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家族・3

「風邪をひいたり、転んだりしないように十二分に気をつけなさいね」

「はい」


 病床の義母・セシリアは痩せ衰えてしまって、残念ながら今年いっぱいかもしれないと医者から言われている。内臓のどこかに腫瘍が出来てしまっているのだそうだ。皆が心配してさまざまな名医といわれる医者に見せたが、手の施しようがないのだった。ただ滋養に富んだものをなるべく食べ、無理はせず、穏やかな気分で過ごす以外何ともならないらしい。それでも、義母の意識がしっかりしている内に子供を無事に産み、安心してもらいたいというのがアンヌ・テレーゼの願いなのだ。

「私はまともな母親になれるでしょうか?」

「何、大丈夫ですよ。生まれてきた御子を心から受け入れるつもりさえあれば。陛下とあなたの御子なのですから、きっと可愛いでしょうし」

 確かに可愛い子なのではないかと思うのだが、実を言えば産むときも大丈夫なのかどうか心配なのだ。

「大丈夫だと思いますが……心配なら、義理の姉上やネリーの話も聞いてみたらいかがでしょう」

 義母の言う事ももっともだと感じる。


 懐妊以来アンヌ・テレーゼは毎朝義母と話をし、夫と昼食をとり、午後は都に時折薬草類を売りに来る義理の姉・ニナを王宮に招いて共に茶を飲んだりする。そうした場合、ニナは「お産を控えた人が飲むとお産が軽く済む」という薬草茶を自分で煎じてアンヌ・テレーゼに飲ませるのだった。ちょうどその日もニナが顔を出した。ニナは二人きりだと、相変わらずくだけたしゃべり方をする。それで一向に構わないと言ってあるからでもあるのだが。


「へええ。セシリア様のおっしゃる通りだと思うよ。あんまり心配しない方がいいよ。王様は毎日お食事も一緒になさるんだろ? それなら、もう、ドーンと構えていればいいんだよ。ドーンと」

「ドーンと?」

「そうそう。女の体はちゃんと子供産めるように出来ているんだ。子を産んでいる女なんて、たくさんいるよ。確かに、痛くてしんどいけどさ、人をこの世に生み出すんだ。まあ、苦労するだけの事はあるから。ね? 大丈夫だよ。あんたなら。あんまり小難しく考えるんじゃないよ」


 ニナの飲ませてくれる薬草茶は爽やかで、飲んだ後も気分が良い。だが、あまり飲みすぎてもいけないとかで、月に一度程度で良いのだそうだ。


「薬の量ってのはね、間違えると大変なんだよ」


 ニナは幾度もそう言い、自分が煎じるのでなければ飲ませようとはしなかった。以前ロベルトにニナ特製の薬草茶の話をすると、その茶を学者や医者の研究用に買い取り、分析研究させたようだ。どうやら様々な薬効成分のある貴重なものらしいが、確かに量が過ぎるとかえって妊婦に危険なものも入っていたという。


「王様からさ、この薬草茶をお医者たちと一緒になってもっと研究して、売りに出したらどうだって薦めていただいたんだよ。なかなか目の付け所がいいよねえ。村のみんなもその話に乗り気でさ。そう言うわけで、今日もこれから先生方と相談さね」


 アンヌ・テレーゼが茶をゆっくり飲み終えるのを確かめると、ニナは大きな薬草籠を担いで王宮を退出するのだった。おそらく籠いっぱいの薬草を王宮のすぐ外の研究所で買い取ってもらうのだろう。


 その後は頼りになる侍女のネリーに教えてもらいながら、生まれてくる子のための産着を縫ったりする。これまで全く針仕事などしたことがなかったので、基礎の基礎からネリーに教えて貰ったのだが、どうにか産着に簡単な刺繍をあしらうぐらいのことは出来るようになってきた。


「それでよろしいですよ。あまり根をつめられるとお目を傷めますから、休み休みなさいませよ」

 ネリーによれば、産前産後、特に産後は目が疲れやすいそうだ。慣れていればさほど見つめなくても手の感覚で十分縫えるらしいが、初心者のアンヌ・テレーゼは針目をどうしても凝視してしまう。おそらくそれが余計に目によくないとわかってはいても、精いっぱいな感じなのだ。

