第1話 評価されなかった男は、真理を見る
その日、俺は死んだ。
「……終電、もうないか」
オフィスの時計は二十三時五十八分。
人が消えたフロアで、俺だけのキーボード音がやけに響く。
「蓮、まだいたの?」
背後から、総務の先輩が申し訳なさそうに顔を出した。
「はい。今日中の修正が……」
「……無理しないでね。ほんとに」
先輩はそう言いながら、目を逸らした。
気遣いじゃない。見て見ぬふりだ。
この会社では、それが優しさの形になっている。
机の上には資料の山。
鳴り止まない業務チャット。
『至急』『最優先』『今すぐ』のスタンプが、画面を埋め尽くす。
俺、霧島蓮。
ブラック企業勤務、二十五歳。
結果は出してきた。
数字も、実績も。
不具合の芽も、炎上の予兆も、だいたい当ててきた。
なのに評価は、いつも同じだ。
「地味」
「自己主張が足りない」
「使えなくはないが、替えは効く」
——笑えない。
会議で口の上手い奴が「これ、いけます!」と笑えば拍手が起きる。
俺が「その条件だと三ヶ月後に破綻します」と言えば、空気が冷える。
「ネガティブだな、霧島」
「水を差すなよ」
「まずやってみよう。挑戦が大事」
そして三ヶ月後。
案の定破綻して、夜中に俺が火消しをする。
「お前がいないと困るんだよ」
そう言いながら、評価は上げない。
『困る』と『認める』は別物らしい。
……いや、違う。
俺が悪いのは、分かっている。
「正しい」だけじゃ、勝てない。
「分かりやすく強い」か、「声がでかい」か。
この会社の評価基準は、そこにあった。
「お前は、前に出ないよな」
上司の言葉が脳裏をよぎった瞬間、
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
「……っ」
息が、できない。
視界が歪み、足元が揺れる。
——ああ、これ。
倒れる瞬間、なぜか冷静にそう思った。
俺の人生は、最後まで『必要だけど評価されない』まま終わるんだ、と。
そして、世界は暗転した。
◇
「はい、お疲れさま。よく頑張ったね」
やけに軽い声でそう言われ、目を開ける。
真っ白な空間。
床も壁も天井も、境目がない。
目の前には、胡散臭さ全開の男が立っていた。
白いローブ。
金髪。
無駄に爽やかな笑顔。
「……誰だ?」
「神様」
即答だった。
「いや、軽すぎない?」
「君、過労死だからね」
さらっと言うな。
「それで、異世界転生が決まりました。特典、どうする?」
「……説明、雑すぎないか」
「大丈夫。要点だけ言うね。君は死んだ。今から別世界で人生やり直し。はい、次」
突っ込みたいことは山ほどある。
だが、不思議と拒否感はなかった。
——あの人生に、戻らなくていいなら。
「……一つ、頼みがある」
神様は面白そうに頷いた。
「物事の価値とか、才能とか……本質が分かる力が欲しい」
「ほう。『強い剣』とか『最強魔法』じゃないんだ?」
「強さは、後からでいい」
俺は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「俺は、見抜けるのに、誰にも信じてもらえなかった」
「だったら今度は、信じてもらえる形で……結果で、証明できる力が欲しい」
神様は、少しだけ目を細めた。
「君、向いてるよ。そういうの」
指を鳴らすと、空間が微かに震える。
「《真理の鑑定眼》。人や物の本当の価値、隠された才能、将来の到達点まで見抜く力だ」
「……チートじゃないか?」
「安心して。努力は必要」
神様は珍しく真面目な顔で続けた。
「この力は、君が“評価されなかった人生”への対価だ」
「ただし万能じゃない。見えるだけ。使い方を間違えれば、君はまた埋もれる」
「……見えるだけ、か」
「そう。『見抜く』は、スタート地点。君がやるのは『選ぶ』と『育てる』と『証明する』」
妙に刺さる言葉だった。
「最後に一つ。いいかい?」
「なんだ」
「新しい世界でも、君みたいな人間はいる」
「才能があるのに評価されない。努力してるのに見捨てられる」
「君は、そういう人たちを見つけられる。——救える」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「じゃ、今度こそ報われな。レイン」
「……なんで、名前」
「転生先の名前だよ。はい、いってらっしゃい」
視界が白に包まれる。
「ちょ、待——!」
◇
草の匂いが鼻をくすぐった。
青空。
風が強い。
遠くにそびえる、巨大な城壁都市。
「……異世界、か」
体は軽く、明らかに若い。
手を見る。細い。だが力はある。
頭に自然と情報が流れ込む。
名前:レイン
年齢:十五歳
身寄り:なし(たぶん)
「身寄りなしって……まあ、やり直しにはちょうどいいか」
自嘲して、立ち上がる。
足元の石に意識を向けた。
《真理の鑑定眼》。
——普通の石
——価値:低
——用途:特になし
「……本当に見えるんだな」
今度は、自分自身を試す。
——レイン
——才能:鑑定(極)
——到達点:???
