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始まりは溜息から  作者: このこな
第二章 学園入学編
15/19

『吸血鬼』


 アリシアは黒い鱗を響かせ、所定の位置に移動した。


 相手はというと、白金の如き輝きを放つプレートメイルを身に付け、その背には穂先に白い金属製の刃を備えた槍があった。


「それは……どうなのよ?」


 彼女は彼の持つ武器を睨む。


 彼女の記憶にはその武器には厄介な性質があったからだ。


 『セイントグレイヴ』というこの槍は『アンチマジック』と呼ばれる性質がある。

 『アンチマジック』とは名の通り、魔法効果を打ち消す効果であり、この槍には刃先に力が宿っている。『WORLD』において、この効果は厄介極まりないもので、それを持つものに触れるだけであらゆる魔法効果を掻き消してしまう。しかも敵味方関係無く、魔法によるデバフ(主に敵に使う、対象の能力を一時的に低下させるもの)ですら解除してしまうし、当然ながら魔法によるバフ(主に味方に使う、対象の能力を一時的に上昇させるもの)も敵味方問わず解除する。


 さて、この場において何故彼女は卑怯じゃないかと感じたのか。それは試合のルールが『魔法は自身へのバフ以外使用禁止』だからだ。

 しかし、かするだけでも解除されてしまうのだから魔法を使うのは無駄となる。加えて彼はバフを自らに施せるのだから、明らかに彼女は不利になるのだ。


「この武器を知っているのか?」


「ええ。何百もの吸血鬼の血を吸わせた銀を浄化する事で製錬された聖銀を用いた武器を知らない訳がないじゃない。……どこで手に入れたのかしら?」


 彼女は声色を変えて彼に問う。


 『聖なる』と名のつくが、その実体はアリシアの同族でもある吸血鬼の犠牲の上に作られた、ある意味呪われた銀を使っている。


「そうなのか……、遺跡で拾った便利な道具くらいにしか考えなかったが……、今では相棒だ」


「そう……、ならいいわ」







 始め、の号令の後にアリシアは背中の得物を構える。

 それと同時に彼も槍を構えた。


 2人は互いに図り合い、隙を探り合う。


 先に動いたのは彼の方であった。

 一瞬の間、僅かに彼女が周りの様子を観ることに気を使った時であった。

 その瞬間に彼の槍の矛先が手を貫かんと、あわよくば身体までも穿たんと迫った。


 この模擬戦、殺生は禁止であるものの、それ以外に規制はない。今回は更に例外として自己強化魔法以外も禁止ではあるが、それはつまり死ななければどんな攻撃でも認められる。

 急所への攻撃や致死性の毒の使用など、あからさまに殺める気がある訳ではなければいいのだ。

 その為、彼の攻撃は有効打ではあるのだ。


 彼女は持ち前の反射神経でそれを籠手で弾き、距離を取った。


「不意討ちだなんて……卑怯じゃないの」


「形式試合でない以上、不意討ちも立派な手段だろう?」


 そんな会話をしながらも彼らは互いを警戒し、動く事はない。否、動けなかった。


 その均衡を破ったのはアリシアであった。


 彼女は簡単な速度強化の魔法を自身にかけ、瞬きの間に距離を詰め、左から袈裟斬りを仕掛けた。その速さは筆舌し難く、蜂鳥の羽ばたきすら遅く見える程度であった。

 しかし、彼は槍を絡めて受け流し、そのまま石突きの部分を彼女に打ち付けた。

 それは鎧に阻まれたものの、彼女の攻撃の勢いをも利用した衝撃は逃げる事なく彼女へと襲いかかり、彼女は数mばかり吹き飛ばされた。

 彼女が飛ばされる最中、畳み掛ける様に矛先を伸ばし、彼は追撃を仕掛ける。五月雨突きという表現が的確であろう正に降りしきる雨の様な連続した突きは彼女に更なる衝撃を与えて行く。