「あとは、私が縫いましょう」

「お願い、ネリー、私に縫わせて」

 一枚ぐらい完全に自分で縫った産着が欲しい、そう、つい思ってしまう。

「……わかりました。では、今日はこれでしまいまして、続きは明日という事に致しましょう。そろそろ夕方ですし」

 さほどのことをしなくても、気が付くともう夕方なのだ。

「何をしたっていうわけでもないのに、もう夕方なのね。何だか何もしていなくて、申し訳ないく感じるわ」

「そのような事、お気になさいますな。今は心身ともゆったり落ち着いていらっしゃる事が、何にもまして大切な時期です。元気な御子をお産みになるのが一番のお仕事ですから。ささ、お風呂に致しましょう」


 ネリーに言われるままに入浴する。どうやら配合されているハーブも妊婦に良いものを選んでいるらしい。妊娠が分かってから、それまでと香りが違うものになったのだ。肌が敏感になりやすい時期だとかで、やさしく作用するものを選んでくれているらしい。


「妊娠なさっている方は、使うべきではないものも御座います。バラもラベンダーもお好きでしょうが、御懐妊中は避けられた方がよろしいのです」


 そう言われてみれば、懐妊中は普段と好きな香りも変わってしまうようだった。


「バラの香水の香りが、今は以前ほど好きではないの。それも妊娠しているせいかしら?」

「そうだと思います。良い香りと感じられなくなった香りは、大抵は妊娠中のお体に良くないのです」

「まあ……そうなの。いろいろ難しいのね」

「むくみも出やすいですから、その点も考えまして、ニナ様やお医者様とも御相談して選んだものを使っております」

「まあ、私、むくんだ経験なんて無いけれど、ネリーのおかげだったのね?」

「いえ、もともとの御体質かも知れません」

 ネリーによれば、むくみやすいか否かは生まれついての体質による部分が大きいのだそうだが、アンヌ・テレーゼにはやはりネリーのおかげで無事なのだと感じる。


 体を締め付けない部屋着に着替え、肌の手入れをして髪を緩やかにまとめ、夕食の時間となる。


「そうか。このごろのお前の体から、何とも言えず美味そうな匂いがすると思っていたが、ネリーが色々としているせいなのか」

「まあ! そんな香りがいたしますか?」

「今こうして、食事をしている間は気にならないが、もっとそばによるとな、何というかみずみずしい果物を思わせるような香りがするのだ。まあ、今はこのシチューの香りにまぎれて、わからなくなっているが」


 具だくさんで色々な野菜やキノコまで入ったシチューは確かに食欲をそそる香りがする。

「子が生まれたら、三人で食事になるのでしょうか?」

「そうだなあ。あまりに幼い時期は乳母と食事だろう。少なくともそれらしく座って自分でスプーンやらフォークやら使えるようにならねば、さすがに無理だ」

「何歳ぐらいでしょうか?」

「さあ……三歳とか四歳とか、だろうか……それはそうと、乳母もそろそろ決めておかねばいかんかな。養育の責任者と、乳を与えるものが同じである必要は無いしな」

「王の御子となると、幾人の乳母がいるのが普通なのですか?」

「乳をのむ間は三人から四人程度だ。食事をするようになると、養育係を兼ねるものが一名かな。乳母とは別の養育係というか守り役が付くようになる場合もある。セシリアは元来乳母だったが養育係を兼ねていた。だれかもう、候補がいるか? おらぬなら私が何とか探しておこう」

「どうにも……ふさわしい人の心当たりがございません。ですから、ロベルトにお任せいたします」


 そんな具合で食卓での話題も妊娠・出産・育児にまつわるものばかりになってきている。


「医者に確かめたのだがな……」

 食後、ロベルトにそっとささやかれて、アンヌ・テレーゼはうなずいた。確かに少々物足りなく感じてはいたのだ。だが、妊娠中にも、やりようは有るものらしい。すべて夫にゆだねれば、きっと大丈夫だろう。

「実は、私も……」

 抱いて欲しい気持ちが有るのだと言うと、夫は実にうれしそうな顔つきになり、こう言った。

「よかった。ならば、やさしく可愛がってあげよう。任せておきなさい」

「何だか、お腹周りが不格好ですが」

「大切な私たちの子がこのふっくらと盛り上がった腹にいるのに、そのように思うはずがない」

「でも、やはり……みっともないとお思いにならないか……気がかりなのです」

「大丈夫だ。絶対に、大丈夫だよ」


 その夜はそっと優しく、それでも大変情熱的に夫は愛してくれて、「不格好」とか「みっともない」とか思っているはずが全く無いのだという事を、アンヌ・テレーゼは十二分に納得させられたので有った。 

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