第2話 “当たり”の証明は、下水路から始まる
ギルドの扉を出た瞬間、外の空気がやけに冷たく感じた。
「……レインさん。本当に、私で大丈夫でしょうか」
セリアが木札を握りしめたまま、恐る恐る聞いてくる。
「大丈夫。大丈夫じゃない要素があるなら、今ここで潰す」
「……潰す?」
「不安の原因を、鑑定して潰す」
俺は掲示板から剥がした依頼書を広げた。
《下水路の魔物調査》
危険度:低
内容:スライム類の駆除、発生原因の確認
報酬:銅貨三十枚
「低……ですよね?」
「表記はな」
俺は依頼書に意識を向ける。
《真理の鑑定眼》。
——危険度:低(表記)
——実際危険度:中
——原因:個体数の増加/巣の存在
——追加情報:酸性ガス発生(軽度)
——最適解:火魔法+換気+撤退判断
「……中?」
セリアの顔が青くなる。
「でも、依頼は下段ですよ……?」
「下段でも、当たり外れはある。だから鑑定が必要になる」
俺は落ち着いて言った。
「怖いか?」
「……怖い、です」
「正直でいい。怖いなら、怖いまま進めばいい。止まらなければ勝てる」
セリアは目を瞬いた。
「……勝てる?」
「成功できる、って意味だ」
俺は空を見上げた。
夕方に差し掛かっている。暗くなる前に終わらせたい。
「まずは準備だ。セリア、昨日の『火を灯す』はできるな?」
「……はい。あの、昨日より少し大きくも……」
「いい。今日は“確実に当てる”を最優先にする。威力は要らない」
「はい……!」
返事の声が、少しだけ強い。
それだけで十分だ。
◇
下水路の入口は、広場の端にある石造りの蓋だった。
近くに立つ衛兵が、面倒そうに言う。
「下に降りるのか? 臭いぞ」
「仕事だからな」
「……新人か。死ぬなよ」
忠告というより、事務連絡の声だ。
俺は蓋を指差す。
「開けてもいいか」
「勝手にしろ。終わったら閉めろよ」
俺は蓋に触れる。
《鑑定眼》。
——下水路入口
——状態:老朽化(崩落リスク小)
——危険:ガス滞留(入口付近は軽度)
——対策:換気/火種注意(引火リスクなし)
「引火はしない……けど、臭いはするな」
「う、うぅ……」
セリアが鼻を押さえる。
「吸い込むと気分が悪くなる。口で呼吸するな。鼻で浅く」
「は、はい……!」
「……レインさん、慣れてますね」
「慣れてない。慣れてるフリをしてるだけだ」
「ふ、フリ?」
「怖いときに怖い顔をすると、余計に怖くなる。だから平気そうにする。単純だろ」
セリアは一瞬きょとんとして、ふっと笑った。
「……じゃあ私も、平気そうにしてみます」
「それでいい。平気そうにして、手だけは手順通り動かす。人間はそれで意外と勝てる」
俺は蓋をずらし、梯子を確認する。
足場、問題なし。
「俺が先に降りる。セリアは三段空けて来い。落ち着いて」
「分かりました」
俺はゆっくり降りる。
暗い。湿っている。水音が響く。
だが、恐怖より先に“情報”が入ってくる。
《鑑定眼》が、周囲の気配を拾っていた。
——スライム(小)×3 接近
——攻撃性:低
——弱点:熱
——注意:分裂(一定条件)
「来る」
俺が小声で言うと、セリアが緊張した声で返す。
「は、はい……!」
暗がりから、ぬちゃり、と音。
ゼリー状の塊が三つ、こちらに滑ってきた。
「セリア。昨日のやつをそのまま。小さく、短く」
「……《フレイム》!」
火球は小さい。
だが、狙いは正確だった。
一体目が焼け、溶ける。
「……できた!」
「今のまま。次」
二体目。
セリアが詠唱し、焼く。
三体目。
少しだけ遅れたが、当たる。
「……っ」
セリアが息を吐いた。
「……倒せた」
「倒した」
俺は言い直す。
「『倒せた』だと、偶然に聞こえる。君がやったんだ」
