その12
○登場人物
成宮保裕・なりみややすひろ(特別刑事課、過去に事件でトラウマを抱えている)
金井睦美・かないむつみ(特別刑事課、成宮と同期、あっさりした性格)
成宮心・なりみやこころ(成宮保裕の妹、兄と同じ事件でトラウマを抱えている)
正代豪多・しょうだいごうた(特別刑事課、リーダーとして全体をまとめる)
薬師川芹南・やくしがわせりな(特別刑事課、自分のスタイルを強く持っている)
住沢義弥・すみさわよしや(特別刑事課、人間味のある頼れる兄貴肌)
井角・いのかど(特別刑事課、正代とともにリーダーとして全体をまとめる)
根門・ねかど(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
六乃・ろくの(特別刑事課、頭脳班として事件に向かっている)
壷巳・つぼみ(特別刑事課、成宮と同期、頭脳班として事件に向かっている)
但見・たじみ(特別刑事課課長)
筑城晃昭・ちくしろてるあき(麻布警察署少年課、成宮と過去に事件で接点がある)
大床・おおゆか(麻布警察署刑事課、成宮と過去に事件で接点がある)
鍋坂・なべさか(子供警察署長)
「何やってんだよ、お前」
「お兄ちゃんに銃を向けてる」
妹はこの状況において不自然なほど自然な表情でこっちを見ていた。さっきまでの不
定さはなくなり、いつも見ている通りの妹の様のままで自分の頭に銃口を向けている。
普通と異変が混同した状態は明らかに異変だった。
「何でだよ。何でこんなことお前がしてんだよ」
「必要だから」
この異変が必要、どういうことだ。無理にでも頭の中を動かしてみるけれどそれは理
解できないことだった。冷静に解釈をすれば理解は可能なのかもしれないがどうやった
って冷静になんてなれやしない。
「まさか」
銃を構え、視線を強めて金井が入りこむ。
「・・・・・・あんたがティアラ?」
何を言うんだ、そう心の中にともる。
「そうだよ」
耳先から近距離で届いた言葉はあまりにあっさりとしていた。本当に日常の会話のよ
うに。言葉の意味と調子に差がありすぎて戸惑いを隠せない。それ以上にその言葉は絶
対的に理解が無理なものだった。
「それが? 何か?」
妹の言葉はどこまでも淡々としていく。金井も自分まではいかずとも理解に苦しむ様
を見せている。
「それよりも介抱してあげたほうがいいんじゃないの」
妹は顎でクイッと上げて示す。その先にいる倒れこむ薬師川さんのことを示している
んだろう。薬師川さんは撃たれた左肩を押さえながら鋭くこちらを見ていた。スーツに
もじんわり滲んでいる出血は痛々しいが意識を失うまでは至っていない。すぐにでも介
抱すべきではあるけれどこの状況ではそれは難しい。
「大丈夫。撃ったりしないから手当てしてあげて」
妹の言葉に金井は動く気配を見せなかったが「早く。絶対に撃たないから」と何度も
言い続けられ、薬師川さんのもとへ動いた。それでも銃はこちらに向けたまま、ゆっく
りと動いていく。倒れている体を起こして木材の束に凭れさせ、傷口に近いところをグ
ッと締めて緊急の手当てを施す。
介抱を終えると金井は再び同じ姿勢に戻る。
「どうして。どうして撃った薬師川さんを介抱しろなんて言うの」
金井の言葉は尤もなものだった。発砲しておきながらその相手の手当てをしろなんて
矛盾してる。こと、さっきから違和感の残る場面ばかりで自分の中での整理がつけきれ
ない。
「だって、そっちが3人だと人数的に不利でしょ。同じ人数ならどうにかできるけど、
そっちの方が多いと全員で来られると不覚をとるかもしれない。だから、悪いけど一人
は黙っててもらわないと。ただ動けないぐらいでいてくれれば命まで奪うつもりはない
から」
妹の言葉にまた違和感が残る。薬師川さんを撃った理由がそれなら、まだ人数はこっ
ちの方が多い。
「もういいよ」
頭を悩まされてると妹の強めの声が響いた。一体何に対しての何の意味の言葉なのか
に迷う。
そのうちに倉庫の奥隅の方から小さな足音が聞こえ、それはだんだんと大きくなって
くる。木材の陰から足音の主の姿が見えてくるとその正体に意識を奪われる。取り調べ
のときのように無表情でコンビートは近くにやってきた。コンビートは今朝ティアラに
よって移送中に脱走、コンビートはティアラとともにいる可能性が高い、そのコンビー
