第8話 忠告は届かない——偽鍵と油膜、早朝の自爆
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第8話は「旧区画突入」そして“忠告無視が確定する回”です。
レインは長々と論破しません。鑑定して、事実を置いて、手順で勝つだけ。
急がされ、偽鍵を使い、油膜を踏み——相手は自分でフラグを踏み抜きます。
それでは第8話、どうぞ!!!
ギルド裏口の石段は、夜露の名残でひんやりと濡れていた。
まだ朝と呼ぶには早い。空は薄い藍色のまま、街の灯りだけが点々と残っている。
こんな時間に動く理由はひとつだ。
出発前。
ギルドマスターは受付奥の小部屋で、レインにだけ短い指示を渡していた。
「旧区画は“事故”で閉じた場所だ。だが、事故が続くのはおかしい。……調査班に求めるのは解決よりも、まず“証拠”だ」
「証拠があれば、運用を正せる」
「そうだ。正せば、次の被害が止まる。——そして、止めた者の評価は上がる」
ギルドマスターは机の上に、革袋を二つ置いた。
一つは補充用の粉。もう一つは薄い金属板の束だった。
「これは?」
「現場タグだ。番号を打ってある。怪しい箇所、拭いた箇所、罠の位置。全部“どこで何をしたか”を残せ。後から“お前がやった”と言われないために必要だ」
「……やるべきことが明確だね」
「お前のやり方は、明確で強い。だから任せた」
もう一つ、ギルドマスターは小さな木箱を押し出した。
中には、布に包まれた錆びた短剣があった。柄の意匠が古い。
「これは触るな。触らせるな。もし見つけたら距離を取って報告しろ」
「封印剣、ガルドの類い?」
「噂程度だがな。——旧区画は“古いもの”が眠る。余計な因縁は今は要らん」
レインは頷き、箱を閉じた。
伏線は薄く、短く。
今は爽快感の燃料として、存在だけ置いておけばいい。
そして現在。
その“証拠の手順”が、まさに目の前で役に立とうとしていた。
目撃者を減らす。噂の目を減らす。——そして、事故の責任を曖昧にする。
レインは鍵束を掌で受け取り直した。金具に取り付けられた札が、軽く鳴る。
管理番号。
ギルドが“正規に貸し出した”証拠。
それがあるだけで、後から揉めたときに勝ち筋が生まれる。
《真理の鑑定眼》
——旧区画鍵束(物品)
【総合:B/戦闘:0/索敵:0/判断:0/魔力:0】
【危険度:2/状態:管理番号刻印あり/欠陥や原因:偽鍵混入(1本)】
一本だけ、刻印の角が甘い。
重さもわずかに違う。音が鈍い。
混ぜるならもっと巧くやれ、と言いたくなる程度だが——現場で焦る者には十分だ。
「混ざってるの、やっぱり一本だけだね」
レインが言うと、隣のハルトが短く頷いた。
「やり口が雑だ。雑だけど、引っかかる奴は引っかかる」
「引っかかるように、急がせる。——だから早朝」
レインの言葉に、ミクスが肩をすくめる。
「朝イチで旧区画なんて、まともな冒険者はやらない。……逆に言えば、やる奴は“言われた”か“焦ってる”か」
「焦らせる役がいる、ってこと」
ロウが低く笑った。
「つまり、面白くなってきたな」
セリアは黙っている。だが、杖を握る手は震えていない。
前回の倉庫街で、彼女は“音を立てずに解除する”という成功体験を得た。
それが、表情の端に小さく残っている。
レインは粉袋を確認した。
白い粉。足跡と油膜の輪郭を縁取るためのもの。
調査班権限で出してもらった。前金のうち、こういう“実利”が一番ありがたい。
《真理の鑑定眼》
——痕跡粉(消耗品)
【総合:C/戦闘:0/索敵:0/判断:0/魔力:0】
【危険度:1/状態:乾燥良好/欠陥や原因:風に弱い(撒き方注意)】
「セリア。解除は無音。できる範囲でいい」
「うん。……“手順”でやる」
セリアが小さく言い切った。
レインはそれだけで十分だと思った。言葉は短いほど、動きに迷いが減る。
「役割を再確認する」
レインは歩き出しながら、淡々と並べる。
「セリアは糸罠の無音解除と、風の固定。ハルトは索敵——危険の種類を拾って僕に短く。ミクスは外周監視、工房と出入り人物、影。ロウは押さえ、逃走導線を潰す。僕は全体指揮と、“見せて誘う”」
