『自己』
外は天気が悪いのか月も星も見えず、しかし雨は降ってはいない。
アリシアは防具を身に付けながら自室のベッドに腰掛け、身体の違和感を探るかの様に手足を動かしていた。
「ふむ、この身体はなかなかちっこいな」
「余計なお世話よ」
アリシアの声が2つ響く。
前者はアリシアの口から、後者は籠手からであった。
「しかし、身体には慣れがいるが魔力は我よりも満ち溢れていているな。これならば問題はあるまい。あとは何度もいうがこの小さな身体に――――」
「小さい小さいってうるさいわね。私の身体を貸しているのだから借りてるなりの態度を示しなさいよ」
「ふむ……」
「ふむ、じゃないわよ!って何胸揉んでるのよ!」
「ないな」
「とっとと身体を返しなさい!」
それからしばらく口喧嘩をした後に身体を彼女は身体を返してもらい、それから彼――今や鎧となっている龍であるハイドラ――に罵詈雑言を更に浴びせた後に脱ぎっぱなしの彼をわざと踏んづけてからベッドに潜り込んだ。
アリシアにとっては既視感が大きい様な白一色の空間。
そこに少女――アリシア――と成熟したうら若き女性が存在していた。
「お母様!?」
アリシアは叫ばずにはいられなかった。
この空間を認識した時には酷い既視感を覚えたものの慌てる事はなかったのだが、その空間に母がいれば別である。
彼女はなぜ母がいるのかが不思議であった。これがただの夢ならばいいのだが、この異様な空間は造り出された夢であるのは経験上知っていた。だからこそである。
しかし、アリシアにはそれが母親とは異なるものだという事を自らの本能が訴えている事に更なる違和感を覚える。
「……貴女は誰よ?」
彼女は眉をひそめる。
「我だ」
声こそパトリシアのものではあるが、魔力といい存在感といい明らかに彼女の知る者であった。
「ハイドラ……、何故お母様の姿を?」
「前の持ち主であったからな。こちらの方が今はまだ慣れている」
「それで、夢にまで出てきて何か用事があるのかしら?」
アリシアは大層面倒臭そうに横目で彼を見やる。
「まだしておらぬ事があったからな」
「お主の魔力と我の魔力とを繋げる必要がある」
「どういう意味よ」
「生物には生物の、モノにはモノの魔力がある。それは我とて同じ、我もモノである事には変わらないのだ」
アリシアは首を傾げる。だからなんだと言うのだ、と言わんばかりであるが、彼女は最後まで話を聞く事にした。
「お主の身体を借りている間は魔法が使えなくなるのだ。お主も我と入れ替わっている間は魔法が使えぬ」
「その為にするのね?」
「うむ」
「で、どうすればいいのよ」
アリシアは早く済ませてしまいたい気持ちでいっぱいであった。大事ではあるものの面倒には変わりない。
「最も容易いのは接吻だ」
「………………はっ?」
「何だ?他のがいいのか」
アリシアは嫌な予感がした。
そもそも彼女は魔力を繋げると聞いた時点でその様な事が少し予想できたのだが、それでもなお、もう少し簡単なものであろうと信じていた。
彼女は自らの唇にそっと触れると、頭をブンブンと横に振った。
「他に何があるのか教えなさい」
彼は軽く笑ってから口を開いた。
「そうだな……、あとは性交などがあるが?」
「せ、せ……せ……」
彼女はゆでダコも吃驚な程に赤くなった。それを見て彼は更に笑った。
「もっとマシなものはないの!?」
「魔力を空にして注いでもらうというのを互いにやればよいが……、お主は吸血鬼であり、我はモノだ。互いに魔力が空になればそんな余裕はなかろう」
アリシアは吸血鬼であり、殊に特異点だ。魔力の枯渇は致命的となる。加えてハイドラは現在はモノだ。魔力に意思が繋ぎ止められている以上、魔力を空にしたら最後、彼の意識はこの世から旅立ってしまい、輪廻の渦に巻き込まれるなり仏になるなりなんなりされてしまう。
