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淑女への道・2

「うおっ、す、すごいなあ、アンドレアス」


 侍従はほんの一瞬引くと見せかけて、相手ののど元に剣を突き立てた。といっても互いに練習用の防具を被り、剣先には安全対策の球形の金具が装着されてはいるが……


「実戦なら、俺はアンドレアスに喉笛を一突きされて、あの世の行きだ」



 若い侍従は大嫌いなコルセットに耐え、どうやら貴婦人らしく振る舞うことが出来るようになってきた。一応「貴婦人らしく優雅に艶やかにほほ笑む」事が出来たので、ロベルトは約束通り、必殺の一撃を伝授してやったのだ。わずか数日の内にその技を身に着け、今はこうして、近衛用の練習場で将校たちを相手に、練習試合の最中なのだ。天賦の才が有るのだろう。女の身で大型の剣を振るうのは難しいが、軽量の剣で素早く先制攻撃をする事で、七戦七勝の好成績だ。七戦目は近衛でも剣の使い手で知られた相手だったが、動きが読み切れなかったようで、突きを入れられたのだ。だが、負けぶりの爽快さは近衛にふさわしい。ロベルトは若い侍従の対戦相手の人柄は、高く評価しているのだった。


「アンドレアス、そろそろ止めなさい。予定の時間を過ぎた。まだ、やる事が色々有るぞ」


 語学の課題が有るし、昼食時以降は養母のもとで貴婦人としてのたしなみを学ぶ時間だ。実はもう、運動のための時間はとうに過ぎている。こんな事を注意してやる時、何やら父親のようだとロベルトは苦笑したくなる。それにしてもあの娘は……並みの商人の家なら楽々二軒は購入できそうな金額の見事な真珠のネックレスを与えても、眉一つ動かさないくせに、剣の技を習うとなると喜々としている。困ったものだとも思う。

 ロベルトに言われて侍従は残念そうに剣の練習場を去った。


 すると近衛の者達は侍従の噂を始めた。


「陛下、あのおチビさんはすごいですな。こちらの動きを素早く読まれて、あっという間にやられました」

「なに、大した事でもないのだ。お前達ならば、あの程度の技、すぐに身に付こうよ」

「あれは陛下の御仕込との事ですが、いやあ、素晴らしい、実に感服致しました」

「褒めても何も出んぞ」

「いえ、そんな風には思っておりません。我らにもぜひ、一手御指南いただきたいものです」

「よしよし、後で冷えたワインぐらいは出してやろう。では、久しぶりに手合せ願うか」


 ロベルトは久しぶりに、近衛の将校たちと気分の良い汗を流したのだった。

 その後、政務にかかり、昼食の間も惜しんで目いっぱい仕事だ。午後は御前会議も有る。以前は若い侍従はすべての場面でロベルトに付き従っていたが、今は三人の護衛が付いている。優雅に扉の開け閉めをしたりコートを受け渡したり、と言うような事を期待しなければ用は足りる。時には自分で茶やコーヒーも淹れる。ただ襟元のクラヴァットの結び方だけは、侍従の手を借りないと美しくは決まらない。


 この所、毎晩、愛人たちと顔を合わせ、彼女たちのこれからの身の振り方について相談をしている。相手によっては事に及ぶ場合も無いとは言えないが、関係の清算を意識して、後腐れの無い様な雰囲気に持って行くように意識しているのは確かだ。

 昨夜の相手は二人の子を儲けた相手であったので「家族団らん」の時間を持ったのだった。一番年上の男の子はもうすぐ七歳なので宮中に引き取るから、余計に気を使った。母親は貴族階級の生まれではないのが惜しまれる、賢く落ち着いた女性だ。来年は故郷に戻り、真面目で実直で彼女を実は深く愛しているらしい幼馴染の男と結婚する事になる。ロベルトがそのようにお膳立てもしたのだった。


「陛下の御心配りが余りに細やかで、恨めしくなりました」

「私はお前だけの夫にはなってやれないからな」

「分かっておりますけど……お願いです」


 そのように言われて、最後の関係を持った。その為、久しぶりに朝帰りになったのだが……若い侍従は目を泣き腫らしていた。近頃は夕食後、語学の復習を終えたら、あまり遅くならない内に寝床に入るようにさせているのだが、昨夜は久しぶりにロベルトが戻らないので、気になったようだ。

 愛人たちは皆、それぞれにロベルトに良い思い出を与えてくれたし、中には可愛い子を産んでくれた者達もいるのだ。侍従がそれを気に病むのは分かっていても、愛人たちとの関係を精算するために、しばらく時間がかるのは、致し方無いのだ。そう、ロベルトは考えている。


 それにしてもあんな具合では妃に迎えたが最後、他の女を構い付ける事は不可能になりそうだ、ともロベルトは思う。だが、すでに宮中に迎え入れた庶子達に対する態度には、問題は無い。二人の幼子は、共に「侍従のアンドレアス」を良い遊び相手として認識しているのは間違いなさそうだ。


