三、王家墓守人レイラ
少年から大人の男性を救うパターンにシフト。いちおうインディ・ジョーンズ的な冒険もので感動風のハッピーエンドですが、悪役女性が恐ろしすぎるのと、ヒロインも主人公には優しくても悪人には情け容赦ないところがホラー的になっています。
一
イリスの谷は、エジプトはカイロから数キロ離れた砂漠にある古代エジプト王家の墓が密集する地域である。三千年前、盗掘を防ぐ理由で、当時の王が自らの遺体とともにおびただしい宝物を、この砂漠ばかりで何もない不毛の土地へ埋葬させ、後の王たちもそれにならった。しかし盗掘を防ぐのは難しく、ほとんどの墓が盗賊によって暴かれ、多くの貴重な文化遺産が闇で叩き売られることになった。
第一次世界大戦後の不安定な時代。ロンドン在住の若い考古学者ハリスは、イリスの谷にまだ発見されていない墓がいくつかあると踏み、単独で調査を開始した。大人数で目立った活動をすると、今も各国に巣食う盗賊団に感づかれ横取りされる恐れがあるためだ。といって一人では無理なので、ある敏腕なパートナーと組んだ。たてがみのような精悍なブロンド髪をした狐っぽいとがった顔の美女、リネルである。ハリスと同じ学者だが、数か月前、彼が大学で講義中にいきなり入ってきて、どっかと最前席に腰を下ろしたので、かなりのインパクトだった。
だからリネルとの付き合いは浅いが、その後向こうから何度もアプローチしてきて、同じエジプト方面が専門であること、彼がイリスの谷の残りの墓を探索予定なら、それの手伝いに自分が適任であること、などを何度も強調した。
ハリスは確かに助手が必要だったが、最初はこの押しの強い女性が本当にパートナーとしてふさわしいのか半信半疑だった。が、それはすぐに払しょくされた。リネルは古代文字の解読にすこぶる強く、そっち方面が弱かった彼にはありがたい存在だった。未発見の墓の位置を古文書などから割り出してくれたことで、彼女は絶大な信用を勝ち得た。ひと月もしないうちに、ハリスのほうから計画を持ち掛けて進めるようになった。成功すれば、この二人が新しい王家の墓の発見者として歴史に名を刻むはずである。むろん、そのことは二人以外の誰も知らない。前述のように、計画が漏れて盗賊団に知られたらコトだからだ。
「このライトス王の墓が見つかれば、」
ハリスはカイロの空港でタクシーを待ちながら言った。周りに誰もいないので耳打ちまではしないが、それでも顔を近づけて声をひそめている。
「ぼくらのことは教科書に載ることになるよ」
嬉しそうに言う相方に、リネルはやや苦笑して言った。
「そうね。でもまだ決まったわけではないわよ。これがもしハズレだったら」
「大丈夫さ。君の計算は完璧だ」
ウィンクするハリス。どちらかというと無骨で、決して男前とは言えない顔立ちだが、その笑みにはどこか人を安堵させる温かみと、春風のようなさわやかさがある。
「墓は、あの位置以外ありえない」と笑う。「宝物も見つかったも同然だよ」
ギャンブラーは皆そうだが、勝つことしか考えない。そして探検家はある意味ばくち打ちそのものである。まじめな考古学者といっても、探検や発掘は金もかかるが、時に命の危険もともなう。遺跡の発見は一か八かのでかい賭けなのだ。
二人とも上は探検家らしいポケットの多いベージュのサファリジャケットでズボンも同じ、頭も同じ色の広めのつばをした円筒型のサファリハットである。途中でラクダに乗り換えて砂漠を越えると、イリスの谷に着いた。ここはあらかた発見されつくして発掘跡がそこかしこに点在しており、今はほとんど気にされておらず無人である。今更こんなところへ来る物好きはこの二人くらいだった。それでも夜は温度差や犯罪者(ここにいなくても道中は普通にいる)などでいろいろ危険なので、昼のうちに仕事を済まさなくてはならない。
案内を帰すと、さっそく手つかずの場所へ行ってみる。リネルが無数の古文書の記述を照らし合わせて見つけたそこは、エジプト王朝〇〇代王、ライトスが眠っているはずだった。谷のずっと奥、とある切り立った崖の壁面に怪しい箇所があった。スコップで叩いて赤土を削るうち、果たしてそこに深く細長い溝が現れた。さらに削ると、溝は四角い仕切りの線で、明らかに入口になっている。もし開けば人一人が入れるほどの大きさで、アパートの一室のドアとそう変らない。
