試練・4
「陛下、あの大君主国の国母様が教えて下さったようなはかりごとの痕跡を、ようやく見つけました」
カルフ大公国におけるヨーゼフ・オイゲンの最近の動向が知れてから、ロベルトは旧帝国の帝室専属占い師に関わりのありそうな人間が、このセレイアで活動している可能性について調べさせている。すると調査を開始して三日目に、都の治安担当の者が気になる情報をもたらした。どうやらロベルトの事前の予想より、事態は密かに深く進行していたようだ。
ロベルトの問い合わせに対して、国母は旧帝国で占い師達が行った悪事の数々について、細かな説明をした書状をくれた。そしてヨーゼフ・オイゲンはその生母の死後、帝室専属の占い師に預けられた可能性が高いとも指摘していた。大君主国内の国母が与えた邸には全く戻っていないそうで、現在のヨーゼフ・オイゲンの所在はつかんでいないとの事だった。
報告によれば王宮の塀に沿った道筋の中でも人通りの多い五箇所で、月に二度ほど無料で占いを行う者達が出るらしい。その中で王宮に勤める女たちには二月に一度だけ訪れる「最も優れた特別な占い師」の元を訪れるように薦めるのだそうな。その特別な占い師は神秘的な雰囲気の美男子で、宮中のメイド達に『美しい占い師様』として大層な評判らしい。
「すると、この王宮の洗濯場や炊事場で働くかなりの女たちがその『美しい占い師様』にたぶらかされていた可能性が高いのだな?」
「はい。先日両陛下にお立会い頂いて作成いたしました人相書きを見せて情報を集めましたので、先ずは確実でしょう。その容貌の優れた占い師の男は手相・人相から恋愛の悩みの解決法を教えて信用させ、見料は一切取らず、自身の言う通りのまじないを行うように薦めるのが常であったようです。港で確認いたしました所、セレイア国内には月に一度、ケンメル王国からの船でやって来ておりました。相当数の娘たちがその占い師の言う言葉に従って『まじない』を行ったと推測されます」
美しい占い師様というのがヨーゼフ・オイゲン本人、と見てよさそうだ。ケンメルからの船ということは、カルフ大公国以外にケンメル王国内にも関わりのある人物が居る可能性もあるだろうか……厄介な事だ。
高位の女官連中には一切接触せず、王族と直接に話す事は先ず無いメイド達に的を絞って働きかけるとは、なかなかに巧妙な手だ。ロベルトは見事にしてやられたと感じた。
「で、そのまじないと言うのが、恋愛成就を願って小さな布袋をこの宮中の名水の湧き出る井戸に投げ込む……と言うわけか」
名水の井戸は、女なら二人がかりでないとまずは動かせない、という程度の重さの石版で蓋をしてあるが、水汲みに来た者同士で協力すれば、簡単に動かせるだろう。ご丁寧にも「まじないをこめた小さな袋を入れたら、必ずきちんと蓋をなさい」と言われていたらしい。そのほうがまじないが良く利くとか何とか、もっともらしい事を、あのアンヌ・テレーゼに似た顔で言われたら、確かに皆、信じるのかもしれない。
「投げ込んだ後は『報告して下さったら、必ず悩みが解決する方法をお教えします』とか何とか言っていたようです」
「報告して、メイド達が望むように悩みが解決したのか?」
「それが……メイドをたぶらかす専門の男達がいたようです。今は国外に逃亡してしまいましたが」
目を引くような容姿の若い男達を使って、王宮のメイドたちをたぶらかす。その男達も占い師もヨーゼフ・オイゲンの手の者なのだから、とんでもない茶番だ、詐欺だ。
「メイドの娘達が『恋』だと信じたものが、そもそもが企みであった。そうしたわけか」
「はい。小さな袋の中身が、大君主国の国母様のお知らせ下さったように、帝国では幾度も繰り返されて使われてきたような遅効性の毒物で、王妃様の御懐妊を阻止するのが目的であったといたしますと、由々しい事態ですなあ」
「一旦水に溶けると、西大陸の者ではまず見つけ出せない特殊な毒かもしれないと、かの方は知らせてきた」
「ならば……我々では、何の証拠も見出せないかもしれませんな」
「あの名水は王族専用だ。それを利用されたのだな。……まず、できる事からやろう。取り急ぎ井戸をさらって掃除をさせ、その小さな布袋について大至急調べ上げよ」
「はっ」
「毒の検査は、大君主国から専門家が明日にも到着するはずだ。到着したらすぐに、立ち会わせよう。今日明日の王室用の炊事洗濯は、急遽、別の水源に切り替えさせよ……そうだな。最も湧出量の多い中庭の泉で良い。あれで十分だ。皆、あれを使っているのだし、噴出しているからおかしな混ぜ物が入り込む可能性は低いだろうからな」
「はっ。急ぎ洗濯と炊事の責任者に伝えて参ります」
「昼に一度、命じたとおりに水を替えたかどうか確認してくれ。いや、ちょっと待て、医局の者もここへ呼べ。そのほうが確実であろう」
「承知いたしました」