トが今ここにいる、妹は自分がティアラだと言っている、速まる思考が過去の出来事の
辻褄を合わせていく。認めたくはない現実がそこから確かといえる現実として弾きださ
れていく。
そう悩みきっていると右手に速い感触が伴う。油断を悟られ、右手に握っていた拳銃
を後ろから妹に取られてしまった。
「これ、借りるね」
そう言うと妹は拳銃をコンビートに渡す。受け取ったコンビートは拳銃を少し眺める
と銃口を金井の方へ向けた。
「金井さん、私を撃つならいつでもどうぞ。でも、あなたが私を撃ってる間にコンビ
ートがあなたを撃つよ」
妹は自分に銃を向け、その妹に金井が銃を向け、金井にコンビートが銃を向けている。
妹の言葉の通りの式がそこにできていた。こちらに有利だったはずの式は簡単に向こう
の有利な式へとされていた。
「本当に・・・・・・」
緊迫した睨み合いの中、開口したのは自分だった。意図的なものじゃなく自然と言い
零れた。
「本当に・・・・・・お前がティアラなのか」
前へ向けていた顔を後ろに向け、妹の目をしっかりと見て真実を問い掛けた。今でも
絶対に信じられないことだけど現状はそれが正しいであろうことを示している。納得し
きれないけれど納得しないと事は前へ進まない。そして、時間が多く残されてない今は
事の進行が必要になっている。踏みだしたくない一歩を踏みださないといけない。刑事
としても兄としても。
「そうだよ」
妹はこっちの目をしっかりと見てそれが真実であると返した。さっきと同じ語調で、
いつもの妹と変わらない語調で。それは極限のような墜落感であり、逆に吹っ切れさせ
るものを与えてくれた。良くも悪くもこれが現実であるという喪失感を心に刻みこんで
くれた。
「どうしてだ。何でこんなことをするんだ」
「言ったじゃん。仲間を守るためだって。現行の警察や制度じゃあ何も助けてはくれ
ないからって」
「確かにそうかもしれない。でも、助けられてる人たちだっているんだ」
「それじゃあダメなんだよ。助けられる人と助けられない人がいるようじゃあ。警察
は正義でないといけない。苦しんでる人を見て手を差し伸べないのは正義なんかじゃな
い。それが出来ないようならいらない。いらないならあるだけ邪魔でしょ。変える必要
がある」
「それがあの要求ってことか」
「うん。とりあえず偉い奴らにはいなくなってもらって正義でいる人たちに上に来て
もらう。若い人の方がしがらみも知らない分だけ熱血漢だからそういう人たちがいいか
な。悪知恵しか考えてないような年寄りには雑用でもやらせておけばいい。それで警察
は正義になる」
「そんなことしたって無理がある。俺らは法のもとで動かなきゃならないんだ。苦し
んでる人に手を差し伸べられないのもそのせいなんだ。俺らはいつだって助けになりた
いと思ってる。ただ、そんな簡単にいけないこともあるんだ」
「・・・・・・それもそうだね。面倒くさいね、制度って。それも変えないと。でも、
そのへんはちゃんと考えてあるんだ。詳しいことはよく分かんないけど、もっと上の方
も全部変えちゃえばいいんでしょ」
「そんな事が思うように運ぶと思うか」
「大丈夫。手は打ってあるから」
妹は少し口角を上げて言った。それが言葉と異様に合っていた。
「どういうことだ」
「さぁ。ただ、そのうち面白いものが見れると思うよ」
「何をした」
「そんなの言うわけないでしょ。まぁ、警察の出方次第でどうにでもなるけどね。素
直に言うことを聞いてくれるなら何もしないし、下手なプライドを掲げるんならこっち
がそれを打ち砕かせてもらうまで。どうするかを決めるのはそっち。私はその判断から
動くだけ」
空しかった。妹はいつもの妹でそこにいるのに確実にそうではない。そうなっている
ことにも気づけなかった自分に対しても含めての空の気持ちが痛かった。棘のない空虚
がこんなに痛かった。
時間は刻一刻と過ぎていく。今が何時かは分からないが約束の時間に近づいてきてる
はずだ。刑事として犯人をこのままにしていいわけはないし、兄として妹をこのままに
していいわけはない。時が過ぎるのを待っててはいけない。でも、この先にあるものは
悲しいものでしかない。それでもやらなければならないのは充分すぎるほど分かってる
