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黒い森・1

 三日の婚儀に伴う休暇の後、十日ほどしてから国王夫妻は黒い森のある地域の小さな古城に向かった。

 アンヌ・テレーゼは初めてロベルトに保護された九歳の年に、この場所で二晩滞在した記憶がある。その当時は昔の石造りの城砦のままで、寝台が置かれてた部屋に古風な灰色の石を組んだ暖炉があり、かろうじて絨毯が敷かれている程度だった。今回、ロベルトはずいぶん手を入れさせたらしい。かつての無骨な城砦はすっかり瀟洒な館に生まれ変わっていた。小さな湖を見下ろす位置の日当たりの良い位置のこの部屋も、以前は壁も床もがっしりした石組みがむき出しの状態でがらんどうだったはずだ。それが白いパネルに繊細な金の縁取りの装飾を施した壁、寄木細工の床、薔薇色の大理石の暖炉、繻子張りの最新流行の寝椅子という具合に変化したのだから驚く。


「外観は昔のままなのに、中はすっかり変わったのですね。驚きました。とても素敵です」

「ここまで変えてしまったのは、この部屋の有る城の南の棟だけだ」


 元来、この城は帝国との国境の警備のために作られたもので、王の離宮としての機能はほとんど無かった。ロベルト王は視察もかねて狩猟に出る事が王太子時代にはしばしばあり、黒い森付近の偵察なり狩猟なり行う際の基地として、必要最低限のものを置いて年に二度ほど使っていたらしい。したがって使用人もごく限られており、城にいる大半の人間は国境の警備に当たる者たちだった。


 九歳のあの救出された当日も、ロベルトは身の回りの事は大半自分自身で行っていたので、まさか新興の大国セレイアの王太子だとは思わなかったのだ。ましてや見ず知らずの拾い上げたばかりの子供をかいがいしく世話するなど、考えてもみなかった。何事も身分に人が縛られる神聖帝国では、下々の子供など身分ある者が気にかける事など有り得無いからだ。


「何日も飲まず食わずだったのなら、いきなりまともな食事では体に悪い」


 そのように言われて最初に与えられたのは、雑穀入りの粥だった。軽く炒った胡麻がかかっていて、妙においしかったという記憶がある。それでは物足りなくて食器を見つめていると、ロベルトは笑って蜂蜜入りの温かなミルクも渡してくれたのだ。


「明日の朝食はまだ粥で、肉や魚を出すのは明日の夕食からにしよう」


 それからたっぷり湯を張った風呂にいり、元来はロベルトのものらしい大きな厚地の白い寝巻きを着てロベルトと一緒のベッドで眠った。最初は無論遠慮したが……


「この城で一番まともなベッドだし、お前の体では石の床に置いた寝藁で寝るのは無理だ。悪いことは言わん。おとなしく寝ておけ」


 その言葉に従い、隣で眠ったのだが、いかにも健康そうな寝息を聞いているうちに、あの凄惨な事件以来初めてぐっすり眠ることができた。


 三日目の朝食後、立派な馬車に乗せられて、初めてロベルトがセレイアの王太子であると知ったのだった。


「アンヌ・テレーゼ、何を考えている?」

「初めてこの城に泊めていただいた日の事を思い返していました」

「あの日、共に眠った部屋は廊下を挟んで向いだ。見るか?」

「ええ、ぜひ」


 廊下にも絨毯が敷き詰められすっかり様相は変わっているが、向かいの部屋のドアを開けると、確かにその内側はあの当時のままの状態だった。


「古風な石組みの暖炉だと、シチューや煮込みを入れた鉄鍋も置けるし、酒を飲みながら狩りの獲物を焼いたりもできる。それはそれで悪くないと思うのでね、この部屋だけはそのまま残したのだよ」

「二晩目に頂いた鹿肉のローストは、本当においしかったです」

「あのときのお前の表情が忘れられなくてね、また同じ事をしてみるのも良いななどと思ったのさ」


 あの日、ロベルトがすっかり全部自分で調理した鹿肉のローストがあまりにおいしかったので、ロベルトの身分を猟が好きな田舎の領主程度なのかと思ってしまったのだった。それにしては、華やかな雰囲気もある不思議な人だとは幼いながらに感じたのだったが。