 対して彼女も自己の強度を高める魔法を行使し、素肌の晒された部分までもが槍を弾く硬さへと引き上げられる。しかし、破魔の槍の一撃で魔法は霧散してしまう為、突きと突きとの刹那の間に彼女は魔法をやり直した。幸い、矛先に触れなければ破魔は発揮されず、また一瞬即座に打ち消される訳でもないので一度だけならば魔法で耐えられるのだ。特にこれは彼が槍を用いて疾風の突きを行っている為、魔法が消える前に攻撃がアリシアに届いてしまっているからである。

 彼もそれには気付いてはいたのだが、その様な無茶苦茶な魔法の使用はすぐに魔力切れを起こすと判断し、刺突の嵐を収めずにいた。


 対して彼女は徐々にだが豪雨を凌ぎ始めた。

 初めは稀に矛先を弾ける程度であったが、次第に確実に柄の部分から流す様に軌道をずらす様になってゆく。矛先に触れぬ様に矢継ぎ早に襲う雨を弾いていた。


 彼はそれに気付き手を止める。


「あら、もうおしまいかしら?」


「ああ、一年生で尚且つ最少年齢で入学して来た吸血鬼が予想以上にポテンシャルが高くて驚いた」


「私って有名なのかしら?」


「入学スピーチした癖に何を言う?それに3年の不思議ちゃんのお気に入りと来たら有名に決まっているだろう?」


 彼女は一瞬不思議ちゃんとは誰か分からなかったが、すぐに理解した。


「メナカイト先輩の事かしら?」


「そう……、だな。だが、納得も出来る。化物じみた魔力量と無詠唱魔法の行使。これはただ者ではないだろ、普通に考えれば」


 彼は無警戒に肩を竦めながら彼女に告げる。


「しまっ……」


 彼女が気が付いた時には既に手遅れであった。

 彼の発言の効果もあってか、周りの者全てが彼らに注目した。


「まあ、その歳で無詠唱なんか使えないだろうからタネがありそうだが……、その反応が事実だと語ってるな」


「む、無詠唱魔法なんか使える訳ないじゃないの」


 彼女は苦し紛れに食い下がった。

 しかし、誰が見ても彼女が隠し事をしているのは明白であった。


「それより、私の攻撃をどうやって受け流していたのよ。あの速さを見えた、だなんて言わないわよね」


 ここで彼女は論点を無理矢理ずらした。明らかに無理矢理なのはバレバレだが。


「簡単な話だ。非常に読みやすいからな。それに併せるだけでいい」


 彼女は即座に理解した。


「経験……かしら」


「ああ。獣とかならそれでいいが、人が相手なら通用しない」


「分かったわ。じゃあ、もっと速くなろうかしら」


 彼女は剣に魔力を注ぎ始めた。それに反応し、剣が淡く緑に光を放つ。


「行くわよ」


 小さな声で告げた瞬間に彼女の姿が掻き消えた。もちろん、正確には消えている訳ではなく、速すぎて彼の目には映らないだけであるが。


 彼は冷静に考えた後、回転しながら地面を石突き部分で砕き、その後震脚をした。

 細かで鋭利な無数の破片が飛ぶ。


 彼女は思わず足を止める。いくら防御を上げようとも速すぎるが故に礫片が貫きかねないからだ。


 彼はアリシアに対して今度は大きく振り払った。彼女は剣でそれよりも速く一矢報いてやろうとするも、剣と槍のリーチの差がここで顕れる。


「しまっ……」


 彼女が気が付いた頃には体は薙ぎ払われ、容易く宙に浮き、そのまま吹き飛ばされていた。


 しかし、彼女も無抵抗にやられる訳ではなく、羽を広げ宙に留まる。

 それから剣を振りかぶって思い切り空を切った。


 それに対して彼は咄嗟にその場を離れる。その数瞬後に大きな爪で抉られた様に地面が裂かれた。


「さすがに避けられたわね……」


 彼女は漂いながらぼそりと呟く。


「おいおい、いくら吸血鬼でもこれはないだろ……」


 対して彼は地上で少し冷や汗を掻きながら彼女への攻撃手段を考えていた。


 彼女の行った行為は至極単純であり、剣を振るった衝撃が地面にまで及んだだけである。当然ながら『だけ』では済まされない事であり、例え見上げるのも億劫になる大鬼が全力で振ろうとも再現できるか疑わしい。

