視察・2
「離宮にピウス・ノイマンとヤン・イェーガーを呼ぼうか」
夫の言うような事も幾度か考えたアンヌ・テレーゼだったが、その前に下準備が必要なのではなかろうかとふと、思った。
「もしかして、気まずい事になったりしませんでしょうか? 特にピウスという人物の人柄がわかりませんから」
「ならば先にピウスを呼ぶか」
「まず、学校の教師たちを呼んでみてはいかがでしょうか。元からの下流の村と開拓村双方の子供たちを知っていて、どのことどの子が仲が良いとか言ったことは役に立ちはしないでしょうか?」
「そうだなあ。どうせ今授業が休みになってしまっているようだから、試してみる価値は有りそうだな」
情報集めのため学校の教師たちを無礼講で立食形式の茶会に招き、気軽に話をしてもらう事にした。教師を呼ぶ事を提案したのはアンヌ・テレーゼだが、具体的な形式を決めたのはロベルトだった。食べる事にこだわりが強いと自身でいうだけあって、メニュー構成も細やかな配慮がされていた。
洗練された小ぶりの様々なパン菓子やパイ、小さな焼き菓子、魚類の燻製、ハムやソーセージ、チーズ、新鮮な果物類など、好きなものを取って好きなだけ食べられるような形式で、まだ若い教師たちは非常に喜んで食べてくれている様子だった。
「酒類は無いが、飲み物も幾種類か用意しているから、好みの物を選んでくれ」
「さあ、どうぞ、冷めない内にどんどん召し上がって」
国王夫妻は気軽な様子で皆の間を回り、飲み物や食べ物を進め、双方の村の子供たちの状況について色々な質問をし話を聞いた。
遠慮がちだった教師たちも、次々運ばれる菓子や料理につられて緊張もほぐれ、言葉数も増えてきた。
「川の魚が大量に死んだとき、開拓村の人たちのせいだと下流の村の人が思ったのは、完全な間違いなのでしょうが、そう思い込むにはそれなりの状況がございました」
「あの頃も今も開拓村の人々は『王から賜った土地』に住む自分たちは、なんとなく住んでいるだけの人たちより身分が上だとか、折に触れ言っておりました」
「下流の人たちはひそかに反感を覚えていたのだと思います」
「双方、互いの習俗やら食べ物やらに関して可笑しいとか奇妙だとか言って、受け入れようとしません」
「子供らは最初のうちは、互いの家庭のやり方の違いにこだわっていますが、共に机を並べて学び同じ物を昼食に食べることで自然に仲間意識が育つようです。そうすると相手を理解しようとするようになります」
「学校で食事を出すのは、実に良い事だと思います」
主な反応はそのようなものだった。
学校で昼の食事を出す試みは、どの教師も高く評価していた。食事といっても離宮のそばの大きなパン焼き窯で焼き上げた丸パンと、王家の牧場で作られるチーズ、果実とナッツ、それだけの簡単なものだが、質も量もかなりの高水準で、一般の農家の昼食よりは豪華なはずだ。
和やかな雰囲気で無事に散会したのは、まずまずだったが、ピウスとヤンは共に『頑固者』だというのが教師たちの間での評価だった。
「ピウスに会いに行って、なぜ開拓村の者たちが毒を川に流したと思い込んだのか、現地を見ながら本人に事情を説明させるか」
「面子を失ったと感じさせると、厄介かもしれませんね。頑固で自尊心は強い人のようですから」
「親戚だから会いに来た……というような言い方で良かろうさ」
「生ハムが大好物らしいです」
「今日聞いたのか?」
「王家の生ハムが食べてみたい、とか言っていたと聞きました」
教師たちが生ハムを食べながら、そのような噂をしていたのだ。アンヌ・テレーゼが事情を聞いてみると、ピウスは生ハムが大好物で、自宅で作っているそうだ。
「じゃあ、この城の物を手土産に持っていくか」
「城のハムのほうが、ピウスの作ったものよりかなり味が良いそうです」
ピウスは客をもてなす時に自家製生ハムを出すようだ。うんちくを垂れ述べる割に、味は平凡らしい。
「王家のハムを欲しいだけやるから、開拓村と揉めるなとでも言い渡すか」
夫は冗談か本気かわからないが、そのような事を言った。
