遠征2
翌日、準備を整えた彼女らは件の小村へと赴いていた。
彼女らの他にも依頼を請けた人は多くいたらしく、小規模ながら大規模作戦かの様な空気が流れていた。
派遣されたギルド職員が作戦の説明をした。
ここ数日の間、職員は交代で村に駐在し支部との連絡を適宜行いながらも毎日指示を飛ばしているのだ。
この日の作戦の内容は、既に判明したいくつかの拠点らしきものから情報を持って帰ったりする、あわよくば解決する、といったものであった。
しかし条件付きであり、可能ならばネイバーウルフは殺してはいけない。彼らは確かに人を襲うが、同時に里を守ってもくれる。だからこそだ。
「魔法で策敵すれば一発じゃないのよ……」
アリシアは小さな声で愚痴た。
「おいおい嬢ちゃん、こんな広い森をどうやって魔法で探すんだよ」
彼女の愚痴を盗み聞きした大柄な男が口を挟んだ。
「普通に策敵の魔法使うだけじゃないの。いや、今回は策敵じゃ見つからないわね」
策敵の魔法と呼ばれるものは自らへ敵意を向けているものを探し出す魔法である。今回は彼女らと彼らは接触してすらいないので敵意が向けられるはずもない。
つまり広範囲で行おうにも、普段それはあまり意味がないのだ。
加えてこれにも弱点はある。原理としては魔力をレーダーとして用いる少し特殊な魔法となる。よって逆に探知される可能性もあるのだ。
今回は誰かが裏から彼らを動かしている可能性もあり、つまりはそれを選択肢として実行するのは愚策といえた。相手がいると仮定して、それが術者として優れている可能性も否定は出来ない。相手がいるかも分からず、いるとしても実力が未知数である以上は使えない手段であった。
「彼らだって生きているのだから熱を見るのよ。そうすればある程度は絞れるわよ」
「熱を見る?」
ティタが疑問符を浮かべた。
「あー、なんと言えばいいのかしら。とにかくそういうことが出来るのよ」
「後で詳しく」
「……分かったわよ」
アリシアの魔法によって最も大きい熱源に向かう事にした彼女らは、偶然にも他の者が向かわない場所であったので、2人で足を向かわせる事になった。
道中、策敵の魔法を使い、出来る限りの戦闘を避けつつも合間の時間にはアリシアはティタにサーモグラフィーカメラの原理を説明していた。
「多重詠唱前提な魔法は実践向きではない」
「そうね。でも出来るという事が分かるだけで十分に意味は為すわ」
「一理ある」
原理上、魔法で不可視の光を見るという事を行わなければならないののだが、加えてそれらを効率良く広範囲で見るために魔法を用いるのだ。
そもそも魔法を複数発動するという事は簡単な事ではない。国語の問題を解きながら算数を教えるかの様に、関連性のない2つの事柄に意識を向けなければならないからだ。
そんな話や考察をしながらも彼女らは足を止める事もなく無事に目的地に到着した。
そこには小さな洞窟が1つあるだけであり、候補の中では最も薄いとされていた場所である。
「まさか、こんなにすぐとは思わなかったわね……」
アリシアは小さく呟き、それにティタも首肯する。
彼女らは、とある魔力の流れを感じ取っていた。そしてアリシアにいたっては呆れてすらいた。
「早すぎるわよ、まったく……」
非常にメタであるが伏線というものが現実的にも作用するとは、と彼女は1人愚痴ていた。
洞窟からは先日遭遇した悪魔の魔力が滲み出ているのだった。
「でも、これはいい機会。私の事について聞ける」
「まあ、そうね」
彼女らが暗闇を突き進むとやはりというか、かの悪魔が座していた。
「久しぶりね、こんな所に引き込もって怖じ気ついたのかしら?」
「世迷い言も大概にしろ。あの龍に対しての準備と俺の計画を進めていた、というところだ。貴様ら小娘にどうして怯える必要があると?」
彼は威圧するが、彼女も負けじと魔力をぶつける。
「それに貴様らは俺らの脅威になる。潰しておけと上から伝令もきたからな」
「やっぱり、ネイバーウルフで何かしらしてたのは貴方だったのね。傍目からは自然に見せようとしたのだけれどバレバレよ」
ネイバーウルフは人を襲わない訳ではない。しかしそれに違和感を覚えたからこその今回の作戦。
「貴方は急ぎすぎたのよ」
「だが、それでも関係はない。時間は稼げた」
彼は地面を軽く擦った。
途端に彼らの足元から励起した魔力が迸る。
「これは……、逃げて!」
ティタがアリシアに叫んだ。