 そんな行為を行えるアリシアの剣を受け流したのは正解だったと彼は思った。


 だが、ただ行うだけであれば強化魔法を限界まで行えば彼にも可能であった。

 それならば彼も迎撃方法があるではないかと思うがそれは違う。彼は持ち得る最大の魔力を持ってして強化魔法を使わなければ行えない。


 対して彼女は強化魔法を使ってはいなかったのだ。


「これは……まずいな……」


 彼女から一方的に攻める事が可能だと示され、彼は焦燥感を隠せなかった。


 しかし、圧倒的優位に立ったはずの彼女は地に降りた。


「何故降りてきた?」


「これが訓練だからよ。決闘でない以上、勝ちが目的ではないわ」


 そう、今行っているのは試合であり訓練だ。彼女の言う通り勝利する事だけが目的ではない。

 今、行っている事の真意は、経験値を得る事である。


「それを理解しているか……」


 彼は素直に感心する。

 初めて実戦を行う時にはおおよその人物が喧嘩の様に相手を負かす事に重きをおいてしまう。彼とて例外ではなく、気付くまではただただ慢心し勝つ事にこだわった。

 しかし、それは護衛依頼をする際に気が付いた。成功したものの決して誉められるものではない、つまりは失敗には繋がらないまでも小さなミスを犯してしまったのだ。幸い依頼主は無事ではあったが、少なくないけがを負わせてしまったのだ。

 それから彼は罪悪感にかられ、自らの行為を振り返り、答えを出した。

 その1つがこれであった。


「さあ、まだまだこれからよ」


 アリシアは一瞬で距離を詰める。


 対して彼は彼女に向けて突きを放った。


 その矛先は彼の、彼女の意思に反し、彼女の腹部へと吸い込まれた。

 彼は何らかの方法で対処されると思い。

 彼女は剣で弾こうと思い。


 しかし、互いの考えに反し、彼女の腕が動くどころか、彼女は脱力してしまった。


「な、なによ、これ……」


 彼女は痛さよりも自身に起こっている事に精一杯であった。


「力が入ら……ない……?」


 彼女はぺたんと座り込んでしまった。


 彼も様子がおかしいと思い、中断の旨を申告した。


「こんなに……陽射しが強かったかしら?」


 彼女の肌をジリジリと陽射しが焼く。


 先程まで戦闘していた場所は天井はないドーム状に作られていた。激しく戦うことが前提であるため、天井は危険物になり得るからだ。

 代わりに魔法で防護壁が貼ってあるのは余談であろうか。


 それはさておき、彼女の元へ彼が赴き、応急手当てだけでも試みる。


「ちょっ……どこ触ろうと……うぐっ……」


「おとなしくしてくれ。安心しろ、そんな貧相な身体に発情する程腐ってない」


 彼は苦しみ悶える彼女に止血を施しながら呆れていた。


「それもそれで失礼よ……」


 彼女は呆れながらも意識が遠退いていった。


「おいおい、気絶までしちゃったじゃねーか。あ、自分が運びますんで」


 彼は気絶したアリシアを背に乗せると、そのまま医務室まで歩を進めた。









「んっ……、ん?」


 アリシアが目を覚ますとベッドの中にいた。しかし、彼女にとって慣れ親しんだものではなく、どこか清潔過ぎるものであった。


「目が覚めましたか?」


 声の主は医務室の主である萌葱色のロングヘアーのエルフの若い女性であった。

 アリシアは何者かと一瞬警戒したものの、自身が何故この様な状況下にいるのかを思い出し、彼女がどの様な人物かを判断した。


「ええ、おかげさまで」


 まだ少し視界が揺らぐものの寝起きのものであろうと判断する。それからゆっくりと自らの身体を眺めると防具はベッドの脇に置かれ、インナーだけにされて寝かされていたのであろうと推理した。


