密談・1
「今日は礼を言う。こちらとしても色々と情報が錯綜していて、そちらの本意が正確に読みがたい状況に有ったのでな。ああ、くだくだしい挨拶などは抜きにしてほしい。さっそく用件に入らせてもらう。旧帝国の皇室の女性が、そちらの後宮におられるかと思うのだが……」
ロベルトはケマル師匠に仲介を依頼して、密かにセレイアに奴隷の仕入れに来ているらしい大君主国の宦官長とこうして面談することになった。
場所は双方が馴染の色街の一角にある料理屋兼旅館の一室だ。奴隷の仕入れは、セレイア国民を奴隷として購入するわけでなければ、現行の国法には抵触しない。今、もっぱら売り買いされるのは、旧帝国の人間で、ロベルトが推し進める農業中心の定着政策に馴染めず国籍を取得していない人々の子供たちだ。
ロベルトとしては自分の政策の拙さ、至らなさを突きつけられた形であって、奴隷の売買は禁じ、何らかの経済的な救済策を打ち出そうかともしたが、有力貴族たちの反対に遭い、仕方なく現状を受け入れている。だが、その事でこうして国交のない大君主国の重要人物と繋ぎがつくのだから、皮肉と言えば皮肉な事態なのであった。
それを知ってか知らずか、大君主国の宦官長はセレイアに来るたび毎回、奴隷以外にも多くのセレイアの物産を購入し、その支払いは常に良質の金貨でなされる。純粋に金がもたらされると言うだけでは無い。大君主国の宦官長の目利きは、商売の世界で非常な信用が有り、宦官長のめがねに適い継続的に購入される品物は、おかげで評判が上がり、遠い東方の国々に販路を広げる結果にもつながっている。奴隷の売買は釈然としないが、自然と国の経済を潤し活性化させる事にもつながっているのだ。
従って、ロベルトとしても礼儀正しく接しておくのが無難な相手、と言える。ロベルトはいつも通り男の身なりをした侍従を伴っている。無表情というか意識的に表情を殺しているらしい宦官長が、侍従を見て、一瞬驚きの表情を浮かべたのをロベルトは見落とさなかった。
「恐れ入ります。我が主の最も寵愛深いお妃であらせられるルゥルゥ様は、お尋ねの通り、我が国にお越しになる前はマルグレーテ・エレオノラ・コルネリウスとおっしゃいました」
宦官長は貴人に対する東方風の礼をして、そのように答えた。
ロベルトの知る限りマルグレーテ・エレオノラという名は、かつての神聖帝国の皇帝の嫡出の長女に付けられたものであるはずだ。
「ルゥルゥという名は、元の名前に由来するのだろうな」
「仰せの通りです。真に海底の貝の中から見つかる美しい貴重な珠玉のような御方でいらっしゃいます」
マルグレーテもルゥルゥも、言語こそ違え共に真珠に由来する名前だ。
「ならば、この……我が元で侍従役を務めている者の、実の姉上と言う事になりそうだ。どうだ、面差しなどは似た所は有るか?」
「……面差しはかなり似ておいでです。が……この方は……」
「表向きは男という事になっているが、女だ」
「妹君ですか。なるほど」
ロベルトは若い侍従と初めて遭遇した時の状況について、説明した。
「ルゥルゥ様は御自分の肉親の方々が、どこかで生きておられるのではないかと、ずっとお心にかかっておられたようです。妹君が御無事とお知りになれば、大いに喜ばれましょう」
宦官長によれば、ルゥルゥ妃は乳母や侍女・下僕と共に、内乱の激しくなった帝国の都から脱出用の小舟に乗って、大君主国の海域に出た所を保護された。それが切っ掛けで大君主本人に見染められ、後宮に納まったらしい。
「大君主御自身の母君も帝国の方だと伺っているが?」
「はあ。さすがでいらっしゃいますな。我が君様は実の母君の事ですから当然ながら御存知ですが、奥向きに仕える我ら宦官以外で知る者は非常に稀でしょう」
宦官長の話ぶりには無礼な所も高圧的な所も、非友好的な所も無かった。その事が有り難いとロベルトが言うと、大宦官は初めてにこやかな笑みを浮かべた。褐色の肌の大柄な人物で、髭が無く、切れ長で表情が読み取りにくい良く光る細い目が印象に残るが、確かにこの時は笑みを浮かべたのだとロベルトは感じた。