ハリスは異常興奮したが、まだ早い。二人であけられなければ人を使うことになるだろうし、そうなると日を改めねばならない。が、ハリスはそのうちにもこの世紀の発見に足でも生えてどこかへ逃げるのでは、というほどの焦りを感じた。
が、それは杞憂だった。溝から砂を大量に削ると、入口は簡単に押し開けることができた。夢でも見ているかと思った。いやこれは現実だ。思い直して入る。
電灯を向けて現れた内部は、装飾はよその墓ほどきらびやかではないが、四方の壁が黄金色で、描かれた壁画から、ここが求めていたライトス王の墓であることは間違いなかった。
しかし進むにつれ、ハリスはいささか失望した。王の墓ならかなりのトラップがありそうだが、ろくにそんなものはなく、落とし穴の類も杖でつつけばすぐ分かる稚拙なものだった。またよその墓はかなり大規模で、中世のゴシック建築の寺院を思わせる広さと奥行きがあるものが多いが、ここはそれらに比べるとかなり狭い。通路の幅は人二人が並んで通れる程度で、天井もホテルのワンルームのそれを見上げたときより多少高いくらいだ。要は山にあいた洞窟程度の規模で、深さはありそうだが、とてもここへ貴重な王の遺体が埋葬されているとは思えない。
だが、こういうフェイクはよくあるし、どこかよそに本物の墓室があって、それも案外近くかもしれない。それに墓がなくとも、無意味ということはありえない。王の宝物の類は必ずあるはずだ。
それを思えば失望など吹っ飛んでしまった。とくに古文書に記述のある黄金の壺「ラエルの首」を発見できれば、考古学史上の大発見になる。それほどに今まで多くの学者、探検家が血眼で探してきた幻の一品なのである。
かなり奥の間へくると、祭壇があった。これもほかとたがわず金一色だが、壇上に置かれたあるものが問題だった。高さはざっと二十センチほど、大ジョッキほどの大きさの金の壺は、まさに求めていた宝物「ラエルの首」に違いなかった。こっちを向いた壺の表面に、それぞれ刻まれた太いハの字の目、その下のこれも太く短い横一文字の口が見える。一見穏やかだが荘厳さも備えた不思議な顔。
二人のテンションは爆上がりだった。むろん仕掛けがあるに決まっているので慎重に近づき、ハリスがそっと手で触れたがなにも起きない。ゆっくりと取り上げると、下でかすかにゴゴッという音がした。彼の「伏せろ!」の叫びで二人が床に這わなければ、目の前の壁の穴から飛んだ鋭い矢に貫かれていただろう。
だがそれ以上は何も起きず、二人はとりあえず無事に出口まで引き返した。初日から大収穫だった。興奮を隠せないハリスに、リネルは手を出した。写真を撮っておくのである。壺を渡すと彼女は急にニヤニヤしだした。
「なんだ、どうした?」
彼もまだ変なテンションのまま笑みで聞くと、「記念写真を撮りましょう」と言い、機嫌がマックスの彼は快く引き受けた。まず彼が全身ショットのため少し奥まで退いて二枚もらうと、次に後ろ向きを欲しがられた。
「後ろ? なんで?」
「意味はないわ。白状するけど、あなたの後姿が好きなだけ」
「そうか」
半年にもならない付き合いで恋愛感情は皆無だったが、そういわれて悪い気はしない。彼は背を向けて立った。出口から十メートルは離れている。「そう、そのままでお願い。かっこいいわよ、あなたの背中」などと声が遠ざかり、なにか妙な気がしたときは、もう遅かった。
振り向いた彼の目先で、扉がバクンと閉まった。
駆け寄ったが、押しても引いても石の戸はびくともしない。
思わず名を呼んで無意味に平手でばんばん叩くと、外からくぐもった女の声がした。
「悪いわね、この扉は中からは開かないみたい」
「リネル、どういうことだ?! 冗談なら分かったから、もうあけてくれ!」
「冗談じゃないわよ」
女の声が無感情になり、彼をぞっとさせた。
「このラエルの首さえあれば、私は最高の名声と地位を得られる」
「おまえ、最初からそのつもりで……?!」
愕然とするハリスに、リネルは笑いながら面白そうに言った。
