試練・3
後半R15です。
「初めて御意を得まして、光栄に存じます。カルフ大公国近衛騎士団所属オラス・モレと申します。ただいまはイレーヌ大公女殿下の護衛の任に当たっております」
温和な表情の影に、油断の無い目の光が時折見え隠れする。なかなかに出来る男のようだと感じた。
「そのカルフの騎士殿が人目を避けるようにしてこうしておいでになるのは、どのような事情ですか?」
「実は……イレーヌ殿下がこちらにおいでになるきっかけを作った人物について、お知らせしておくべきだと殿下御自身がお考えになり、私も同感でしたので、こうして参りました次第です。こちらは王妃様に差し上げるようにとイレーヌ殿下から言付かって参りました」
差し出されたのは真っ白い上質紙の封筒だった。
いきなり手紙を渡す無礼を詫びる言葉から始まるその内容は、奇妙で驚くべきものだった。
「……カルフの宮廷で幅を利かせております占い師はヨゼフと申します。わが母・大公妃が悩まされておりました体の不調をぴたりと直したとかで、お恥ずかしい事に母は、そのヨゼフの言葉には盲目的に従うような状態になってしまっております」
セレイアとカルフ側との国境紛争は農業用の水源をめぐる偶発的なものと思われるが、その後セレイアに「側妃候補」としてイレーヌを送る様に言い出したのは大公妃だそうだ。その大公妃は占い師ヨゼフにそそのかされたらしい。そのヨゼフは元来は高貴な血筋だと言う噂が有り、大公妃はその噂を信じていた。イレーヌは疑っていたが、このセレイアに来て、あるいは事実であったかもしれないと思うに至った――と、そのような内容であった。
「騎士殿はそのヨゼフなる占い師に会った事はお有りですか?」
「ございます。……その」
「もしかして、その、ヨゼフ、私と似通った面差しでしょうか?」
「……はあ」
「教えて下さって有難う」
しばらく厩の者たちも交えて馬術談義をして、和やかな明るい雰囲気の中、騎士は厩を出た。
その後アンヌ・テレーゼは自室に戻り、入浴して汗ばんだ体をハーブ入りの石鹸を使って丹念に洗い清め、侍女たちに手伝わせて夫が贈ってくれた生地で仕立てた新しい部屋着に着替える。極上の象牙色の絹に金色のレースをあしらった華やかな中にも、気品のある見事な物で、腕利きの職人が仕立てただけに、裏地にも細かな配慮がされ、着心地も申し分無い。髪は左右を緩やかな編みこみでまとめた夫好みの形に整える。食事の邪魔になるような香水は避け、おしろいは使わず化粧水で肌を整え、眉を自然な形に描き、ほんのり唇に色を添える程度にする。
やがて迎えた夕食の時間ぴったりに戻った夫に、大公女からの手紙を見せる。
「ヨゼフは、やはりヨーゼフ・オイゲンだな。それにしても占い師とは、考えても見なかった。元の神聖帝国では占い師が幅を利かせていたらしいが、ヨーゼフ・オイゲンはあるいは旧帝国の占い師と何がしかの因縁があるのかもしれんなあ。ぜひ大君国の姉上と叔母上に書状を出して、旧帝国の占い師とヨーゼフ・オイゲンに関して御存知のことを教えて頂かねばいかんな。情報は多いほうが良い。私からも大君主に情報収集に協力を要請する文書を送ろう」
「ケンメル王国は、どうなのでしょうね」
「そうだなあ。日程的には……大君主国と書状のやり取りを最速で行って、その直後に茶会と言う感じになるのだよな。それこそ、茶会の席で話題にしてしまうほうが早いかも知れん」
「では、早速に書状をしたためましょう」
「……幾らなんでも、明日にするよな?」
「え?」
「お前はひとつの事を考え出すと突っ走る傾向にあるが、夜は夫婦の時間だぞ」
「はい」
夫がベッドでの事について更に何か言った訳ではないが、その後はぷっくりと肉厚な生牡蠣を見ても、詰め物をした鶉を見ても、何やら別のものに見えてくる。だがそれでも、王のめがねに適った食材や料理は食欲をそそり、口にすると美味い。そもそも二人で食事をする際は、入浴後締め付けの少ない部屋着姿と言うのが結婚以来の習慣だから、一通り食べ終わった後は二人きりで、ゆっくり食後の酒を飲む事になる。
「今日届いた酒だ。なかなかに良いだろう?」
「香りが、花園のような……焼き菓子のような……もっと、何か複雑な……良い香りですね。でも、ずいぶん強い酒ですねえ」
「ゆっくり、香りを楽しむように飲むべきだな。良い酒だから悪酔いはしないと思うがな……久しぶりに……」