「了解」
「任せろ」
「おう」
「……うん!」
旧区画は倉庫街のさらに奥。
石畳は途中で途切れ、古い木板の仮設通路が伸びていた。
板の継ぎ目に、乾いた砂が噛んでいる。踏むと小さく鳴るタイプだ。
だからこそ、罠を仕込む側は“油”を選ぶ。
レインは、歩幅を一定に保ったまま視線だけを動かす。
角。柱。窓。影の濃淡。
人が隠れる場所は、だいたい決まっている。
《真理の鑑定眼》
——視線の残滓(気配)
【総合:C/戦闘:—/索敵:6/判断:5/魔力:2】
【危険度:3/状態:観察中/欠陥や原因:確認目的(攻撃意図なし)】
「……見られてる」
セリアが息だけで言った。
「うん。確認の視線。僕らが“どう動くか”を見たいだけ」
「面倒だな」
ミクスが舌打ちする。
「面倒だけど燃料になる。——見せて誘う」
レインは通路の端にしゃがみ、粉をひとつまみ取った。
撒くのは、真ん中じゃない。
端。継ぎ目。人が“踏まないと思ってる”ところ。
そこに油は残る。踏ませるために塗った油は、必ず漏れるからだ。
白い粉がふわりと舞い、木板の縁に沿って線を描く。
すると、薄い光沢が輪郭だけ浮かび上がった。
油膜。
「やっぱり、ここにも」
ハルトの声が低くなる。
「種類は?」
レインが問い、ハルトは鼻先を近づけた。近づけすぎない。吸い込みすぎない。手順だ。
「潤滑油。粘りが少ない。靴底に乗った瞬間、横に抜ける。倉庫街と同じ系統だ」
「同じ仕込み。つまり、同じ“人為”」
レインは縄を取り出し、目印を付ける位置を指差した。
「ロウ。外側に目印。踏み込まない導線を作る」
「おう。縄、張るぞ」
ロウが杭を打ち、縄を軽く張る。
大げさでいい。事故を起こさないのが第一。
それに、見せるための“舞台”にもなる。
「セリア。糸は見える?」
「……微かに。空気が、そこだけ硬い」
セリアは目を細め、杖を上げる。
詠唱は短い。声は息に溶ける。
「——風、固定」
空気がすっと止まった。
糸が揺れない。揺れないから、逆に位置が見える。
セリアの指が動く。刃のように細い風が走り、糸を断つ。
鈴は鳴らない。
板も軋まない。
ハルトが目を見開いてから、すぐに小さく笑った。
「……上手くなってるな」
「うん。怖いけど……やれることが増えるのは、嬉しい」
レインは頷き、次の継ぎ目に粉を撒いた。
足跡の輪郭も浮かぶ。複数。しかも、まだ新しい。
《真理の鑑定眼》
——足跡(痕跡)
【総合:C/戦闘:—/索敵:4/判断:5/魔力:—】
【危険度:2/状態:新しい(1時間以内)/欠陥や原因:荷重偏り(右足重)】
「誰か先に入ってる。荷重が偏ってる。重装か、片足を引きずってる」
「罠を仕掛けた側か、罠を踏んだ側か……」
ハルトが言う。
「どっちでも、奥に理由がある」
レインは淡々と答えた。
そのとき、耳飾りが小さく震えた。ミクスの声だ。
『工房側に二人。工具袋。出入りの確認だけで、まだ手は出してない。影は一人、フード。距離取って観察』
「了解。近づけない。目だけ泳がせる」
旧区画の入口は、古い木扉だった。
木目は黒ずみ、金具は歪み、触ると指に粉が付く。
だが鍵穴だけが、妙に新しい。——新しい“機構”を取り付けた証拠。
《真理の鑑定眼》
——旧区画扉(設備)
【総合:B/戦闘:0/索敵:0/判断:0/魔力:0】
【危険度:5/状態:施錠中/欠陥や原因:閉鎖機構が過敏(偽鍵で作動)】
「偽鍵で閉鎖が起きるタイプ」
レインは鍵束を掲げ、管理番号を一つずつ指先でなぞった。
「正鍵で開ければ、閉鎖は眠ったまま」
「偽鍵を差すと、作動する……閉じ込め用か」
ロウが眉をひそめる。
「閉じ込める理由がある。——中で何かが起きる」
レインは正鍵を選び、差し込んだ。
回転は滑らか。扉が小さく鳴って開く。
中は暗い。空気が古い。金属の匂いが濃い。
レインは一歩目を踏み出さない。まず粉。導線の確認。
床。油。足跡。罠の糸。
“手順”があるだけで、暗闇は怖くない。
白い粉が床の輪郭を描き、光沢が縁取られる。
