星の導き・4
大君主国へは、海路で向かう事になる。セレイアの都から大君主国の一番大きな港まで、順調にいけば七日だ。途中二か所に寄港するのが、一番一般的な旅程だ。ロベルトは国王ではあるが、王太子時代に始めた海外との貿易でかなりの利益を得ている。少なくとも愛人たちに与えてきた手当や装身具類や贅沢品の数々は、いささかも国費を費やしていない。全てロベルトの才覚で得られた貿易での利益が財源なのだ。
その事はある種の秘事であって、承知しているのは宰相と片手で勘定できるほどの人数の貴族と、ノイマン夫人ぐらいのものだった。
「陛下が実は大層な富豪でいらっしゃると言うのは、大君主国の商人達の間では常識なのだそうです。僕は全然知らなかったので、驚いてしまいましたが」
「たまたま大型船を手に入れたのでな、どうせなら遊ばせておくより荷運びにでも使おうと思ったのさ」
侍従は素直に驚いたらしい。十代のころはいささか無茶もやって、市井の荒くれ者との付き合いも有ったので、そうした連中から船乗りの経験が有る者を募り、彼らの情報をもとに優れた船長と航海士を相場の倍の報酬で雇い、船に乗せた。優れた人材を見定めたら、後はその人物に任せる。ロベルトはそのようにして貿易でも実績を積み、やがて大きな利益を上げるようになった。
「商売を始められたのは、今の僕とあまり変わらないお年頃だったのですね」
「ああ。若いころは色々してみたいものだからな。本当は自分自身で船に乗って外国で冒険したかったのだが、そうもいかなかった」
「だから、御自分の船を外国に差し向けられるのですか?」
「今は……金儲けのためだよ」
王となってしまった今、船に乗り込み未知の土地を目指すなど、出来はしない。だが、遠い国々の情報を得て、貿易を行う事が自分自身の王としての立場の強化に、図らずも役立っているのも確かだ。
「外国の情報や文物にいち早く接することがお出来になるのは、やはりそうした商売を御自身でなさっているおかげですよね」
「否定はしない」
外務担当の役人よりもロベルトの私的な伝手の方が、よほど早く正確な情報を得ることが出来ているのが実情だ。
「……それは……身分や出自にこだわらず、有能な人物をお使いになるから……でしょうか?」
ロベルトが時々、この若い侍従こそが王妃にふさわしいと思うのはこうした思考が自然に出来るからだ。
「その通りだ。王国の外務担当の官僚は貴族かそれに準ずる出自でなくてはならんとか、文官登用試験に合格しなくてはならんとか、あれやこれや面倒なのだ。そういう条件に適ったからと言って、異国での情報収集能力が高いとは限らない……えてして……」
さすがに文官登用試験合格者を尊敬しているらしいまだ年若い侍従に「頭でっかちの腐れ役人」などと言う正直な感想を漏らすのは、良くない気がした。交易をさせている船団の連中と来たら出自も様々なら民族も様々で、腕っ節が強く滅多に船酔いしないということだけが共通項なのだ。
「身近でお使いの護衛の三人も、元は貿易の仕事で使っておいでだったのですよね」
「ああ、そうだ。ああした船団では何にもとらわれず、それぞれの能力だけで登用できるのでね。お前が大君主国に赴くにあたり、もっとも有能な人員を船団に配置するつもりで人選を進めているが……油断するなよ」
「はい。大君主国内部の派閥対立のあおりを食らうのは、十分予想できますが……僕の兄か従兄弟であるらしい男は、向こうでしょうか?」
「恐らくはそうだ。大君主国の都に邸を賜った元の帝国の皇族がいるらしいのだが、未確認だ。それがその男である可能性は高い。その男を国母がどのように遇するつもりかはわからないが……その事実を大君主本人は知らないという事は有り得る」
「国母と大君主との関係は円満ですか?」
