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試練・2

「そもそも、申し訳ないなどと言う考えが良くない」

 どうやら無意識のうちに、自分は夫の腕の中でそのような事をつぶやいていたらしい。

「気にする必要の無いことを、気にするな。体に悪い。お前には長生きして貰わなければ困るのだから」

「でも、自分だけ長生きするのは、嫌です」

「まだ若いお前がそう思うのだから、ずっと年上の私はなおのこと、嫌なのだよ。考えても見てくれ」

「でも、私も掛け値なしに若いと言う年ではありません」

「なら私は、掛け値なしに若くない」


 そういうと夫はクスッと笑った。それから、どちらとも無く堅く抱きしめあった。どちらかが不幸せなら、もう一方も不幸せ、そういう関係になったのだと今更ながらに実感する。

 それ以降も、ロベルトの気持ちを疑った事は無いが、さまざまな雑音は耳に入る。


「あの方はお子がおられぬのに、いつまで居座っておいでなのだ」

「甥御さまでも、確かに王位の継承は可能だが、やはり王御自身の御子を望みたいな」

「王妃様も、お子が生めぬなら上位の王位継承権をお持ちの方を御養子にでもなさるべきだ」


 ロベルト王自身がそうした噂を禁じたが、水面下ではむしろ噂話は盛んになっていたようだった。


 女性の年若い賓客をもてなすのは、やはり王妃の役目なので、正式な茶会を開くべきなのだ。正直な話、大変に気が重い。だが、二人が到着して間もないうちに開かねばやはり礼を失する。

 側妃云々は即座にロベルトによって明確に否定され、丁重に外交儀礼にのっとった形で、カルフのイレーヌ大公女もケンメルのモード王女も共に「遊学中」と言う扱いになった。将来的にはセレイアの王室に繋がる家柄の若者との婚姻を期待されているが、先行きは不透明だ。イレーヌ大公女は国から共についてきた騎士を特別な存在として意識しているようであるし、モード王女は結婚そのものに興味が無さそうだった。そうした情報を夫は数日のうちに入手し、それをアンヌ・テレーゼに伝えてくれたので気持ちが落ち着いた。


「これで落ち着いて茶会を開けそうか?」

「はい」

「セシリアに相談すれば、おそらく大丈夫だ」

「そういたします」


 夫が自分をセシリア・ノイマンの養子としてくれたから、随分と助かっている。養母の助けが無かったら、おそらく自分は王妃として存在し続けることが難しかっただろうとアンヌ・テレーゼは時折思う。宮中のあらゆる階級の人間にその発言が重視され、この王国の宮廷のしきたりの生き字引のような養母は、実に頼りになる。だが、養母にも言われたのだが、そろそろ自分自身の判断でやって行けるようになるべきなのだ。


「どちらの姫君も優れた資質をお持ちの方で、あなたに無礼を働くような浅はかな事は無いでしょう。小細工は嫌がられるでしょうね。こちらの真心と誠意をお示しする、それにつきます」

 まずはそれぞれの侍女たちに姫君の好物や好む色、好む花等々に関してよくよく聞いておく事――ともかく、自分がその立場ならどのように感じるかと言う視点は絶対に忘れないように――と養母は言った。

「細かな慣習、儀礼は西大陸の国同士であっても、国ごとに少しづつ異なりますが、基本は相手に対する真心です。あまり難しく考えないようにしてください」

 王妃になってから養母の自分に対する呼びかけは「お前」から「あなた」に変化したが、その助言は常に適格だ。だが、近頃は時折体調不良を訴える事が有り、それが近頃のアンヌ・テレーゼには気がかりだ。

 ともかくも養母の助言に基づいて、花の模様を型押しして王妃の紋章を入れた極上の用紙に能筆の女官の手で美しく文章を書き写させ、最後に自筆のサインを書く。封筒に入れて封蝋で閉じ、王妃の印璽を押す。確かに美しいが、外交書簡のような物々しさだとも思う。思わずついたため息を、養母に聞かれてしまった。


