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婚儀・2

 やはり以前から予想していたような事態になった……だが、ロベルトは慌てる必要は無いと思った。一通り辛い打ち明け話をしたら疲れてしまったようで、まだ乙女のままの新妻は自分の腕の中で寝息を立てて眠っている。

 旧神聖帝国領のうち、セレイアに隣接していた相当の部分がセレイアに編入されたが、旧ゲンツ村の跡地は惨たらしい虐殺の跡地であるため、開拓農民もよりつかないようで、今はだれも住んでいないはずだ。あまりに無残だと言うので、かなり痛みの激しくなっていた遺体を一つの大きな穴に納め、上に簡素な墓標を立てたのはセレイア軍の兵士たちだ。


「ゲンツの虐殺の唯一の生存者なのかもしれんな」


 虐殺の目的は、やはり皇后フレデリカの血統の排除であった可能性が高い。旧神聖帝国は皇族・貴族の血縁関係が複雑に入り組み、外部の者にはうかがい知れない強烈な近親憎悪と派閥争いが存在した。忌み子のような理不尽な習慣も有ったし、実に複雑怪奇で理解に苦しむ。

 フレデリカの娘の一人はルゥルゥだが、皇太子と常に行動を共にしていたので簡単に排除するのは難しいと考えたのかも知れないし、ルゥルゥが国外に逃れたのを知って事を急いだのかも知れない。ルゥルゥはいささか事情を知っていて、妹が忘れている虐殺事件の話を蒸し返すのは避けた可能性も有る。


 泣き泣きこの娘……いや、妻が語った所によれば、兵士たちが立ち去ったのを見計らって暖炉から脱出し、殺害された村長の妻と娘の遺体を清めてやろうとして台所の水がめの側に近づいたところ、戻って来た兵士と出くわし、頭部に切りつけられてそのまま夢中で逃げたらしい。


「二人が可愛そうで、可愛そうで……でも、何もできなくて、怖くて、逃げてしまった」


 いつの間にかそう語るアンヌ・テレーゼの口調はであった頃の、少年じみた言い方に逆戻りしていた。

 気が付くと赤子のいる家で傷の手当てを受けていたらしい。数日世話になっていたが、その村にもまた兵士たちが襲ってきて、矢を射かけて来たそうだ。その赤子の母親は矢を受けて息絶える寸前に、赤子を託した、そういった経緯であったらしい。だが、そのあたりの記憶は、今もあやふやなのだそうだ。


 それにしても、自国民に対して平気でそのような虐殺行為をしてしまう人間が権力を握っているような国は、まともな国家ではない。神聖帝国は自滅するべくして、自滅したのだ。

 帝国では皇族と貴族以外の者はすべて卑しく、商業も工業も、農業・漁業・林業にいたるまで、全ての真っ当な生業を「賤業」と見ていたのだった。そのような状態では、良い産業の担い手など育つはずもない。

 一方でセレイアは帝国の因習からの解放を望む人々によって発達した。学問や研究の自由を保証したのも、官吏登用を身分にこだわらず比較的自由に行えるのも、商業と手工業を保護して国を豊かにし、農奴を建国以来廃しているのも、帝国と言う悪い見本が有ったからこそだ。建国して百年も経たない内に、セレイアが帝国の財力を凌ぐ豊かな国になったのも、当然と言えば当然の成り行きだったのだ。


「それにしても……」

 新婚初夜に新妻が昔話をして疲れ切って寝てしまうと言うこの状態を、予想しなかったわけでは無い。

「指先にでも傷をつけて血をつけておくか」

 だが、そんな見え透いた手では、廊下の向こうで息をひそめるようにして今夜の首尾を待ち受けているであろう古参のメイドや従僕達の目は、ごまかせないだろう。彼らが要らざる事をふれて回るとは思わないが……真実は思わぬところで明らかになるものだ。だが、急いては事を仕損じるのも一面では事実だ、

