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黒い森・7

「兄ちゃんも姉ちゃんも、時々薬草を採りに行って、帰りにちょっとお墓に行ったりした事は今まで何度もあって……去年までは周りに変な気配は無かった。そういう事よね?」


 アンヌ・テレーゼが義理の兄と姉に聞くと、二人とも肯定した。


「人の気配なんだよ。明らかに。獣じゃない。何か探し物をしているのかもしれないと思うんだけどさ、俺の気配を感じただけで身を隠しちゃって、『そちらにおいでなのは、どなた様でしょうか』って声かけると、逃げ出しちゃうんだ」

「昨日なんか、ウチの旦那つまりミーチャだけどさ、あの人が言うには、声をかけずに気配のした方に近づいたら、いきなり変な物が飛んできたんだって。風変わりな丈の短い矢みたいなもんでさ、後であたしが調べてみたら先っぽに毒が塗ってあった。結構強い毒みたい。王様の兵隊さんが来たら、お見せしようかって思ってたんだけどって、王様がおいでなんだから、今持って来りゃいい、ね?」

「ええ、見せて」


 気がつくと、つい先ほどまで暖炉の前で新たに中等教育を施す学校を近隣の村と共同で作る計画について話し込んでいたロベルトは、話が一段落ついたようで、エールを注いだジョッキを手に黙って隣に立っていた。


「これなんです」

 義姉のニナは、小さな蓋つきの籠をテーブルの上に置き、その蓋を取った。中に問題の品が入っていた。

「これは吹き矢の矢だな。それもチャチャイの」


 ロベルトはボソッという感じで、そう断言した。それから眉を微妙に、それこそ見慣れた妻でなければわからないほど微妙にしかめた。実はあまり機嫌が良くない。と言うよりも、自分を責めているように見える。ロベルトにしては珍しく、黙り込んでしまった。


 事情のわからないニナは戸惑ってしまったようだ。アンヌ・テレーゼに小声でたずねる。 


「チャチャイって、どこなのかさっぱりわかんないけど」

「大君主国よりもっと東の、一年中雪が降らない暖かい国らしいわ」

「……なんか、その国がらみで有ったの?」

「ええ、まあ。お考えをまとめておいでなのだと思うわ」

「ふーん」


 その夜はそのまま、飲み食いするものが無くなったので自然に散会となった。ロベルトは穏やかに受け答えはするが、吹き矢を見てから自分から話すことはぜず、やはり考え込んでいる。村で一番上等な寝台を貸してもらって、ロベルトと共に寝ることになったのだが……


「チャチャイのフーチョンと言う男の事ですか?」

「うむ。あの吹き矢を使うのは、フーチョン以外まず考えられないな。脱獄の際、抜かりなく持っていったようでは有るし。一時は気持ちが通じたと感じただけに、何やら気がかりなのだ。それに……セレイアからチャチャイは遠い。私の力を借りずに戻る事は、おそらく不可能だ。それでも脱獄までして『命の恩人』に従うのだからな。同じテーブルで食事をさせないとか、寝るときも寝室の外で床にごろ寝させるとか、神聖帝国の貴族階級なら当たり前なのかもしれんが、まともな人間扱いされておらんらしいのに、義理堅いなあ」

「置手紙の内容からすれば……その男なりに、心苦しく感じたのでしょうか?」

「それはそのようだな。牢屋に閉じ込めはしたが、私はフーチョンを人間として扱ったからな……それでも、脱獄とは……何か重要な条件が欠けていたか、もう一押しが足らなんだか……」