「お礼なら貴女を運んだ方にしてあげなさい」


 彼女は優しく微笑んだ。

 しかし、すぐに表情を真剣な形へと変えた。


「ところで……、貴女が倒れた理由は、貴女自身は理解していますか?」


 アリシアは顔を歪めた。まるで知っていれば回避出来たという言い方であったのだから。

 アリシアは黙って少し俯いた。


「その様子では知らない様ですね。それは貴女が吸血鬼だからです。血が足りなかった、ただそれだけです」


 続けて彼女はアリシアに『吸血鬼』について説明をする。


 吸血鬼という種族は以前も説明した通り、外見的特徴は省くが、見た目から想像の出来ない肉体性能を誇るが日光の下ではその力は落ちてしまうといった種族である。

 しかし、アリシアは特異点であり、日光が障害にはならないはずである。


「貴女が特異点である事は知らされています。もちろん、漏らしたりはしません」


「なら尚更……」


 特異点である事は恐らくその事で問題が起きない様に知らされていたのだとして彼女は特に何も言わなかった。しかし、知っていればこそ、特異点であれば日光での能力の低下はないという事も知っているはずである。


「たしかに、貴女は日光の下でも支障をきたす事はありません。しかし、吸血鬼の力が弱まればそうもいきません」


 種族的な力が弱まる。

 その意味をアリシアは理解出来なかった。


「分からないのも仕方はありません。種族学という専門分野を修めなければなりませんから」


「はあ……」


「それでですが……」


 彼女はアリシアに種族とはどの様なものかを説いた。


 人(この場合は種族としての人ではない)は様々な種族があるが、自然的起因の種族と魔法的起因の種族がある。前者でいえば『人間』や『獣人』の類いが挙げられ、後者は彼女やアリシアの様なエルフや吸血鬼などが挙がる。

 前者と後者では生まれた過程が異なるといわれており、進化していく最中に魔法的要因が絡んだか否かという点である。


 後者においては前者よりも不自然的な特徴があり、魔法適正が極端で何かしらの特殊能力と例えられるものを必ず持っている。しかし、完全に魔力が枯渇した場合、肉体的には前者よりも遥かに弱体化してしまう。

 前者にも極稀に持つ者がいるように持たない者もいるという例外はあるが、基本的には絶対である。


 しかし、大きな力にはリスクを伴う。ある条件や制約を満たさなければ種族的な能力が衰えるというものである。

 彼女はそのリスクを知らなかったのだ。


 特異点は特殊であり、力が強い反面、リスクの影響が致命的に大きい。


 まず例としてエルフであるが、魔法適正と意思の察知に秀でている。周囲の自然や人物との魔力共鳴を無意識的に起こし、自らの魔力を増幅したり魔法の威力を跳ね上げる事が可能である。反面孤独に弱く、例えば独房へ放り込まれたりした場合、身体が十全に動かなくなるまでになり魔法もほぼ使えなくなる。

 しかし、それは種族的な力が裏返しに働いただけであり、それとはまた別に種族的力が根本的に低下するといった条件が存在する。

 エルフの場合は果実を食す事で種族的な力を補充出来る。一見簡単そうに思えるが、旅をする者には苦である。保存方法が確立していない面もあり、果実を保存食にする方法は乏しいからだ。

 乾燥させても長期に渡ればカビも生える。当然フリーズドライなどない。物量がなければならないので胡椒といった高価な香辛料といえど果実ではあるのだが足りない。つまり長期の旅路では現地調達が強いられるのだ。

 もちろん、種族的な力が低下するのだから、その裏返しであるものも軽減されるというメリットがある。エルフならば十分とはいえなくとも身体を動かす不自由はなくそれなりの魔法であれば使える様にはなるのだ。


 では吸血鬼ではどうか。

 初めに述べると日光に弱いのは種族的な能力の裏返しであり、弱点ではない。

 エルフ程ではないが魔法適正に秀で、身体を無意識中に魔力で皮膚の様に覆っている様な状態でいる。魔力自体の付与も少なからずあり、身体能力はエルフを凌駕する。魔力が保護膜となるので日光には弱くなっていったのだ。

 皮膚が弱いのは魔力的要因――つまり魔力による作用で皮膚が弱い――ではないので個人差はあるものの全体的に弱い。そして吸血鬼の能力がその魔力の膜の強さに比例する。弱いと膜も弱く、肌が焼け、微少ながらも意識出来ない程ではあるがストレスが発生し、魔力が安定化せず、それによって更に日焼けし、とループが起こるのだ。