「陛下の御子様達を、僕が大切に思わない訳が有りません!」


 思い切り真顔でそんな事を言っていたから、継子いじめの心配は無さそうだ。

 聞くところによると、大君主国では妃同士の陰謀で、大君主の子供が毒殺されたり溺死させられたりする事が珍しくないらしい。一つの後宮に多くの女たちを押し込めたりするから、そのような争いが誘発されるのだと思うのだが、あの国は現在のやり方を変える事は無さそうだ。アンドレアスと言うかアンヌ・テレーゼの実の姉であるらしき妃も、後宮で繰り返されてきた犯罪の犠牲者なのだろう。さらわれたのが姫と言うのは外聞を憚った偽りで、実は大君主の初めての息子なのだと先日面談した宦官長から打ち明けられた。

 それにしても、曲者らと共に市場の家に潜んでいたと言う旧帝国の皇族かも知れない人物は、どこの誰なのか? その人物と大君主の長男の誘拐は関係が有るのか無いのか?


「まだまだ、わからんな」

 ロベルトが考え込んでいると、護衛のハムザとファリド、キアーの三人は面目無さそうに顔を見合わせる。

「昨日、あの吹き矢を使う男を目撃したのですが、また、市場付近で見失いました」

 吹き矢の所為でひどい目にあったハムザはハッキリ相手の顔を記憶していたようだ。

「と言うことは、あの連中は、まだ我が国に留まっているのだな。人相書きを持って聞き込みをしてみろ」

 さほど期待はしなかったが、何がしかの情報は得られるのでは無いかとロベルトは思ったのであった。


「ああ、ハムザ、人相書きの手配を頼みに行く前に、厨房に寄って、今日の夕食はセシリア・ノイマンの所で食べるように手配せよと伝えてくれ。不明な点はセシリアの指示に従うように、ともな」

 

 侍従はダンスの男のパートしか上手く踊れない。派遣する予定の大君主国では男女が手を取って踊るなど「妄りがわしい」と言うので絶対に有り得ないが、このセレイアをはじめ西大陸の国々では、男女ペアで踊る踊りは多いし、公式行事としての舞踏会も有るのだ。

 ダンスの指導をどうすべきかセシリアが悩んでいたようなので、相談に応じなくてはとも思ったのだった。


 その後、執務の方がはかどったので、ロベルトは予定より早めにノイマン夫人の所に行くことが出来た。

「僕は……こんな格好で、誰か男と組んで踊るなんて、無理です」

 そんな風に「アンヌ・テレーゼ」は言ったが、最新流行の形に仕立てられたクリーム色のドレスは良く似合っているのだ。首の例の真珠のネックレスもしっくりなじみ、どこからどう見ても、しかるべき身分の姫君だ。後は言葉遣いだろう。感情が激してくると、ついうっかり「僕」に戻ってしまう。

「せっかくのドレスも、散々の言われようだな。気に入らんようだが、良く似合っているよ」

 食事のマナーも今ではほぼ完璧で、綺麗に肉を切り分ける手つきにも優雅な雰囲気が有る。

「陛下、いっその事、私がこの子の相手役を致しましょうか」

「セシリアがかい?」

「ええ。亡き夫に仕込まれたのです。男の身なりで身を隠す方が良いような場合に備えまして」

「なるほど、セシリアも若いころは色々ややこしい事件でもあったか」

「事件になる前に、夫が未然に防いでくれたようですが、元の帝国がらみで色々有ったようです」

「……ふーむ。なるほどなあ」


 食事の後、実際に二曲ばかり簡単なものをロベルトの目の前で練習させてみた。男役のセシリアの方が背が低いので多少やりにくそうではあるが、かなりの事は出来そうだった。だが、二曲続けると歳のせいか、セシリアは疲れて来たようだ。孫がいてもおかしくない年なのだから無理も無い。


「陛下、踊っては頂けませんか?」

 少女が優雅にロベルトに手を差し伸べた様子は、なかなかに様にはなっていたが……

「女から男に誘いをかける事の意味、分かっているかな?」

「え?」

「男女の縁を結びたいという意味だと取られるぞ」


 一瞬意味が分からなかった様だが、やがて理解したようで、顔が真っ赤になった。セレイア以外でも西大陸の国々では、女からの誘いは恋人になって欲しいとか、一夜を共にしたいとか言うはしたない意味に取られる場合が殆どだ。女からの求婚と言う解釈も、有るにはあるのだが……いずれにしても、普通ではないし、よほど親密な相手でない限り、避けた方が無難だ。この子はそのあたりの意味合いを、全く分かっていない。いや……本能的に分かっているのか? ロベルトはそんな気もしてきた。「ずっと一緒にいる事」が「王の妃になる事」だと理解しているのかどうか、どうもあやふやだが、少なくともこの子なりに自分を好いてはいるし、嫉妬して泣く所を見ると、執着もされているのだ。大抵の女なら、それだけで縁を切りたくなるものなのに、この子の場合、そうは思わない。それが自分でも不思議に思うロベルトであった。


「そうなのですか?」

「実際の舞踏会でこれをやったら、大変だな」

 

 ロベルトは苦笑しながらも、結局は一曲分、練習の相手をした。そして今度は実際に音楽を奏でさせて、共に踊りたいと感じたのだった。

 

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