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侍従・3

「ネリー、母上は何を話しに行かれたのかな」

「さあ。亡くなられた旦那様のおまとめになった書きものなどをお持ちしたようです。何か御役目に関わる秘密のお話ではないでしょうか」

「秘密のお話……」

「はい。秘密ですから、私も何も存じ上げない訳でして。直接奥様にお尋ね頂くしか御座いませんよ」


 ネリーは侍従の養母にあたるノイマン夫人が最も信頼するメイドだ。もともとは亡くなった実子の乳母であったらしい。その後、ネリーの夫は上官であるマウリッツと共に戦死したのだそうだ。ネリーの息子は無事に成人して、夫の生家の商売を継いだ。

 養母が信頼するだけあって、ネリーも口が堅い。淹れてくれたコーヒーは薫り高く、王の御前でいただく物より美味いぐらいだったが、何も聞きだせないのは確実だった。


「それにしても、長いね」

「さようですね」


 結局、養母が戻ったのはいつもの就寝時間を過ぎた頃だった。


「すっかり遅くなりました。陛下がおっしゃるには、入浴の介添えは無用だとのことですよ。明日の朝食は、いつも通りの時刻にとのことです」

「湯から上がられた後の飲み物の毒見は……」

「御自身で注がれて、当番の護衛役に一口飲ませてから、お飲みになるそうよ」


 色街にも供をする三人の屈強な護衛たちは異民族の若者で、それぞれ裏通りや色街で虐待されていた所を子供時分にロベルトに保護され、その後武芸をおさめた忠義者ばかりだ。王としてのロベルトに忠義を尽くすと言うよりは、ロベルトだけが自分の主だと命がけで思い定めているような連中で、それだけに信頼もできるのだった。


「大君主国の連中の事も心配です」

「ああ、暗殺を専門に行うと言う者達ね。あの護衛は大君主国で生まれた者のようだから、そのあたりの気構えも十分ですよ。きっと。お前もすぐにお風呂にしなさい。私は食事前に済ませました。あまり遅いと湯を運ぶ者も大変です」

「はい」


 自室に入浴できる設備が無いわけではないが、自分が女である事を承知している養母の住まいで入浴する事にしている。その方が安心できるからだ。王は清潔好きで、必ず毎日入浴なさるのだから、侍従の自分が不潔ではいけない。そう若い侍従は考えている。だが、確かに養母の言うように入浴のために湯を運ぶ者は大変なのだ。遅くなった事について、一言詫びておくべきだろう。


「それにしても、何なのかなあ」

 夜遅くに湯を運んでくれた中年のメイド二人に、心づけをやり、後は自分で出来るからと言って下がらせた後、ハーブの香るたっぷりの湯につかりながら、つい独り言を言ってしまう。王は義母が人払いを要求した事を意外に思っていらしたようだ。養母が自分に聞かせたくない話とは、一体何なのか?


「お前に聞かせるのは、時期尚早だと判断したのです」


 先ほどそんな事を養母がチラッと言ったから、自分にも関係した話だと思われる。確かに、自分は昔の記憶が無い。記憶が無いのは、記憶しきれないか記憶したくないか、何か理由が有るのだと医師に聞いた事が有る。記憶したくない何かだとすれば……忘れている方が幸せと言う事なのかもしれない。

 敬愛する王と賢明な養母が下した判断に、異議を唱えるべきでは恐らくないのだが、仲間外れにされたと恨み言を言いたい気分になるのは、自分でもどうにもならない。そんな事を思ってベッドに入ったせいか、寝付きは良くなかった。 

 ベッドの中で何度目かの寝返りをした瞬間、王の部屋との間の秘密の扉が開いた。王の部屋の側からは書棚に見えるように作ってある特別な扉だ。在り処を承知しているのは王と自分だけのはずなので、侍従は驚き、愛用の剣を引き寄せた。だが、聞き慣れた足音がしたので、ほっとする。王の足音に違いない。