 その点、特異点であるアリシアは日光をほぼ完全に遮れている。

 さて、そんな吸血鬼であるが、種族的な力の補充には他者の血液を摂らなければならない。これが吸血鬼と呼ばれる由縁である。


「そう……なのね……」


 アリシアには血を飲んだ記憶などない。

 つまりはそれが原因だったという訳である。


「しかし、貴女は変わっています。いくら特異点といえど、吸血鬼には吸血衝動が起こるはずです」


 普通、魔法的起因の生物には当然ながらある生存本能から、それらを自然と求める様になる。それは特異点とて例外ではない。

 しかし、アリシアにはそれがなかった。


 アリシアは眉をピクリと動かす。


「貴女自身の異常性に気が付きましたか?」


「私は確かに異常よ。まず、特異点な点。そして、それを前提にしても可笑しい馬鹿げている魔力。ただそれだけでも異常だというのに……」


「失礼とは分かっていますが、貴女は生きているの?」


「生きているのか……ね……」


 アリシアは素直に頷けなかった。

 生きてはいるのだが活きてはいるのか。それが彼女に疑問を抱かせる。


「私はこの世界に生きているのかしらね?」


「それはどういう意味ですか?今調べましたが貴女はちゃんと生きています」


 学園医はアリシアが思考に沈んでいる間に魔法を用いて生命活動の有無を確認していた。その魔法は仮に何者かによって亡者の傀儡に成り果てていた場合はもちろん、身体の健康状態といった基本的な事も調べられるものであった。

 本来のアリシアの実力であれば抵抗し偽装も容易であったが、思考に沈み呆けていた彼女にはそんな事は頭になかった。そもそも行う必要もないのではあるが。


「そういう意味ではないのよ……、そういう意味では……」


 アリシアは今にも消えてしまいそうな程に小さな声を出した。それは普段の彼女からは想像出来ない程である。


「何を思い悩んでいるのかは分かりませんが、今行わなければならない事をしましょうか」


 学園医はアリシアの悩みを保留にして、医務室の戸棚を漁り始める。しばらくしてアリシアに程よく冷えた赤い液体の入った一本の瓶を渡した。


「それを飲んでください」


 アリシアは無言で蓋を開けると、決していいとは言えない仄かに生臭い匂いが漂った。

 彼女は自棄になって嚥下すると鉄の匂いが鼻を抜ける。しかし、彼女にはどこか懐かしく甘美なものでもあるとも感じられた。


 アリシアが美味に感じるのも無理はない。彼女が口にしたのは紛れもなく吸血鬼の力となるものであり不可欠なものであるからだ。


「これは誰のもの?」


 アリシアは口にしたものが何かは理解したのだが、そこまでであった。当然だがそこまで判別する必要もなく、そもそもが非常に困難である。


「それを聞いてどうするのですか?まだ飲みたい、とは言いませんよね?」


 彼女の言葉にアリシアは口を噤む。


「吸血鬼にとって血液は依存性があるとは知っていましたが……、貴女はその程度で済むのですね」


「……どういう事よ」


「その血液は市販のもので、私にも誰のものかは分かりません。そして、中毒にならない様に鎮静剤が溶かしてあります」


「……私は軽い方なのね?」


 学園医はゆっくりと椅子に腰掛ける。


「平均、子供は3本、大人は5本は飲みます。この様にされたものでも、ですが」


「まさか直に飲むと……」


「ええ、ご想像通りです。国によっては禁止されています。一度にたくさん飲むと野生の獣の様に、いやそれ以上に獰猛に血を求めて暴れるらしいです」


 学園医は机上の本を1冊取ると、それを広げた。


「吸血鬼という種族が『人』ではなく『鬼』と未だに言われ続けるのにはそのためです」


「未だに……?」


 学園医の取り出した本は吸血鬼の身体構造などについて述べた専門書であり、広げられた見開きには簡単な歴史が著されていた。







 『吸血鬼』という種族はその昔、魔物に属するとされていた。

 それはまだ人――『人間』、『獣人』に始まり『エルフ』や『ドワーフ』、そして『吸血鬼』など――が等しく人間と呼ばれる以前の話。まだ『人間』以外は『亜人』として区別されていた時代。