「それは……情報が錯綜しているので、どれが真実かは不明だ。実の親子だ。並みの関係では無い。良いにしろ悪いにしろ、絡む感情は強烈だろうな」
「未確認でも、何か情報は有るのですよね」
「……ああ。恐らく、お前の姉上は利用されているのだ」
「ど、どういう事でしょうか?」
「姉上と大君主の仲は、恐らく本物で見せかけではなく睦まじいのだろうと推測する」
「推測だけですか?」
「側に張り付いて二人を観察したわけでは無いのでね。だがともかく、また子供が出来たようだ」
「なるほど。ですが国母と大君主との間には、何か不穏な噂が有るのですか?」
「噂は色々だ。国母は意識的にマンスールが無事に生き延びることが出来るように手を回した……とかな」
「それは、大事な孫で、次代の大君主となる子なのですから、当然では?」
「いや、大君主の手が及ばないように計らい、事が片付いたら国に呼び戻すつもりであったらしいなどと言う不穏な話も有る」
「事が片付いたら?」
「息子の大君主を……位から追い落としたら……などと言う未確認情報も有るのだ」
「国母は何をしたいんでしょう?」
「無力な幼子を位につけ、自分は摂政として国を牛耳ろとしているらしいのだ」
「ならば、姉であるルゥルゥは……邪魔ではないですか?」
「そうだな。排除しようとするのではないかと思われる。もう既に、手を打っている可能性はあるな」
「ならば、僕が助けなくては」
「困った奴。本気か?」
「だって……姉なんですから」
「姉と言ったって、これまで何のかかわりもなく生きて来ただろう?」
「でも……困った事になりそうだとわかっているのに、放置するのですか?」
「あちらの親子喧嘩だかお家騒動だかにお前が過度に関わって、危険に巻き込まれるのは実に全くよろしくない。私は認めないからな。こんな事なら、黙っておくべきだったか」
「ですが、教えてくださいました。だから、何も知らないふりなんて出来ません」
「私が……お前を派遣する直前になって、このような事を伝えるのは、お前自身を危険から守るのに多少は役に立つのではないかと思ったからであって、お節介を焼けと言っているのではない」
侍従は不満そうだ。こうした場合、どうするべきか……ロベルトに方法がないわけでは無い。
「私はお前が大切なのだ」
ドレスを着た状態でこうして抱きしめるのは初めてだ。あごに手をかけ、上向かせ、幾度かついばむように唇を合わせてから、じっくり味わうようなキスをする。効果はてきめんで、強張っていたしなやかな体は素直にロベルトの腕に納まり、デコルテラインと控えめだが将来楽しみな胸の谷間の真っ白い肌にも赤みがさしている。黒い瞳の奥に見え隠れする強い光が、また魅力的だ。
「だから、くれぐれも慎重にな。情報を集めれば集める程、大君主国の現状は危険だと言う風にしか思えなくなって来る。だが……お前を派遣する件は、すでにあちらにも伝えてしまって有るので、急な変更も無理だ」
解毒剤に、特別製の鎖帷子も必要かもしれない。出来れば、銃の攻撃でも生き延びる事が出来る様な物が好ましいが……試作品を取り急ぎ改造させようか……あれこれできそうなことはすべて行おうとロベルトは密かに考えている。
「ともかく、三人の護衛は……お前に付ける事にするよ」
「そんなに……危険ですか?」
「ああ。私はそう思う。いいか、国母には十分に気を付けるんだ……ここに細い剣を忍ばせて行った方が良さそうだな」
スカートの内側に手を入れ、すんなりした脚を撫で、太腿をさすった。
「へ…陛下……」
息が上がり、漏れる声が悩ましい。自分の手を侍従が不快に思っていない事が十分に伺えて、ロベルトは内心上機嫌であった。
「戻ったら、お前を隅々まで可愛がるつもりなのだからな、無事に戻れ。良いな」
「は、はい」
その様子に、また気をよくしたロベルトは、再び深い口づけを与えたのだった。




