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暗闘・2

 王の表情は、直前まで愛人の相手をしていたなどとは全く思えない。キリリと引き締まっている。戦闘態勢に入った戦士、という感じだ。久しぶりに政務を休み、のんびり過ごしていたのが台無しなわけだが、それでも決して不機嫌な顔をしない。「目下の者に八つ当たりをしてはなりません」とセシリアに躾けられたのだと、以前苦笑半分に侍従に語った事が有るが、その教えをきちんと守るのは王自身の努力と克己心の賜物なのは間違いない。やはり御立派な方だと、あらためて侍従は思うのだ。

 やがて王の命令で、眠気覚ましのコーヒーが一兵卒に至るまで、その場の全員に振る舞われた。そうこうする内にファリドとキアーの二人が戻ってきた。何か見つけたらしい。


「市場のすぐそばで、怪しい家を見つけました」

「近隣に住むなじみの商人らに見張りを依頼しております」

「その家は良く存じております飲み屋のオヤジの持家なのですが、今年に入ってから元の帝国で貴族だったと言う男が一年契約で借りているそうです」

 聞けば大君主国風の身なりの者も時折出入りするらしい。

「……なるほどな。なあ、ファリド、キアー、物は相談だが……」


 王のその言葉以降は周りに控えた兵士の手前なのかどうなのかは不明だが、大君主国の言葉に会話が急に切り替わった。ところどころ単語を拾う程度しか出来ない侍従には、三人が何を話し、なぜ笑っているのか、皆目見当がつかなかった。


 時折、クスカンチという言葉が耳に入る。そもそもセレイアの言葉で会話をしている時でさえ、ロベルト王と三人の異民族の護衛たちの間には、特別に親密な深い関係が有り、その中に侍従は入ってはいけないものを感じてきたのだ。それでも一番若いハムザは素直に侍従の言葉に従ってくれるが、王と歳が近いファリドとキアーには先ほどのように露骨に「小さな子」扱いされてしまう事も珍しくない。


 三人とも子供時分にロベルトに保護され、その後武芸をおさめたのは共通しているが、ハムザは、ずっとセレイア国内の大君主国の亡命者の居留地で育ったのに対して、ファリドとキアーは、それぞれ傭兵として幾つかの国で働いた経験が有る。亡命した武芸の達人の元貴族に付いて修行をしたハムザの武芸が「良くも悪くも行儀が良い」のに対して、ファリドとキアーの武芸には「血みどろの戦場をはいずり回って生き延びた」凄味が有るのだ。縄抜けなどは「奴隷として売り飛ばされ、見世物小屋でこき使われて」学んだらしい。

 そんな事情も有って剣や馬術ではハムザが一番すぐれているが、諜報活動やら情報分析やらといった人生経験が物を言う事柄になると、腕っ節の強いハムザも「まだまだ」なのである。


「ハムザは女をろくに知らんからなあ」

「まだまだ青いからな」

 

 そんな事を言う二人の「おっさん」には適わないとハムザ自身も認めていて、特に手段を選ばぬ卑怯な者が相手となると、ファリドやキアーの意見に素直に従う。


 会話の内容が理解できないせいもあって、侍従はコーヒーの給仕に集中していた。だから御前を辞する直前に、ロベルト王が軽く肩を叩いて侍従に向って言った言葉が、きちんと理解できなかった。


「……という訳だからな、今日は一日給仕の時間も気にせずのんびり休め。明日から特訓だ。おやすみ」


 聞き返そうにも、すでに王はあっという間に寝台に潜り込んでしまったので、正直な話、事態の詳細が掴めなかった。だが、仮眠と言う程度の短い睡眠を取ってから、寝ぼけ眼で朝昼兼用の食事をとっていたら、改めて王に呼ばれた。


「起きたのなら、特訓開始だ。ちょうどケマル師匠も来たのでな」


 ケマル師匠と言うのは大君主国から亡命してきた学者で、ロベルトに大君主国の言語や歴史・政治事情などについて教えている。侍従は全く知らなかったが、東の大陸では高名な大学者なのだと三人の護衛は言っていた。敬意のこもった口ぶりから、相当な人物であるようだとは察しがついたが、侍従は一度も話をしたことが無かった。何しろ王との会話は全て大君主国の言葉であったので、侍従には難しすぎたのだ。だが、今日の王は西大陸の標準語で、老学者に語りかけている。


「正直な話、このクスカンチときたら大君主国の言葉は単語をようやく五百ほど覚えた程度で、まるで使い物になりません。武芸は師匠も御存知の連中に任せる事にして、言葉の方は師匠のお力も借りて、大急ぎで使い物になる程度に鍛え上げたいのです」


 侍従も正式な弟子としての挨拶をケマル師匠にして、まずは叩き込むべき単語を読み上げるように命じられた。その後、師匠が正しい発音で読み上げた言葉を書き取り、スペルのチェックを受けた。

 その間、王と師匠がかわす会話は大君主国の言葉だ。ケマル師匠は真っ白い長いひげを蓄えた白髪の温厚そうな老人だ。王の言葉に時おり笑い、言葉を返す。それを聞いた王がまた笑うと言う具合で、侍従にも理解できる言葉に切り替わるまでの時間は大層長く感じられた。


「クスカンチとは、少々お気の毒な。ですが、王がそうやって御自身で復習まで見ておやりになるのでしたら、きっと上達は早いですぞ」

 老師匠の西大陸の標準語は全く訛りが無かった。

「色々本人の自覚が乏しいので、教えていくしかない訳でして。ですが、その宦官長との繋ぎは、確実につくでしょうか?」

「あまり関わりたくないのですが……」

「すみません」

「あ、いえ、王のお役に立つならそのぐらい、どうという事もございませんが……あれがセレイアに来る用事と言うのが奴隷の仕入れですからなあ。釈然とはしません」

「宦官長は師匠の……」

「乳母子です。宦官長の実の妹が、今の妻です。最初の妻はあちらで病死いたしました。その最初の妻が残した息子を育ててくれたのが今の妻でした。まあ、あちらではその、私も貴族の端くれでしたから身分の隔ても有って、今の妻には苦労を掛けました」

「その伝手を使えば、生まれ故郷に戻られる事も容易いでしょうに」

「確かに、広い砂漠や巨大な河、ナツメヤシの実りは懐かしく思いますが……自分の言いたい事も言えない国は、やはり窮屈です。奴隷もおりますし、身分差別もひどいですからなあ。私はもう、自由なセレイアの気風に馴染んでしまいましたから、今さら無理でしょう。それにこうして王の御恩顧を賜るようにもなりましたし、住み慣れれば、こちらは良い国ですから。私は妻ともどもこのセレイアに骨をうずめます」


 それからの会話はずっとセレイアの標準言語でもある西大陸の共通語で続けられた。


「このクスカンチを、宦官長はどう見るでしょうね」

「さよう。今のままでも十分あちらの御寵姫方との面談に支障は無いと思いますが、通訳を介さずに交渉できますと、やはり安心ですな」


 侍従はずっと単語の書き取りをしていたのだが、どうやら「クスカンチ」が自分を指しているのだとようやく気が付いたのだった。そして……大君主国の宦官長と近く面談するだろう、という事は理解できたのだった。

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