——注意:分岐多数
「分岐多数……?」
神様が言ってた『見えるだけ』って、こういうことか。
選択を間違えると、到達点が変わる。
……面白い。
城壁都市へ向かって歩き出す。
門に近づくにつれ、人が増える。
商人の荷車、護衛らしい兵士、冒険者らしき集団。
「止まれ。身分証は」
門番の兵士に声をかけられた。
「ない。外から来た」
正直に言うと、兵士は眉をひそめた。
「流民か。面倒だな……」
隣の兵士が小声で言う。
「また厄介ごとか。最近多いぞ」
——見える。
《鑑定眼》が勝手に働いた。
——兵士(門番)
——才能:D
——到達点:現状維持
——内面:職務に疲弊
俺は、相手を煽らないように声の温度を落とした。
「働ける。ギルドで登録したい。方法を教えてくれ」
兵士は「ふん」と鼻を鳴らしたが、指で道を示した。
「この通りをまっすぐ。広場を越えた先が冒険者ギルドだ」
「……変なことはするなよ」
「しない。ありがとう」
俺が礼を言うと、兵士は一瞬だけ目を丸くした。
礼を言われ慣れていない人の顔だった。
都市に入る。
石畳の通り、屋台の匂い、遠くで鳴る鐘。
異世界の生活音が、現実味を持って押し寄せる。
「……生きてるんだな、俺」
その時、門の方で怒鳴り声が上がった。
「また失敗かよ!」
「落ちこぼれは帰れ!」
人だかり。
中心に立つ、小柄な少女。
ローブ姿で杖を握りしめ、必死に頭を下げている。
「……すみません。もう一度だけ……」
「無理に決まってるだろ!」
「お前のせいで依頼人が怒って帰ったんだぞ!」
男の声は荒い。
周囲からは失笑。
「ほら見ろ、まただ」
「魔法使い志望なのに、火も出せないんだってさ」
「才能ないのに粘るの、逆にすごい」
——その言葉が、刺さった。
評価されない才能。
見抜けない周囲。
それを、俺は知っている。
そして鑑定眼が反応した。
——少女
——魔力量:規格外
——適性:全属性S
——欠陥:魔力流路の歪み(修正可能)
——到達点:歴代最高位
——現在評価:最底辺
「……は?」
思わず声が漏れた。
どう見ても、世界最高クラスの才能。
それが、落ちこぼれ扱い?
少女は追い払われ、門の外へと歩いていく。
誰も気にも留めない。
俺は人混みの外に出た。
少女の後を追う。
門の外に出ると、彼女は石段に座り込み、膝を抱えていた。
杖を抱えた手が震えている。
「……もう、向いてないのかな」
か細い独り言。
俺は距離を取りつつ、声をかけた。
「向いてないんじゃない。合ってなかっただけだ」
少女は驚いたように顔を上げた。
涙で濡れた瞳が、こちらを警戒する。
「……だれ、ですか」
「通りすがり。俺はレイン」
「……レインさん」
彼女の声は弱いが、礼儀はある。
その時点で、俺は確信していた。
折れていない。まだ諦めていない。
「君、名前は」
「セリア……です」
「セリア。さっきのは、魔法が出なかったんじゃない」
「出そうとして、出せなかった。違うか?」
「……はい」
「魔力が……暴れて。制御できなくて……」
「制御の問題だ」
俺は鑑定眼をもう一度だけ走らせた。
欠陥:魔力流路の歪み(修正可能)
——修正可能。
「君は、才能がある」
セリアの肩がびくっと跳ねた。
「……そんなこと、誰も……」
「誰も見えてないだけだ」
俺は言葉を選んだ。
押しつけにならないように、でも逃げ道を残さないように。
「俺には、見える」
「やり方を変えれば、君はできる」
「……ほんとに?」
「嘘はつかない」
セリアは唇を噛んだ。
迷い、怯え、期待。
それが全部混ざった顔。
「じゃあ……どうすれば……」
「今は、ここでいい」
「小さく。魔力を半分以下に抑える」
「詠唱も短く。『火を出す』じゃなく『火を灯す』」
「……火を、灯す」
「そう。試して」
セリアは震える手で杖を構えた。
「……《フレイム》」
短い詠唱。
空気が揺れ——
ぱち、と。
指先ほどの火が、杖先に灯った。
「……っ!」
セリアの目が見開かれる。
「で、できた……?」
「できた」
俺が頷くと、セリアは一度息を止めて——
次の瞬間、肩を震わせた。
「……できた……」
涙が、ぽろぽろと落ちる。
「……私、ずっと……」
「何回やってもダメで……みんなに、迷惑で……」
「迷惑じゃない」
俺は即答した。
「見方が間違ってただけだ」
「君は、壊れてない。方法が合ってないだけ」
セリアは泣きながら笑った。
その顔は、年相応で、少し幼くて——
だからこそ、胸が痛かった。
俺は決めた。
この子は、俺が評価する。
この子の努力を、俺が無駄にしない。
「セリア。もしよければ、一緒に来ないか」
「……どこに?」
「冒険者ギルド」
「登録して、簡単な依頼から始める」
「君ができる形で、君の価値を証明する」