けれど痛む思いが止んでくれない。
「どうしてだ・・・・・・どうしてお前がここまでやらなきゃならなかったんだ」
納得しきれないもどかしいピースを埋めようと切実に訴えかけるように届けた。
その思いが届いたように妹の表情が変わる。何かを思うように考えている。
「・・・・・・お兄ちゃん、お父さんとお母さんの事件のこと覚えてるでしょ」
しばらく葛藤を続けた後、妹は呟くように開口した。
「あぁ。当たり前だ」
忘れるわけなんかない。
「どういうふうに聞かされてたっけ、警察から」
違和感の残る言葉だったが気に留めたまま進める。
「どうもなにも、父さんが少年課で担当してた男が逆恨みしてウチに侵入して全員を
撃ったんだろ」
「その先は?」
また違和感の残る言葉だったが続ける。
「父さんが通話してたからすぐに警官が来て、お前が助かった」
かいつまんでだが自分が警察から聞かされたことを話した。今まで兄妹間ではなんと
なく避けてきた話なので今ここでそれを起こされてるのを疑問に思いながら。
「そう。よく出来た話だよね」
息をつきながら妹は言い捨てる。
「それね、嘘なんだよ」
妹はおかしな言葉を発した。そうとしか思えなかった。
「何言ってんだ」
「私ね、事件のときの記憶はないって言ってきたけど本当は全部憶えてるの。警察が
お兄ちゃんに言ったことはただの作り話だよ」
その言葉は信じられるものではなかった。この状況もそうだし、何か裏があるんじゃ
ないかと踏みたくなるほど。
「どういうことだ」
「あの日、確かに犯人とされてる人はウチに来たよ。ウチに侵入してきてリビングに
いた私たちに向かって拳銃を構えた。お父さんは必死で説得して、その人は聞く耳なん
かないってふうに激しく口論してて。私はお母さんに抱きしめられながら恐怖に陥って
いた。何が何だかさっぱり分からなかった。お父さんとその人の口論はずっと続いてた
けど一向に銃を撃ちはしなかった。多分、お父さんの説得が徐々に効いていたんだと思
う。今ならなんとなく分かるけど、あのままいってたら何も起こらずに終わってた気が
するんだ」
そこで一息つくように妹は何かを思いだしながら息をつく。
「ただね、そこで余計な奴が現れたんだ。事件のことを知ったらしい警官がウチに勢
いよく入りこんできた」
警官、筑城刑事のことか。
「とにかく急いで来たみたいで息が尋常ないぐらいにあがってた。そこで目にしたの
が一人の男が家族3人に拳銃を向けている場面。さらに、その人が今度は警官に向けて
「てめぇ、何だ」って大声あげて銃を構えたからもう最後。場数も踏んでない新人がい
きなりそんな状況に出されたせいで彼はパニックに陥った。息遣いが過呼吸ぐらい不定
になりながら相手に銃を構えた。ここで彼がやるべき行動はお父さんと一緒にその人を
説得するか仲間が来るのを待つか。無理なんてしちゃいけないに決まってる。でも、彼
にはそれを考えるだけの余裕もなかった。物事の分別もつけられない、何が正義で何が
悪かも分からない、ただこの場から自分を守ることにしか思考は働かない状態にしかな
らなかった。そうしてる間にも相手からは「全員殺してやる」とか挑発する言葉が飛ん
できた。部外者の警官が来たことでその人もまた血がのぼっちゃってたから。そして、
その挑発で興奮が募って振り切れる瞬間がきた」
妹の話を聞いていくうちにその終結の予想ができてくる。あってはならない、すぐに
この頭から打ち消したいものが。
「そしたらね、その警官おかしくなっちゃって。叫びながらそこにいる全員を撃ちま
くってったんだ」
心がグッと止まるほどの衝撃だった。それ以外の何もなかった。
「私はお母さんに守られてたおかげで銃弾は受けたけど死なずにすんだんだ。撃った
警官は脱力してそのまま気絶して、私も気を失った。気がついたらもう病院のベッドだ
った。目を開けたときにお兄ちゃんが側にいてくれたのは嬉しかったけどお父さんとお
母さんを失ったのはなんとなく分かった。その中で変わる変わる病室に来る刑事たちが
無性に怖かった。あの警官の姿が頭に起こされてきて嫌でたまらなかった。そのうちに
お兄ちゃんから事件についての詳しいことを聞かされて衝撃を受けたんだ。家族3人に
発砲したのは侵入してきた男の人で警官はその後に家に来た、そういうことになってた。