「じゃあ、私の、は……初めてを、犠牲にしろ、って事、なの?」
「処女ならば分かるが、口付けすらも初めてとは妙な価値観だな」
「じゃ、じゃあ仕方ないわね……。そんなに言うのだから……」
彼女は遂には頭から湯気を出している様にすら見える程に赤くなっていた。
「では……」
彼は彼女を抱き抱え、額を軽く指で弾いた。
「な、なによ……、早くしなさいよ」
「ふむ……、なかなか、からかいがいがあったぞ」
「ふぇ?」
彼は大声で腹の底から笑っていた。さもいいものが見れたとでも言いたげな笑顔であった。
「な、ななな、なによ!嘘だったわけ!?」
「断じて嘘はない。お主にならばまだまだ別の方法もある。互いの一部を交換すれば良いのだから手段はいくらでもあろう?そもそも我はモノだ。接吻や性交など今でこそ可能かも知れぬが現実においては不可能だ」
「じゃあどうしろっていうのよ」
アリシアは疲れたのか、座り込んで横目で彼を見上げる。
「吸血鬼のお主にとっては抵抗はなかろう事だ。血を我に少しでもいいから寄越せ。それだけでいい」
「本当にそれだけでしょうね?」
「それからは我がやる」
「分かったわよ……。もう寝させてちょうだい」
「ふむ」
朝、アリシアは目が覚めると早速血を垂らした。
それから日課の武器の鍛練へ向かう。それはこの日も例外ではないが、しかし鎧も着込んでいた。
「早朝だからいいけど目立つわよね、これ」
「そうだな」
「そうだな、じゃないわよ……」
彼女は愚痴を言いながらも刀を振るっていた。引いて切る、それが刀の特徴だ。そして、実戦ではこうした基礎の積み重ねが如実に現れる。特に刀は『技』の武器だ。技術がなければ実戦では扱えない。
彼女はゲームにおいては刀の(もちろんそれ以外のほとんどの武器も)修練度は最大まで上がっていた。それを当然引き継いでいるのだが、やはり彼女にとって現実となった今、それが彼女のものであっても『彼』のものになっているかと言えば話は変わる。肉体と精神の齟齬がある以上、持ち合わせたポテンシャルを100%発揮する事は叶わない。その為に彼女は毎朝修練を欠かさないのだ。
「それにしてもお主、どこでそんな技を磨いたのだ?まだ卓越した技術を得ている様な歳でもなかろう?」
ハイドラは彼女へ疑問を感じて当然な点を指摘する。
「それに先程から様々な武器を使っておるが熟練者であろうともその様な事はなかなか出来ぬぞ」
アリシアは刀の修練を止め、槍を振り回していた。
「貴方にはまだ話してなかったわね。ある意味運命共同体だから貴方にも話すべきよね。私の事はあまり話さなかったのだから仕方ないかもしれないけれど」
「お主自身の事だな?確かにそれは聞いておらぬな」
アリシアは槍を収め、片付けを始める。
「私はね、前世の記憶があるのよ」
「つまりは転生者という訳か」
「そうよ」
彼女は武器を完全に片付けたので一先ず自室へと向かい始めた。
「転生者は珍しいが、それだけでは説明しきれぬぞ?我も数人は見た事があるからな。いくら前世で手練れだとしてもここまでの熟練者には普通はならん」
「普通はそうよね。でも私は普通ではないもの」
「どういう意味だ?」
「まず、私は元々この世界の住人ではなかったの」
「まあ、そういう事もあるであろうな」
「加えて、前世の私はこんな事は出来なかったわ」
「何だと?」
彼は大きく疑問を感じた。前世において出来ない事が何故出来ようか。
「けれども出来たのよ」
「言葉が変ではないか?」
「ええ、そうね。しかし貴方に『ビデオゲーム』の意味が理解出来るかしら?」
「何だそれは」
彼女は自室に着くと、鎧を脱いで適当に腰を下ろした。
「遊戯の一種よ。その中でも造られた空想の世界で架空の人物を動かして遊ぶというものを私はしていたの」
「それは面白そうだな」
