星の導き・1
バラ色のタイルとブルーのタイルを組み合わせて精緻で華やかな模様が描き出された壁面と磨き抜いた鏡のような床の部屋には、灼熱の砂漠の熱気とはまるで無縁な涼やかな風が吹き抜けていた。目の前の庭園にはバラ色の大理石で作った八角形の池が有る。周りにはヤシや花が植えられ、翡翠や紅玉のような色合いの羽をした小鳥たちを入れた黄金の鳥籠が配置されている。時折、鳥たちが愛らしい声でさえずり、池からは絶えず水が涼しげな音を立てて流れ出していた。
薄絹のベールを被り、手にも足にも大量の装身具を身に付けたほっそりとした姿の女と、長いゆったりした黒地に金糸の縫い取りをした服に黒い円筒形の帽子を被った大柄な男は、ひんやりとした床の上に向かい合わせにかなりの距離を持って座っていた。
「御寵姫様、和子様は御無事であるのは間違いありません」
男の声は体の大きさに似合わず、どこか中年の女の声のようで微妙に高い。
「ハサンの『間違いありません』は、あまりあてにならないわ」
女の声は高からず低からず、耳に心地良く響き、強い印象を与える、そんな声であった。
「ですが、あなた様が数多の女たちの中で一番の御寵愛をお受けになられるのも、お世継ぎをお生みになるのも、そのお世継ぎが偉大な大君主となられるのも、全て星の導きで定まっておりました」
「人の事は色々言うくせに、自分の身の上はどうなの?」
「星読みは、おのれの事は読んではなりませんし、また正しくは読めぬものなのです」
「なぜ?」
「誰しも、おのれの事となりますと我が身かわいさから厳しく正しい読み方が出来ないのです」
「ハサンには当てはまらないと思うけど、そういうものなの?」
「只今の御言葉、褒めて頂いたのだと思う事に致します」
「宦官長としては優れた資質だけど……人としては、どうかしらね」
「ともかくも、和子様は御無事です。近いうちに西風に乗って嬉しい知らせが届きましょう」
「……だと良いのだけれど」
宦官長がここまで断言するからには、おそらく西の大陸のどこかかから、誘拐された幼い息子のマンスールが無事であると言う報告でも有ったのかもしれない。だからといって、彼が全く全てうそを言っているともルゥルゥには思えない。この国に流れ着いてすぐのころ、亡国の皇女であった彼女に後宮入りを強く勧めたのは当時も今も変わらず後宮の宦官長を務めるこのハサンだった。
彼が言う「星を読む」という能力に関しては眉唾物ではないかと思うが、時折信じたくなるような事を言うとは思っている。
この大君主国の後宮にはいわゆる西大陸のような妃とか正妃に相当する女がいない。後宮の女は全員何ともふざけた事に奴隷身分であって、大君主の私有物扱いなのだ。それを知った時、実に酷い国だと思ったが、国を失くし庇護してくれる人物もいないのに、当時病気で臥せっていた弟を助けたかった。生まれた時から自分と共に暮らしてきた乳母や従僕達も守りたかった。
宦官長の手引きで、当時国母となったばかりの女性と面談し、神聖帝国の皇女であったマルグレーテ・エレオノラ・コルネリウスは最上級の金貨一万枚の価格で女奴隷となった。買い手は国母で、息子の大君主に献上するという形を取ったのだった。支払われた金貨はそのまま新米の女奴隷ルゥルゥの支度金という事になったのだから、飛んだ茶番だと思うが、そうした形式を踏む必要が慣習上必要であったらしい。
最初に海で救助された時にマルグレーテを見染めたのは大君主であったのだが、実の母である国母が表向きは病死したとされていた叔母のルイーゼ・グレーテルであったのは驚いた。
「静養先の海辺の城で亡くなられたと聞かされていたルイーゼ叔母様が、実は誘拐されて船でこの国に運ばれ、奴隷として売られていたなんて驚いたわ。世継の母となられて、今は大君主の母上・国の母とあがめられる立場になられた。御運が良いのか悪いのか良くわからないけれど、私には大変ありがたい事だったわね」
ルイーゼ・グレーテルは美しさを意味するマリヘフの名を賜って、先代大君主の寵姫となり、当代の大君主の母となった。後宮の者達が言う通り、そのマリへフとルゥルゥの面差しは非常に似ている。
「我が君様も母君・マリへフ様も共に帝国の血を受け継いだ姫君を、是非後宮にお迎えしたいと願っておられたのです。お二人の願われる事は、絶対に実現させなくてはならない、それが宦官長たる私の役目でした」
