先行き不透明・5
アンヌ・テレーゼからの最初の書簡がロベルトのもとにもたらされたのは、使節団一行の船が出港してからわずか十日目の事だった。昼夜を問わず船と早馬を使って、成しうる限りの最も短かい時間で届けられたのだ。
「ヨーゼフ・オイゲン・コルネリウスと言うのか」
大きな収穫が有ったようだ。まず、あの市場の付近で護衛が目撃した襲撃事件の黒幕らしい若い男は、やはり神聖帝国の皇族であったらしい。名前まではっきりしたようだ。
だが、手紙の内容は一行が大君主国に到着した初日の段階のもので、その翌日に訪れたであろう大君主国の宮殿での出来事や、姉との話し合いについては不明だ。だが、船乗り同士の伝言や噂では、セレイアの使節団は歓待されているとのことなので、恐らく特に困った事は無いのだと思われる。
「それにしても……」
国母もガァニィ・バヤルも亡命先としてセレイアを考えているらしい……などと言う事は、この手紙がもたらされるまで、ロベルトは考えもしなかった。
昨日、ようやく『吹き矢の男』を捕まえた。主であるらしい「ヨーゼフ・オイゲン・コルネリウス」が大君主国に行った後も、あの市場の近所に身をひそめていたのだ。その意図は何なのか、今の所全く謎だ。と言うのも、拷問にかけても一向に口を割らないからだ。自分の名前すら教えようとしない。大君主国の言葉が達者な者に調べは任せているので、言葉の壁は存在しないはずだ。
「自分で取り調べにあたるか」
吹き矢の男……そう呼ばれている男は、非常に小柄な男で、今は重罪人を入れておく牢獄の独房にいる。ロベルト自身が牢に赴くと、取調官は驚いていた。
「へ、陛下おん自らお出ましとは、まことにお待たせいたしておりまして、申し訳御座いません。ただいまは、眠らせない責めにかけております最中です」
「なる程な。だが、口は割っておらんか」
「まことにもって、申し訳ございません」
「よいよい。大君主国のさらに東方の民族の顔つきだな、あれは。話に聞いてはいたが、やはり珍しい」
「やはり、さようでございますか。そうした方面の言葉となると、理解できる係官が居りませんのでして」
「さもあろう。私が自分で取り調べてみる」
「陛下、おん自らですか?」
「ああ。無駄かもしれんがな」
十代のころ、遠い国々まで冒険に出掛ける事を夢見て、はるか東方の国々の言葉も三種類ばかり学んだ。大変に流暢と言う程ではないが、どうにかなるかもしれないとロベルトは役人を引き連れて牢内に入り、男に話しかけてみる。
『さきほど大君主国からもたらされた知らせでは、ヨーゼフ・オイゲンは大君主国を出た模様だ。お前の使う吹き矢は、南方のチャチャイ国の物だな。市場の井戸で何の呪いを掛けていたのだ?』
ロベルト王は、ためしに東方の大陸の蒸し暑い国だと言うチャチャイの言葉で語りかけた。すると、男はたいそう驚いた顔つきになり、初めて口を開いた。
『呪いは主から教えられたもので、チャチャイの流儀ではないから、本当の意味は知らない』
『日の出の時刻に、奇妙な図形を地面に描いて、その上に井戸の水を掛けて再び消すと言うことを繰り返していたようだが』
『図形の意味も、呪いの目的も知らない。主の言うままにやっていただけだ』
『あまり良い主でも無さそうだが、なぜ義理立てする?』
『自分のような黄色い肌の人間は、この国ではまともに扱われないが、主は自分に金をくれて、食べられるようにしてくれた』
『王であるこの私に協力してくれたら、十分な礼はしよう。チャチャイに戻るのが望みなら、そのように計らってやろう』
『あなたはやはり、本当に王なのか。ならば、皇帝になるかもしれない主より、力が有るのだな』
『少なくとも西大陸では、私ほど多くの船を持つ者はいないだろう』
祖国では漁民であったらしい。嵐で流されたところ大君主国の奴隷商人が乗っている船に拾われ、そこを逃げ出した後、飢え死に寸前の所をヨーゼフ・オイゲンに拾われたらしい。
『ヨーゼフ・オイゲンはどうやって生活資金を得ていたのだ?』
『色々な所に貴族の知り合いがいました。他に宝石とか金とか持っていたようです』
意思相通は互いにあまり上手くない大君主国の公用語で行っていたらしい。ロベルトに従う気になったものか、言葉遣いが丁寧になった。