この時、アリシアは挑発とばかりにティタよりも彼に迫っていた。それが仇となったのかその魔力による魔方陣に完全に足を踏み入れていた。
魔方陣とは魔法を発動するために用いられる模様であり、その模様に魔力を通すと対応した魔法が発動する。
魔道具などはこれが用いられる物の筆頭であり、魔道具で生計をたてている家に生まれたアリシアには馴染みが深い。
魔方陣とはいわば魔法を音と例えるなら楽器であり、魔力はその為に吹き込む息などに該当する。
陣さえあれば魔力を通すだけで使える代物ではあるが、やはり高度な魔法を行使するには相応の知識が求められる。
魔法という決められた音を出すためにはどのような形にすべきか、当然ながら適当な形では音すら鳴らないのだから普通の魔法よりも自由度から見れば不便である。しかし、それに対して魔力を通すだけで使えるのだから即効性が高く、武器などに用いられる事も少なくはない。一長一短なのだ。
そんなアリシアですら一見効果の判らない魔方陣。彼女は驚きのあまり身体を動かせなかった。しかし魔眼を持ち、その魔力の流れを見たティタは、それの効果の1つは理解していた。膨大な魔力がアリシアから吸われていたのである。
しかし、ティタの警告が遅かったのか、アリシアは魔方陣から出ることはなかった。
「丁度良かった。これは陣内にいる者の魔力を使うといった類いのものだ。お前の様な者の魔力を吸い付くしてくれれば、こちらとしても都合がいい」
彼はアリシアの攻撃をかわしつつも、魔方陣の外へと出ていた。
「人間であれば魔力は枯渇するだろうからな、ゆっくりと弱ったところを」
「弱ったところを、どうするのかしら?」
彼の予想とは裏腹にアリシアは平然と立っていた。
「私から魔力を根こそぎ、ねえ。貴方ごときの魔力量なら余裕よ。それよりこれは何なのかしら?」
彼女は無詠唱魔法で光の鎖を作り出し、彼をがんじがらめにして、そのままさらに地面へと縫いつけるように岩を彼に落とし、それから彼の頭を踏みつけながら脅迫した。
「何も言わないなら、首をはねるわよ」
彼女の赤い双眸が彼を見下す。
しかし、彼は口を開こうとはしなかった。
「主よ、それでは奴の口は開かん。おいティタとやら、自白させる魔法は使えるか?」
「知ってはいるけど使った事はない。使ってはいけないとされているし、使う機会もない」
「少しは考えなさい。そんなものが一般的に知られたらどうなるのかを」
魔法はあらゆる可能性を秘めていると言われているが、その中でも他人の心や記憶といった精神面に及ぼすものは非常に高度であるといわれる。あまりにも高度であるが故に扱える者はいないとされる程だ。
「……そうだな」
実のところ、難しいのではあるのだが不可能ではない。魔力には共鳴作用があるため、それを使えば相手を意のままとは言えないが操れる。
その方法は単純であるが難解だ。相手の意志同等の魔力を魔法によって相手に流す。当然、一人として同じな訳もなく微細な違いは一般人の感知の外である。
「では、まず此奴の企みを阻止するとしようか」
彼の依る赤い宝石が強く光を放つと、アリシアの足元で励起していた魔力が勢いを失った。
「何をした!」
地面に未だ縛られている彼が声を荒げた。
「我の力を知らぬとは、随分と若輩な悪魔だな」
ハイドラの能力は原理はともかく知り得る魔法を無効化するものだ。形はどうあれ魔法に変わりない以上はその毒牙に容易にかかってしまう。
「さて、こうとなればお主の魔法も自由であろう、アリシア。洗いざらい吐き出させるぞ」
「待って」
そんな中、ティタが制止をかける。
「目的は知っているのなら、操って泳がせるべき」
「ふむ、それもそうか。アリシア、できるか?」
「俺は悪魔だぞ?生半可な魔法は通じはしない」
未だに地面に縛られながらも彼は息を荒げながら訴えた。
「負け犬の遠吠えね」
そんな言葉をアリシアは一掃し話を続ける。
「まあ、出来るとは思うわ。ただ、魔法で操った場合は信頼性が薄くなるわ。向こう側に送るのはいいけれどそこで貴方みたいに魔法を打ち消せる存在がいるとしたら?あるいは気付かれて消される可能性もあるわ。こちらの手駒にするならば操るだけの魔法は不適よ」
「では、どうするのだ?」
「刷り込むのよ。その過程は魔法を使えども、根本的には魔法で操ってはいないもの、始末されない限りは縛れるわ」
