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国王・1

「もっと、そのオムレツも食べよ」


 そう命じると若い侍従は顔を一瞬赤らめて、それから静かにオムレツを口に運ぶ。桜色のくっきりした形の整った唇。薄っぺらでもなく、厚ぼったいわけでも無い。確かにこの唇は少女のものだ。普通の男子なら髭の一本や二本、痕跡が見当たりそうなものなのだが、ほのかにバラ色のさす白いきめ細やかな肌の上にはまるっきり見いだせない。やはり、この侍従は少女なのだ。改めてロベルトは気品がある愛らしい顔をまじまじと見る。もっと髪を伸ばして高く結い上げ、最新流行のドレスを着せたらどうだろうか? ふとそんな想像をしてみる。おそらく……自分の愛人の誰よりも目を引く美しさであろうと、ロベルトは思う。

 仮にこの侍従はアンドレアス・ノイマンと名乗らせてはいるが、本人が幼いころの記憶があいまいなため、本来の名は主人であるロベルトも知らない。


 そもそもアンドレアスはロベルトがまだ王太子であった頃に、狩猟をしていて出くわした孤児だったのだ。幾日もろくに食べて居なかったようで、体中が針金のように痩せ細っていた。黒い瞳で見つめられて、見捨てる事など出来なかった。馬に乗せて宮殿に連れ帰ったのだが、恐ろしく体が軽かった。赤ん坊の死体を抱きかかえていたが、説得して土を掘り埋葬した。自分も飢え死に寸前というありさまだったのに、赤ん坊をずっと抱えて来たらしい。後で聞けば、どうやら内乱状態の神聖帝国から黒い大きな森を抜けて、王国側に出たらしかった。大人達は皆殺害され、住まいを焼かれたと言う。どの様な経緯が有ったのやら、事情は分からないが、ともかくも幼い子どもには過酷すぎる状況を生き延びたのは確かなように思われた。そのせいか記憶の一部があいまいになっており、自分の年齢が九歳だということは認識していたが、自分の名前はどうやら本当に思い出せない様子であった。亡くなった赤ん坊は妹というわけでは無いようだった。死の直前の赤ん坊の母親から、連れて逃げて欲しいと懇願されたと言うのだ。


「だんだん、この子の泣く声が小さくなって、もう聞こえなくなっちゃったんだ。どうしよう」


 そう訴える子供の髪は自分自身で切ったそうで、牢屋に入れられた罪人のように非常に短かった。短かっただけでなく、所々地肌がまだらに透けて見えるお粗末さであった。着ている服は男の子のものであったし、「僕」と自称していたし、仕草や言葉から、てっきり少年に違いないと思ってアンドレアスという名を与え、本人の希望もあって身近に置く事にしたのだ。

 以来アンドレアスは行儀作法も武芸も学問も懸命に学び、仕事ぶりも熱心で手際も良い、なかなかに優秀な侍従となったが、思わぬ事で少女であったことが判明した。

 アンドレアスが十歳の年に、ロベルトは即位して国王となった。愛らしい侍従は懸命に務め、十二歳になるころには名実ともに王の側仕えにふさわしい人材に育ちあがっていた。それが……アンドレアスが十四歳を過ぎた頃であったか……真っ青な顔をして腹を抱え、ズボンにかなりの血が滲んでいる状態で寝椅子で転寝しているという状態にロベルトは遭遇してしまったのだった。急ぎ乳母のノイマン夫人に、医師を手配させた。


「この方はれっきとした女性で、初潮を迎えられたのです。病では御座いません」 


 その医師の報告を聞いて、ロベルトは自分のうかつさに舌打ちしたい気分になったものだ。乳母のノイマン夫人はどうやらかなり以前から、小さな侍従の秘密に気付いていたという。引き取って以来アンドレアスの教育係で、親代わりでもあり、今では本当にアンドレアスの養母でもある関係なので、当然と言えば当然であったかもしれない。


「陛下は御存知なのだとばかり思っておりました」


 そのように言ったノイマン夫人とは口裏を合わせ、ロベルトは侍従が実は女である事を今も知らないふりをし続けているのだ。

 そのノイマン夫人は白髪になっても美しく優雅で忠実無比だが、無口で人の好き嫌いがはっきりしており、なかなかに気難しい。だが小さな侍従の事は最初から可愛がっており、何くれとなく面倒を見てやっていたようなのだ。ノイマン夫人は戦争未亡人で実子も病で亡くし、天涯孤独の身の上であったから、アンドレアスの正式な侍従就任に合わせ、ロベルトの「お声がかり」で養子縁組をさせたのだった。従って、今ではアンドレアスはノイマン夫人を「母上」と呼んでいる。

 

 ノイマン夫人の協力も有って、アンドレアスは男として貴族たちに認識されているのは間違いないようだ。熱心に学び、武芸の研鑽も怠らない。理路整然とした話しぶりも、颯爽とした身のこなしも、上流の青年のそれであって、女性には確かに見えないだろうとロベルトは思っている。女官達はアンドレアスを前途有望な美しい青年と見ているようで、時折付文を渡されているようだ。


「先ほどなかなかに愛らしい女官見習いから、文を貰っていたようだが、どうする?」


 面白半分にロベルトが問うと、アンドレアスは顔を赤らめ、生真面目な調子でこう答えるのだ。


「僕は国王陛下に命を救って頂き、取り立てて頂きました。今はまだ十分に御恩返しも出来ていませんから、女性と付き合うなどと言う気分にもなりませんし、その時間もございません」


 なかなかに負けん気も強く、四、五歳年かさの青年たちを相手に、剣でも馬術でも学問でも政策論争でも、一歩も引かない見事な戦いぶりだ。まったく化粧気のない顔は凛々しい。それでも本当の男とは異なり、顔の輪郭も繊細で優しげだ。女にしては背が高いので、少し小柄な男にも見える……はずだが、一旦実は少女だと知ってしまうと、ロベルトの目にはどうしても男には見えなくなってしまっている。

 食事をする時も、つい、年若い女なのだと言う意識が働く。だが、愛人とかなじみの娼婦のような相手とは勝手が違う。ロベルトには妹はいないが、いたらこのような感じであったのかもしれないなどと思う。


「育ち盛りなのだからな、もっとちゃんと食べるのだ」


 食事の際も、ついそのような事を口走ってしまう。だが、どうなのだろう。胸元は特殊な下着で押さえ込んでいるらしいが、これからますます女らしい丸みを帯びた体が出来上がっていくはずなのだ。不自然な現在の状況をいつまでも続けさせて良いものかどうか、悩むところだ。このまま「アンドレアス・ノイマン」が成長するのを見たい気持ちが有る一方で、女として装わせた姿を見てみたい……とも思う。

 だが、それにしても、この侍従の本来の名前は何であったのか? 気品有る優美な面差しは、とても名も無い庶民の血筋とは思えない。そういえば、養母となったノイマン夫人の面差しとどこか似通ったものを感じるが、本当の所、二人は赤の他人なのだろうか? ロベルトが幼い時分に聞いたノイマン夫人の身の上話では、ノイマン夫人自身も王国の生まれではなく、黒い森の向こうの今は滅んだ神聖帝国の「ちょっとややこしい家」の娘だと言っていたことが有る。どうややこしいのかについて、その後尋ねた事は無いが、一度きちんと話を聞いておくべきなのかもしれないと、ロベルトは思うのだった。

誤字、見つけ次第訂正していますが……御指摘大歓迎です

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