「本当に親密な方には、むしろ自筆のほうが宜しいでしょうが、最初はこのような形が無難でしょう」


 ため息をつくアンヌ・テレーゼを、少々困りものだと思っているかもしれないが、そんなそぶりは毛筋ほども見せない。ロベルトが「セシリアは臣下としての礼を決して崩さない。その律儀さかたくなさが、子供の頃はつらく感じたことも有る」と語ったが、アンヌ・テレーゼも王妃になると言葉が敬語に切り替わって寂しく感じている。だが、それがこの養母らしいと言えば、らしいのだろう。


「考えてみれば、私はこうした正式のお茶会など開いた事がありませんでした」

「ご結婚以降、女性の賓客をお迎えするのは初めてですからねえ。過去には国内の貴族の夫人たちを王妃様が正式の茶会に招く例もあったようですが、あなたは、馬術や武芸を通じて、ご自分なりのやり方で臣下の妻や女官たちとの交流の時間は作っておいででしたから、それで構わないと思ったのですよ。皆の評判も悪くなかったと思いますから」

「そういって頂けると、ホッとします」

「もっと、自信をお持ちなさい」


 意外な言葉に、アンヌ・テレーゼは思わず養母の顔をじっと見つめた。


「王が選んだ方は、あなたなのです。一生御夫婦でいると、ご婚儀の折に誓われたのですから」

「そうですね。そんな基本的な事を忘れていたようです」

「私も……長らく子ができませんでした。でも、そうした事は悩んでも何ともなりません。お子ができなくても、王が構わないとお考えなら、それで良いではありませんか」

「そうですね。同じようなことをおっしゃいました」

「……やはりね。ご心配なのですよ、きっと」

「御心配をおかけするなんて、不甲斐ない王妃ですね」

「また……ですから、申しましたでしょう? もっと自信をお持ちなさいと」

「はい」

「背筋をまっすぐなさって、深く呼吸なさいませ。そして、最近控えておられる乗馬でも剣でも、お好きになさいませよ」

「……良いのでしょうか?」

 女らしい事もなさらないから、お子もできにくいのかしら……などというふとした折に耳にしてしまった女官たちの噂話を気にしすぎていたかもしれない。

「誰が何を申したか、何か無責任な噂を気にかけておいでか存じませんが、馬も剣もほかならぬ王があなたにお教えしたものでしょう?」

「それは、そうですが」

「あなたには才能がおありなのだし、何より王は、生き生きとしたあなたのご様子を御覧になって、喜んでおられたのです。最近鍛錬をやめられたのが『何やらもったいない』と私にも仰せでしたよ」

「わかりました。今日から、早速、乗馬の方からまた、はじめます」

「それが宜しいわ」


 王室専用の厩の厩務員たちは、久しぶりに姿を見せたアンヌ・テレーゼを大喜びで迎えた。

「お久しぶりです! もう、こいつも大喜びです」

 その言葉通り、ロベルトがアンヌ・テレーゼに贈った栗毛の馬は嬉しげにいなないた。王室専用の馬場も、このところロベルトは時間が取れず、以前は日参していたアンヌ・テレーゼも足が遠のいていたので、寂しい状態が続いていたのだ。騎兵は士官学校で専門教育を受けるようになったので、王と王妃以外、使うものが今はいないせいも有る。


「まあ、ごらんなさい、お妃様が馬に乗っていらっしゃるわ」

「素敵ねえ」


 馬は人々の賞賛の声が聞こえるのかどうか、久しぶりなのに指示に従って美しく歩き、十箇所以上有る障害物を避けることなく越えた。最後の障害を越えたところで、見物の人々の大きな拍手が巻き起こった。

「きゃあー、素敵ですー」

 若いメイドたちは午後のお茶の時間もそっちのけで、大騒ぎだ。その中に見かけない人々の一団がいるのに、アンヌテレーゼは気がついた。どうやらカルフ大公国の人々のようであった。


 馬に乗って、厩に戻ると、そのカルフの騎士と思われる人物がいて、深々と頭を下げた。

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