星の導き・3
大君主の世継であるマンスールは、よちよち歩きを始めた。このセレイア王国の王宮に保護されて以降、すくすくと成長している。本来は人さらいの一味であった女が今では乳母役なのだからおかしなものだが、マンスール本人はその女に懐いている。
言葉の訓練も兼ねて、侍従は実の姉の息子であるらしいマンスールと乳母役の女の世話係を命じられていた。侍従はどちらかと言えば、筆談の方がやりやすいのだが、乳母役の女は読み書きが出来なかった。
「ジャミレフ様は怖い御主人でした。母がジャミレフ様に買われた奴隷で、私も生まれついての奴隷です」
「ジャミレフって、誰」
「ええっとですね、ルゥルゥ様がおいでになる前は一番の御寵愛を受けておいでだった御寵姫様です」
「ジャミレフ様はルゥルゥ様の敵?」
「そうです」
まだ拙い大君主国の言葉を駆使してどうにか聞き取った内容は、さして新しいものでは無かった。後宮で勢力の有ったジャミレフと言う女が、新たな寵姫ルゥルゥの勢力を削ぐためにマンスールの誘拐を企んだのが事件の発端らしい。
「お前を手引きしたのは、誰?」
「奥医師のセリムです」
どうやらジャミレフとしては持てる力の限りを尽くして、買収できる人間は買収し、自分の息のかかった者を要所要所に配置したらしい。そうでなくては後宮から世継の王子を盗み出すなどと言う事は不可能だろう。その際、マンスールの乳母であったものは惨殺されたらしい。
「国の外で、マンスール様を殺害せよとの御命令でしたが……私には出来ませんでした。こんなにお可愛らしい御子ですのに……無理です」
女が国に置いてきた病気の母親が亡くなり、ジャミレフが捕えられた事を知って、このセレイアで名乗り出る気になったようだ。ロベルト王が「名乗り出れば寛大な処置を取る」と国内の各所で告知させた効果も大きかったようだ。
「命を取られる恐れは無いようでしたから、名乗り出ました。異国で逃げ回るのも疲れましたし」
マンスールは祖母と母の二人から受け継いだ西大陸の血の所為か、このセレイア王国の大多数の人間と同じ肌の色だが、この乳母役の女はハッキリと砂漠の民と分かるコーヒー色の肌色なのだ。幾つか亡命したり帰化したりした者達の集まって住む地域が都と地方の海沿いに数か所出来ているらしい。この女はそうした場所を、転々としていたという。
「生活費は?」
「国を出る際に、旅費として渡された金子が有りましたし、御用商人の支店も有りますから」
どうやら大君主国の宮廷に出入りを許された御用商人たちは日和見を決め込んで、女が両替する際も事情を敢えて問いただしたりしなかったらしい。
「薄々察していて、あえて何も聞かない。商売人らしいです」
侍従は女がなかなかに賢く、目ざといのに感心した。病気の母が世話になっている間の義理を果たした後は、悪事の片棒をこれ以上担ぐ義理は無いと言う考えも、納得できた。
いよいよ侍従自身の大君主国派遣が近づいているので、色々と支度も有る。手土産の類も気が抜けない。だが、賢明な養母の助言が有るので、あまり思い悩まずに済むのは有り難い。養母が実は自分自身とは従姉妹同士という事は最近王から知らされたが、それならばルゥルゥと養母も従姉妹同士という事にもなる。
「大君主国で、色々とまだ厄介事が続くだろうな」と言うのがロベルト王の予測だ。なぜなのか最初、侍従には分からなかった。
「なぜ大君主国の後宮には女奴隷しか入れないか、理由はわかるか?」
「さあ。大君主が好き勝手しやすいからですか?」
「そうした側面はあるが、あまりに単純な捉え方だな。本気か?」
「あ……やはり違いますか?」
「違うと思うぞ。やはり、外戚を排斥したいという事だろう」
王にその話を聞いて、侍従も自分で手に入る限りの資料を調べた。