「その世界は現実と法則が違うの。その中で私が操って育てた人物の力は、そう、とても強かったわ。そして私はその力を引き継いで転生したのよ」
「ちなみにどの程度の強さだったのだ?」
「そうね……、肉弾戦ならばロイヤルスライムを殴って倒せるわね」
「何だと!?」
ロイヤルスライムとは淡いピンク色のゼリー状の生物であり、スライム系統では最上位種である。しかし見た目は序盤のスライムとさして変わらない大きさである。
スライム系統共通とした物理耐性が高いのはもちろん、完全魔法耐性があるため、他のスライム種と違い魔法に弱い訳でもない。加えて、その物理耐性もトップクラスであり、99%以上ダメージ軽減する厄介なものだ。さらには刃物を使えば分裂してしまう。
もちろん対策がないわけではない。
まず体力が低めである。加えて魔法と物理攻撃以外の耐性は特筆する程ではない。魔法を利用しない方法でかつ物理攻撃でなければいいのだ。定量ダメージの毒や魔法を用いない火で焼くなど、様々なものが考えられる。
それを殴って、つまりは素手かそれに準ずる手段で倒すというのだ。彼が驚くのは必然であった。
「魔法は……、それこそ苦労はほとんどないわ。威力もあるでしょうし」
「どの程度だ?」
「望まれれば何でもするわよ」
「我を生き返らせるのはどうだ?」
「無理ね。貴女は寿命で亡くなったのでしょう?それでは蘇生条件から外れているわ」
蘇生魔法。ゲームでは割とメジャーな部類に入るそれは、『WORLD』においても例外ではない。
しかし、決定的に違う点があった。蘇生条件と呼ばれるものを全て満たしていないと空撃ちになってしまうのだ。
その条件は、肉体を激しく損傷していない事、魂に重大な欠損がない事、死亡後長時間経過していない事、そして寿命が残っている事である。
そのうちでも1番目のものは回復魔法で補える。2番目は強い呪いを受けていなければ基本的には問題はなく、解呪出来ればしてしまえばいい。
しかし、他の2つはどうしようもないのだ。そのうちの前者は時間とともに魂と肉体との関係が薄れてしまい蘇生確率が減少してしまう為である。蘇生魔法を用いれば一時的に強められるのだが、非常に困難な魔法を連発出来るはずもない。後者は厄介であり『WORLD』において存在する隠しパラメータの『寿命』である。キャラ毎に異なるのだが、何かしらの要因で減ってゆき、なくなると死亡する。この場合のみ能力の引き継ぎが可能な『転生』が行われる。それ以外の、つまり通常の死亡の際は特定の地点へペナルティを課せられて戻されるだけであった。
ちなみに余談だが『寿命』の減少条件は時間経過と危険との遭遇である。とはいっても後者は大幅に減る事はないのだが。
この世界において『転生』があるかどうかはアリシアには分からないのだが、彼女は小さい頃に弱い魔物に対して試みたのだ。また、老衰に関しては、非人道的ではあるが村の天寿を全うした人にこっそりとかけたりしたのだが、効果はなかった為に判明した。
さて、ハイドラの例を見てみると、まず寿命が残っていない。そして彼女は見落としたが、肉体の激しい損傷(つまり防具へ加工されている)に蘇生猶予の大幅な時間切れである。蘇生出来るはずもなかった。
「他にはないのかしら?私、湯を浴びたいのだけど」
「ふむ、少し待て」
その言葉の後、彼が仄かに光ると小さな赤い宝石をあしらった指輪へと変化した。
「これでよかろう?」
「最初から出来るならしなさいよ……」
彼は姿を変える魔法を使ったのだ。
「いや、お主と魔力が繋がったからこそ出来るのだ。変身の魔法は『生物の魔法』であって『物の魔法』ではないからな」
「そうなの。なら仕方ないわね」
彼女は指輪を嵌めてから浴場へ足を運んだ。
「ふむ、改めて小さいな」
浴場へ入っての彼の第一声がこれであった。彼女の他には誰もいないが、いたら大騒ぎだろう。男子禁制の場に男性の声が響いたのだから。