「休みは三日取ったのだから、どうにかなるさ」


 ともかくも自分も眠って、朝を待つ事にした。


 気配が動いた。意識が明瞭になってくる。鳥の声がするから、夜が明けたのかも知れないがしばらく目を空けないことにした。自分に向けられた視線を感じたからだ。

 裸の胸に顔を摺り寄せ、ため息をついているようだ。何か言っている。


「申し訳ありません」


 古参の女官達によるシーツの検分などと言う失敬な儀式は取りやめさせたのだが、侍従として働いていた時に、洗濯を行うメイド達との接点もあっただろう。彼女たちは洗濯物を通じて、様々な事を類推する能力にたけているとも聞く。国王夫妻の初夜の首尾は大きな関心事だけに、あらぬ噂が立つかもしれない。


「まだ間に合うぞ、どうする?」

 ロベルトが目を開いて、戸惑う妻の顔を見詰める。夫が完全に眠っていると思っていたらしい。

「お願い致します」

「それを言うなら、こちらこそよろしく頼む。では、頑張ってみるか」


 しなやかな体をベッドに寝かせた状態で、ロベルトは臆病な処女をおびえさせないように細心の注意を払った。恐らく暗い中では顔を見る事が出来ないのも、恐怖を引き起こした原因なのだろう。


「私の顔を見てくれ。お前を抱くのが誰か、お前の夫は誰か、良く見るのだ」

「はい」


 キスを落としてから朝の光の中で体を愛撫し、頃合いが十分だと見計らった所で、一気に事をすすめた。深く口づけながら、感じやすい乳房を刺激してやると激痛が少し紛れるようだった。


「痛むか? 痛むよな。すまん」

「いいえ、いいえ……大丈夫です。だって、陛下が抱いてくださっているのですから」

 

 殊勝な新妻の苦痛を可能な限り和らげようと言うロベルトの努力は、それなりに効果を発揮したようだ。初めてであるのにもかかわらず、苦痛の中に悦びを覚えたらしい愛らしくも悩ましい声を上げ、ロベルトと共に果てた。感極まった声で呼ばれるおのれの名前を耳にして、ロベルト自身深い悦びを覚えた。


「良かったな。これで名実ともに夫婦だ」

「陛下……」

「先ほども言ったであろう? 儀式のときでもない限り、これからはなるべく名を呼んでくれ。さあ」

「ロベルト」

「そうだ。可愛いアンヌ・テレーゼ」

「ああ……ロベルト」


 その妻が自ら口づけて来たのでロベルトが応え、その応酬から再び交わった。

 そうした事を幾度か繰り返し、いつの間にか陽は高く登った。少なくともこれで、新婚の国王夫妻の不仲説などは出ないはずだ。


「さすがに喉が渇いただろう。何か運ばせよう」


 寝室の水差しの中身はすっかり二人で飲み干してしまった。新たに王妃付き筆頭女官となったネリーが選抜した中年の実直そうなメイドが軽い食事とコーヒーを持ってきた。その後一旦入浴したが、シーツを取り換えたベッドにまた二人で潜り込み、思い切り爛れた午後を楽しんだ。


 三日取った王と王妃の休みは、殆ど寝室で費やされ、宮殿の大宴会も同じだけ続いた。


「舞踏会を開きたがった者もいたが、やめておいて正解だったな」

「ええ……とても、無理です」

「……その、子供だがな、あまり気にする必要は無い。無論出来たら出来たでめでたいが、出来なくても叔父上の息子たちもいるのだし、どうにでもやりようは有る。二人きりでいる事の出来る時間がたっぷりあるのも、それはそれで悪くないのだからね」


 王妃となった者は世継を産むことを、周囲から強く期待される。それだけでも大きな精神的重圧となりうるのに、夫までがそれに輪をかけたような事を言ってはいけないとロベルトは思う。少なくとも良い結果には結びつかないだろう。

 

「次の休暇には離宮へ行こうか」

「どちらの離宮へ?」

「気になるのではないか? 育った村のことが」

「墓に参りたいと、思いますが……良いのですか?」

「ああ。お前の育ての両親と、兄と姉に、挨拶に行こう」


 黒い森の一帯に行って見ることが、この妻にはやはり必要なのではないか……

 ロベルトは昔の事件と現状について、細かく調べなおす必要があるのかもしれないとも思ったのだった。

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