淑女への道・3
ロベルト王の決心は本物だろうが、それを受け止める立場のこの子はやはりまだ本当に幼いと感じる。だが、その気持ちはまっすぐで、とても強い。本人が王にふさわしい存在になりたいという強い気持ちは有るようだ。若く幼いと言う事は、変化する余地も大きいという事でもある。王はその将来性に期待しておられるのだろう。
侍従の養母であり年の離れた従姉妹でもあるセシリア・ノイマンは、以前よりも伸びてきた艶のある黒い髪を結いあげてやりながら、そのような事を考えた。
「毎回毎回、なんでこんなに色々くっつけなくっちゃいけないんでしょう。母上みたいにスッキリした感じの方が、僕は好きなんだけどなあ」
気が緩むとすぐに自分を「僕」と言ってしまうようだ。
「私はもう、老人と言っても良い年頃になった未亡人。お前はこれから身分のある女性として一人前にならなくてはいけないのよ。あまりに素っ気無い髪型では、ドレスと釣り合いが取れないわ」
「そういう物ですか」
「ええ。陛下が御用意下さったドレスは、どれもお前に良く似合う色や形を選んでおられるのは、さすがね。お前も自分に何が似合うのかきちんと見極めて、装うようにしなくてはいけないわよ」
「大君主国の後宮あたりだと、また随分違うんでしょうね」
「どうなのかしらねえ。あの国はあの国なりの色々な規則やしきたりも有るでしょうし、その中で自分を美しく見せるにはどうすれば良いか、皆真剣に考えているのではないかしら」
「僕の……ええ……私の姉にあたる方は、後宮に閉じ込められた状態なんですよね……よく耐えられるなあ」
「閉じ込められたと感じるか、自分で選んだ道だと感じるかで、受け止め方も違うでしょうけどね」
「さらわれたのは、女の子じゃなくて男の子だったらしいですね」
「本来なら世継のお子様なのに……大変なことねえ」
「さらったのは、対立する別のお妃の手の者らしいとか……嫌な話だなあ」
「そう思うなら、お前も良く考えて行動するようになさい。陛下は愛人の方々との関係を、ゆっくりとではあるけれど確実に精算なさる方向で動かれているようよ。陛下のような御身分とお立場の方としては、珍しい事じゃないかと思うの。私が一番心配なのは、お子がいらっしゃる三人の方々に対して無礼が無いかという事よ。どうもお前に睨まれただの何だのおっしゃる方々が居られるようだから、私としても心配なのよ」
ノイマン夫人の言葉に少女はしょんぼりしてしまった。
「お子様の母君である方々がお越しのときは、無礼かと思いましたが……顔を出さないようにしました。僕は……誰かを睨んだなんてつもりは無かったんですけど、護衛の三人にも『突き刺さる様な視線だ』なんて言われてしまいましたから……きっと、ずいぶん嫌な感じなんでしょうね」
「陛下が大切になさる方、特別に扱う方には、どれほど気に入らなくてもそれを表に出さないようになさい。それに、新しい侍従見習いの子が配属されたでしょう? お前はもう侍従を止める事が本決まりなのよ。そのつもりでいなさいね」
「あの……ルーカス・ホフマンという子、十二歳だそうです。良い子ですけど、僕の寝室がなぜ陛下の隣なのか、とか、なぜ午後から居ないのか、とか、知りたがるんです。お前が知るべき事では無いって陛下がおっしゃって、しょんぼりしてました。それからベソをかいて泣くんです。どうも陛下は御自分とは合わないとお感じのようで、執務室付き専用の係にしようかとお考えのようです。御自分の御部屋の御用は、多少ご不便でも、護衛の連中で当分はしのげるとお考えのようです」
「侍従は能力より、主人である方との相性が何より大切ですからね」
「僕だって……幾度も泣いたんです。でも……あんな風には怒られなかったなあ」
「陛下は昔から、お前には甘いの。最初に出会った時の印象のせいでしょうけど」