「ええ、ライトス王なんかどうでもよかったの。ただ、この伝説の宝物さえ手に入ればね」
「ここに閉じ込めても、すぐ誰かが来るぞ」
「こんな誰も気にしてない場所に来ると思う? まあ来ても一年後くらいじゃない?」
ハリスは絶望にかられ、半ば自暴自棄になって叫んだ。
「り、リネル頼む、あけてくれ! それはやる! 俺はもう、この話からいっさい手を引くから、あとは好きにしてくれ!」
「これ以外は興味ないって言ったでしょ。悪いけど、あんたはここでミイラさんのお仲間になってもらうわ。それじゃ」
「ま、待て、リネル! 畜生、このままじゃ済まさんぞ!」
最初は怒りにかられる元気があったが、そのうちに、あんな女を信用した己のふがいなさを後悔し、落ち込んだ。
そして死の恐怖に襲われた。
二
万一出口か、裂け目でもないかと隈なく探したが、そう深くもないこの洞窟には、蟻一匹外へはい出る隙間もなさそうだった。二時間後には諦め、あの首の乗っていた忌々しい祭壇の下に座り、頭を抱えた。
もしや、誰かがこの谷に来るのでは、と思ったが、その可能性はなさそうだった。あの女のことだ、ホテルには俺が先にチェックアウトしたとでも言ってしらばっくれるはずだから、誰かが疑って探しにくるなどありえない。
ここには召使だろうミイラの棺がいくつか立っていて、あの首と一緒に埋葬されたのだろうが、そこに自分も加わることになっちまったのだ。探検に危険はつきものといえど、仲間に裏切られて殺されるなど、最低の死に方だろう。
それでもハリスは何か策はないかといろいろ考えたが、考えるほどに可能性が消えるので、そのうち考えるのをやめた。時計は夜十時をさし、底冷えしてくると、ますます絶望がつのった。飢えより寒さで死ぬかもしれない。バッグを探ったが余計な衣服はなく、食糧もビスケット一枚という救いのなさ。
ふと壁に立てかけてある棺を見て、中のミイラを追い出して入って蓋をすれば意外とあったかいかもしれない、などと思った。そのまま死んでミイラになれば、あとで発見者が古代の貴重な資料と勘違いするかもしれない。
(ふふ、だまされた俺が、今度は身をていして学会をだますわけだ……)
皮肉な考えにふと場違いな笑いが出て、しばらくうつむいたままヒヒヒヒとむなしく笑い続け、やがてそれは悲痛な嗚咽に変わった。
なんて無様な。
こんな間抜けな最期ってあるか。
しばらく泣いていると、誰かが目の前に立っているのに気づいた。絶望のあまり幻覚を見たかと思ったが、そうではなかった。
それは、エジプト人の若い女だった。
まとっているのはエジプト民族衣装のガラベーヤという長いワンピースで、濃い赤と黒を基調にした暗いがシックで落ち着いた感じの色彩。右肩から腰にかけて渦巻型を連ねた金のモチーフが流れるようにおりて、へそあたりで折り返してまた左肩まで上がり、背まで続いている感じ。下の長いタイトスカートになっている部分も、右足首の上から金の渦巻模様が同じく腰まであがり、やはり折り返して左足まで降りていて、いっけん豪華ではあるが、同時にしっとりした品を感じさせる装飾だった。
肩までの黒髪はさらさらのストレートで、金のヘッドバンドをつけているが、これもきれいだがケバい感じはない。足元は普通のサンダル。
だが衣装よりもその落ち着きは、もしろその顔とたたずまいから来ていた。褐色肌の細面で、周りを黒のアイシャドウで染めた細い目と、よく通った鼻筋ときりっとした口元は完全にエジプト風の美女だったが、目は細いが視線が柔らかく、どこか優し気で温かみを感じさせ、それは深く傷ついた彼を多少は落ち着かせる効果があった。
しかしすぐに思ったのは、こんなところに自分以外の人間がいるはずがない、ということだった。リネルが連れてきて外から入れたとしても、そんなことをする理由がないし、だいいち戸があいたら音で分かる。ここは探しつくしたから誰もいないはずだし、仮にどこかに隠れる部屋でもあったとしても、ここはふさがってから何千年も経っている。人が出てくる自体がありえない。ということは……。
つまり、こいつは人間ではない、ということだ。
ぞっとなったハリスに、女はいきなり口をひらいた。王族を思わせる品のあるきれいな声で、静かに歌うような優雅さがある。