違う、違う、そう思った。けど、言葉が喋れない状態だったから涙しか出なかった。自
分にもどかしくなるしかなかった。そんなとき、寝ずに目だけ閉じていたときに病室に
来ていた刑事が私が寝てると思って話してた会話が聞こえてきたんだ。事件に関する事
実が警察の上層部に隠蔽されたこと、それがもう世間に事実として公表されたこと、私
が事実を知っていてこの先に何を言ったとしても全て警察に消されること。それを耳に
してると絶望が頭の中に回ってった。私みたいな小さい子供が言ったことは言葉自体も
小さいものとされて、銃で撃たれて気を失う前の記憶なんて確かなものじゃないとされ
るんだって分かって。その後、言葉を喋れるようになってから刑事に話を聞かれたとき
は「お前、あのときのこと何も知らないよな。そうだよな」って強い視線で見られて私
は怖くて何も見てないって証言した」
妹の言葉が途切れる。そっとその顔を見ると目に揺れるものが見えた。
「お兄ちゃん、どう思う? 撃ってない人が殺人の末に自殺ってことにされて、撃っ
た人が何もなかったように警察にいるんだよ。お父さんは何も殺されるようなことはし
てないし、お母さんは何も関係ないんだよ。おかしいよ、何もかも。こんなことが通る
なんて狂ってる」
抑えながらも感情を募らせていく妹のことが分かりながらも意識は自分自身に向いて
いた。妹からの衝撃的な告白を整理できずにいた。事件から10年以上も過ぎた今にな
ってそんなことを言われてもすんなり受け入れられなんてしない。これまで10年以上
も向けてきた感謝と憎悪は反対だなんて。
そのとき、急ぎ回る頭の中で交錯するものがあった。今聞かされた言葉に昨日の場面
が重なり、それが新たな形になっていく。両親を撃ったのが本当は警官、そのときの警
官は筑城刑事、その筑城刑事は昨日遺体で発見された、その遺体には数発の撃たれた跡
があった、両親も数発撃たれて亡くなった。回っていく中で重なっていくもの、それに
悟れるものを抱えながら後ろを振り返ると妹は清新な顔でこちらを見ていた。
「お前、まさか・・・・・・」
「そうだよ。私があいつをやったんだ」
その言葉は重くこの体に圧し掛かった。まさか昨日の事がこんな繋がりを持っていた
なんて欠片も思っていなかったから。
「あいつが私の苦しみの種だったんだ。お父さんとお母さんを殺しといて、自分だけ
事件現場に乗りこんで幼い命を救った勇敢な警官になってるなんて腐った心が許せなか
った。お父さんの命日に墓参りに行くたびにあの瞬間に見た光景が鮮明に蘇えって忘れ
られないんだ。あいつが毎年そこに来てるのもたまらないんだ。どの面さげて手を合わ
せてんだ、って憤りが振り切れそうになるんだ。お父さんの正義があいつの悪に潰され
てるのが許せなかった」
妹は初めて感情的に言葉を散らしていた。その様子を目にしながら妹の言葉は嘘じゃ
ないと心の中で思った。これまで刑事として数多くの人間の本当と嘘を見てきた経験も
あるがそれ以上に長い時間を共にしてきた妹の訴えかけるような目の強さにそれが真実
である確信めいたものが生じた。
「警察が正義の仮面を被った悪魔だって分かってから憎くてたまらなくなった。あれ
から表向きだけの上辺の正義なんて信じないでその奥にある本当のものだけを信じるこ
とにしたんだ。結構そういう奴っているんだよ。良い顔をするのだけうまい奴。他の人
たちは騙されても私は絶対に騙されない。そういう奴らは大嫌いだ。消えてなくなれば
いいと思ってる」
「そうしたら、私みたいに苦しんでる人たちがいるのをネットで知ったんだ。理不尽
な行為で悪に苦しめられてる正義が多くあるのは胸が痛かった。何も悪いことしてない
のに心を苦しめられてる痛々しさが自分とも重なった。だから、そういう人たちの心の
よりどころになれるようにと思ってサイトを開いたんだ。みんなの傷は自分の傷、自分
の傷はみんなの傷。そうすることで辛さは和らいだし、仲間ができたことはかけがえの
ないことだった」
「いつかきっとお父さんとお母さんの仇を取るんだ、そう思ってきた。でも、掲示板
でみんなと接していくうちに今存在する正義を踏み台にしてる悪たちを徹底的に排除し
てやりたくなった。だから、まずはみんなの苦しみの種を潰してくことにしたんだ。次