「今すぐ貴方を砕いてもいいのよ?」
彼女は額に青筋を浮かべて魔法でペンチを造り出した。
「そ、それよりもその魔法はなんだ?」
彼女は彼の言葉を無視して無言でペンチを宝石部分にあてがった。
「壊すわよ?」
酷く冷めた声で呟いた。
「壊されようとも――――」
彼女は追加して魔法を発動、ペンチに空間が歪む程の禍々しさが渦巻く。
「『殺す』わよ?」
それは魂をも地獄に閉じ込める呪いであり、並大抵のものではない。彼女の殺気と相まって形容し難い気を放ったそれは飛ぶ鳥が落ちる程であった。
「……済まなかった。だからそれを止めてくれ。我が消滅する」
「あら、消滅はしないわよ?ずっとずっと苦しむだけなのよ?」
彼女はゆっくりと赤子に語る様に告げた。
「二度と言わないから、二度と言わないから止めてくれ!」
「よろしい」
彼女は先程のとは打って変わって年頃の少女の如くコロコロと笑った。
「それで先程の魔法はなんなのだ?我には感知出来ぬし、そもそも無から有を造り出すなぞ容易ではなかろう?」
「実はちゃんと素材を使っているわよ。目には見えないけど」
「よく分からぬが今はそれでいいとして――」
「後で説明するわ。それよりも貴方はどうしてこんなにも制約なく自由に出来るのかが知りたいのじゃないかしら?」
「そうだが」
「ちょっと待ちなさい」
彼女は身体を洗い終え、湯船に浸かる。それから再度魔法を発動した。しばらくしてから半透明な板が空中に出現した。
「これはなんだ?」
「これが私の魔法よ」
その板には彼には不可解であったが、彼女にしてみれば見慣れたもの、アルファベットが文字列の様に並んでいた。
==
tfdmfu-dpef:wjtjcmf(1)
==
ただその一行しか書かれていないのだが、それは第三者にも見える様にするという意味を持っているのだ。
「これに何をするかを記述する必要があるのよ。何をどこにどうするかを書かなければならないの。しかも言語は独特のものよ。この場合は誰でも見える様にしただけだけど」
「存外面倒だな」
「便利なものには苦労がついて回るものよ」
彼女はそう言うとその板を消した。
「何か言いたい事はあるかしら?」
「目に見えない素材とは何だ?」
「その事ね。簡単に言うと空気よ」
実際にはいろいろ違うのだが、彼には理解は難しいだろう。実のところ、原子や分子などの微粒子であるのだがその説明を急にされようとも理解は難しい。だから誤魔化したのだ。
「少し異なる気がするが概ね理解した」
「そう、だいたいそんなものでいいと思うわ。もっと教えて欲しければ後にしてくれないと授業に間に合わないもの」
彼女はそう言いながら授業の為に持ち物をまとめていた。
「では今日は魔法の基礎をやりたいと思います」
教師が黒板を背に教室内に授業内容を伝えた。
魔法実技の授業は何も実技だけではない。魔法とは強力な力だ。なのでそれを扱う為の知識も学ばなければならない。誤った知識からなる強大な力は無差別兵器と同等だ。
「まず、魔法を使う時にはイメージをしっかり固める事。これはとっても大事です。イメージが足りないと不発や暴発を招く危険性があります」
教師は黒板に棒人間を描いて、雲状の吹き出しを付け、中に『イメージ』と書いた。
「次は魔法を発動させる為の媒体を用意します。皆さんご存知の通り、道具を使うもよし、声を出すのもよし、何かしら必要です。例えばですが――」
そこで教師がおもむろに手を叩いた。
「今は行いませんでしたが、慣れてくるとこの音でも発動させられます。慣れないうちは詠唱を使いましょう」
黒板に四角を描き、『媒体』と書いて吹き出しと線で結び、その線から矢印を伸ばし丸を描いて『魔法』と書き入れた。
「さて、ここで媒体とイメージを繋ぐのが魔力です。より強く正確に結び付ければ強力な魔法も扱えます。ですが、魔法によって結び付け方が異なりますので魔力の操作が必要なのです」