大君主国も建国された当時は正妃も存在したらしい。その正妃の実家の一族の力が余りに強くなり過ぎ、二代目は実母の実家の者達を大量に粛清し、実母である国母を幽閉した。だが、皮肉な事に今度は二代目の正妃の外戚が政治を混乱させた。そのため、自分の正妃も幽閉し、後宮には外戚の影響が一切及ばない女奴隷しか置かない事としたのだ。二代目は外征では連戦連勝で、大君主国の版図を三倍にも広げたとされるが、自分の家庭生活は最悪だったという事なのだろう。
女の身なりで養母の所で王と三人で夕食を取った際に、再びその話になった。
「二代続けて神聖帝国の皇女であった者が世継の母となると、その昔に二代目の大君主の恐れていたような事が起こる可能性は大きい。もう既に、その兆しはあの国の中に有るようだが」
「旧帝国の者達が、近頃は大君主国に多数移り住んでいるようですね」
養母もかなり気になるようだ。
「農奴階級だったものは、このセレイアで開拓農民となる者が多いが、多少なりとも旧帝国で特権的な地位に居た者にはセレイアの扱いは面白くないだろう」
王の得た情報では、大君主国で何某かの役職にでもありつけるのではないかと期待する者達が、ずいぶん押し寄せているようだ。特に学問や特殊技能が有る者は高給を得る事も可能らしい。
「問題は……さして有能とも思えない様な連中も皆、面倒を見てやっているという事だな。特に国母がそのように動いているようだが……それと、あの、お前そっくりの……市場の近くの家で護衛たちに目撃された男と同一人物かも知れない人間が、目撃されている。報告では『亡くなった元の帝国の皇太子に瓜二つの男』となっていたがな」
「……という事は、僕の兄弟ですか?」
「そう考えるべきだろうかな。従兄弟とか言う線も有り得るが」
食事はほぼ終わり最後のデザートだが、どうも三人とも考え込んでしまい、手が止まった。
「この国で、あのような騒ぎを起こしたのは、やはり陛下がお考えになるように……セレイアと大君主国を混乱させ、どうにか元の領土を取り戻そうと言う考えなのでしょうから……それにしては、あのマンスールちゃまを利用しなかったのが、意外です」
「僕が、あの女から聞き取り調査をした感じでは……帝国の者達に利用されそうになったけれど、セレイアの庇護を受けた方が良いと彼女が判断して、急いで名乗り出て保護された……そのように思いました」
「どのようにあの女を誘い込もうとしたのかな?」
「褒美をやるとかなんとか……計画を立てる割には、そのあたりの詰めが甘いのかもしれません。僕に顔が似ている兄弟だか従兄弟だかは浅はかというか、賢くないと言うか、そう考えたほうが良さそうです」
「それならば、多少うるさいだけで、大した実害も無さそうだが……大君主国で、何かおかしな動きをされたら困るな。お前が大君主国に到着すれば、きっと向こうから接触を図って来るだろう。その時、相手の能力の程度と……素性なり正体なりが明確になろうな」
養母は心配そうだ。
「浅はかな人物であるとして……この子が何か困った事に巻き込まれなければ良いのですが」
「理屈がわからない阿呆は、突発的にとんでもないことをするが、あの男がそこまでは阿呆では無い事を期待したい」
「……ともかくも、僕はあのマンスールちゃまを両親のもとに無事に返し、姉上であるらしい方から、僕が旧神聖帝国の皇族に相違ないと証明して頂く……それ以外は、余り構わない方が事が大きくならずに済むのではないですか?」
僕と言っても、養母も王も特に注意はしなかった。事の重大さに、それどころではない気分なのだろう。
「ああ、その基本方針で良いさ。ただ、あちらの現状はつぶさに観察してきてくれ。私は……近く外戚の問題を巡って、あの国の上層部内部で深刻な争いが生ずる事は目に見えていると見ている」
「となりますと……大君主国が内乱状態となりましょうか?」
養母も暗い表情になった。
「あのマンスールが成人しない内に、そうした事態になると私は予想している」
王の予想は外れないだろうと、侍従は思った。姉である人が、無事にこれから暮らして行けるのかどうか、若い侍従は非常に心配になってきた。