に私自身の苦しみの種を潰す。そして、正義に何も力を貸そうとしない憎き警察を牛耳
って改革をするんだ。警察を、日本を、世界を。それで正しい人たちが正しくいれる地
球にする」
続けざまに言葉を発してく妹には力がこもっていた。そこには確かな信念があった。
押しても引いても揺らがない強い思いが。
「どうしてだ。どうしてお前がそこまでしなきゃいけないんだ」
絞るように言葉を出した。すぐそこにいるのはいつもの妹のはずなのにその奥底にあ
るのは果てしなく深い。ずっと側にいたのに気づけなかった思い。
「じゃあ、お兄ちゃんは今の世界が平和だと思う?」
妹からの問いかけられ、返答に戸惑った。平和かそうじゃないかと聞かれれば平和な
世の中のように思えるけれど、世界には不公平な現実をただ受けないとならない人がい
るのも事実だ。
「そうだよね。今を平和だと言える奴は全く世界が見えてない。どれだけの人間がこ
うしてる間にも死んでいってると思う? 何も食べるものがなくて死んでいく人間がい
れば、食うに困らずどころか余らせて手もつけないまま捨ててごみにしてる国が山ほど
ある。そんなの、死んでいってる人たちの命を捨ててるようなもんだよ。私たちの中の
当たり前は全然当たり前なんかじゃない。変えなきゃならないんだ、誰かが」
力説する妹の言葉に真実を見れた気がした。妹は正義になろうとしている。誰よりも
強く、過ぎるほどの正義に。結果、その思いが妹をこうさせてしまった。正義の強さが
悪を許せなくさせ、限界を越えてしまった。妹は加害者でもあり、被害者でもある。被
害者の心理が加害者を作りだしてしまったんだ。
どうすればいい。どうすれば妹を元の妹に戻せるんだ。
悪いのは誰だ。警察か、組織か、何も知らなかった自分か。
正義って何だ。妹の思いは正義だ。なのに、妹は拳銃を持って犯罪を続けている。一
体、何が正しいんだ。
考えては巡らせることを繰り返したがこんな状況で冷静な判断なんてできなかった。
倉庫内の静けさは不気味でしかなかった。
「もうすぐ時間だ」
現在の時間を確認したらしい妹が呟いた。
「良い返事が聞けるといいな。正代さんは頭の良さそうな人だから大丈夫かな。でも、
それより上の頭の悪い奴らが違う答えを出してくるかも」
警察がどういう結論をくだすのかはこちらにも分からない。おそらくは犯人の要求を
呑むようなことはしないだろう。幹部の人間たちの出す答えならなおさら威厳を保たせ
るものになることだろう。
「もし、警察が要求を呑まなかったらどうするんだ」
「そいつらの口を黙らせるまでだよ。自分たちの出した結論がどんな未来を導くのか
痛いほど分からせてやる」
そのとき、携帯の揺れる音が小さく倉庫内に鳴った。方向と反応から金井のものであ
るのが分かり、妹は「どうぞ」と出るように促した。電話に出るとこちらに聞こえるか
どうかの声でのやりとりを続けていく。やがて話を終えて電話を切ると表情の険しさを
薄くさせ、こちらを見据える。
「警察からだ。悪いけどあんたの望むようにはならない」
どうやら電話は警察からの最終的な結論についてのもののようだ。要求は呑まず、相
手に対するということだろう。
「そうかぁ。まぁ、やっぱりっちゃあやっぱりだけど」
息をつきながら妹は言った。どうやらこの結論は計算のうちのようだ。
「お兄ちゃん、私ってかわいそうだね。警察は私の命より自分たちの方が大事みたい
だよ」
「それは違う」
妹の言葉を遮るように金井が言い挟んできた。
「何が違うって言うのさ。そういうことだろ」
「違う。警察はあんたのことを見殺しになんかしてない」
「意味が全然分かんないんだけど」
「警察はもうあんたがティアラだって分かってるんだよ」
金井の言葉に妹は言葉を返さない。同じように自分もその意味が分からずに止まって
いた。
「何それ。カマかけてるつもり? 面白くないんだけど」
「嘘なんかじゃない」
金井の言葉に嘘がないのはなんとなく分かった。あれだけ真剣な瞳をしてる彼女に嘘
はない。
「皆で揃って私を追いこもうって魂胆? そんな安い心理戦でどうにかしようなんて
よっぽど策がないんだね。しょうがないからその頭をどうにかしてあげるよ」
まずい。次の策に打ってでる気だ。