セリアの頬が赤くなる。
「……はい。私が……やりました」
その一言が、今日の勝ちだ。
◇
奥へ進む。
道は二手に分かれていた。
左は水量が多く、流れが速い。
右は乾いているが、臭いが強い。
「どっち……ですか」
セリアが掲げた杖先の火が、ふっと揺れた。
「……風、ですか」
「ガスの流れだ。流れがある方が安全。滞留してる場所は危険が増える」
「……分かりますか?」
「分かる。……というか、見える」
俺は自分の目を指で軽く叩いた。
「鑑定で“空気の状態”も、ある程度は拾える」
セリアが小さく息を呑む。
「……すごい」
「すごいのは能力だ。使うのは俺の仕事」
俺は迷わない。
鑑定するからだ。
——左通路:魔物反応少/ガス薄
——右通路:魔物反応多/巣に近い/ガス強
「右だ。短期で終わらせる」
「……分かりました」
セリアの声が震える。
だが、足は止まらない。
よし。
右へ。
数分歩くと、壁に粘液が増え始めた。
「巣が近い」
「……え、巣……」
「大丈夫。巣は“対処できる形”にする」
俺は壁の粘液に意識を向けた。
——粘液
——性質:酸性(弱)
——用途:薬素材(薄)
——危険:衣服腐食(軽)
「セリア、ローブの裾を濡らすな。少しずつ溶ける」
「は、はい!」
この一言だけで、恐怖は“管理可能な危険”になる。
人間は、分からないものが怖い。
分かれば、怖くても動ける。
——俺は、そのために鑑定する。
◇
ぬちゃ。
ぬちゃぬちゃ。
音が増える。
前方に、広い空間。
水面が泡立ち、スライムが十体以上。
「多……っ」
セリアが息を呑む。
「数は多い。でも強くない。焦らなければ勝てる」
俺は短く指示を出す。
「一体ずつ。群れの中心じゃない。端から」
「……はい!」
セリアが火球を放つ。
一体、溶ける。
二体、溶ける。
三体目で、スライムが二つに割れた。
「えっ……!?」
「分裂だ。今の条件は“過熱が中途半端”」
俺は落ち着いて言う。
「次からは、火を少しだけ長く当てる。焼き切る」
「……分かりました!」
セリアは詠唱を短くしたまま、集中だけを増やす。
火球が当たり、今度は割れずに消える。
「よし。いい」
セリアが頷く。
「……私、できる……!」
スライムを焼くたび、甘ったるい臭いが一瞬だけ強くなる。
「……うっ」
セリアが顔をしかめた。
「気分が悪いか」
「少し……頭が……」
俺は即座に鑑定する。
——セリア
——状態:軽い眩暈(ガス吸入)
——対策:一時退避/水で口をすすぐ/深呼吸禁止
「下がれ。今は戦わないでいい」
俺は水筒を渡す。
「口をすすいで、吐き出せ。深呼吸はするな。浅く」
「は、はい……っ」
セリアが指示通りに動くと、顔色が少し戻った。
「……すみません」
「謝るな。体調管理も戦闘だ。倒れたら負ける」
「……はい」
セリアが頷き、目に力が戻る。
その瞬間、空間の奥で、ぶくり、と大きな泡。
水面が盛り上がり、巨大なスライムが姿を現した。
「……でかい」
セリアが固まる。
俺は鑑定する。
——スライム(大)
——危険:中
——耐性:物理/低火力魔法
——弱点:高熱(一点集中)
——注意:体内に核(破壊で即死)
「核……」
俺はセリアに言う。
「怖がらなくていい。倒し方は見えてる」
「……見えて、る?」
「中心に核がある。そこだけ焼けば終わる」
セリアが唇を噛む。
「……私の火で……?」
「できる。昨日できた。さっきもできた。だから今日もできる」
言葉は短く、確実に。
「狙いは“真ん中”。火は小さくてもいい。外を焼くな。刺す」
セリアは深呼吸する。
「……《フレイム》!」
火球が飛ぶ。
当たる——が、表面で弾かれた。
「……っ!」