「こんなところに人間がいるはずがありません」
そう言うと、座り込む男を見下ろすようにして聞く。
「あなたは、人ではないのですか?」
「そ、それは、こっちのセリフだ!」
嫌な予感でいっぱいだったハリスは、やっと答えた。
「あんたは人間なのか?」
「私はレイラ」
姿勢を正し、凛とした顔で答える女。
「ここの墓守人です」
レイラは名乗ると、視線を彼の後ろの祭壇に向けて続けた。
「三千年前、私はライトス王様のお世話をする側近でした。王様が亡くなるとき、この宝物庫にラエルの首と共に埋葬され、以後、ここでずっと宝物を守ってきました」
予感は当たった。やはり、このレイラという女は幽霊だ。それも何千年もここにいたという、筋金入りの大妖怪である。
彼がビビっても仕方なかったが、女は祭壇を見つめたまま言った。
「壺がないようですが……。あなた、盗りましたか?」
こっちを見ずに聞くので、ハリスはあわてた。
「ち、ちがう、俺は盗賊じゃない! 学者で、調査にきただけだ! ほんとだ!」
「生きた人間ですか。ここは扉が閉まると外からしか開きませんし、その様子では」と彼を見下ろす。「どうやら、仲間にはめられたようですね」
「そ、そうなんだ!」
ことのほか理解が早いので、彼は堰を切ったようにいきさつを一息に話した。終わるとレイラは目を閉じ、内省するように言った。
「三千年間、なにもなかったので油断して、ちょっと外出したのが悪かったようです」
「外に出られるのか、あんた?!」
「壁を抜けられますから。たまにカイロのあたりまで行ったりします。そこまでなら行けますので。……あなた、お名前は?」
「ハリスだ」
「ハリスさん、こちらに来てください」
レイラは彼を入口まで連れてくると、彼の泊っているホテルの番号を聞き、「ここで三十分ほど待っていてください」と言い残すと、扉をすーっと抜けて出て行った。思わず飛びついたが、そこは冷たい石の塊しかなかった。これで彼女がこの世のものでないことを確信した。
だが、恐ろしさはもうなかった。思いがけず自分の前に現れた、このいちるの救いの可能性にすがり、戸の前に座り込み、ただ奇跡を願った。帽子を取って胸にあて、うつむいて祈りさえした。イエスさま、マリアさまをわきに置き、まずはあのレイラさまに、「どうか、この愚か者をお助けください……」と心から祈った。
だが三十分もしないうちに戸がギリギリと派手な音を立ててあき、隙間からのぞいたその顔を見て、彼は祈りが真逆に届いたと思った。それは宇宙一見たくない顔だった。
「リネル?! てめえ、今さら何しに来た!」
思わず立ち上がって怒鳴るハリスを、リネルは手で制して言った。
「大丈夫、私です」
「えっ?」
驚いて顔をよく見ると、確かに形はあの女だが、あのいつも浮かべていた勝気で乾いた笑いとはまるで別人の、はるかに落ち着いた穏やかな顔つきになっていて、口調もやわらかい。
ハリスはすぐに気づいた。
「れ、レイラさん?!」
「はい」と、にっこりする。「とりついて、連れてきました。私では扉を開けられませんので」
当たり前だが、今までに見たことのない、しっとりした微笑みだった。
ハリスは感極まって叫んだ。
「ああああ! あ、ありがとう! ありがとうございますううう!」
そしてひざをつき、目の前の女に大感謝し、はらはらと泣いた。
「レイラさまは命の恩人です! 本当に、うううう」
「いえ、あなたを見殺しにする意味はありませんので」
連れが泥棒だったのなら、彼のことも疑いそうなものだが、そんなそぶりはまるでなかった。ハリスは彼女が本当に優しい女だと知った。
が、感動したその直後だった。レイラは中に入ると、彼に出るように言った。
「外から閉めてください」
「えっ、そいつはどうなるんですか?」
驚いて聞くと、幽霊はなんでもないように言った。
「いいでしょう、あなたを殺そうとしたのですから。自業自得です」
「今度は、そいつがここで死ぬってことですか?」
「はい」と、涼し気に微笑する。「壺はあなたに差し上げます。ここに戻しても、また盗賊に取られるだけですから。あなたなら、ラエルの首をちゃんと扱っていただけると思うので。王もその方がお喜びかと」
