家族・5
曲者は目隠しをして、秘密の牢に収容された。この牢は外国の重要な捕虜や、謀叛を企てた王族などを収容した場所で、王自身の部屋から真っ直ぐ秘密の通路を抜けて出ることができる場所であった。
「いったい何がしたかったのだ? 私を殺すつもりだったのか?」
曲者はヨーゼフ・オイゲンだった。あまりに王妃に似ている顔をやたらの者に見せるわけにいかないので、事情を呑み込んだもの達に取り調べに当たらせる事にしたが、まずはロベルト自身が尋問してみようというわけなのだった。
「それでもよかったな。王太子をさらってやろうと思ったのだが」
「さらった後、どうするつもりだったのだ?」
「私の息子と入れ替えてやろうかと思ってな」
「ほう、『兄上』の子ならアレッサンドロと似ているのかな?」
「まあな」
「で、その息子はどこにいる?」
「それは、言えんな」
「王宮に潜り込むにあたっては協力者がいたはずだが、どこの誰かな?」
「それも言えん」
「自分の息子をアレッサンドロとすり替えて、その後はどうするつもりであったのだ?」
「妹の子なのだから、むごい扱いをするつもりはなかった。私の子として大君主国あたりで育てようかと考えていたのだ」
「あまり夜目に慣れているわけでもなく、この王宮のことをわかっているわけでもない『兄上』自身が人さらいを実行するのではなく、協力者にやらせた方がバレなかったのでは無かったのかな」
「協力者に疑いがかかっても不味いので、外から曲者が入ったという体裁を取りたかったのだ」
「と言う事は『兄上』……よほど内部の、アンヌ・テレーゼに身近な人物なのだな?」
ヨーゼフ・オイゲンはギョッとした表情になった。
「兄上、その指輪ですが……結婚なさったので? 大君主国であなたの娘が生まれたという情報は知っているが、息子のことは知らなかった」
ヨーゼフ・オイゲンはすぐに指輪をした左手を動かそうとしたが、手枷をされて机の上に固定されているので、動かせない。どうも見覚えのある意匠の指輪だ。
「娘? 大君主国で?」
「国母様からの手紙にあなたは東方に向かったと思われるが所在不明だとか、あなたの留守中にあなたの娘が生まれたが後ろ盾もなく心細い様子だとかあったので、アンヌ・テレーゼはそのあなたの娘を引き取ろうかなどと言っていたのですよ。仮にもあなたは『兄上』なのだし」
「その娘は……どうなりと好きにしてくれればいい。母親は邸にいた女奴隷だ」
「その息子の母親は?」
気まずそうな顔をして押し黙るその顔も、確かにアンヌ・テレーゼに似ていて、ロベルトはあまり意地の悪い事を言えなくなってしまう。だが、聞くべき事は聞いておかねばいけない。
「言えないということは、私やアンヌ・テレーゼが知っている女だな?」
明らかにヨーゼフ・オイゲンは動揺している。
「王太子の乳母のリベカ・ティンダルをすぐに連れてこい。王自らが問いただしたい事が有ると言ってな」
「だめだ! 呼ぶな、だめだ!」
「そのように動揺するという事は、リベカ・ティンダルが共犯者なのだな?」
しまったという顔つきになった。この『兄上』は占い師を使った詐欺行為などもやっていたくせに、真正面から問いただされると、全くこらえ性が無いというか、わかりやすすぎるというか……どうやら自分が尋問される立場に立つ事を、全く想定していなかったらしい。いかにも詰めが甘い。いっそ馬鹿馬鹿しいほどだ。
乳母はすぐに連れてこられた。
ヨーゼフ・オイゲンが手枷・足枷をされて椅子に座っているのを見ると、へなへなと崩れ落ち、泣き始めた。それからの展開は早かった。
何とティンダル夫人が産んだ三人目の子というのはヨーゼフ・オイゲンとの間の不倫の子であったらしい。さらに言えば二人目も不倫の子だそうだ。あの占い師騒ぎの頃に二人は知り合ったようだが……この厳つい女のどこがそう気に入ったものか、ヨーゼフ・オイゲンが女とそろいの指輪をするなどというのも、全くもって柄でもない気がするし、ロベルトにはさっぱり訳が分からなかったが、確かに男女の仲というのは思いのほかの部分が有る。
「リベカは……私を育てた人にそっくりなのだ」
ボソッとヨーゼフ・オイゲンがつぶやいた言葉を聞くと、なるほどと思わないでもなかった。大君主国に置いてきた女奴隷はたいそうな美人で生まれた娘も可愛い子であるようなのに、そちらは全く気にならないらしい。この分では、本当にその娘はアンヌ・テレーゼが引き取る事になりそうだ。
乳母の夫は長年の不倫にようやく気付き、妻を問い詰めていた所を、階段から突き落とされたらしい。わざとというよりは、偶発的な事故だと女は言うが、本当かどうかは怪しいものだ。ともかくも夫は寝たきりで口もきけない状態にされているのは確かなようだ。どうやら真実夫の子は、跡取りの長男だけであるらしい。すでに十五歳の長男は、母親の不倫に気が付いているらしい。
「申し訳ありません」
