同僚の怒りを静めるための道具、
そう己を捨てようとすら思った。だが、現実はそんなふうにはいけない。やりきれない
悔しさに襲われる。決意との葛藤に揺らぐ思いの行き場に困っていたときにサイトへと
辿り着いた。今は掲示板で愚痴を消化させているようだ。
福岡から発信しているのは源氏。掲示板の内容からタマゴと同じく中学の卒業ととも
に働いている社会人、苦しみの種は借金であることは分かっている。しかも、その借金
の種を作ったのは父親だった。昔からギャンブルと浮気癖のあった父親に母親は愛想を
尽かして逃げていった。源氏がまだ何も理解できないぐらいの頃だった。それ以来、片
親とも呼べないような父親との二人暮らしを続けていく。生活は当然小さい頃から荒れ
ていて、父親は収入の大体をギャンブルと女に注ぎこんでいく。家にいないことも多く、
休日に遊びに連れてってもらった記憶は無いに等しい。避けられない貧乏生活、ありと
あらゆるストレスを当てつけられる毎日。おかしくなりそうな環境の中にもかかわらず
逃げることはしなかった。子供だったから逃げ場なんてなかったのもあったし、自分に
はその世間から外れている環境が普通のものになってしまっていたのもあった。この日
々の連続なら源氏は耐えきれていた。ただ、そうはいかなかった。中学3年生のときに
父親は会社からリストラを通告された。怒りが頂点に達した父親は荒れまくり、その矛
先に源氏が向けられた。収入もなくなったせいで借金をしてまでもギャンブルと女へと
逃げ、使うだけの金を使い、家ではこれでもかと暴力と言葉を吐きちらされ、父親は失
踪した。いつものように家に帰らないだけかと最初は思ったが、そのまま帰ってくるこ
とはなかった。中学生にとっては莫大といえる借金を残され、絶望におちいる。取り立
て屋からは年齢なんか関係ないと容赦なしに脅され、中卒での就職を余儀なくされた。
給料のほとんどを持っていかれ、利子だなんだと借金の額はそうそう減ってもいかず、
これまで以上の貧乏生活を過ごさざるをえなかった。それでも取り立て屋は執拗に生活
をおびやかし、暴力を振るわれ、数えきれないほどの土下座をした。自分が一体何をし
たっていうんだ。失意のどん底へ落ちていく思いの行き場に困っていたときにサイトへ
と辿り着いた。今は掲示板で不幸を分かち合っているようだ。
そして、ティアラ。掲示板の内容からは年齢や居住地や性別は判別できない。参加者
たちのスレッドへのレスでは学生らしきニオイがうかがえるが明言できる言葉はない。
わざと推しはかれないよう、意識して巧みに書いているようにすら思えた。そのティア
ラの苦しみの種は社会、不正なことばかりが乱立して成り立つ今の世の中への不満が衝
動を起こさせるらしい。正直、その思いは分からないことはない。というより、その意
見は正解だろう。強きは高らかに笑い、弱きはとことん負かされることが多すぎる。悪
事を働いて伸し上がる権力者がいれば、善行のゆえに突き落とされる正直者もいる。こ
の掲示板の参加者たちがまさにその例といえる。彼ら自身が悪いわけではないのにこん
なにも心の痛む状況へ追いこまれなければならないのはおかしい。ティアラの心情も察
すれる。
ただ、だからといって犯罪なんてならない。あまりにも強引すぎる。ティアラに与え
てる苦しみをそのまま映してるようなものだ。不正だ。自分に苦しみを与えてる奴らへ
同じ方法で苦しみを与えようというのか。それは間違ってる。不正の起こす歪みを分か
ってる者だからこそ足を踏みいれちゃならない。彼らを彼らの憎むべきものへさせよう
としているのだから。
とにかくこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。対象者への警護を各県警へ通達し、
次の事件の防止へ打ってでた。
家に帰ってからは通常の時間を過ごしていく。入浴、夕食、片づけと重たい体で形式
的にこなしていく。仕事から解放される安楽の時間のはずなのにどこかリラックスしき
れない。先の見えない捜査を長く続けてる分、そううまくは肩の力を抜ききれないんだ
ろう。
もう一つの要因も分かっている。その対象の方へ視線を向ける。妹はまだ試験期間中
で自分の部屋に缶詰になっていた。埋めきれない空間をその間に感じている。こういう
仕事をしているから、妹にも都合はあるから、そうおざなりにしてきたツケの形だ。た
だ、今さらどう近づいていけばいいのかも分からない。小さい頃だってそんなに距離が
近い仲良し兄妹だったわけでもない。普通だ。それがああいうことになってから距離が
開いた。それをそのままにしてきた。要は自分の責任。なら、それをどうするのかも自
分次第。
今回の事件が片づいたら、どこかに誘ってみようか。どこがいいだろう。最近の女子
高生の連れてってもらって喜ぶ場所。もうそういったことにはさっぱり疎くなってしま
ってる。まぁいい、今度調べよう。
「あっ、起きた」
気がつくと数時間そこで眠ってしまっていた。いろいろと物思いにふけってるうちに
そのまま寝ていたようだ。長時間ソファに身を縮ませていたせいで自由がうまくきいて
くれず、変な痺れかたをしている。
「朝食できるけど食べる?」
「あぁ、うん」
キッチンで朝食を作っていた妹に不意に言われ、思わずそう答えた。起ききらない頭
では深く考える余裕はなく。
兄妹そろっての食事はあまりない。大抵は妹の方が先に家を出るから、その後に起き
る自分は夕食と同じように出来たものをレンジで温めて食べている。一人でのゆったり
とした食事に慣れてるせいか、こうして面と向かい合っての食事ににぶるものがある。
どんなことを話そうか。高校のことか、試験のことか。そんなこと聞くのは思春期の娘
がいる父親のようじゃないか。それじゃどこか自分には合わない。無理に話そうとしな
くてもいいんじゃないか。逆に気のつかったような会話になっても変になるし。寝起き
だから頭がまわってないせいにしておけばいい。そう頭の中で自分自身を納得させてい
った。
結局、食事中にこれといった話はなかった。妹の方からも話しかけてはこないし、そ
れで気まずくはないという感じだった。目玉焼きに醤油をかけた妹が「かける?」と聞
いてきたので「うん」と返し、醤油をかけてもらったのがこっちは特別な事のように感
じれたのに。
妹が支度をして制服で出掛けていく様を見ながら思うものがあった。うまく説明でき
ないが、両親がいなくなり、2人きりで生きていくことを決め、当たり前に過ぎていく
日々の中で妹は成長している。それをふと実感していた。同時に妹はこの日々をどう受
けとめているのかと気になった。両親がいないことをどう思ってるのか。2人きりで生
きていくと決めたことをどう思ってるのか。普段の関係から口には出せないが、その思
いを聞いてみたくなった。