「はあ、壺はいいですが……」
未来が開けたハリスは、さっき受けたむごい仕打ちをすっかり忘れていた。何より自分がさんざん感じた死の恐怖を、今度は誰かが同じようにこうむると思うと、耐えられなくなった。
彼は言いにくそうに言った。
「せっかくのお気遣いですが、すみません。確かにそいつのことは大嫌いですが、ここで私の代わりに苦しんで死んでいくというのは、その……。それも、あなたの目の前で……」
「私なら気にしません。罪人の朽ち果てるさまは、よい暇つぶしになります。私もここで死んでいきましたから」
「ええっ、するとあなたは、生きながらここへ?!」と驚愕するハリス。「すみません、てっきり亡くなってから埋葬されたとばかり……」
「驚くことはありません」
涼しい微笑のまま、またなんでもないように言う。
「王のために供物になるのは、側近として、この上ない名誉なのです。墓守人という大事な役目を死後も果たせることは、私の最高の幸せでもあります。ただ……」と自分を指す。「こいつの死は、ただの汚名でしかありませんが」
あくまでリネルを殺す気満々のようなので、ハリスはあわてた。
「その、そいつの件ですが。もしここで殺してしまうと、私はたぶん、ことあるごとに思い出して、一生嫌な気持ちで生きることになってしまいます。それには、きっと耐えられません。そいつをホテルに帰して、壺を取り返したら、そいつにはもう、二度と関わりません。それでお願いできませんか?」
「そうですか」
レイラは目を閉じると、彼をこの上なく優しい瞳で見つめた。
「そうおっしゃると、どこかで思っていました」
二人は外に出て、戸を閉めた。もう深夜で、黄色い満月が、幽霊と探検家をこうこうと照らしている。
三
実はレイラはホテルでリネルにとりついたとき、部屋をざっと探したのだが、なにも見つからなかった。
「体は自分の自由に動かせますが、頭の中や、記憶を覗くことはできませんので」
ホテルの白い階段を上がりながらレイラが言うと、隣でハリスはうなずいた。
「部屋のどこかに、隠し場所があるはずです。もう一度、探してみましょう」
しかしベッドの下からトイレから天井裏まで、あらゆるところを探したが、ラエルの首のかけらもない。二人はベッドに腰かけた。
「ここに戻ってすぐに、どこかへ送っちまったかもしれない」とハリス。「それなら、お手上げだ」
「もうすぐ夜が明けますね」
窓のカーテンをめくり、白くなりつつある空を見て、レイラは言った。その横顔には、あきらめの笑みが浮かんでいる。
ハリスはたまらなくなった。命の恩人がいま、一番大事な宝物のことをあきらめようとしている。彼女のためなら、なんでもしたかった。なのにできない。そんな自分が世界一嫌だった。
「壺が闇で取引されてしまっても」と、外を見ながら言うレイラ。「それが運命だったということです。あなたは気にしないでください」
「で、でも」
「私と王のために、とてもよくやってくれました。それだけで充分です。
でも、そうですね……」
彼女は窓から離れ、彼を向いて続けた。
「今朝、空港から飛行機で発つとき、窓から西の方角を見てください。どこかに私が立っていたら、そっちへ手を振っていただければ、それで結構です」
「手を? それだけでいいのですか?」
「はい。それが私には、とてもありがたいことなのです」
不思議に思ったが、承知した。
レイラはベッドに寝てからリネルの体から抜け、眠っているのを確認してホテルを出た。別れをかわしたハリスは、朝一の便でカイロを発つことにした。
翌朝、空港で旅客機のタラップを上るハリスの姿があった。もう帰国するだけなので、服は来た時と同じ黒の背広である。深夜、リネルに気づかれる前にホテルを抜け出して空港近くの安宿に泊まり、夜明けを待って移動した。
よく晴れた日で東の空を白く染める朝日がまぶしかった。機内に乗り込むと、座席はちょうど西側の窓際だったので、飛び立つとき窓の外を食い入るように見た。
レイラは自分を見つけろと言ったが、それができたとしても、逆に旅客機に並ぶ十数枚の窓の一つにいる自分の姿など、向こうから見えるのだろうか?
