表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/55

家族・4

「さほど美人でもなく若くもないが賢くて、幾人かすでに子を産んだ女が良いな。出来るなら夫婦仲も良いほうが好ましい」

 

 乳母があまりに美人なのは家庭内の不和の元だとロベルトは思っている。アンヌ・テレーゼの気をもませるのは不本意なので、そんな条件を付けて選考は宰相や女官たちに任せた。国中に触れを回して我こそはという者を採用する事になったのだが、乳の質が良く量が十分で、なおかつ人柄が良く、王宮にふさわしい相応の教養を身に着けている者などめったに見つからないのだった。こちらが立てばあちらが立たずという感じで、すべての条件を兼ね備えた女を見出すのは無理だった。ともかくも乳の質と量を重視して決めた乳をやるだけの係は三人採用が決定した。だが、どの女も世継ぎの王子の養育までは任せられそうにない。


 そこで三人を統括し、自身も乳が出る貴族階級の夫人をつてを頼りに探す事になったのだが、夫婦円満な上流家庭の奥方を王宮に召し出すのも無理があるし、そうでなければ素行に問題が有り不義の子を産んだと思われる者であったりする。自身があまりにお嬢様育ちで、王子の養育など無理という者も多かった。

 選考を任された者たちも皆困り果てていたが、腹違いの姉である宰相の妻を頼って宰相邸に身を寄せるようになったという婦人が、結局は採用された。聞くところによると三人目の子を産んですぐ夫が病気で倒れてしまい、経済的に困窮しており、都で奉公先を探していたらしい。


 ロベルトも採用後に顔を見たが、実に厳つい顔つきの女だ。

 男の顔であったならさぞかし頼もしげでもあろうが、女の顔なのだから、えらが張り頬骨の張った大きな顔にこれまた大きな鼻というのでは、優美さからは程遠く、だれが見ても残念な器量なのであった。だが、立ち居振る舞いは上流夫人の物だったし、教養もあるようだ。何より肝が据わっており、他の乳をやる女たちの事も上手く采配してくれそうだった。不美人である事はむしろ希望通りであったが……その不自然な、ひきつったような微笑みを見て、どこか腹の底に一物あるような、何か嫌な感じをロベルトは覚えた。だが、誰にもその事については話していない。何の根拠もない「感じ」で採用を取りやめるわけにもいかないだろうとも、思ったのだ。

 謹厳実直忠実無比の宰相が信頼できると請け合っている義理の妹なのだ。何となく感じた違和感は、全く根拠の無いものであって無視すべきだと自分に言い聞かせたのではあったが……後から思えば虫の知らせとでも言うべきものであったのかもしれない。


 気働きのできる女で、アンヌ・テレーゼは「しっかりした良い人が来てくれた」と喜んでいる。だが、ネリーは心を許していないように見えるのだ。セシリアの言わば愛弟子であり、忠実なネリーが今更王宮内での勢力争いなどという愚劣な事を考えているとはロベルトには思えない。その点も引っかかる。


 ともかくも考えうる限りの手は尽くした時点で、アンヌ・テレーゼは健康な男子を産んだ。どうやら初産にしては安産であったようだ。ともかくも母子ともに健やかでロベルトはホッとした。

「良かった。本当に良かった。ありがとう」

 そう声をかけると、アンヌ・テレーゼはうれしげに笑みを浮かべ、次に目を潤ませた。ホッとしたのだろう。



 生まれた子の黒目黒髪のはっきりした目鼻立ちは、大人になったらきっと大した美男になるに違いないと女たちが言うが、その通りであるようにロベルトも感じている。まあ、タダの親馬鹿のひいき目なのかもしれないが。名前はアレッサンドロと付けた。生まれながらの王太子にふさわしく、偉大な王とされる先祖の名を受け継がせたのだ。


「それにしても、生まれて間もない赤子というものは、このように小さいのか」


 そのこと自体、ロベルトには新鮮な驚きだった。考えてみれば庶子たちは皆、乳幼児期を実の母のもとで過ごしている。生まれた最初から、自身で深くかかわるのは、この子が最初であるから、感慨もひとしおだ。