刷り込みとはインプリンティングともいうのだが、孵った雛鳥が初めに目にしたものを親と認識する現象である。それはあくまでもその生物の本能であり、今回の相手がそれを持つのかといえば知るところはない。
ここで彼女の提示したものは正確には暗示である。一種の催眠状態に落とし、有意義なように無意識下に情報を加える。
とどのつまりが一般的には催眠術といわれるものだ。あくまでも一般的にそういわれるものである。
「まあ、やってみればいいのよね」
特定の相手をトリップ状態にする手段はいくつかある。
しかしだ。アリシアの考える方法にはどれもが少なからず精神的にダメージを負わせるものであった。
「どうしようかしら」
簡単な図形などを覚え込ませるなどはサブリミナルという手法がある。知覚出来ないほどの短い間に絵を一枚挟むことをいくらか繰り返すことによって刷り込む手法だ。ただしこれは高度な命令の刷り込みには適していない。
「件の魔法で奴自身の記憶はいじれるか?」
「さすがに時間が足りないわ」
彼が問うのはアリシアにしか使えない魔法について。彼女は不可能とは返さなかったが、この場では無理と返す。
彼の提案の実行にはいくつか手順が必要であるのだが、まず相手の心理を解析する事が必要である。それから中身を動かさなければならない。ただ、前提である解析の対象が精神的なものであり、複雑怪奇であることは想像に難くない。
「悪いが、俺は逃げさせてもらおう。作戦が失敗した以上はここに用はない」
「あら、負け犬が何を吠えるのかしら」
アリシアはさらに力を込めて彼を地面に縛り付ける。
「負け犬か……、貴様が本当に俺に勝てているとでも思っているのか?」
彼は彼女に地面に縛られ、時々呻くものの虚勢でもない余裕の表情を浮かべていた。
「随分余裕そうじゃない。その自信はどこから来るのかしら」
「悪魔っていうのはな、いくつか種類がある。だがな、共通するのは、こと魂の扱いには慣れているということだ。さて、かの老龍は強い魂を持っていたが小娘の様な魂であればどうだろうな」
「しまった、アリシアよ、逃げろ!」
しかし彼の言葉は遅く、ドロリとした黒い靄が沸きだしアリシアを包んでしまった。
「大丈夫よ。忘れたかしら?私は貴方が乗っ取れなかった程度なのだから、こんなの効かないわよ」
「奴の言っていた事が本当ならば……、アリシアよ、我とは手段が異なる」
「手段も何も結果的には同じじゃ……うぐっ……」
包まれた直後は平気であった彼女の呼吸は急に乱れ始め、苦悶の声が漏れる様に変わってゆく。表情こそ覆われている為に見える事はないが想像に難くない。
「どういうこと?」
ティタは内心慌てるものの成す術もなくただ立ち尽くしながら見るしかなかった。
「我はアリシアを乗っ取ろうとした事があったのだが、その方法は魂を包み込む形だ。しかし此奴は魂を壊して隙間を作り、そこを埋める形であろう。我は強固ではあるがアリシアは精神的には強いものの外的要因に強い程の魂ではない」
「つまり貴方は取り込む、それで奴は侵略している」
「そうだ。加えて内面で起きているから我も手を伸ばす事は出来ぬ。これ以上に内面に魂を内包すれば奴を退けてもアリシアの身が持つまい」
魂の器としての身体は許容に限界がある。それはある程度の余裕はあるとはいえ、さすがに3つまでは抱える事は不可能であり、それを超えると弱いものが潰されたり器が壊れてしまう。
今の場合ではアリシアの魂が最も外的要因には弱いために、潰されて消失してしまう。それでは意味がない。
「見守ることしか出来ない」
「ということだ」
そんな最中にもアリシアの苦悶の声は収まる事はなく、むしろ悪化していた。しかし、彼らには何も出来ないのである。
ティタには言ってはいないがアリシアと彼は身体の主導権の交代というのが出来る。しかし、その行為は原理上彼女を救うことにはならない。
魔力的な繋がりを持って互いが互いを動かしあうというのがそれであり、魂の拠り所が変わるなどということはないのだ。
「……ふふふふふ、あはははははは」
アリシアは突然静かになったかと思うと一転、笑い始めた。
「とっても苦労したわ!」
そう言うとまた笑い始めた。
「お前は……誰だ……?」
彼は彼女に問いを投げ掛けた。彼女は首を回してコキコキと鳴らし、全身で伸びをしながらも彼らに向けて言い放った。
「あの悪魔なら自滅したわよ」
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