いや、相手は人間じゃない、幽霊だ。それも三千年もやってる筋金入りのベテラン、現場のたたき上げのプロである。点のような乗客の一人くらいは楽に感知できるのかもしれない。手を振れという理由は分からないが、とりあえず彼女の姿をまた見れるのはうれしかった。
ふと敷地の向こう、空港のフェンスの上に誰かが立っているのが見えた。遠いので顔は分からないが、明らかに彼女だ。服装と体型から分かるだけではなく、そもそも、そこは人間が立てるような場所ではない。間違いなく彼女だ。
レイラは朝の陽ざしを受け、年季の入った霊どころか、まるでたったいま天上から降りてきた女神のように、きらきらと純白に輝いている。それは目を見張るほどに、壮絶なほどに美しかった。彼はそこに何千年にもわたる太古の歴史を見た。じっさい、彼女はその命をかけて主の墓を守り、生きてきた遺跡そのものなのだ。
ここからとても見えるとは思えなかったが、それでも手を出して何度も振った。通路側に座っている相席の老婦人は変に思ったろうが、まるで気にならない。するとレイラも右手をあげ、大きく左右に振って答えた。
(やっぱりわかったんだ!)(さすがはレイラさん!)
ハリスはあまりのうれしさに、女神の姿が見えなくなるまで、満面の笑みで手を振り続けた。実は隣の婆さんも身を乗り出してこっちを見ていたようで、あとで何を見ていたのかと聞かれた。これで彼女が自分にしか見えていなかったとわかった。彼は苦笑し、適当に「遠くに知り合いがいまして」と答えておいた。
四
旅客機が空港から飛び立ち、まだ十五分もしない頃だった。ハリスが頼んだ朝食のナプキンに、小さな二つ折りの紙が挟まれていて、ひらくと妙なことが書いてあった。
「おめでとうございます。お客様は今機の機内ゲームにて一等に当選いたしました。結果は他のお客様には内密ですので、おひとりで午前九時までに最後部の貨物室においでください。なお時間が過ぎますと結果は無効になります。お客様にはぜひとも、素晴らしい空の旅の思い出をお持ち帰りいただきたく思います。〇〇空港」
腕時計を見ると、あと数分で九時だ。ずいぶんあわただしいなと思ったが、気分がよかったので、食事もそこそこに席を立った。
荷物は先にコンテナに積まれて貨物室に入れられるので、乗客がそこに入ることはまずない。通用口のドアが開いていたので、ハリスはそのまま入った。もらった紙に地図が描いてあったので場所は分かったし、なんせテンションが高かったから、初めて入る部屋でも、ためらうことなく意気揚々と靴音を響かせた。なんか知らんが当選したというんだから、悪いことのはずはない。昨日からさんざんな目にあったし、このくらいはあって当然だ。そもそも、こうして生きて帰れるだけでも結果オーライ。などと考えた。
貨物室は照明がついていて明るく、赤さびたコンテナが大量に並んでいる。通路は人一人が楽に通れるほどの幅だ。見ればコンテナに矢印の描かれた紙が貼ってあり、その通りに進んだ。面白いのでますます高揚し、スキップしそうな足取りになった。
が、一番奥まで来ると、急に不安に襲われた。
なにかおかしい。
こんな予告もなくゲームとか、旅行会社が企画するか?