「爆弾を爆発させるんなら無理だよ」
行動を起こそうとしていた妹がその言葉で止まった。どういうことだ。
「警察庁と警視庁に向けられてた2台の車の中からそれぞれ爆弾を発見。パソコンを
介して発車され、衝撃とともに爆破するシステム。爆弾そのものの威力は大したものじ
ゃなく、人を死に至らせるほどにはならない。おそらく、警察への威圧的な攻撃として
用意されたもの。そして、その起動のためのネットワークが繋がっていたのがあんただ
ってことだ」
それは警察の結論に対しての制裁として行われるはずだったのであろう。警察庁と警
視庁への直接の攻撃を企てていたということか。
妹は側を離れていき、倉庫の奥の方でパソコンに触る。今の金井の言葉が真実かの確
認だろう。それを終えると再び側にまでやってきて拳銃を構える。自分にではなく金井
に向けて。
「よく分かったね。どうして?」
「あいにくだけどウチには頭のキレる頭脳班がいるんだよ。そういつまでも犯人の後
手に回り続けやしないってことさ」
そうか、頭脳班のメンバーが妹の策に未然に行き着いて防いでくれたんだ。これまで
ティアラの背中を追ってきたけど最後に追い抜いてくれた。さすがだ。
「もうすぐここにも多くの刑事が来る。あんた、もう逃げられないよ」
完全な形勢逆転を金井は突きつけた。それに対し、妹は何かを思うように息をついて
銃を構えていた右手をおろした。
「最初から逃げるつもりなんてないよ。私は全てを出し尽くした。それで敵わないん
ならこれ以上続けたってムダってことさ」
そう言うと妹は再びパソコンのところまで行き、軽くいじるとパソコンごと持って戻
ってくる。提示するように妹が開けたパソコンの画面には「4:52」と数字が並んで
いた。意味を悟れずにいると数字が一つずつ減っていくのが分かった。
「この倉庫内に仕掛けた爆弾を起動させた。タイムリミットは5分」
あまりの衝撃的な言葉に理解しきれなかった。
「何言ってんだ、お前」
「言っとくけど嘘なんかじゃないよ。あと5分足らずでここは確実に爆発する。今ま
でに使ってきたものの威力の比じゃない、この倉庫ごと呑みこんじゃうから」
一気に体中の血の気が引いていく。対称的に妹は何かを悟ったように平常な様に見て
とれる。
「どこだ。どこにその爆弾はある」
「そんなの言うわけないじゃん。探すだけ時間の無駄だよ。5分じゃ見つかるような
ところになんてないから。あと、このパソコンをどうこうしても無駄だよ。起動したら
ここからは止められないから」
どうして爆弾なんか・・・・・・まさか。
「お前、死ぬ気か?」
「・・・・・・そうだよ」
その言葉を受け入れられる余裕なんかなかった。爆発が迫ってる危機的状況と命を投
げようとしている妹の決意は重すぎる。
「行きなよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんたちまで巻き添えにする気はないからさ」
「ふざけんな。何言ってんだ。どうしてお前がそんなことしなくちゃいけないんだ」
「私はもうこの手を血に染めたんだ。普通に生きていくことは出来ないし、警察の世
話になるぐらいなら死んだ方がマシだよ」
何だよ、それ。ふざけんなよ。ふざけんなよ。そんなもん、許されるわけないだろ。
「だからって死ぬなんておかしいだろ。俺が許さねぇよ。絶対助けるからな」
そのとき、発砲の音とともに体が崩れていった。妹の撃った銃弾が足にあたり、苦痛
に耐えられずにその場に倒れた。
「金井さん、お兄ちゃんを連れてって」
側から聞こえてくる妹の言葉に返せるものがなかった。こんなに近いのに遠くに感じ
られる。
すぐに金井が来て右側に自分の体を起こしてくれた。出口に歩きだす金井と歩きだせ
ない自分の歩が合わずに止まってしまう。
「何やってんだ。死にたいのか」
声を強くする金井に言い返せなかった。死にたくなんかないけれど妹を残してなんか
行けない。言葉の代わりに妹に視線を向ける。
「その足じゃあもう自由はきかないよ。自分一人で逃げるのも無理だろうね。金井さ
んに助けてもらうしかないんだよ、お兄ちゃんは。金井さんは薬師川さんも連れてかな
いとなんないから両手が塞がる。私とコンビートをむりやり連れてくことは出来ない。
