覚悟・1
大君主とルゥルゥが人任せにする事なく考えた文言は、祐筆役の宦官によってしかるべき公文書の体裁を取って美しく清書され、アンヌ・テレーゼに渡された。
その後、帰国するまでの二日間とも別れを惜しむルゥルゥに宮殿に呼ばれ、共に昼食を食べた。
「デザート以外のすべてが一度に出されるのも、右手だけを使って、手づかみで食べるのも、慣れれば悪くないわ。手で食べるとその触った感じや香りが良くわかるの。今ではナイフやフォークを使うより、こっちの食べ方が好きになったわ」
だが、スープ類や柔らかいものだけはスプーンを使っても良いらしい。手で食べる楽しさについて、ある程度は理解できたが、やはりスプーンが使える方がアンヌ・テレーゼはやはり落ち着く。セレイアに戻れば手づかみはやはり有り得ない。
「サンドイッチぐらいでしょうか。手で持って食べる西大陸の食べ物は」
「そうね。こちらでも色々なサンドイッチが有るのよ。宮中では食べないの。でもね……こっそり作らせることも有るわ。その、西大陸の物とそっくりな物もできるから」
どうやらチーズとキュウリを挟んだサンドイッチがルゥルゥの好物であるらしい。
「あ……それ、僕も……」
アンヌ・テレーゼは無自覚に「僕」と言っていた。
「まあ『僕』も同じものが好き?」
「……え、ええ」
「ならば、アーモンド風味のふんわりしたケーキは?」
「帝国風のですか?」
「ええ」
「とても、大好きです」
それから更に続けて「白い豆と鶏肉の煮込み」とか「鮭と緑の野菜のテリーヌ」とか「チーズ入り肉団子」とか料理の名前を上げて、好きかどうか尋ねられた。すべてアンヌ・テレーゼの好物ばかりだ。そう返事すると、こう言われた。
「そう。どれもリヒャルトの大好物ばかりよ。私はまあまあってところかしら……やっぱり、似るものなのかしらね」
これまで、亡き皇太子と自分が双子の関係なのだと人に聞かされても、全く実感は無かった。だが「姉」に食べ物の好みが似ていると指摘されると、血のつながりをわずかにだが実感した。
「やっぱりね、アンヌ・テレーゼ、私達は血が繋がっているのよ、亡くなったリヒャルトとも。このスープね、リヒャルトがかなり気に入っていたの。こちら風の豆と鶏肉のスープだけど、食べてみて」
勧められた料理は、初めて食べる味わいではあったが、良い味だと感じた。
「どう? 気に入った?」
「はい。とても」
「よかった」
穏やかにほほ笑む「姉」の顔は、どこか懐かしい気持ちを起こさせる。食事が済むと、涼しい池の側で、冷たい飲み物をゆっくり飲みながら、談笑する。こうして夕暮れ近くまでの時間を静かに過ごすのが、この国のハレムの女たちの習慣だそうだ。
「もうあなたがセレイアに戻ってしまったら、二度と会えないかもね」
「やはり、宮殿の外にお出になるのは、無理なのですか?」
「ええ。そういう国柄なの」
聞けばこの宮殿のハレムの女達は仕えていた大君主が亡くなった後、特別な計らいで暇を出されるか、息子が大君主にでもなるかしない限り、外出は無理らしい。大抵は大君主が亡くなった後も、その墓を守る離宮に入れられ、死後は宮殿のすぐ外の墓地に埋葬されるのだと言う。ごくまれに、勲功を上げた臣下に女を下賜する場合が有るらしいが、本人の意思など全く考慮されずに事が運ばれるのだそうだ。
ひどい話ばかりだと、アンヌ・テレーゼは内心思ったが、この国ではそれが常識らしい。自分ならとても耐えられないだろう。そこまで考えて、大君主国の後宮でこれからも生きていく姉が心配になった。
何も言わなくても、そう思っているのが顔に丸出しであったようだ。
「心配してくれてありがとう。でも私はここで生きていくから。大丈夫よ」
「国母様とは……どうなのですか?」
「義理のおかあさまなのだと言う事を常に忘れないようにして、気持ちを落ち着けて、穏やかにする様に努めるわ。本当の叔母様なのだし、大丈夫よ」
「……はあ」