魔法の発動は例えるならば数式を解く事に近い。イメージや媒体は数字にしか過ぎず、魔力はその数式を解く為に使う。また、複雑な式であろうとも答えが至極簡単になったりする様に、発動が困難でも効果は単純であったりする。
というのが教師の、そして一般論である。
実際は、高度な魔法ほど発動出来る魔力の振動数の猶予幅が狭いのだ。極端に必要振動数が低いものや高いものは実のところ認知さえ出来れば発動は容易い。だが、認知出来る範囲の中央あたりであると少し違えば大きく異なってしまう。
両極端なものはそもそも魔力を波としての認知は不可能である。川が流れていようとも揺らいでいるか分からなければ波なのかの認知は出来ないのと同じであり、また大きすぎれば波とは思えず、壁と感じるだろう。
しかし得も知れぬ圧力は感じるのだ。
例えば音であれば超低音波や超高音波は普通は聞こえないが、音量が大きければ何かしら違和感を感じたりするのと同様である。
「魔法とは扱いが難しいですが、同時に便利なものです。皆さんが魔法を学ぶ際は危険性を十分に留意した上で行ってください」
講義の後、早速魔法の授業用の場所へと移動した。日本の学校のグラウンドの様な場所ではあるのだが、あたりには魔法の暴発が起きたとしても被害が出ない様に数人が同時に行使した結界ともいえるものに覆われている。
「はい、では皆さん、だいたいの人は魔法を使えるとは思いますが得手不得手もありますので基礎からやっていきましょう」
アリシアは小耳に挟む程度で授業を受けていた。一見、アリシアの様な者は受ける必要がないと思われがちである。しかし、これは授業を受けるにおいて必ず受けなければならない講義であるのだ。
理由はもちろん存在する。例え、魔法が入学時点で上手に扱えようとも、それは安全であるのか。答えは否。才能として魔法が上手く扱えようとも正しい知識があるだろうか。持っている者も当然ながらいるが中には感覚で扱っている者もいるのだ。変な方向で自信がついていて事故が起こりました、では話にならない。なので全員がこの『正しい魔法の運用と心構え』という授業を受けなければならないのだ。
知識も十分な彼女はとても気だるそうに授業を聞いていた。
それが教師の癪に触れたのか、彼女は指名され魔法を使う事になった。当然といえば当然なのだが、彼女は他の彼女と同類の輩を見ながら内心溜め息を吐きつつも見た目真剣な顔付きになり、他の生徒らの前方へ移動した。
「ではイットリアさん、貴女は魔法を……十分に使えるらしいですね」
教師は手元の名簿を見て彼女に言った。
「はい。それで何をすればよろしいですか?」
「そうですね、得意な魔法を安全に使ってください。詠唱とかはなくても構いません」
詠唱とは魔法の内容を言いながら放つものであり、慣れないうちにはよく使われる。声という媒体に発声というイメージの結び付けやすさが発動を容易にさせるので、優れているのだが、発動までに時間がかかるのと何をするか第三者からも分かってしまうのが難点と言える。
ちなみに無詠唱魔法とは広義では予備動作をなしに魔法を使う事であるが、実際には詠唱をしないで発動した魔法全般を指す。
無詠唱は言葉という形で魔法をイメージ出来ないので難易度は高めである。道具を用いる際は魔法を扱いやすくなるように作られている為、少々容易にはなるがやはり簡単な事ではない。
「……どうしようかしら?」
アリシアは小さく愚痴た。
彼女はまず無詠唱魔法(広義ではない方、つまりは何かしら媒体は使う)を使うか否かを考えたのだが、それは問わないと言うのだから厚意に甘えるべきであろうと一先ずは結論付ける。彼女の歳でそれを扱うならば後々厄介事にも巻き込まれかねないのだが、彼女はその程度と判断した。