油膜は点々。足跡は複数。
だが、片方だけ深い。さっきの偏りと同じ。
そして——扉の内側、蝶番付近にも油がある。
これは“開けた瞬間に滑らせる”ための塗り方だ。
「狙いは転倒と、扉の誤作動の誘発」
レインが言う。
「転んで手をつく。手が扉に触れる。閉鎖が噛む。……悪い連鎖を作ってる」
ハルトが言語化した。
「そう。その連鎖を、こっちは“止める連鎖”で潰す」
レインは小さな布を取り出し、蝶番付近の油を拭った。
全部は拭かない。拭いた“跡”が残る程度に。
後から証拠になる。
《真理の鑑定眼》
——油拭き跡(痕跡)
【総合:D/戦闘:—/索敵:2/判断:6/魔力:—】
【危険度:1/状態:人為作業あり/欠陥や原因:油の濃淡で塗布位置が逆に目立つ】
「……拭いた跡まで証拠にするのか」
ミクスが感心したように呟く。
「後から“なかった”って言われないためにね」
レインは淡々と答え、扉の内側に短い印を残した。粉で小さく丸を書く。
「ここは拭いた。ここは残した。——説明できる形にする」
セリアが小さく頷いた。
「レインのやり方って、安心する。迷子にならない」
その言葉に、レインは一瞬だけ目を細めた。
迷子にならないのは、強い。
奥へ進む。
木板の床はところどころ沈む。沈む場所は“踏ませたい場所”だ。
《真理の鑑定眼》
——沈み床(設備)
【総合:C/戦闘:0/索敵:0/判断:0/魔力:0】
【危険度:4/状態:荷重で沈下/欠陥や原因:支柱削り(落とし穴連動)】
「支柱が削られてる。落とし穴と連動」
レインは短く言った。
ロウが舌打ちする。
「地味に悪質だな……」
「地味なのが一番危ない」
ハルトが言う。
「派手だと気づく。地味だと踏む」
その通りだ。
だから、地味な罠ほど“見える化”が刺さる。
レインは粉を撒き、沈み床の縁を縁取った。
白い輪郭が浮かぶ。踏むな、の印になる。
「セリア、風で粉を飛ばさないように。固定で」
「うん。……風、抑える」
空気が落ち着き、粉が床に定着する。
小さな成功が積み上がる。セリアの成長が、手順の中で効いている。
そのとき——外から、不自然に急ぐ足音が聞こえた。
ばたばた、と焦りの音。
誰かが“急かされている”音。
レインは扉の影から外を覗いた。
見えたのは、見覚えのある顔だ。
元パーティの一行。先頭の男が苛立った声で叫ぶ。
「だから言っただろ! 早朝なら空いてるって!」
「でも鍵束、これ一本しか回らないって……」
「回るならいい! 時間が勝負なんだよ!」
その横に、ギルドの記録係がいた。
帳面を抱え、視線を泳がせながらも、なぜか彼らの背中を押す位置にいる。
《真理の鑑定眼》
——記録係(人物)
【総合:D/戦闘:1/索敵:2/判断:3/魔力:1】
【危険度:4/状態:焦燥/欠陥や原因:運用誘導(既成事実化)】
「……内側だ」
ハルトが低く言う。
ロウが一歩前に出ようとした。
「止めるか?」
「止める。でも長く言わない」
レインは扉から出て、通路の外側へ立った。
元パーティの男がレインを見るなり鼻で笑う。
「なんだ、お前らか。調査ごっこはまだやってんのか?」
「ごっこじゃない。——足元、油膜。鍵、管理番号。偽鍵混じり」
レインは短く置く。
言い返しはしない。事実を置く。
「は? 脅しか?」
「忠告。油膜は滑る。偽鍵は閉鎖を起こす。急ぐと踏む」
元パーティの男は肩をすくめた。
「へぇ。賢いねぇ。じゃあお前らだけ慎重にやってろよ」
彼の仲間が不安げに鍵を見た。
「でも……」
「うるせぇ。回るなら問題ねぇ」
記録係が小さく口を開く。
「……その、皆さん。早く……。時間が……」
「ほらな。ギルドも急げって言ってんだよ」
——言葉の端が不自然だ。
“急げ”だけが目的になっている。
レインは鍵束に視線を落とす。
男が掲げた鍵には、管理番号の札がない。
刻印も浅い。——偽鍵の特徴。
「それ、偽鍵」
「はっ。うるせぇ」
男は扉に差し込む。
回る。扉が開く。
勝ち誇った顔で笑う。
「見ろよ。回ったじゃねぇか。お前の鑑定も大したこと——」