たとえ説得したとしても私たちの心は決まってる。揺らがない。むしろ、そんなことし
てる時間が無駄にしかならない」
道を塞がれた。そのために自分を撃ったのか。
「行くぞ。全員死ぬわけにはいかない」
金井に言葉を掛けられても決心がつかない。こんな極限の決断、あまりにも酷すぎる。
妹の言葉からすると全員が助かるには説得が必要になる。だが、これも妹の言葉からす
るにその時間が自らの命取りになる。時間は限られている。今すぐにでも動きださなけ
ればならない。なら、今現在最も可能性が高いといえる3人が生き残ることを選ぶべき
だろう。全員が死ぬよりも3人が生き残った方がいいに決まっている。でも、それは自
分には選びきれない。たとえ連続殺人事件の犯人のティアラであろうとも妹の命を見捨
てて生き残ることなんて。無理だ。
「お兄ちゃん、行ってよ」
肉体と精神の苦悩の間で立ち往生をしていると妹からの強めの言葉が届いてきた。
「お兄ちゃんが変えてよ、この世界の腐った部分を。正義が正しいことをして誇れる
ように、悪が汚いことをして咎められるように。お父さんとお母さんが死んだ中に嘘が
刻まれるようなことが二度と起こらないように。こんな世界はうんざりなんだ。誰かが
変えないといけない。外から変えるのがダメなら、お兄ちゃんが中から変えてよ。私が
見れなかった景色を代わりに見てよ」
言葉の一つ一つが痛いほど胸を打ってきた。遺言といえる妹の魂の言葉たちがこれで
もかと響き、その力強さが決意の重さなんだと悟ることができた。涙は自然に流れてい
った。
「行くぞ」
金井に体を引かれ、出口に向けて進みだす。拒むことはしなかった。妹の言葉に背中
を押され、迷いはどこかに吹かれていた。
「お兄ちゃんっ」
そのとき、妹の大きな声が背中に届いた。金井の肩を借りたままでなんとか振り向く
と妹は右手に何かを掴んだまま掲げていて、それをこっちへと投げた。コントロール良
く飛んできたものをキャッチするとその物を確認する。指輪、いつも妹がしていた母親
の形見だ。妹の顔を見る。喜びでも悲しみでもない捉えようのない表情だった。ただ、
絶望というものでもなかった。
木材に凭れたままでいた薬師川さんも金井の左側を借りて3人で歩いていく。傷を負
いながらで遅くはあったけど確実に出口は近づいてくる。生のために進んでいく中で、
死を選んだ妹との距離も確実に離れていく。右手に掴んだ指輪を目にし、左腕にある父
親の形見の腕時計も目にすると感情が膨れあがった。
「心っ」
瞬間的に思い起こされた妹との思い出を抑えきれず、何の脈絡もなく妹の名前を大声
で叫んだ。これという意味なんかない、ただ妹に届いてくれればいい。
出口へ向かっていく兄の後ろ姿を眺めながらようやく安心できた。もう兄は振り返ら
ないと確信したから。未来へ向かって歩いていってほしい。できれば、私の望む未来へ
向けて。
近くに積んである木材に凭れかかりながら座るとコンビートも隣に座った。さっきの
一連の中で彼が言葉を発することはなかった。私の苦しみの種の排除、それを分かって
くれていたから。
パソコンに目を向ける。「2:08」と映されていた。
ポケットに忍ばせていた写真を取りだす。自分の部屋に飾っていた家族写真、それを
眺めながら思いにふけっていく。家族との思い出、両親を失ってからの日々、兄との生
活。
両親の死の真相を事件のときに兄に伝えなかったことをたまに後悔していた。兄には
それを知る権利がある。ただ、あのときの大人たちの怖さを拭えなかったし、心のどこ
かにいつかの復讐を描いていた。兄は父親の意思を継いで警察官になった。嫌気しかな
い警察へ兄がなった堕落もあり、それを復讐へと利用できる思いもあった。兄を介して
警察についていろいろと入りこめた。今回の復讐はそれなしには成りたたなかったから
感謝はしてる。
でも、それ以上の感謝もあった。両親のいなくなった後に祖父母の家に預けられたと
き、居心地は最悪だった。よく知りもしない人間たちが興味本位で入ってくる現実が嫌
でたまらなかった。両親を失ったショックも癒えてなかったから表側では普通にしてた
けど裏側では沈みに沈みきっていた。そんな心の奥を察してくれて兄は大学に合格する
とすぐに2人で暮らそうと言ってくれた。ちゃんと自分を見ててくれる人がいるんだと