 しかし、『吸血鬼』は『亜人』ともされなかった。 血を求めて人を殺す。それが一番の原因であった。

 その文化は極めて排他的であり純血主義であり、加えて当然高度な知能を持っていた。個々人は気紛れ屋が多く、他者に力を貸す者もいたが、気に食わなければ餌にもされた。何度か懐柔を試みようと、人と世界に認めさせようと努力した者はいたが、彼らの排他的な思考はそれを拒んだ。


 しかし、ある時1人の吸血鬼が『人間』と恋に落ちた。純血主義である吸血鬼の中では多種属と交わる事は禁忌であった。それが暗黙の了解でもあった。そして交わった者は処分されてしまうのだ。

 しかし、彼らはそれを行えなかった。

 恋に落ちた者は特異点であったからだ。


 純血主義である以上、同種属同士でしか交わらないが、それは劣等遺伝を大きくする原因となる。故に同種同士であろうとも、仮に特異点同士であろうとも生まれる事が極めて稀な特異点は彼らにとっては信仰紛いな程度まで神聖化される。

 そんな特異点が『人間』と交わってしまったのだ。


 そんな彼の相手は普通ならば亜人との交わりから蔑まれるはずであるが、それもなかった。

 彼女はたった1人の王族継承候補者、つまりは一国の姫であった。

 王とて許すまじとは思えど、彼の秀でた力は彼女を暗殺を始めとした国の転覆を狙う刺客や彼女自身を手込めにしようとする輩から1人で退ける実力があった。そんな彼を姫から離すのは拙いと思考が働くのは必然的であり、2人は結ばれた。


 彼女は彼を始め吸血鬼を人として認めさせ、また彼は同族に人族との共生を働き掛けた。それによって他国においても蠢いていた『亜人』と『人間』との平等化が動いたのだ。


 その後、わだかまりは少しずつではあるが消えてゆき、様々な問題も解決し、現在のあらゆる人が種族的に等しい社会となった。





と本には記されていた。


「これは事実なのかしら?」


 アリシアはあまりにも吸血鬼が立役者にされていて疑問視してしまう。


「ええ。生き証人がいますから」


「まあ……、エルフの特異点とかなら有り得るわね」


 記された時代は数十世紀前ではあるが、長命種なエルフの特異点であるならば有り得なくはない。


「本人が生きています」


 アリシアは情けなく口を開けた。


「え、あ、考えてみればそうよね」


 吸血鬼もエルフと並ぶ程の長命である。可能性としてはあったのだが、彼女はそれを敢えて切り捨てたのだ。

 それを認める事は自らの寿命をも認める事に等しいからである。

 『彼』は長い時を生きた訳ではないが、長い時は人を変えるという事は知っていた。アリシアは若さゆえに自らの変化を恐れているのだ。

 かの有名な旅行小説における不死となった者たちの様に、いずれは自らを認識できず醜くなってゆくのが怖く感じられたのだ。

 『死』というものは『彼』は一度は体験しているのだが実感はないのであった。しかし、それは『救済』を意味する時もあるが反面、枷を示す時もある。


 アリシアが再び深く考え込んでいると、学園医が顔を覗き込み、それから両頬を摘まんで引っ張った。


「ひゃひふるほよ(なにするのよ)!」


「大丈夫です。貴女が思っているよりも長生きする事は苦ではありません。当然別れもたくさんあるでしょうが、それだけ出会いもたくさんあります。努めなければ孤独にもなりません。人は独りでは生きられませんから」


 彼女は頬から手を放すとアリシアの頭を優しく撫でた。

 アリシアはハッと目を見開いて、それからいつもの顔に落ち着き、それから少し呆けたような顔で赤くなってしまった頬に手を添えた。


「ほら、病人以外はここにはいてはいけませんよ?」


 学園医はアリシアに彼女の装備一式を持たせてからぐいぐいと背を押して部屋の入り口へ向かわせる。

 アリシアは驚きながらも入り口まで向かうとそのまま立ち去った。


「……ありがと」


 学園医はそれが聞こえたのか否か、軽く微笑んだ。



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