「それにしても……国を追われて、従兄の子を産むようになるとは思いもよらなかったわ」
「奥医師が申しますには、また引き続き御懐妊あそばしましたとか。おめでとうございます」
「ええ。今度は女の子が良いわ。男の子は……ひどい目に会わされる事が多いのですもの」
「マンスール様は間違いなく、御無事でお戻りになります」
「その星を読んだ結果だなんて言ったって、私は信じないわよ」
ルゥルゥは目の前の銀の器に入れられたシャーベット水を口に含んだ。妊娠中のつわりは、マンスールの時ほど酷くは無いように思う。柑橘系のさわやかな風味が落ち込みがちな気分を引き立ててくれるようだった。
「宦官長様!」
黒檀のように真っ黒いルゥルゥ付きの宦官の少年が、一通の書状を持ってきた。表書きは大君主国の公文書であったが、中から西大陸式の公文書が出てきた。
「ルゥルゥ様に向けて書かれた物のようですね」
表にはセレイアのものらしい封蝋が施されている。未開封と言う訳だ。ルゥルゥは大急ぎで手紙を開封し、目を通した。どうやらセレイアの国王自身の書いたものであるようだ。格調高い筆跡と優雅な措辞はさすがだとルゥルゥは感心した。内容はセレイアの漁村で、右肩に幸運の印のホクロが有り、大君主の後継者であることを示す黄金の護符を首から下げた男の赤子が保護された、と言う物だった。人さらいの一味に引きこまれた女は、さすがに大君主の跡取り息子を殺害する罪を犯す気にはなれず、縁者を頼って田舎に身を隠していたらしい。ルゥルゥを敵視していた女が牢に捕えられたという事を知って、自ら名乗り出たそうだ。
ルゥルゥは一読すると、手紙を宦官長に渡した。
「私めが、読ませていただいても宜しいので?」
「手紙の内容が、不穏な物ではない事を、お前にも証言して貰わなくては困りますからね。西の賢王と呼ばれた方から私に手紙なんて、我が君様はお怒りになるかしら?」
「……ルゥルゥ様が御自身で、我が君様にお見せすれば宜しゅうございましょう。……ロベルト王の御推理なさった通りだったようですな。かの方が牢に入られたと知れば、マンスール様を隠している者が、名乗り出る可能性は高いと、お会いした折にも仰ってましたから」
「ねえ、ハサン、お前はこの事についてロベルト王からお話を伺っていたのよね。なら、星を読んだおかげでわかった訳でも何でもないのじゃない?」
「いえ、ロベルト王にお会いすべきだと言う星の導きがございましたのです」
「本当?」
「真の事でございます」
「そういえば……お前は私がマンスールを身籠る時期と、生まれるのが男子ということを事前に当てたわね。ならば、今、このお腹にいる子は男の子? 女の子?」
「大層愛らしい姫様でいらっしゃいます」
「それって……まあ、いいわ。その予想は正しいって自信が有るの?」
「御座います。昨夜も星がそのように示しておりましたから」
「本当? ならばはずれたら、どうするの?」
「罰をお与えください」
「じゃあ、外れたら、星を読めると一切宮中で言わない事にしなさい」
「承知いたしました」
大柄な宦官は自信満々のようだった。その態度がルゥルゥには気に入らなかったが、ルゥルゥ自身、腹の子は女である様な気がしているのだった。
「それはそうと……どうやら、私の妹がマンスールを連れて来てくれるようね。男の子として育ったので、男装が身についているようねえ。侍従役を務めているって……本当かしら?」
「まことでございますよ。妹君にはお目にかかり、御挨拶を致しました。ルゥルゥ様とも亡くなられた弟君とも似ていらっしゃいます。剣も馬も達者でいらっしゃるそうで、並みの兵士では太刀打ちできないとか……」
「まあ、お転婆ねえ。でも、会うのが楽しみだわ。賢い西の国王陛下は……妹を将来どうなさるのかしら?」
「お妃に据えられる覚悟を固められた……と伺いました」
「まあ、ならば、私からも妃になる妹に贈り物を用意しなくてはね」
「さようでございますな。マンスール様の事もございますから、お礼も必要で御座いましょう」
「国王陛下は男の方だから、直接お礼をお贈りするわけに行かないから……我が君様にお任せするべきなのかもね」
その時、独特の先触れの声が響いた。大君主国の主のおなりを後宮全体に告げているのだ。程なくルゥルゥの居室であるこの部屋にやってくるはずだ。