次の瞬間。
扉が、内側から“噛んだ”。
ぎぎ、と嫌な音がして、半開きのまま止まる。
同時に、床の縁に薄い光沢が走った。
油膜が、靴底に乗る。
「うわっ——!?」
先頭の男の足が滑った。
バランスを取ろうとして手を伸ばす。
手が触れたのは、扉の縁。
扉がさらに噛む。閉じる方向に力が働いた。
《真理の鑑定眼》
——閉鎖機構(設備)
【総合:B/戦闘:0/索敵:0/判断:0/魔力:0】
【危険度:7/状態:作動直前/欠陥や原因:偽鍵トリガー(閉鎖・落とし連動)】
「な、なんだこれ!?」
「押せ! 押せよ!」
「滑る! 足が——!」
転倒が連鎖する。
油膜は広がり、足が取られ、誰かが誰かを押す。
押された身体が扉の内側へ吸い込まれる。
レインは通路の外側で、一歩も踏み込まずに見ていた。
忠告を無視した。
急がされた。
偽鍵を使った。
油膜を踏んだ。
フラグは全部、自分で踏んだ。
そして最後の一歩。
扉がぎち、と音を立てた。
隙間が急に狭まる。——“逃がさない”みたいに。
同時に、床の下から乾いた音がした。
カチッ。
板の軋みじゃない。
罠の起動音だ。
レインの背筋がわずかに冷える。
彼はすぐに視線を差し込み、床の継ぎ目を見る。
内側の床——沈み床が、今にも落ちそうに沈下している。
落とし穴。閉鎖と連動し、逃げ場を奪う。
セリアが息を呑んだ。
「レイン、あれ……!」
「うん。起きる」
レインは短く答え、頭の中で手順を組み直す。
救うか、見捨てるか、ではない。
起きた事実を押さえ、次の勝ち筋に繋げる。
その瞬間。
遠くで、フードの影がこちらを見て——僅かに頷いた気がした。
確認が終わった、という合図みたいに。
扉の隙間がさらに狭まる。
内側から必死の手が伸びる。
そして——床が沈んだ。
「やめろ! 待っ——!」
叫びが途切れた。
レインは最後に一言だけ呟く。
「……ほら、落ちる」
カチリ。
ロウが反射的に踏み込もうとしたが、レインが掌を上げて止めた。
「ロウ、待って。踏み込むと、君も同じ導線に乗る」
「でも——」
「今は“救助”より先に、“止める手順”だ」
レインは粉袋を投げ渡す。
「セリア、扉の隙間に風を固定。粉が内側へ流れないように。ハルト、起動の種類を。音と反応を拾って」
「了解!」
セリアがすぐに詠唱を切った。
「——風、固定。……止める!」
隙間の空気がぴたりと固まり、外へ漏れる油の匂いが薄れる。
粉は舞わず、床に貼り付く。
ハルトが耳を澄ませた。
「……二段式だ。閉鎖が第一。沈み床が第二。第三があるなら——落ちた先で“出口を塞ぐ”」
「閉じ込めるだけじゃない。証拠を残させない運用だ」
レインは現場タグを一枚、縄に結びつけた。
番号を確認し、指で叩く。
「ここ。偽鍵で作動。油膜あり。閉鎖機構と沈み床の連動。——全部、残す」
そして、耳飾りに触れた。
「ミクス。工房の二人、動きは?」
『今、こっちを見てる。……合図っぽいのが出た。フードの影も、同じ方向を見た』
「了解。——見られてるなら、見せる」
レインは腰の小筒を取り出した。
ギルドマスターが渡した、短距離の発信具。
蓋を開け、息を吹き込む。
キィン、と高い音が一度だけ鳴った。
“調査班が現場で事故に遭遇した”合図。
これで、ギルド側も動ける。後から揉み消しにくくなる。
「……準備は整った。あとは、起きたことを“事実”にするだけ」
扉の内側から、誰かが必死に何かを叩く音がする。
だが隙間は、さらに狭まっていく。
レインは暗闇へ向けて、短く言った。
「動くな。暴れると沈む。——息を整えろ」
落とし穴の“次の段階”が作動する音が、暗闇の奥へ響いた。
第8話、ありがとうございました!
旧区画でも通じるのは「見える化」と「手順」。
そして、忠告を無視した相手は“自分で”落ちる——ここを強く描きました。
次回第9話は、いよいよ「失敗の現実」が表に出てきます。
救助騒ぎ、責任転嫁、そして証拠の確定。
レインの評価が上がり、相手が終わっていく流れを強めていきますので、お楽しみに!
引き続きよろしくお願いします!!