ピウスは何の官職にもついていない。一応上流階級ではあっても貴族ともいえない土豪とでもいうべき扱いで、実態は大百姓とでもいうべきだろう。あまり畑の条件は良くないので、ブナの大きな林に豚を放し飼いにして、それを加工して生計を立てているようだ。それでもあのセシリアの義理の弟であるため、名前ぐらいはそこそこ知られているという状況だ。都の貴族が「あの豚飼い殿」と呼んで軽んじるのも、この本人を見てしまうと、ある程度は致し方ないようにアンヌ・テレーゼは感じた。
「豚の放し飼いは見たことがないんだ。うまい肉がとれるとは聞くが」
「では、その豚も見に行きますか?」
「そうしよう」
だがせっかくの良い肉も加工の仕方が今ひとつならもったいない話だ……そう、ロベルトも感じたらしい。
「ピウスの豚は鉱毒入りの川の水を飲んで、相当な数が死んだようだ」
「大切にしていた豚がたくさん死んで、頭にきたという事でしょうか」
「だからって上流の住民が毒を入れたに決まっていると考えてしまう事が、問題なのだよな」
「……やはり交流が乏しいからなのでしょうね」
「ピウスの八歳の息子は、父親よりよほど理性的で物がわかっているらしい。学問も良くできるし、学校の休み時間には開拓村の子供らとも仲良く遊ぶそうだ」
「せっかく学校では仲が良くても、家に帰ると大人同士のとげとげしい雰囲気に影響されるのでしょうね」
「ピウスも息子を見習ってくれれば、事は大きくならなかっただろうな」
「子供たちが自由に互いの村を行き来できるように致しませんと……」
「本当に心配事が消えうせたとは、言えんな。やはり明日、ピウスに会いに行く事にしよう」
「はい」
その翌日、ピウス・ノイマンの邸は『古風で大きめの地主の家』という感じだった。驚いたのは庭から豚舎、さらに周囲の雑木林にかけて自由に走り回る豚の姿だった。随分と精悍で引き締まり、見慣れた豚よりも小ぶりなイノシシといった方が近い気がした。
「ドングリがなる季節には、うんと太ってくれます」
そう説明するピウス・ノイマンはでっぷりとした赤ら顔で禿げ頭の中年男だった。会うのは全く初めてだが、実によくしゃべる。よく言えば裏表のない正直な人物のようだが、何でも単純にとらえ、感情がすべて表に出でてしまうたちのようでもあり、いささか軽はずみな人物なのではないかと、アンヌ・テレーゼは感じた。ともかくも王と王妃が自分の邸を訪ねたというので、非常に気分が高揚しているようだった。
豚以外は驚くべきものは特に無いと、夫もおそらく感じているようなのだが、ピウスは邸内部の家具やら小物類まで頼んでもいないのにくどくど説明する。だが、それらの彼の説明には、この邸と領地を愛し、初代のセレイア王に取りたてられた先祖や多大な功績を残した亡き兄を誇りに思う気持ちがあふれていた。いや、あふれかえっていた。
「王妃さまは我が兄マウリッツ・ノイマンの、娘分でいらっしゃるのですからな、実にうれしいことです」
ふんぞり返るようにしてそういうピウスは、自慢話をする子供のようであった。
「自らの家柄を誇りに思い、先祖から受け継いだものを大切に扱うのは確かに良いことだとは思う。だがな……」
夫は厳しいまなざしでピウスを見据えた。陽気で穏やかな夫にしては珍しい事だ。ピウスは何が王の不興を買ったのかわからないようだ。
「……そ、その、慣れておいでの華やかな都のお暮らしと田舎の暮らしは、かけ離れておりましょうが」
「そのようなこと、気にしておらん。私とアンヌ・テレーゼがここまでやってきたのは、なぜなのかわからぬのか?」
「……ぶ、豚をご覧においでになったのだと存じましたが」
「それもある。だが、それが一番の用事ではない」
本当にわけがわからないらしい。禿げ頭に汗をかいているピウスは、どこか滑稽でもあった。
「セシリアから手紙は届いておらんのか? 読んでおらんのかな?」
「い、いえ、読みました」
「それでいて、こうなのか?」
夫は腹を立てる気にもならなかったようだが、ピウスという人物に対する評価が相当に低いものになったのは確実なようだった。うんざりしたような口調で、今回の不始末についての話を始めるロベルトに向かって、素直に反省の念を示せば、そうでもなかったのだろうが……
「開拓村のあのならず者どもが陛下のお身内だなどと! とても信じられません」
癇癪を起した豚のような声を上げて、真っ赤になったのにはアンヌ・テレーゼも驚いてしまった。