そんな話は、ほかに聞いたことがない。
行き止まりの壁の前で立ち止まると、背後からガラガラという異様な音が近づいてきた。振り返ると、それは一人のスチューワーデスがカートを押してくるのだった。さわやかな水色の制服で、ベレーふうの帽子をかぶり、うつむき加減で顔は分からない。カートの上には大きな皿に、料理が冷めないために使うドーム型の銀の蓋がしてあり、どうもそこに景品が入っているようだ。いきなり現れたのはサプライズのつもりだろうが、ハリスは何か不穏なものを感じ、食い入るようにそれを見つめた。
どこかで会ったことがある。
思い出す前に一メートル先あたりでカートは止まったが、スチューワーデスは押した格好のまま動かず、張り詰めた空気が流れた。
(あっ、こいつ……!)
はっとしたとき、女は口をひらいた。
「おめでとうございます。一等の景品でございます」
そして皿の蓋をあけた。ハリスは目を丸くした。
そこには拳銃があった。
さっと取り、顔をあげる女。
嫌な予感が的中した。
それはつい昨日の晩、彼を殺そうとした女だった。
「リネル……!」
後ろの壁に背をつけ、あえぐように言う男に、リネルは銃を向け、無感情な目で冷たく言った。
「ラエルの首はゴルフのクラブケースに入れて、フロントに預けといたのよ。このために、あんたに秘密で買っといたの。部屋をいくら探してもなかったでしょ? 残念だったわね」
「ま、待て、俺はもう宝なんてどうでもいいんだ!」
ハリスは手で制しながら必死に言った。
「やるよ。君が一人で手に入れたってことでいい。俺は今後、もう二度と君にはかかわらない。このことはいっさい誰にも言わない! ほんとだ!」
「わかってないわねえ」
あくまで銃を突きつけたまま、にやつく女。
「あんたがこの世にいるだけで、私は安心できないの。あんたがやらなくても、ほかの誰かがあんたから宝のことを聞き出して、私を脅すかもしれない。少しでもその可能性があっちゃ、ぶち壊しなのよ、わかる? 能天気さん」
そして急に唇をかみ、嫌そうに顔をぐっとしかめて続ける。
「部屋にエジプト女の幽霊が来てさ。壁を抜けて迫ってくるから驚いたわ。気が遠くなって、気が付いたらベッドにいたんだけど、服が泥だらけなんでピンときたわ。あの幽霊が私に乗り移って、あんたを助けたんでしょ。今朝、空港で調べたら、案の定、乗客にあんたの名前があるじゃないの。だからこうして、わざわざ芝居まで打ったのよ。どう、楽しんでもらえたかしら?」
なんて鋭い女だと思ったが、こいつの賢さはよく知っているはずだった。ハリスは改めて自分の人を見る目のなさを悔やんだが、今はそんな場合ではない。
「たのむ、たすけてくれ! 見逃してくれ!」
土下座して懇願したが、リネルは銃口を下げただけだった。確実に頭に狙いをつけ、薄笑いで言う。
「脅しだと思わないでよ」と、右の壁に一発撃つ。ビュンと鈍い音が響いた。「ひいいっ!」と涙目で壁に飛びのき、背をつけるハリスをあざ笑い、うっすらと硝煙のたつ銃を再び向ける。
「消音だから誰も気づかないわよ。ドアも鍵かけてるから誰も来ないし。もう、あきらめなさいな」
そしてカチリと撃鉄を引く。ハリスはあまりの恐怖にうずくまって頭を抱え、思わず幼い子供のように、ある人の名を叫んだ。
「うわあああー! レイラあああー!」
「あの幽霊のこと? 無駄無駄、こんなところまで来ないわよぉ」
けらけら笑う女。確かに、レイラはカイロ周辺までしか行けないと言ったので、こんな何キロも離れた上空まで来てくれるはずもない。
絶望に泣きぬれて見上げるハリスの眉間に銃口を向け、苦々しく言うリネル。
「まったく、あんなエジプト女さえいなけりゃ、こんな手間をかけずに済んだってのに。まあ、いいわ。今度こそさよならよ、お人よしのせんせ……」