「きっと、フーチョンと言う男が、少々意固地で頑固なだけでしょう」

「ああ、そうだな。それはあるか」

「ですから、あまり気になさらないで」

「いや、気にしなくてはいかんだろう。でもまあ、考え込むのはやめるか。明日は確かめに行くよ」

「もう一度、ゲンツ村に行くのですね」

「何かお前の異母兄が探すものがあるようだな。物騒なものかもしれん」

「物騒なものですか」

「かつてゲンツ村には『死の杖』と言う代物が泉のそばの地中に埋められていたそうだ」

「何ですか、それは?」

「何でもその杖の先を水に濡らして、地面に呪文を書くと、その水場は使えなくなり、周囲の作物や食料は毒にまみれるそうだ」

「何とも物騒ですね」

「それで村長のパウルは魔女と呼ばれた物知りの老女と相談して、杖を焼いてしまったそうだ」

「焼いたのですか? それにしても、その杖の正体は何だったのでしょうか?」

「古い時代に帝国の都からもたらされた物らしいが、どうやら杖の内部の空洞に特殊な小さい虫の卵がたくさん詰まったものだそうだ。乾いていると小さな殻に籠もり、まるで砂粒のように見えるらしい。水に出会うとその殻から出て蠢き、たちまちのうちに卵を産んでどんどん増え始めるようだ」

「それが……吹き矢の男フーチョンと、どうかかわるのでしょうか?」

「フーチョンが井戸の周りで描いていた謎の模様が、死の杖にかかわる物であったようだ」

「どういうことなのでしょう?」

「まあ、明日、確かめるさ」


 翌日、ロベルトは奇妙な文字を紙に書いた。チャチャイのものらしい。ゲンツ村にはパウルの息子で、開拓村の村長であるヤンもついてきた。


「しばらくここで待ってみよう。昼飯でも食べながら待つか」


 奇妙な文字の記された紙を泉のそばの木にナイフで留めつけてきたのだ。


「何が、どうなるのでしょうか?」


 訳がわからずアンヌ・テレーゼが聞くと、ロベルトは「まあ、待て」と言うだけだ。皆で村から持って来たパンやらリンゴやら齧って待っていると、一人の男が泉の方からやってきて、深々とロベルトに頭を下げた。それからアンヌ・テレーゼの顔を見て、驚いていた。


「おお、フーチョン」


 ロベルトがそう言ったのだから、その男が問題のフーチョンなのだろう。だが、その後は全くわからない言葉になってしまったので、アンヌ・テレーゼには事情はわからない。だが、その男がロベルトの言葉に気持ちが動いたのは確かなようで、肩を震わせ泣きはじめた。ロベルトは慰めるように肩を叩き、リンゴを差し出している。男は幾度も頭を下げ、恐縮した様子でリンゴを食べはじめた。それからパンを食べ、蜂蜜入りの果汁も飲み、干し肉も食べた。


 何か懇々と説得している、そんな風にアンヌ・テレーゼには思われた。


「アンヌ・テレーゼが『命の恩人』の妹だと言うと、納得したようだ。何ともなあ……お前の腹違いの兄は嫌な奴のようだ。どうやらアイツは死の杖を調達してから、井戸の周りで例の奇妙な模様を書くように命じたらしい。本来なら昨日聞いたように、特殊な毒虫を大量発生させようという計画であったのだろう。それが……互いに不自由な大君主国の言葉であったがために、フーチョンは井戸端で模様を書き、市場の品物をなるべく売り物にしにくいようにしろと命令されたように受け止めたらしい」

 それが誤りであると知らされて、フーチョンは妙に責任も感じたようだ。そんなに恐ろしい虫の卵をかえすのだとは、知らなかったらしい。


「ロベルト王、死ね!」


 いきなり怒号が響いた。アンヌ・テレーゼは銃の撃鉄の音を聴いた。手元の石を拾って音のした方向に思い切り投げると、鋭い銃声が響き、舌打ちが聞こえた。そして、男の気配はかき消える様に無くなっていた。


「お怪我は!」

「大丈夫だ。助かった、ありがとう、アンヌ・テレーゼ」


 ロベルトは、アンヌ・テレーゼの手を取り、にっこり微笑んだ。銃声を聞きつけた供の者たちが、曲者の姿を探したが、手がかりはつかめなかったようだ。

 

「おうの、おとも、します」

 

 これまでの様子を見ていたチャチャイ人のフーチョンは、決心を固めたらしい。


「ああ。悪いようにはしない。きっと祖国の土を踏ませてやろう」


 そう言うロベルトの顔は晴れやかだった。

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