そうこうしている内に、風の加減が良かったらしく、大君主国からの帆船が予定より一日早く着き、その船でやってきた毒の専門家にも早速調査に加わってもらい、その日の内に大まかな調査は終える事ができた。
通常の政務を休んで、井戸の毒薬対策についての対処を行っていたら、いつの間にやら日が暮れた。水場が急に変更になって、厨房も洗濯場も戸惑っただろうが、どうにかその日の仕事はできたらしい。
料理長は「お疲れの両陛下の為に腕によりをかけました」などと言うので、ロベルトは夕食が楽しみだった。自室に戻るとすぐに入浴を済ませ、アンヌ・テレーゼの待つ二人専用の小食堂に入った。
「お前に子ができなかったのは、ヨーゼフ・オイゲンの所為かもしれん」
「ですが、離宮におりました時や視察にお供した時は、その井戸水も関係ございませんでした……そのおかしな毒を飲まされていたにせよ……もともと子が出来にくい体だったのでしょう」
「毒の専門家は、もっと恐ろしい事を言っていた」
「どのような?」
「沸かしていないその水と、何がしかの柑橘類の果汁を合わせたりして飲むと、猛毒に変化するそうな」
「そうした飲み物は、大君主国では普通のようですね」
「おそらく旧帝国でも、夏場などには好まれていたのだろう。だが、セレイアでは冷たい茶が主流だ。なんと茶はその毒を無毒化するそうな」
セレイアは交易で手に入る茶が一般にまで普及している。大君主国や旧帝国では見られない夏場の冷たい茶も、セレイアでは普通の飲み物だ。
「そういえば……このセレイアでは夏の飲み物は冷たい茶に果汁を入れたものですものね」
「また、ヨーゼフ・オイゲンのつめの甘さで命拾いした格好だな。だが、まあ、あの水には、そもそも体を冷やしやすい成分が入っていて、女が長年飲むと子ができにくくなるそうだ。奇妙な事に男は子を作りやすくなるのだそうだよ」
「まあ……」
「この宮殿が建てられた時代の古文書を調べなおしたら、今回指摘された事と同じ内容が書かれていた。『子を望む女は飲むべからず』とね。幾度か宮殿の改装工事を重ねる内に、昔の記録が忘れられていたようだ。そう言えば、母が私を身ごもったのはこの宮殿ではなく、療養先の離宮だったようだし、祖母も似たような事情だ。おそらく、皆、この名水とされた井戸水の所為で、この王宮では子ができなかったのだろう」
「お母様も、お祖母様も、悩まれたのでしょうね」
「そうだな。もっと早くに気がつけばよかったのだが……辛かったか?」
「二人きりで過ごす時間がたくさん有って悪く無いと……近頃素直にようやく思えるようになりましたのに」
「子は……欲しいか?」
「私は、実は良くわからないのです。お世継ぎとなる方も、御血筋を受け継ぐ方もおられるのですし……でも、やはり一人ぐらいは……などと思いますが」
「私も実は、良くわからないのだ。私の母は私を生んで一年以内に……祖母も……叔父を生んですぐ亡くなっているからな……お二人とも子供時分から、病気がちでは有ったようだが……」
だからロベルトとしては自然に任せていたつもりであったのだが、あのヨーゼフ・オイゲンの作為が働いた可能性が高いと知ると、腹立たしい。
「体は鍛えてある方だと思いますから、私はきっと大丈夫です」
この妻が馬術や剣の修練を重ねるのが好ましいことだと感じるのは、おそらく、病弱な母のようになって欲しくないからだったのだと気がつかされる。母は虚弱な体質であったかららしいが、運動やら鍛錬やらとは無縁だったらしい。窓越しに庭を眺めるのは好きだったが、散歩はめったにしなかったと聞いている。唯一の趣味は刺繍であったらしく、今も幾つかの作品をロベルトは保存している。成人前はセシリアが大切に保管してくれていたようで、成人して以降、ロベルトが手元に引き継いだ形だ。ロベルトの初誕生のための衣類に施された王太子の紋章の刺繍が最後の作品だが、未完成だ。初誕生の息子を抱く事も無く、母は亡くなってしまった。
「あの井戸の水を使うのはやめて、後は自然にまかせよう」
「……そうですね」
「お前が……子を生んでくれれば、それはそれで嬉しい」
「喜んで下さいますの?」
「当たり前だ。だが、それはお前が健やかである事が大前提の話だがな」
「よかった」
「何か、心配だったのか?」
「もう、お子達も甥ご様もおいでですから、私の生む子などいらぬとお考えなのかもしれない……などと思った事もありましたから」
どうやら妻は、診察した医師たちが体の異常を見出せなかったのに安心する一方で、夫である自分が密かに避妊をしている可能性も考えた事が有った様だ。ロベルトにしてみれば、考えても見なかった事であった。妻が気にして、国内の幾人かの名医に診断をさせたのは承知していた。異常が無いという結果にも、どこか表情が暗かったのは、子ができない所為だと思っていたのだが……身近な妻の気持ちですらジックリ聴いてみなければ、本当の所はわからないものだ。
返す返すも自分のうかつさに、腹立たしい想いをしたロベルトだった。