「国王陛下お手製のローストですか。秘密のご馳走ですね」

「いいねえ、その『秘密のご馳走』って言葉、なんか気に入った」


 それから、あの九歳の出会いのころの思い出話を色々としたが、いくら記憶をたどっても、あの酷い事件の日以前の事は曖昧模糊としていて、何もはっきりした事は思い出せなかった。


「無理をするな。思い出すべき時に、きっと思い出すだろうから。な?」


 いさかか過保護の気味もある夫が、眉をひそめて心配そうに顔を覗き込むので、アンヌ・テレーゼはそれ以上過去の事について考え込むのは止めた。夫は……幾度も『自分ひとりで背負い込むな』と言った。それが何よりもありがたく嬉しいとも感じる。


「気にするなと言っても、気になるのだろうな。 明日、共に元のゲンツ村を訪れてみよう。だが、その前に食事だ。城に詰めている守備隊の皆が歓迎会を開いてくれるようだから、大いに飲んで食べよう」


 守備隊の隊長はかつて近衛にいた人物で、年老いた自身の両親が程近い村に住んでいるので、結婚を機に志願してこちらに来たのだった。その隊長が中心になって開かれた歓迎会は、ともかくも『うまい酒とうまいものをたっぷり楽しむ』のが一番の目的らしい。

 城の大広間に椅子とテーブルを並べ、大型の暖炉で鹿とイノシシとヤマシギの肉を回転させながらローストし、近隣の村から地元特産のチーズや、大なべに入った野菜たっぷりのシチューや、田舎風の素朴な焼き菓子を持ち込ませた。それらもろもろの料理は、しきりに食欲をそそる香りを漂わせている。さらに極上のワインの大樽とスピリッツ類を置いて、めいめい勝手に飲み食いすると言う趣向だ。


 全員いっせいに乾杯から始まった宴会は、ざっくばらんな雰囲気でにぎやかに盛り上がってきた。そうすると各人、酒も入った所為もあって遠慮無い話も始める。


「いやああ、本当にあなたがお妃様になられたんですなあ……アンドレアス・ノイマンは可愛いのに剣が強くて、酒も強くて愉快な奴だと思っていましたが……はああ」


 ひげ面の大男の守備隊長は、信じられないという感じで首を横に振った。するとほろ酔い加減の近衛の者たちが、色々な話を始める。


「アンドレアスが可愛くてたまらなく見えてしまって、自分が男色に目覚めてしまったのかと恐ろしく思ったことがありましたが、自分は正常だったんですあ」

「一時期、お前がアンドレアスをやけに避けていたのは、そういう事だったのか」

「陛下が大切になさっているのは良くわきまえていたからさ、プッツンして、いきなり無礼な振る舞いに及んだら、お手打ちだ……そう思ったのさ」

「お前も? 俺も悩んでたな。陛下は男女両方いける方なのかな、などと失敬な想像もしておりました」

「俺は、最初から女性だとわかっていたがな。陛下が秘密になさるのは、何かご事情がおありなのだと思って、黙っていただけだ」


 ロベルトは彼らの話を聞きながら「皆、勝手な事を言いおって」とつぶやいたが、アンヌ・テレーゼの見たところ、機嫌は悪くなかった。


「鹿肉のローストは、十分食べたか?」

 ロベルトはそっと耳打ちをした。

「はい。野菜のシチューも、このベリーのたっぷり入ったタルトもとても美味しいですが、そろそろおなかいっぱいです」

「じゃあ、それを食べ終わったら、二人でコーヒーでも飲もう。ここはもう、乱痴気騒ぎになりそうだから」


 確かに、無礼講で多いに盛り上がり、料理を持ち込んだ村人や隊員の家族やこの城の使用人も混じって、歌ったり踊ったりし始めている。


「はい」

 

 ロベルトはゆっくりワインを飲み干し、アンヌ・テレーゼがタルトを食べ終わったのを確かめると、やおら席を立ち、こう皆に伝えた。


「皆のこれまでの心遣い感謝する。まだ酒は有るし、食べるものも有る。今夜一晩ここは開放されているから、皆好きなようにして楽しんでくれ。我々は何しろ新婚なのでね、そろそろ失礼するよ」


 すると皆、ドッと声を上げ、拍手したり口笛を吹いたり大変な騒ぎになった。


「陛下、がんばってください!」

「お子様が授かりますように!」


 ロベルトは苦笑すると、アンヌ・テレーゼの手をとり、自分たちの寝室に向かったのだった。

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