暗闘・1
侍従は二人の供を連れ王が居るはずの別棟に向かって走った。すると、侍従の耳元を、何かがかすめ飛んだ。そして急に一人の曲者が切り付けてきた。二人の供が切り結んだ様子からすると、こちらの大陸の剣ではなさそうだ。
「観念しろ」と侍従が言うと、急に体を翻して逃げ出した。侍従は曲者が落とした小さな剣をとっさに拾って投げつけた。命中したようで、暗がりから呻き声が上がった。
「追え!」
侍従がそう命じると、二人は曲者を追った。侍従は王のもとに急いだ。
「陛下、御無事ですか」
「ああ、アンドレアスか。大事無い。だが、ハムザがやられた。命は助かったが」
ハムザというのは蜂蜜色の肌に赤褐色の髪と目をした一番若く、一番腕の立つ護衛だ。どうやら大君主国の者に吹き矢で襲撃されたようだという。毒を仕込んだ吹き矢の話は聞いた事は有るが、若い侍従は吹き矢の現物を見た事が無かった。物陰に隠れて音も立てず密かに襲撃するのに向いているらしい。ハムザは利き腕の手の甲に吹き矢を二本食らったらしい。手がはれ上がり、動かせないようだ。次第に熱も出てきたと言う。それでも、かねてから王と侍従と護衛たちは毒物に体を慣らす様にしていたため、解毒剤を飲んで安静にすれば命に別状はないらしい。
「この血痕は曲者のものですね」
ハムザがとっさに利き腕では無い方の手で投げつけたナイフが、相手の体のどこかに刺さったようで、細い血痕が点々と続いているのを侍従が見つけた。
「たどってみましょう」
たどるうちに、犯人に行きあたる事も可能かもしれない。そう侍従は思ったが、王は良い顔をしない。
「危険だ」
「ですが、すぐにたどりませんと、何かの加減で血の跡が無くなります」
「ならば……行っても良いが……無理はならん。ファリドとキアーに付いて行け。こちらには近衛がいるから大丈夫だ」
「はい、ありがとうございます」
ロベルトの護衛のファリドとキアーは磨き抜かれた黒檀のような色合いの肌をした大男だが、身のこなしが軽やかで、高い塀の上でもほとんど音を立てずに走ると言う特技が有る。西大陸の武器以外に、東方の武器や武芸にも通じている。縄抜けや武器を持たない格闘技の名手でもあって、若い侍従から見ると不思議の国の超人のように思われる存在だ。二人とも侍従には普段から優しく親切だが、その理由がどうやら侍従が「小さな女の子だから」という事のようで、女である事を見抜かれないように用心しているつもりの侍従としては、複雑だ。
三人で血痕をたどると、昼間なら洗濯女たちが賑やかに仕事をしている洗い場の井戸で途切れていた。どうやら曲者は血を洗い流し、手当をしたようだ。
「水滴は続いている」
ファリドの言葉に、今度は水滴を追うと、不浄門の側の大木で途切れた。
「ふざけた事をする」
「置手紙ということか」
一枚の紙が大木の幹にナイフで留められている。手紙は明らかにこの国の言葉では無い。大君主国の共通語のようだ。
「王はお読みになれるだろう。シャヒーンからお渡ししろ」
内容はわからないが「ふざけた」手紙らしい。
「木に登って、塀を越え、外に出たな」
キアーの言う通りだろう。すぐ外は都で一番の市場の大通りで、もう既にこの時間から翌朝の取引のための物資の搬入が始まっているはずだ。
「足跡は既に消えているだろう。だが、方法が無いわけでは無い」
ファリドが言うと、キアーが頷いてこういった。
「ファリドと二人で、夜明けまで奴を追ってみる。シャヒーンは王のもとに戻れ」
シャヒーンとは東方でハヤブサを意味する言葉であるらしい。若い侍従が「小さくて素早い」あるいは「狙いをつけたらまっしぐら」なので二人、いや、負傷したハムザも含め三人が、そのように呼ぶのだ。どうやら馬などにも良くつけられる名前らしくて、侍従としては不本意な呼び名だが、近頃は主であるロベルト自身も時折「シャヒーン」と呼ぶので、不承不承受け入れている。
侍従は自分がお荷物扱いされたと感じた。行動を共にしたいと主張したが、二人は受け入れなかった。