口移しに酒を含まされた。
「このまま、ベッドに行こう」
酒瓶を抱えて寝室に移る。こうした状況は、いつまでたっても慣れる事が無い。
「いつまでたっても、恥ずかしがりやだな。そこがまた、良いのだが」
衣擦れの音が響き、肌があらわになる。腰の辺りが頼りなくなる感覚に、いつも一瞬気が遠くなる。自分が初夜の折に暗闇におびえた経緯もあって、こうした場合いつも明かりがついている。自分の体の一部始終を見られていると言うのは、何ともやはり恥ずかしい。……それに、こうした折の夫の目はいつもの温和な色合いを潜め、ギラギラと獣めいた光を見せる。だが、その熱っぽく絡みつくような視線が、自分を高ぶらせるのかもしれない。
「幾度見ても、良い眺めだ」
一体どこをどうすれば自分の体が燃え上がるのか、おそらく夫は熟知しているのだと思う。羽毛のようにやさしく触れたかと思うと、荒々しくつかんだり、時には歯を立てたり、さまざまな技巧を次々と繰り出してくるので、とても防戦しきれない。音を立てて首から胸にかけてキスをしたかと思うと、知らぬ間にしこりきっている部分に掬い取った滴りを塗して、こね回す様に弄られていたりする。
「これは気に入っているのだろう?」
答えられずにいると、夫は絶妙な力加減でその感覚の塊を、丁寧にやすりをかけてある爪で掻く。するとどこから出るのか自分でもわからぬような獣じみた声を上げて、爪先を突っ張らせ弓なりに体を反らせてしまうのだ。更にもっとも恥ずかしい部分に夫の息遣いを感じ、あらぬ所に指を感じ、何が何やらわからぬままに意識を失う事も、一度や二度ではない。十日に一度の休みの前日には、それが更に激しくなる。
「そ、そのような……お顔が、よごれますっ」
その言葉が聞き入れられた事は一度も無い。そうしていつも、恥ずかしさに身悶えして泣き叫ぶ様を「いじらしい」などと言われてしまうのだ。おそらく恥ずかしいだけではないのだ。気がつくと夫の顔を太腿で挟み込んで、腰を突き上げている自分がいる。だがそんな事を考える事も出来なくなるほど、すぐに嵐のように押し寄せる快感に翻弄され、何が何やらわからなくなる。
「ああっ、も、もう」
「どうしたいか、素直に言ってごらん」
「いやっ、いやです」
「おとといは、素直に言ったよ」
「い……いじわる」
「可愛いアンヌ・テレーゼ、私の名を呼んで、それからどうしたいか、ちゃんと教えておくれ」
「ろ、ロベルト……早く……」
顔から火が出るようなはしたない願いを自分が口走ると、夫は上機嫌になり、ぎゅっと抱きしめられる。それから幾つも幾つもキスが降り注ぐ。そして……
「よくできました。でも、素直にきざして来た感覚に浸ってくれたほうが、もっとうれしいな」
「……でも、恥知らずな、はしたない事ばかり……申し上げたくなってしまいますのに」
「普段は堂々とした王妃でも、二人きりでベッドにいるときは、思い切りはしたなくて良いのだよ」
「そうなのですか?」
「幾度も、そう言っているだろうに」
「……思い返すだけでも、浅ましいお願いをしてしまった自分が恥ずかしくて」
「浅ましいのではない。素直なだけではないか。お前とはベッドの上では互いに身も心もさらけ出して、素直になれる間柄でいたいのだ。無理な願いだろうか?」
「……いいえ」
「そうか。それは良かった」
そう言って微笑む夫の顔は、乱れきったベッドの様子とは裏腹に、少年めいた清らかさを感じさせる。
「そのお顔、今の笑って下さったお顔、とても好きです」
「お? そうなのか?」
「この世のどなたよりも、この方が好きだ……そう強く意識した、子供の頃に戻るような心地がします」
「昔から、可愛い良い子だったが……美しく育ってくれたな。私が思い描いた通り、いやそれ以上だ」
「そうなのですか? イレーヌ様やモード様ほど美しいとは……思えませんのに」
「美しさにも好き好きと言うのが有る。 私にはアンヌ・テレーゼが誰より最も美しく見える」
夫はじっと自分をみつめる。すると、切ないほどの想いが胸にあふれてくるようだ。
「今、何を思った?」
「私は、この方が好きで好きでたまらないのだ……そう思いました」
「そうか……愛しているよ、アンヌ・テレーゼ」
「ああ、ロベルト」
自分はきっとこの世で一番幸せな女に違いない……そう、確信するアンヌ・テレーゼであった。