次に考えたのは使う魔法であった。彼女には不得意な魔法は基本的にはない。しかし、得意と言えるほどに特別扱えるものもないのである。
「何を悩んでいるのですか?早く皆さんに手本として見せてください」
彼女はそういう意図があったのかと思い再度悩んだ。
「どんな魔法でもいいのですか?」
悩んだ結果、まずは教師に許可を得る事にした。
「この場にいる皆さんに被害が及ばなければ構いません」
「なら、攻撃魔法を行いたいので的を用意してくれませんか?結界が壊れるかも知れませんし」
「大丈夫ですよ、結界は相当丈夫なので全力でやったとしても壊れません」
「分かりました」
アリシアはどこからそんな自信が湧いてくるのか疑問に思ったのだが、教師としては最上級生の授業でも全力で行ってヒビが入る程度なのだから壊せようがないと思うのは自然である。
アリシアはまず右手の指を鳴らして左手に彼女の倍以上もの大きさの光の弓を造りだし、それで地面を殴り、陥没音を媒体に青白い炎の矢を造り、それをつがえて空に放った。
矢は易々と結界の天井を貫いた後に爆散したかと思いきや、小さな炎の槍を生み出し、少し前方の結界の天井を蜂の巣にし、そのまま雨の様に落下、そのまま彼女の前方の土をも焼き付くし大きな穴を開けた。
加えて彼女は弓を消した後に持っていた手の指を鳴らして半透明な青い膜を形成し、彼女と教師を含めた全員を爆風と熱風から保護した。
「これでいいですか?」
彼女はとても清々しい笑顔で教師に聞いた。その顔はどこか休日前に残り仕事を全て終えたサラリーマンの様な爽やかさがあった。
「…………穴はしっかり埋めてくださいね」
対して教師はとても気疲れを起こした様な顔でふらふらとしていた。
明らかにアリシアはやり過ぎであり、また彼女の実力を聞いてはいたものの見くびっていた教師は驚くのを通り越してしまった。
「大丈夫ですよ、ただの幻ですから」
アリシアがそう告げながら二回拍手を打つと先程の地面の穴も結界の穴も消え去った。
彼女はこの場にいる全員に幻を見せたのであった。彼女とてさすがに結界を壊すのは拙いと思ったのである。ちなみに幻を現実にする事も彼女には可能であるのだが騒ぎが起こるのは必至であるのは彼女にも分かったであろう。もっともどちらにせよ騒ぎは避けられないであろうが。
教師が半ば呆けている中、他の生徒は心底驚いていた。いくら幻といえど魔法を使った際の威圧感や少し肌を焼いた熱波、それまでもが幻覚であったのかと。
一般的な幻覚を見せる魔法は視覚を惑わす程度であり、他の五感に作用する程のものではない。
「先生?授業を進めてください」
アリシアは悪戯が成功した様な顔で教師に促した。教師は全力で行えと言ったのだから批判も出来ず、少し苛立ちながらも内心焦りつつ、予定通りの指示を出す事にした。
「では、先程のを手本として……というのは酷ですが、基本は同じです。順番に試しに何か魔法を使ってもらいます。うまく出来ない人はこちらの方で把握していますので、それも考慮しながらにします」
教師はそこまで告げると列を2つ作らせた。
「ではイットリアさんは片方の列の監視をお願いします。不慮の事故や暴走をしっかり止めてくださいね」
「はい?」
こいつ何を言ってるんだ、と顔をしかめるアリシア。彼女の考えは尤もである。
「先生!何故こんな小さな子に頼むんですか!?」
そして、当然異を唱える者もいた。
「魔法の授業を受け持つには条件があります」
教師は静かに語りだした。
「それは魔法を消せる事です。それには正確な魔力の操作が必要になります。ただ強い魔法を使って壁が作れても生徒を守れないのですから。しかもただ消せるだけではダメです。使った人への反動をいかに和らげる事が出来るのか、という事も必要になります」
例えるならば水の波紋を思い浮かべて欲しい。それを波源とは異なる位置からその波を完全に打ち消そうとする事は簡単だろうか?