「それより、アンヌ・テレーゼは……セレイアの陛下に可愛がっていただくようにね?」
「大丈夫でしょうか? 陛下の周りにはたくさんの女性がこれまでおられましたから」
「でも、あなたを迎えるために、関係を清算なさろうとしているのでしょう?」
「そうは伺っていますが……陛下が失望なさるのではないかと、とても心配です」
「大丈夫。ドレスを着たあなたは、お母様にそっくりよ。お母様は素晴らしい皇后だった……少なくとも私はそう思うの」
最後の皇后フレデリカと自分はやはり似ているのだろうが、それを言うならルゥルゥ自身も似ているのではなかろうかと問うと、ルゥルゥは寂しそうな笑みを浮かべてこう言った。
「確かに私も似てはいるでしょう。でもね。あなたの方が凛とした感じが有って、より似ていると思うの。ほら、あなたの方が背も有るし、堂々としているもの。お母様は背筋がいつもピンと伸びていて、女性としては背が高い方でいらしたの。見ての通り、私はおチビでしょう?」
「ですが、その方がお可愛らしいかと」
「まあ、優しいのね、アンヌ・テレーゼ」
聞けばルゥルゥという真珠を意味する現在の名は、小柄なので「手の中に隠せるぐらい小さい」といった印象も重ねあわせてつけられた名前らしい。言うなれば「掌中の珠」といったような意味合いらしかった。
「大君主陛下の宝でいらっしゃるのですよ、お姉様は」
大君主と二人並んだ折の、仲睦まじい雰囲気は見せかけではなく本物だとアンヌ・テレーゼは思う。
「あなたも、セレイアの国王陛下に大切にして頂かなくては」
「どうも、しっくりきません。自分の方が、目いっぱい陛下にお仕えする方が、ふさわしいのだと言う気がするのです」
「まあ……良いみたいだけど、良くないわそれは。あなたは愛人じゃなくて、正室、王妃になるのよ」
「はあ」
「その違いが本当に分かっている?」
「国への責任でしょうか」
「チャンと、考えてはいるようね。では、大丈夫よ。後は、決めるだけね。王の妻として常に並び立つ存在となるという覚悟をね」
「並び立てるとも思いませんが……常にお傍で共にありたいとは思います」
「注がれる多くの人々の想いに、つぶされたり、がんじがらめになったりしないで、伸び伸びあなたらしい王妃でいてほしいとも思うのよね。矛盾した言い方だけど」
「なるほど。ありがとうございます。王の傍らに立つ者としての自分をもっと深く考えてみます」
「でも、あなたはロベルト王を想う気持ちは、誰にも負けないのでしょう?」
「ええ、それは自信が有ります」
「ならば大丈夫」
「そうでしょうか?」
「大丈夫よ。そうそう、これからときどきは手紙を頂戴。出来れば月に一度ぐらいは、お願いできる?」
「はい、お送りします」
「しきたりの所為であなたの結婚式には出席できないけれど、お祝いする気持ちは、誰にも負けないつもりよ。これは、私からのささやかな贈り物です。受け取ってね」
大君主国の特産品である青玉の極上品が大きな手箱にいっぱいと、西の大陸で人気のある銀器の数々、そして金の装飾品、極上の絨毯に綾錦、唐織などなどであった。
「この国では母親が、娘が夫と離婚したり死に別れたりしても一生食べていける財産を嫁に行く娘に持たせるものなのよ。あなたは親から何一つ受け取らないままに死に別れてしまったのだから、せめてこの位は持って行かなくてはね」
「お姉様」
ルゥルゥは、アンヌ・テレーゼを抱きしめた。やはり自分はこの人の肉親なのだろうと、ようやくに実感がわいてきた。すると、同時に涙がこぼれた。
「あらあら、この子は……でも、泣き顔も可愛いわ。ロベルト国王陛下によろしくね、幸せになるのよ」
姉は……国母がほのめかしたよりも、ロベルト王が推測したよりも、ずっと強く、ずっとしっかりこの国の宮廷社会に根を張っているのかもしれない。
アンヌ・テレーゼは、その自分の受けた印象が正しいものであってほしいと願うのだった。