 初めての王の嫡出子の誕生は、祝砲や鐘で、セレイア中にすぐさま伝えられた。その直後から絶え間なく祝賀の人々が訪れ、国の内外から贈り物が届くようになった。ロベルトの誕生の折の先例に倣い、三日間どの飲み屋でも食堂でも酒をグラス一杯はタダでふるまい、夜は花火大会が催された。いずれも都の住人達への日頃の感謝を込めての祝いであり、贈り物であって、国王が費用を負担している。

 連日都のあちこちで人々は「王様万歳!」「王太子様万歳!」と乾杯を繰り返している。

 その間、遠方からも自発的な奉祝団が次々やってくる。そうした遠方の人々の宿泊所とするために王宮付近の宿屋は皆、王の資金で貸切となっている。奉祝団は王宮で祝いを届けると無料宿泊の券を受け取り、これらの宿に泊まるという手はずになっている。それらの人々に対して更に、相応の土産を持たせ、飲み食いもさせる。王宮の一番外の大ホールは大々的な無礼講の宴会場としたが、アレッサンドロの誕生以来二十日以上たっても一向にやってくる人間は減らない。祝いの気分は損ないたくないが、安全は何よりも重要だ。 


「警備はさりげなくだが、しっかりと行え」


 ロベルトの要求に王宮警備の者たちは大いに緊張して、日夜勤めに励んでいるようだ。だが、どこかにほころびが有ったらしい。

 連日連夜大賑わいの中、夜中に、ふと奇妙な気配を感じてロベルトは目を覚ました。アンヌ・テレーゼは産後間もない事でもあり、今、ロベルトは一人で眠っている。部屋の明かりは完全に落としているのだが、明らかに寝室に誰かいる。明りを持っていないようだが、夜目が十分には利かないらしい。いささか戸惑った感じの抜き足差し足だ。ロベルトは枕の下に常においてある愛用の剣をそっと抜いた。恐らく……アンヌ・テレーゼの寝所を探しているのだ。アンヌ・テレーゼの寝ている部屋とこの寝室の間に、秘密の通路が有ると言う情報をつかんでいるようだ。壁伝いに通路を探しているようだ。そう理解した瞬間、完全に眠気が吹っ飛んだ。

 目を見開くと相手の顔立ちなどはわからないが、壁を手で確かめるようにして爪先立って進んでいる人間の輪郭はおおよそ確認できた。背丈からして男だろう。ロベルトは寝息を立てているのと同じような規則的な呼吸を意識的にしつつ、目を見開いて観察をする。どうやら武器は片手に握った剣だけではないかと思われるが……声をかけるべきか迷う。だが剣を掴んだ時点で声をかけ、同時にベッドの外に出た。こちらのほうが先に剣を構えた。いきなり刺される事は有るまい。


「おい、何をしている?」

 声をかけると同時に間合いを詰めた。

「!」


 何か意味不明な音声が聞こえたが、あくまで意味不明だ。相手は短い刃物で切りつけるが、ロベルトが金具付きのさやの先を鳩尾に突き込むと、うめき声をあげて身をよじらせた、そこへすかさず後頭部を強打して、あて落とした。


 ドサッ


 重量感のある音がした。

 ともかくも手と足を、寝間着の紐と手近に置いていたクラバットで縛り上げた。廊下に声をかけたが、廊下の見張り役は不自然に眠りこけていた。後から分かった事だが、眠気を誘う香が密かに焚かれていたらしい。だが、ロベルトはその薬草には耐性が有ったためにほとんど効き目が無かったようだ。

 寝間着の前がはだけっぱなしという何ともしまらない格好で、ロベルトは廊下を走り、警備の兵たちを呼んだ。

 そして、兵が持ってきた手燭で曲者の顔を照らした。


「え?」


 縛られて転がっていたのは、ロベルトの予想していなかった人物だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