王国の正式な官職についている侍従と、ロベルト王の私的な護衛の二人とは立場が異なる。身分としては侍従が上と見なされるかもしれないが、二人にとっての主は王だけであって、他の人間の言葉に従う義理も義務も無い。ましてや足手まといの「小さな女の子」を連れ歩く義理は無い。そう思っているのだろうと、侍従は感じた。どうやらロベルトから何も聞いて居なくても、初めて会った時から「シャヒーンが女だとわかっていた」と言う。事情を知って、若い侍従はますます複雑な気分になった。
「ダメだ。シャヒーンは王のもとで為すべき事を為せ。いいな」
「太陽が昇ったら、王宮に戻ると、王にはお伝えしろ。いいな」
二人はあっという間に大木を上ると、軽々と高い塀を越えてしまった。置いてきぼりを食った侍従は、言われた様に王の居室に戻るほかなかった。
「良い良い、案ずるな。近衛の猛者が守りを固めたからな。今のうちにお前は急ぎ邸に戻れ。あまり出歩くなよ。また落ち着いたら、呼んでやろう」
ロベルトはそのような事を言って愛人を抱きしめ、なだめていた。愛人の方はロベルトにこれ見よがしにしな垂れかかっているように、若い侍従には見えた。不愉快であった。ともかくも愛人を馬車に乗せ邸に送りだした後、侍従は問題の手紙をロベルトに渡した。
「置手紙か……ふざけた話だ」
どうやら王によれば、幼い姫が行方不明になったのは、王であるロベルトの自国民の監督が不行き届きだからだと非難する内容らしい。自国の犯罪者の全てを監督出来ている支配者など、存在するとも思えない。とんだ言いがかりだと侍従は思う。それに……決めつけも甚だしい。侍従は憤慨した。
「誘拐犯がセレイア王国の者と決まった訳でも御座いませんでしょうに」
「大君主国では、大君主が黒と言えば真っ白いものでも黒なのだ」
そうこうするうち、ノイマン家の二人が戻ってきた。どうやらこちらも曲者を市場付近で見失ったらしい。
「それにしても王宮の奥に入り込んで狼藉を働いたのは、この置手紙を置く為だったのでしょうか? 庭木に矢文の二つ三つも射かければ十分でしょうに」
侍従はどうも今回の騒ぎは色々と変だと感じる。
「どうやら……本来は私の寝室に置手紙を置くように命じられたのだろう。だらしなく女と寝こけている所に、警告の文を置く、そういう予定だったのだろうよ。馬鹿にした話だ。こちらの警護がそれなりに頑張ったおかげで、手紙の置き場所が予定外に、不浄門近くの庭木になってしまったと言う事なのだと思う」
「なるほど、お目を覚ましたらそこに大君主からの警告というかこの手紙が有ったと言う方が、確かに衝撃的ですけど……そのような事、本当に大君主が命じたのでしょうか?」
「大君主が如何なる人物なのか、わかっていないからなあ。本当に大君主が命じたとしたら、あまり利口な人物ではないという事になる。だが、大君主の国内の反対勢力が何か企んでいるなら、あながち間違ったやり方とも言えない」
「幼い姫君が行方不明なのは、本当なのですよね」
「ああ。その点は掛け値なしに真実らしい」
いずれにしても、レイリア王であるロベルトは、人さらいの仲間と見なされたにせよ、国内での権力闘争の一種の噛ませ犬と見なされたにせよ、ロベルト自身が述べたように「ロクな扱いをされていない訳で、実に呆れたひどい話」なのだ。
「どうも……市場のあたりに何か有るのではないかな?」
「さようですね。徹底的に調べるべきでしょう」
若い侍従も国王もその夜は色々有りすぎて、寝付かれない気分だった。自然、いつもの居室に戻り、侍従が茶の一つも淹れてファリドとキアーの帰還を待つ……という事になった。毒にやられたハムザは穏やかな寝息を立てて寝始めているのを、先ほど確認できたので、ひとまず安心だ。
愛人が帰ってしまい、更に非常事態ではあるので、当分は愛人を王宮に呼ばない事にしたと言うロベルトの言葉を、若い侍従はうれしいと思って聞いた。そしてその事に侍従自身驚いてしまったのであった。