『あなたのようにチャチャイの言葉を話せる人には、国を出てから初めて会いました』
『明日からはチャチャイの言葉を達者に話すものを係とするので、知る限りの事を素直に話してほしい。そうすれば国に戻れるように、手を貸そう』
チャチャイの人間が好むと言う、あっさりした味の魚のスープと、西大陸ではあまり食べない米を蒸したものを急ぎ手配させて食べさせてやると、男は涙をこぼした。望郷の念に駆られたらしい。
その翌日から、チャチャイ語を流暢に話す翻訳官を牢に派遣して、取り調べにあたらせた。だが、男はどうやら本当に自分がやらされていた奇妙な呪いの意味を知らないようだった。
報告に来た翻訳官には、事件の話とは無関係ではあるが、チャチャイに関する情報も得るように命じた。
そうこうするうち、アンヌ・テレーゼから二通目の書簡が送られてきた。
「陛下のお姿が、お声が、恋しくてなりません」
そんな言葉が末尾に添えられていた。どうやら大君主との公式の謁見を無事に終え、姉であるルゥルゥとの面談も適ったようだ。だが、大君主と国母の関係が、良いのか良くないのか何とも微妙で判断が難しいらしい。その手紙を受け取ったのは、子供を産んだ愛人の一人を王宮に呼んだ日であった。ヨハンやハンスの母より一年遅れて産んだ息子クルトを、王宮に引き取る話も詰めなくてはいけなかったのだ。
「陛下……陛下の御心が私の上には無いということを実感するのは、辛うございます」
そのような恨み言も、嫌味に聞こえないのはこの女の人徳とでもいうべきだろうか。数多くの弟や妹を亡くなった親に代わり育てて来た苦労人で、その苦労が知恵になっていると言う人だ。
「すまない」
「私だけではなく、皆様方にお別れが近いと仰っているとか、噂には聞いておりますから、覚悟はできておりますけど、でも……辛いのです」
「本当にすまない。せめて……」
彼女は親戚の店の経営を受け継いで、順調に売り上げを伸ばし、店を大きくしている。自分の食い扶持ぐらい自分で稼げる人だが……ロベルトとしては、金銭による償いしか、結局は出来そうも無いのだった。
「どうぞおっしゃらないで。陛下と過ごさせていただいた大切な思い出を、何か売り渡したような気分になりたくありませんの」
ロベルトは、ひたすら謝るしかない。そして、まだ自分が十分に彼女に魅力を感じているのだと、実感させて、綺麗に別れる雰囲気を導き出すしか無いのだ。あまりに計算ずくの行動は賢明な彼女を失望させ悲しませるだけだ。ただひたすら、誠意をこめて感謝と謝罪の気持ちを表す、それだけだろう。
互いに最後だと意識してベッドを共にするのは、やはりつらいものだ。
王であれば、そのようなけじめを無理につけなくても社会的には許される。だが、それでは愛人である人も、妻に迎えるあの娘も、共に不幸せになるだろうとロベルトは思っている。愛人は皆、最初から期間限定で付き合うつもりで、双方ともに納得していたはずであった。だが、子までなした相手との関係は清算しきれるようで、やはり難しいのだとロベルトは思う。
「王妃となられる方は……クルトに優しく接してくださいましょうか?」
「ヨハンやハンスとは、上手くなじんでいると思うから、クルトも大丈夫だろう」
「……だとよろしいのですが」
「気が向いたら、時折様子を見に来てやってくれ。春と夏の休暇ごとに母のもとに返すつもりではあるが……そうだな、再婚したとしても、クルトの母でいてやってほしい」
「陛下……」
この人の店を共に支える男は、人柄も練れたなかなかの人物だ。密かに調べさせた限りでは、この人との結婚を望んでいるようだった。独身を通すにせよ再婚するにせよ、これでロベルトとの関係は清算する事になる。だが、互いにクルトと言う息子の親としてのつながりはずっと残るし、想い出も残る。
「では、これで失礼いたします」
「ああ。ありがとう」
朝が来て女を馬車に乗せ、返した。
ロベルトは女に、共に朝食を取ろうとは言わなかったし、感謝の言葉は述べても、もはや「愛している」とは言わなかった。それがロベルトなりのけじめのつけ方であった。
「あと、何日で戻るだろうか?」
朝焼けの空を見て、ロベルトは東のかなたの大君主国を思った。