セリアは戸惑った。
「でも、私……また失敗したら……」
「失敗してもいい」
「俺が見る。俺が調整する」
「君が折れない限り、何度でもやり直せる」
その言葉に、セリアの目が揺れた。
「……ほんとに、見捨てない?」
「捨てない」
俺は短く言った。
約束は、長く語るほど軽くなる。
セリアは小さくうなずいた。
「……はい。ついていきます」
その返事を聞いた瞬間、
胸の奥で何かが切り替わるのを感じた。
——俺の人生は、ここからだ。
都市の中心へ向かう道は、人で溢れていた。
「すごい……」
セリアが小さく呟く。
「外にいる時は、門の外から眺めるだけでした」
「中に入るの、久しぶりで……」
「じゃあ、迷わないように近くを歩いて」
「は、はい」
返事はまだぎこちない。
でも、さっきより声が出ている。
やがて、広場の奥に大きな建物が見えた。
剣と盾の紋章。
出入りする人間の装備は様々だが、共通しているのは——目だ。
生き残るための目。
「ここが、冒険者ギルドか」
入口をくぐると、酒と汗と鉄の匂いが混ざった空気が鼻を刺した。
カウンターの奥では受付が忙しそうに書類を捌き、壁一面に依頼の紙が貼られている。
「い、いけるかな……」
セリアが小さく背中を丸める。
「大丈夫。俺が話す」
俺たちはカウンターへ向かった。
「登録希望です」
受付の女性が顔を上げ、俺たちを一瞥する。
視線が一瞬、セリアの杖とローブに止まった。
「……年齢確認。身分証は?」
「ない。外から来た」
「流民ね。なら仮登録になります。手数料は——」
「払う」
俺が即答すると、受付は少しだけ眉を上げた。
「……手際がいいわね」
「急いでる」
「はいはい。職能は?」
ここで、最初の関門が来る。
俺は正直に言う。
「鑑定」
瞬間、周囲の空気が変わった。
「鑑定? ははっ、またかよ」
「雑用係じゃん」
「戦えないのに登録してどうすんだ」
笑い声。
受付も、ほんの少しだけ困った顔をした。
「鑑定は……補助職ね。実戦では評価されにくいけど、いいの?」
「構わない」
俺は淡々と答える。
「俺は俺のやり方で結果を出す」
その声が落ち着きすぎていたせいか、笑っていた連中が一瞬だけ黙った。
だが、すぐに派手な装備の男が肩を揺らして近づいてくる。
「おいおい。鑑定って、物の値段当てるだけだろ?」
「ガキが背伸びすんなよ。危ないから帰れ」
——視界に、情報が流れる。
派手な男。
才能:E。
到達点:C止まり。
現在評価:過大評価。
性格:他者を見下して安心するタイプ。
まさに“鍵”だ。
俺は笑わず、怒らず、ただ礼儀正しく返した。
「忠告ありがとう。でも、帰らない」
「は?」
男の顔が歪む。
「鑑定は雑用だ。お前みたいなのがギルドにいると迷惑なんだよ」
「迷惑かどうかは、結果で決めてくれ」
俺は受付に向き直った。
「登録を続けて」
受付の女性は小さく息を吐き、書類を差し出してきた。
「……分かった。名前」
「レイン」
「そっちの子は?」
セリアがびくっとする。
俺は先に言った。
「セリア。魔法使いだ」
男が噴き出す。
「魔法使い? その落ちこぼれが? 無理だろ。見ろよ、震えて——」
「黙れ」
俺の声は荒くない。
ただ、短い。
それだけで、男の言葉が止まった。
セリアが驚いたように俺を見る。
俺は視線だけで伝える。
大丈夫。ここからは俺が守る。
受付が手続きを進め、木札を二枚、カウンターに置いた。
「仮登録完了。最低ランクから。依頼は掲示板の下段から選びなさい」
「ありがとう」
木札を受け取った瞬間、背中に視線が刺さる。
さっきの男だけじゃない。
周囲の“評価”がこちらを測っている。
……いい。
評価される土俵に、乗った。
セリアが小さく囁く。
「……レインさん。私、ここにいても……」
「いていい」
俺は即答した。
「君の価値は、俺が証明する」
「まずは、できることから始めよう」
掲示板に目を向ける。
簡単な依頼を探す——その瞬間。
《真理の鑑定眼》が、紙の束の一枚に強く反応した。
——危険度:低(表記)
——実際危険度:中
——原因:情報の欠落
——最適解:セリアの“制御”訓練
俺は口元だけで笑った。
「……ちょうどいい」
背後で、派手な男が小さく吐き捨てるのが聞こえる。
「どうせすぐ泣きつく。見てろよ」
俺は振り返らない。
泣きつくのは、どっちだ。
「セリア。最初の依頼は、これだ」
紙を指差すと、セリアが息を呑む。
「……下水路の、魔物調査……?」
彼女の指が震える。
その震えが、恐怖なのか、期待なのか。
俺は、もう見誤らない。
「行くぞ」
「俺が、成功させる」
セリアが、小さくうなずいた。
そして俺たちは、ギルドの扉を押し開ける。
——評価を、ひっくり返すために。。。