「いい。次。今のは外だ。もう一度。少しだけ角度を上げて」
「は、はい!」
二発目。
火球が、わずかに沈み込む。
巨大スライムがぐにゃりと揺れ、怒ったようにこちらへ滑る。
「来る!」
セリアが震える。
俺は前に出た。
「セリア。後ろ。壁際」
「……!」
セリアが下がる。
俺は杖も剣もない。
代わりに、足元の鉄杭を拾う。
鑑定。
——鉄杭
——強度:中
——用途:核露出用(刺突)
「十分」
スライムが迫る。
俺は冷静に、鉄杭を突き立てた。
ぐにゃり。
スライムの体が割れ、中心が一瞬だけ見える。
「今!」
「……《フレイム》!」
三発目の火球が、露出した核へ吸い込まれる。
次の瞬間。
ぱんっ、と乾いた音。
巨大スライムが、一気に崩れ落ちた。
「……!」
セリアが口を押さえる。
「た、倒れ……」
「倒した」
俺は繰り返す。
「君が、核を焼いた」
セリアの目に、涙が浮かぶ。
「……私……できた……!」
「できたじゃない。できる、だ」
俺は笑った。
「今ので証明できた。君は、できる」
◇
巣の原因を探す。
空間の奥、壁の亀裂に粘液が集中している。
近づいた瞬間、むわっと臭いが強くなった。
「くっ……」
セリアが咳き込みそうになる。
俺は手で制す。
「無理するな。ここから先は換気が必要だ」
鑑定。
——亀裂
——原因:腐敗物の堆積/微弱な魔力汚染
——結果:スライム増殖促進
——対処:浄化(火+風)/封鎖(簡易可)
「魔力汚染……?」
「軽い。だが放置すると増える。今、封鎖すればいい」
俺は周囲の石を集め、亀裂の前に積む。
「セリア。小さく火を当てて乾かす。熱で固める」
「……はい!」
セリアが火を灯し、石と粘液を乾かす。
臭いが少しだけ引いた。
「……できました」
「よし。依頼の目的は達成だ。撤退する」
「え、追撃は……?」
「不要。欲張ると事故る。今日は“成功体験”を持ち帰る日だ」
セリアが小さく頷く。
「……はい。持ち帰ります」
◇
地上に戻ると、夕陽が眩しかった。
衛兵が鼻をつまんで笑う。
「お、帰ってきたか。生きてるな」
「生きてる」
「……新人の割に顔色がいい。やるじゃねえか」
軽い褒め言葉。
それだけで、セリアの背筋が少し伸びた。
ギルドに戻る。
受付の女性が顔を上げた。
「早いわね。どうだった?」
俺は淡々と報告する。
「スライムの群れ。巣の兆候。原因は亀裂の堆積物。封鎖済み」
受付が一瞬だけ固まる。
「……封鎖?」
「簡易だが、今夜は増えない。恒久対策は衛兵に引き継ぐ」
「ちょっと待って」
受付が身を乗り出す。
「危険度“低”よ? そこまでの内容、普通は出てこないんだけど」
周囲の冒険者が、ちらちらこちらを見る。
例の派手な男も、酒場スペースから顔を向けた。
俺は落ち着いて答える。
「表記が甘い。実際は中。ガスもあった。分裂個体と大型も出た」
ざわ、と空気が揺れる。
「中……? 嘘だろ」
「新人が盛ってるだけだ」
派手な男が笑う。
「ほら見ろ。鑑定(笑)」
派手な男がカウンター前に出てきて、わざとらしく腕を組んだ。
「じゃあさ、その“鑑定”で当ててみろよ。俺が次に言うこと」
「……何を?」
「俺が今、心の中で思ってることだ。ほら、見抜けるんだろ?」
周囲がどっと笑う。
セリアが身を縮めた。
俺は落ち着いて、男を見る。
鑑定。
——内面:面子を守りたい/失敗してほしい/怖い(評価が揺れる)
「君は今、『こいつが外したら皆で笑ってやろう』と思ってる」
笑い声が一瞬止まった。
男の顔が赤くなる。
「ち、違う!」
「違うなら、何だ?」
男は言葉に詰まり、視線を逸らした。
受付が咳払いをする。
「はい、そこまで。ギルド内での挑発は禁止」