「……あのころ僕には、陛下以外、誰も頼れる人がいなかったからかな」
最後にぼそっと付け足された言葉は、一番の理由なのかもしれないとセシリアは思った。そう言えばルーカス・ホフマンは伯爵家の嫡男で両親揃った家庭環境で育っているはずだ。当然飢えた経験も、命の危険にさらされた事も無いだろう。
「アンドレアスも私も、共に母の顔を知らない」
以前ロベルト王はそのようにセシリアに言った事が有る。ある種の連帯感が有るのかもしれない。そういえば……「実の母に可愛がられて育った男を見ると、妙に憎たらしく感じるのだ」などと言う言葉も聞いた記憶が有る。
身支度がすっかり出来上がったころに、夕食の時刻になった。王の来訪に合わせて、料理が運び込まれる。
「まああ、美しいですね」
少女は思わず声を上げた。褒めるときは正直に褒めて良いとセシリアは教えている。十種類以上の野菜を薄切りの燻製の鮭で巻いてある。淡い上品な野菜の持ち味を生かした味付けで、切り口が花畑を思わせる華やかさだ。
「様々な野菜を食べた方が、体に良いそうだから、料理長が考えてくれたのだろう」
次は白身の魚の身と貝をハーブや白ワインで蒸し煮してクリームソースであっさり和えた一品、更にヤマウズラをオリーブと赤ワインソースで料理した物と続いた。添えられた七種類の豆のマリネは宝石箱の中身のようだったし、キノコのソテーは味わい深かった。
「最後はお前の大好物だな」
そのような事を言う時の王の表情は子供に甘い父親のようだ、とセシリアは思う。
キャラメリゼしたリンゴを乗せて蜂蜜ソースをかけたクリームタルトは、かなり大振りだった。が、少女は大きめにカットされた一切れを、すっかり食べてしまった。
「好物なら、窮屈な服を着ていても、どうにか食べられるようだな」
「はい。お腹がパンパンで弾けそうですけど、平気です」
まるで幼い少年のような言い方なので、王は苦笑している。
「アンヌ・テレーゼ、もう少しお行儀の良い表現を心がけなさい」
やはり教育係としては、一言言っておかねばいけないだろう。
食後はロベルト王と少女が組んでダンスをした。セシリアはクラヴサンを二人のために弾いた。質素な暮らしを通してきたセシリアだが、楽器や書籍にだけは少々わがままを通して来た。亡き夫からの贈り物であるこの鍵盤楽器は名人に作らせた傑作で、今も丹念な調整を重ね大切にしている。
一曲終わった所で、一組の男女は軽く息を弾ませている。少女の頬はバラ色で、目は輝いている。単に体を動かしたからではないだろう。
「ダンスも悪くないだろう? それにしてもうまくなったな。ドレスの裾の扱いも危なげがなくなった」
王の褒め言葉に、少女は幸せそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。母上と練習する時も、陛下の事を思い浮かべて練習しなさいと言われて、そのようにしていました」
セシリアは一瞬、亡き夫に支えられて軽やかに踊った昔の自分をありありと思い返した。ダンスはやはり誰と組むかで、楽しみがまるで違ってくるのだと、改めて思う。
「わずかの間に格段の上達だ。セシリア、お前の教え方が良かったのだろうな」
「恐れ入ります。この子が陛下と踊りたいと強く願ったおかげでしょう。もう一曲、お弾きしますか?」
王の顔が一瞬嬉しげに微笑んだ。
「ああ。是非頼む」
この夜セシリアは二人が踊りつかれるまで、ずっと演奏役を務めた。ほとんど楽しんだと言っても良い感じだった。
「後は、行方不明の赤子が見つかってくれれば、言う事は無いのだがな」
王のつぶやきからすれば、少女の派遣は近いのだろうと思われた。確かに、時折少年めいた言葉遣いをしてしまう以外は、概ね淑女教育は成功していると言って良いだろう。大切な役目のためにも、更に仕上げに磨きをかけなくてはと、セシリアは思うのだった。