急に黙ったのでハリスが見ると、リネルは寄り目で自分の胸を見下ろしている。そこから、一本の細い女の腕がつきだしていた。その手は顔まで上がり、立てた人差し指が、「しーっ」といさめるように、彼女の唇にあてられた。
「レイラ?!」
ハリスの叫びと共に、リネルの背後にいたレイラは、その体に入った。顔つきが変わると、彼女は銃を放り捨てて言った。
「私は朝日を浴びて殿方と目があうと、移動範囲が広がるのです」
そしてわきの壁際まで行った。
「もうこうなっては、こいつは殺すしかありませんね」と壁の扉の取っ手に手をかけ、ハリスを振り向いた。「どこかに、しっかりつかまっていてください」
彼がコンテナにつかまると扉をあけ、たちまち吸い出されるすさまじい量の空気と共に、ひょいと外に飛び出した。扉はバクンと閉まり、すぐにそれを抜けて、レイラだけが戻ってきた。ハリスは腰が抜けた。
それでもコンテナをつかんでなんとか立つと、レイラは彼に微笑してすまなそうに言った。
「すみません。結局この先、嫌な思いをすることになってしまいましたね」
「と、とんでもない!」
ハリスは前に自分が言ったことを思い出し、両手を振った。レイラがリネルを墓に閉じ込めて殺そうとしたとき、彼は「生涯それを思い出して苦しむことになるから、やめてくれ」と頼んだ。だが、それが今、目の前で実現してしまった。
しかし、その決定的な事件も、ハリスの胸に燃える感謝の念を、わずかでもそぐことはなかった。
「あなたには二度も命を助けていただいたんです!」とハリス。「不満なんてあるはずもない。ありがとう! 本当に、ありがとうございます!」
「いえ私も、ハリスさんのおかげで、こんな空の旅までできましたから」
レイラは微笑んで言ったが、それにはかすかな陰りがあった。
「……あいつは本当に恐ろしい女でした」
ふと暗くつぶやくハリス。
「たとえ今、見逃してやっても、あいつはこの先、どんな手でも使ってでも俺を殺そうとしたでしょう。ああするより他なかったと思います。レイラさんに罪は全くありません」
「ありがとうございます」
そう言ったレイラの微笑みから寂しさが消え、代わりに陽ざしを受けて流れる川の水のような、温かい優しさが広がった。ハリスはそれを見つめながら深い安堵を覚え、同時に生きていることの喜びすら感じた。
「もう、ここまででお別れです」
「そ、そうですか」
ふいに言われて戸惑ったが、仕方がない。行動範囲が広がったといっても、限界があるのだろう。それがもうすぐなのだ。
ハリスは悲しみすら感じたが、ぐっとこらえ、満面の笑みで言った。
「感謝します」
「ラエルの首は、あなたに差し上げます」とレイラ。「あなたなら、きっと正しく扱っていただけると思いますので」
「もちろんです。エジプトと交渉ののち、どちらかの博物館に置かれると思います」
「それは、とてもありがたいですね」
レイラは壁に向かって歩きだしたが、ふと振り返って言った。
「お約束を守らなかった代わりと言ったらなんですが……。この先、もしもあなたが何か辛い思いをしたり、苦しんだときは、私の墓にいらしてください。入口で呼ばれれば、いつでもお会いして、必ずあなたのお力になりましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「ではハリスさん、ごきげんよう」
王家墓守人はそう言うと、壁にすっと消えた。機体は一路、ロンドンを目指して飛んでいく。(終)
元はカトリーヌ・アルレーの鬱ミス「わらの女」が嫌すぎて、男女を入れ替えて女が男をだます話にならないか、と思ったのがきっかけで、これが生まれました。しょうもない話ではあっても、まあまあ読めるとは思うので、結果オーライです。いつものように女性に男性が救われればそれでよく、設定もいい加減なので、エジプトにこのような王の側近を生きたまま墓に埋めるような習慣があったかは不明です(おそらくは無い)。