女は厳つい顔で泣きっぱなしだ。アンヌ・テレーゼには後から詳細を説明することにして、急場はネリーと三人の乳母で乗り切ってもらう以外無さそうだ。
表向き乳母のリベカ・ティンダル夫人は急病により辞任した……という事にした。リベカ・ティンダルを推薦した宰相とその妻は恐縮し、自分たちにできる事なら何でもさせてほしいというのであったが……ロベルトは半年以上経ってもハッキリした処置を決めかね、ヨーゼフ・オイゲンとリベカを相変わらず牢内に収容したままだ。
ゴタゴタしたが、王太子アレッサンドロの養育の責任者は当分はネリーが務め、言葉を発するようになったら庶子三人の守り役を務めたペーターに任せる事にした。幸い、アンヌ・テレーぜの産後の肥立ちは良かった。出産後半年たつと、ほとんど産前と変わらない元気さに戻ったようだ。
産前から続けていた夫婦そろっての庭の散歩は、今も日課だ。
「新たな人間を雇い入れて、また厄介ごとが持ち上がってはかなわぬ」
「本当に。ですが、ネリーは本当に大変です。かわりにこれまでネリーがほとんど一人でしていた義母セシリアの看病を、私が主に行おうかなどと思います」
「セシリアも喜ぶだろう」
季節は移り変わり、庭園ではバラの花があちこちで咲いている。
「リベカの子供らを引き取り、面倒をしっかり見てやるようにと宰相夫妻には申しつけたが、下の二人は長男とはずいぶん年も離れているし、何しろ『兄上』の子だからな……どうしたものか」
「リベカは夫と離縁したのですから、あの兄と一緒にしてやりたいとは思うのですが……アレッサンドロをさらおうなどという不届きな事もございましたし、それ以前もお命を狙ったり色々でしたものね。罰もそれなりに必要ではあるだろうと思います……でも、どのようにするべきでしょう?」
「大君主国の方々のお知恵を拝借するか」
「そうですね。あの女の子を産んだ人は今、セレイアの言葉を熱心に学んでいるそうです。こちらにあの子を引き取ったら、養育の責任者として共に暮らせるようにしてやろうと思います」
「あの女の子に名は無いのか?」
「仮に星を意味するソヘイラーと呼んでいるそうですが」
「ならばこちらに来たら、やはり星を意味するエスターとすれば良かろう」
「エスター姫ですか。良い名ですね!」
「さて……エスターの父をどうするかだが……」
「まだ、数日ゆっくりお考えになってからでも、良いのでは無いでしょうか。子供をすり替えようとたくらむなど、許せません。あのティンダル夫人が産んだ子供をごらんになりましたか?」
「いや、見ていないが」
そういえばアンヌ・テレーゼは宰相夫人に連れてこさせて、すり替えられようとした当の赤子を見たと言っていた事をロベルトは思い出した。
「あの子は、たしかにかなりアレッサンドロに面差しは似ているようですけど、ロベルトがおっしゃった『アレッサンドロ王のつむじ』も、左足のほくろもございません。それに似ているとは言っても、やはりアレッサンドロのほうが美しく愛らしいですから、すり変えられたりしたら、すぐにわかってしまいます。全く、親の目を何だと思っているのでしょうか」
相当に怒っている。無論あのヨーゼフ・オイゲンにその怒りは向けられているのだろうが……顔が紅潮し、久しぶりに拳をギュっと握りしめているのだ。貴婦人の姿を取るようになってから、拳を握り締める事はほとんど無くなっていただけに、それだけ怒りは深く激しいのだろう。
「あの三つあるつむじは、父にも祖父にもなかったが、アレッサンドロ王と曾祖父には有ったようなのだ。私に有るのを見て、亡き父が喜んだというぐらい特殊なものだ。三つのつむじが有る王は運が良いとされている。幸運の印なのだろうな。それにしても……アンヌ・テレーゼが一番『兄上』の事を怒っているようだな」
「え? そうなりますか?」
「だって、今、ひどく怒っていたではないか」
「同じ血を受けた兄だから、余計に許せない気がいたします」
「良い方法が思い浮かぶまで、『兄上』達にまだまだ牢屋で反省していただくか……」
「ええ。もう一生でも」
「おいおい、本気か?」
「……エスターを引き取る以前に、どこかに移した方が良いとは思いますが」
「そうだな。どこに移すか」
流罪とするか、誰か信頼できる人物の監視下に置くか、いずれにしろ『兄上』の身の振り方は近いうちに決めなければいけないだろう。
「あまり恨みを残さない方法を取りたい……などと思うのだがな。納得いかぬか?」
「いいえ……ロベルトがお考えになった結果にお任せいたします。きっと一番良い方法をお選びになると信じておりますから」
「そうか。そうなるように、頭をひねってみるか。何しろ妻に期待されているのだからな。夫としては大いに気合を入れざるを得んよ」
「……ロベルト……ありがとうございます」
二人はしっかりと手を握り、ゆっくり庭の散策を続けるのだった。