分かってかなり救われた。それからは大学に通いながらの多くはない兄のバイト代で生
活をしていった。余裕はないけれど余計な詮索の中にいなくて楽になれた。兄との関係
自体は昔のようにはいかなくなったけど「この人だけは大丈夫」と信じられた。もっと
向き合いたかったな。
お兄ちゃん、育ててくれてありがとう。感謝してるよ。こんな妹でごめんね。
「一つ聞いてもいい?」
感慨に浸ってるとコンビートに声をかけられる。
「うん、どうぞ」
「どうして警察にこの場所が分かるようにしたの? 携帯の電源を入れなかったら警
察はここには辿り着けなかった。警察庁と警視庁に向けた爆弾が見つかったとしても未
遂で終わってるわけだから奴らに君がティアラだとバレなければ同じ展開にはならなか
ったと思う」
確かに。それはそうだよね。私が警察がここに来るように仕向けたとき、コンビート
はその意味を見い出せない様子だった。「これでいいんだ」とだけ言ったけど。
「何でだろうね。自分でもよく分かんないんだ。でも・・・・・・誰かに話を聞いて
ほしかったのかもしれない。もしかしたら、ずっと誰かに言いたかったのかもしれない。
10年以上も一人だけの胸にしまっとくのは辛かったから」
誰かに話すのなら他じゃない兄に、そういうことなんだろう。
「私も聞いていい?」
「何」
「どうして最後まで私と一緒にいてくれようと思ったの?」
コンビートを移送車から助けた後、ここに来るまでの間に全てを打ち明けた。彼が警
察に捕まっている間に私が起こした事、私の苦しみの種である過去、これから行う計画
について。万が一、計画が失敗したときは倉庫とともに果てるつもりであることも。君
に協力してほしい、でも一切の強制はしない、そう伝えるとコンビートは少し考えてか
ら「協力する」と言ってくれた。嬉しかった。
「君が僕を救ってくれたから。君が現れなかったら、あの掲示板がなかったら僕は人
生を諦めとしか思えてなかったと思う。狭すぎる世界の中で自分の中の正義が少しずつ
削られていくのを絶望とともに待つことしかできなかった。けど、君のおかげで変われ
た。あのままだったら絶対に行き着くことのないはずだった世界へ君が連れてってくれ
た。本当に感謝してる。だから、君のためになりたいと思った。今度は僕が君を救う番
だ、そう決めた。死ぬのも歓迎さ。どうせ、あのままなら死んだように生きてくことし
かできなかったんだから。そんなの地獄みたいだ。僕は今すごく満足してる。この感情
を手に入れられたのが嬉しい。こんなに通じ合える仲間に出会えたことが何よりの宝物
だよ」
不器用に笑うコンビートに続くように笑った。私も同じだよ。両親を失くした後の絶
望感を味わっているときにはこんな思いになれる日が来るなんて思いもしなかった。大
人の嘘に侵された不自然な心だけを一生持ち続けていくんだと思ってた。でも、違った。
復讐を決行した。仲間ができた。心が満たされた。
体の中は穏やかな感情に包まれていく。パソコンの画面に映された数字は残りわずか
になっている。
私は正義になろうとした。この世の悪を葬り去らせようとした。でも、ダメだった。
いつもそうだ。いつの時代にも正義は怪訝にされる。暑苦しいものとされ、必要ないも
のとされる。だから、この世界には平和が来ない。野心に心を腐らせた権力者たちが一
握りの勇者をことごとく消していく。口では平和を謳ってるだけの奴らのせいで。それ
なら私がそいつらを排除してやろうと考えた。結果がこの有様だ。正義が消されて悪が
生き残る世界に何の意味があるんだ。そんな世界を生きるぐらいなら死を覚悟してでも
立ち向かうべきだ。果てたとしても何かは残ってくれると信じて。そう、私の思いだっ
てきっと何かになっているはずだ。そう信じてる。
フラッシュバックのように場面が巡っていく。その中の一つに違和感があった。私は
嘘をついてしまった。リーフに言った言葉だった。ごめん、私は自分で死ぬことを選ん
でしまった。あんなふうに言ったくせに当の私が弱虫だったよ。でもね、後悔はあまり
してないんだ。志は半ばだけど私は少なくとも仲間のみんなの正義にはなれた。満足し
て死ねる。本望だ。それに、君にも会えるからね。会ったらとりあえず謝るよ。そして、
何気ない話でもしよう。