派手な男は舌打ちして引き下がった。
ざまぁは要らない。
“言い返せない空気”だけで十分だ。
受付が眉をひそめる。
「証拠は?」
俺は頷き、袋を取り出した。
「スライム核の欠片。あと、粘液のサンプル」
鑑定眼で“素材”として価値があると分かっていた。
受付が受け取り、目を丸くする。
「……本物ね」
派手な男の笑いが止まった。
「それと」
俺は一歩引いて、セリアを前に出した。
「魔法は、彼女が担当した」
セリアが固まる。
「えっ……」
「君の功績だ。言っていい」
セリアは震えながらも、口を開いた。
「……私が……火で……群れと、大型の核を……焼きました」
一瞬の静寂。
次の瞬間、ギルドのあちこちで低い声が漏れる。
「……あの落ちこぼれが?」
「核を焼いた? 大型を?」
「昨日、門前で追い出されてた子だろ……?」
受付がセリアを見て、ふっと表情を和らげた。
「……やるじゃない。セリア、だったわね」
セリアの目が揺れる。
「は、はい……」
「次も来なさい。低ランクでも、実績があれば道は開く」
その言葉は、セリアにとって“承認”そのものだった。
セリアは、泣きそうな顔で頷く。
「……はい。行きます」
俺は横で静かに息を吐いた。
——積み上がった。
一段、確実に。
派手な男が、歯ぎしりするように呟く。
「……まぐれだ」
俺は見向きもしない。
まぐれじゃない。
再現できる。
それが、鑑定の強さだ。
◇
ギルドを出る前、掲示板の前に立つ。
セリアが不安げに尋ねる。
「……次も、私が……」
「次も君がやる」
俺は言った。
「俺は、君の価値を“証明し続ける”」
セリアが小さく笑う。
「……はい」
そ
の時、背後の気配に鑑定眼が反応した。
ギルドの隅。
古びた装備を抱え、うつむいている男。
——評価:最低
——実際価値:異常
——危険:抱えている剣(封印)
「……」
思わず、足が止まる。
封印?
男は誰にも見向きもされず、掲示板を眺めていた。
セリアが気づいて、首をかしげる。
「レインさん……?」
「次の“当たり”がいる」
俺は小さく言った。
「——そして、少し厄介だ」
男の腕の剣が、ほんのわずかに震えた気がした。
《鑑定眼》が、警告のように文字を浮かべる。
——解放条件:レインの鑑定
——失敗条件:触れるな
「……触れるな、か」
俺は笑った。
面白い。
次は、仲間探しだけじゃ済まない。
そんな予感がした。
俺はその男に近づいた。
セリアが小声で言う。
「……話しかけるんですか?」
「今は、近づくだけ。触れない」
男は顔を上げ、くすんだ瞳で俺を見た。
「……何だ。新人か」
声は低いが、妙に落ち着いている。
「剣が……重そうだな」
俺がそう言うと、男は苦く笑った。
「重いさ。呪いみたいなもんだ」
「呪い?」
「手放せねぇ。売れねぇ。捨てられねぇ。……だから最低評価ってわけだ」
周囲の視線が、また薄く刺さる。
“関わるな”という空気。
俺は、それを無視して鑑定眼を走らせた。
——古剣(封印)
——価値:SS(条件付き)
——危険:暴走(解放手順必須)
——解放鍵:鑑定者の宣言
男が囁くように言った。
「忠告しとく。そいつには近づかない方がいい」
「……なぜ?」
「近づいた奴から、運が消える。そういう剣だ」
迷信でも、放置はしない。
俺は静かに頷いた。
「忠告、受け取る。——でも、俺は“見える”」
男の眉がぴくりと動く。
「見える……?」
「君と、その剣の“本当の価値”だ」
俺がそう言った瞬間、古剣がかすかに鳴った。
——まるで、返事をするみたいに。
セリアが息を呑む。
「……レインさん」
「大丈夫」
俺は笑った。
「次は、これを“安全に当てる”だけだ」