「人は接する相手により、自ずと接し方を変える者でございます。西の大国の賢き王とお名が轟いております方の御前では、自然、皆、頭を低く致しましょう」
「さあ、評判だおれかもしれんがな。それはそうと、この国で暴れた連中がいるのだが、ケマル殿から詳細は聞いてくれたか」
「はい。少なくとも我が大君主国の者が、陛下のお住まいで狼藉を働いたのでは無いと御理解いただきたいのです」
「そうだろうと、思っておるよ。恐らくは旧帝国がらみだろう。そこで、その狼藉者の中に……これと面差しの似通った男が一人居たようなのだが、何か旧帝国の皇室の血縁者について、情報はお持ちではないか? その男が、この侍従の双子の片割れで皇太子であった人物ではないかとも思うのだが」
「この方の御年は?」
「本人の記憶が確かなら、十四歳であるらしい」」
「いや、皇太子殿下ではないでしょう。殿下はルゥルゥ様と前後して船で帝国を脱出なさり砂漠地域の海岸に漂着なさいました。その後、病を発症され大君主国の都のとある館で命を落とされました。砂漠の気候があまり丈夫ではないお体を痛めたようです」
「ほう、皇太子は亡くなったのか」
「ルゥルゥ様が最期を看取られましたので、確かです」
「これは、まだ、十分にそちらの国の言葉が聞き取れないようなのだ」
「他所の国の言葉を使いこなすのは、確かに大変でございましょうから。わたくしめもそれなりに年齢を重ねてはおりますが、陛下のように流暢にお話なさる異国の貴人にお会いしたのは初めてです」
「宦官長殿はこちらの言葉は、どうだ?」
「まあ、そこそこは使えましょうが……陛下に御無礼の無いような言葉遣いとなると、自信がございません」
「そうか。まあ、気にせず切り替えてやってくれまいか。これの目がそろそろ、据わり気味だからなあ」
大柄な体つきに似合わない、妙齢の夫人のような「クスクス」という感じの含み笑いをした宦官長は、言葉を西大陸の標準言語に切り替えた。そして「お聞き苦しい点は御容赦ください」と流ちょうな調子で言ったのだった。
「お若い方は、素直でいらっしゃいますから」
「だが、見ただけで不機嫌かどうかたちどころに悟られてしまうのは、どうにもなあ」
すると、侍従が恨めしそうな目をしてロベルトを見た。それを見て宦官長はまた、クスッと笑う。
「お可愛らしいではありませんか」
「それは否定しないが、ちと、甘やかしたかもしれん」
「この方は……お妃であられるのですか?」
閨を共にしたか否かを聞きたいのだろうと、ロベルトは解釈した。
「今はまだ、違う。何やらまだ子供でな。そこが可愛いらしくもあるのだが……なあ」
「……いずれは、とお考えで?」
「ああ。つい最近、私も決心がついたのでね」
「ケマル殿より伺いましたが、外交のために遣わそうとお考えの姫君とは……この方ですか?」
「そうだ」
「では改めまして、姫君に御挨拶を」
宦官長は貴人に対する礼を侍従に対しても行い、こう尋ねた。
「姫君のお名前は……アンヌ・テレーゼとおっしゃいますのか?」
「僕は自分の名前を知りません。陛下に頂いたアンドレアスという名前が、自分の名だと思ってきました」
「この通り自分自身を『僕』と呼ぶのでな、出合った最初に少年だと思い込んでしまって、そう名付けたのだ。だが、当方で調べた所、確かにアンヌ・テレーゼが本来のこれの名だと判明した」
「僕は……アンヌ・テレーゼって誰? って思ってしまいます」
「先ほどの陛下の御説明によれば、幼少期の御記憶が無いとか言うことですが、姉上様の事も、何も覚えてはおられぬので?」
「はい。残念ながら」
「ルゥルゥ妃は何か、妹の話はしないのかな?」
「亡き弟君のお話は良くなさいますが、別の場所でお育ちの妹君につきましては『一度だけ会った事が有る』とおっしゃったと、記憶しております」
「ならば、直接これがルゥルゥ妃にお会いすれば、何事か思い浮かぶかな?」
侍従はそのロベルトの言葉に、一瞬ハッとしたような表情を浮かべたのだった。
誤字、七箇所訂正しました。多くて済みません