弱すぎれば自らの方向に、強ければ波源に向かってしまう。また、位相が逆方向で一致しなければぶつかり合った時に波が増幅か減衰かは分からないが残ってしまう。
魔法でも同じだ。その魔法に使われる魔力と逆位相に魔力をぶつけて相殺する必要がある。しかし、それは困難極まりない。
アリシアはそれを聞いて納得はしたものの、魔力を波として認識していない彼らには非常に難しい行為ではないだろうかと思考を巡らせる。実態が分からないものをイメージで操るのは雲を掴むかの様な感覚だろう。それはそれは高い技術が必要に決まっている。
では何故教師はアリシアにそれが出来ると判断したのか。それは集団を魔法で錯覚させたからである。
実を言えば教師も五感に影響を与える思った通りの幻覚を見せる魔法は使えるのだ。しかし、1人にだけ。
人には十人十色といえる程の魔力耐性や適応性がある。幻覚を見せる類いのものは人によって見え方や効き方が異なってしまうのだ。よって集団にかければ効かない人も出てくるし、違ったものが見える人もいる。
それを全員に、同じ様に同じ幻覚を見せるという事をアリシアは行ったのだ。
「そして、それ程の実力があると判断出来れば委任出来ます。当然、責任は私が負う事になりますが。ですので普通は委任はしないのです。彼女を特別扱いする訳ではありません。実力を見ての判断だという事を理解してください」
その言葉は魔法を扱う者からすれば熟練者からの太鼓判同等の価値がある言葉だ。いくらアリシアといえどもそれは理解出来る。彼女は厄介な事を招いてしまったと悔やんだが後の祭である。どんな言葉を使って弁明しようとも既に証拠を見せている以上覆せはしないだろう。
「分かりました。ですが1ついいですか?」
「何ですか?」
「私の他にもいるかも出来る人が知れません。それを後で報告してもよろしいですか?」
「依怙贔屓をしなければ構いませんが、何も貴女は得をしませんよ?」
「先生もご存知の通り難しい事です。私はまだ体力もありません。今後もこの様な事があった時に私では倒れてしまいます」
「……そうですね。まだ身体が出来ていない貴女にさせるのは苦ですね。小さい頃から無理をして壊れてしまえば何も得ませんから」
教師はその様に言ったが、そんな事で身体が壊れる彼女ではない。彼女としては半分は面倒な気持ちであり、もう半分は楽しみを求めたいのだ。これから成長しそうな芽を探す事は花を育てる様なもの。ただ魔法が暴発しない様に監視をするのはとても堪えられないのであった。
それから滞りなく授業も進み、大きな事故も起こらずに終わった。
アリシアは自室に帰るや否や、ベッドに飛び込んで顔を埋めて叫んでいた。
「あああああぁぁぁぁあああ、やっちゃったわ!」
「何をどうしたというのだ」
「私はね、目立ちたくないのよ!」
「嘘にしか聞こえぬぞ」
彼の呆れた声が響く。
「じゃあどうすれば良かったのよ!」
「出来ないと言えば良かったではないか。嫌と断るのも手としてはあったな」
「嘘は吐きたくないし、頼まれたものを断るだなんて出来ないじゃない!」
「そういう点は律儀なのだな」
彼は一つ溜め息を吐いてから彼女に説いた。
「時にはな、自らの損得を考えて我が儘を言う事も選択せねばならん。この世に生まれてまだ幾年も経たぬであろうが主は転生した身だ。仮面を被らないとならぬ時もあろうが被りすぎて外れなくなってはいないか?」
「これを、これを外したら『アリシア』でいられなくなるわ。それに今はまだ外すときではないもの」
「そう判断しているならば我はもう何も言わぬ。しかしだ、一言だけ今言おう。『貴様はまだ子供だ。見栄を張るな』とな」
「そう……ね……。ありがとう」
彼女は埋めていた顔を上げて花の様に柔らかな笑顔を浮かべる。
「……そうか」