「寝たか?」

 侍従は返事をせずにいた。とっさの判断だったが、その方が良いと言う気がしたのだ。

「どれどれ、久しぶりに可愛い寝顔を見てやろうか」

 王は手にランプを持たれて、こちらへいらっしゃるではないか! 侍従は気が気では無かった。ともかく目をつぶり、寝息に聞こえるように呼吸を整えた。

「やっぱりこうして見ると、女の子だな。きれいな髪だ」

 王は髪を撫でておいでだ。いつもなら考えられない事なので緊張する。入浴後、かなりの量のワインを飲まれたのだろうか、と侍従は思った。はっきりと酒のにおいが感じられたからだ。

「いけない事をしては困るので、悪い大人は部屋に戻るよ。おやすみ」

 また王は秘密の扉を抜けて、自室に戻ったようだった。思わず侍従は脱力した。それにしても、驚くべき出来事だった。自分が女である事を、王が御存知だった……その事実に衝撃を受けた。いつから? だが、王はその事をなぜかおっしゃらない。なぜだろう? 侍従は戸惑った。そのくせ「可愛い」とか「きれいな髪」と言った言葉がうれしかった。「久しぶり」とおっしゃったからには先ほどが初めてという訳では無いのだ。その事も驚きだった。そして最後の言葉は、何をおっしゃりたいのだろう? 「いけない事」とか「悪い大人」とか……。 


「ああ……」


 若い侍従は不完全にではあったが、意味合いを理解できたような気がした。月の物が来る直前の頃の事だが、市中の愛人の邸に一度だけお供した事が有る。あの愛人が……そのような事を口にしていたのではなかっただろうか? 

 場所は下町のどこかで、壁が白い三階建ての建物だった。運河に近かった記憶が有る。二階のキンキラキンの壁紙に裸の男女が描かれた絵が掛けられ、かなり強い香水の匂いが立ち込めた部屋に通された。そこで、チョコレートとコーヒーを出されたと記憶している。


「あなたはまだ、お若いから。こちらの部屋にいらしてください。悪い大人のいけない悪戯は、まだ、早いでしょ、ね? このチョコレートでも召し上がれ」


 その愛人は淡いピンクの半透明の布を幾枚か重ねた、乳首が見えそうでギリギリ見えない際どい演出のドレスを着ていた。そんなドレスを見るのは生まれて初めてであったので、若い侍従は驚きのあまり、まともな受け答えが出来なかった。そんな様子を見て、愛人の女はクスクス笑った。出されたチョコレートには手を付けず、コーヒーを二口ほど飲んだが、まずかった。


「ここに有る本、よろしかったら御覧になる?」


 クスクス笑いながら、そう女が言い置いていたので、手に取って見たら、あられもない男女の姿を描いた書物だった。小説の体裁だったり、絵本の様だったり色々だったが、内容は単純だった。いわゆる春本とか枕絵とか言う類の代物であったらしい。それがまあ、四、五十冊も有ったように記憶している。当時すでに真面目な医学書は読んでいたので、内容はおおむね理解できたが、一冊ざっと見れば十分だった。

「こんな本の何が面白いんだか」

 サッパリ訳が分からないと言うのが、当時の正直な感想だった。だが……


「今なら、少しわかる様な気がする」

 そうなのだ。男に髪を優しくなでられて、女がうっとりすると言う描写も有った。ああした本では最初の段階だったが。手をつないだり、見つめ合ったり……抱きしめあったり……キスをしたり……


「どこからが『いけない事』になるのかな」

 そんな事を言えば、あの愛人あたりにクスクスと笑われるのは確実だ……と、若い侍従は思った。それにしても、大人のいけない悪戯を、陛下はあの女と楽しまれたのか……そう思うと、なぜか急に腹が立ってきた。あの女だけではない。他にも幾人もの女を相手になさったのだ。その事に思い至ると、急に悔しくなって来て、涙があふれ出した。少女は枕に顔を伏せ、声を押さえて、すすり泣いたのだった。

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