第9話 街へお買い物に行きましょう
新しい家族も増え、我が家の食糧事情が少し心許なくなってきた。
ポチは自分でも狩りをしてくるけれど、やっぱり可愛い家族には美味しいものを食べさせてあげたい。それに、冷蔵庫(魔道具ではなく、氷室のようなもの)の在庫も尽きかけている。
「ジークフリート様、今日はお天気も良いですし、麓の街まで買い出しに行きませんか?」
朝食の席で私が提案すると、ジークフリート様はカップを持つ手をピタリと止めた。
「……街へ?」
「はい。小麦粉と、ポチのおやつ用の干し肉。あと……」
私は少し声を弾ませて付け加えた。
「ハチミツが欲しいんです。旦那様、甘い物お好きですよね?」
その言葉に、彼はあからさまに動揺して目を泳がせた。
「……別に、好きだと言った覚えはないが」
「ふふ、フレンチトースト、最後の一滴までシロップを掬っていらしたじゃないですか」
「う……」
図星を突かれた彼は、耳まで赤くして咳払いをした。
「……わかった。荷物持ちが必要だろう。俺も行く」
「ありがとうございます! デートですね!」
「デ、デート……」
彼はその単語に過剰反応して固まったけれど、私は気付かないふりをして出かける準備を始めた。
◇◇◇
屋敷から麓の街までは、徒歩で一時間ほどの距離だ。
ポチは「ワフッ(俺も行く!)」と尻尾を振っていたけれど、さすがにフェンリルを連れて行くと大騒ぎになるので、お留守番を頼んだ。
森を抜け、開けた街道に出る。
しばらく歩くと、石造りの城壁に囲まれた辺境都市ガルドの入り口が見えてきた。
ここは魔境に近い最前線の街だ。
行き交う人々も、強そうな冒険者や、いかつい商人が多い。
「リナリア、俺から離れるなよ」
街門をくぐる前、ジークフリート様が私の肩を引き寄せた。
彼はフードを目深に被り、顔を隠している。
その体は強張っていて、どこか殺気立っているようにも見えた。
(やっぱり、旦那様は街が苦手なんだわ)
私は胸を痛めた。
彼はかつて「呪われた廃人」として噂されていたはずだ。
きっと、心ない言葉をかけられたり、石を投げられたりした過去があるに違いない。
あんなに優しくて力持ちなのに、見た目が怖いというだけで差別されるなんて。
「大丈夫ですよ、旦那様」
私は彼の手をギュッと握り返した。
「私がついていますから。誰にも文句なんて言わせません!」
「……?」
彼は不思議そうな顔をしたけれど、私は鼻息荒く街へと足を踏み入れた。
その瞬間だった。
ザワッ……。
賑やかだった大通りが、水を打ったように静まり返った。
道行く人々が足を止め、私たち――正確には、私の隣にいる巨漢の男を見つめている。
「おい、あれ……」
「まさか、閣下か?」
「数年ぶりにお姿を見たぞ……」
「ヒィッ、目が合った!」
人々が蜘蛛の子を散らすように、サァーッと道の両脇へ避けていく。
あっという間に、私たちの目の前に誰もいない道が出来上がってしまった。
(ひどい……!)
私は憤慨した。
確かにジークフリート様は背が高くて、ちょっと目つきが鋭くて、古傷があってワイルドだけれど。
こんなあからさまに化け物扱いして避けるなんて!
隣を見ると、ジークフリート様はさらにフードを深く被り、小さくなろうとしていた。
その姿が、いじめられた子供のように見えて、私の母性本能に火がついた。
「行きましょう、旦那様。気にすることありません」
私は彼の手を引いて、堂々と道の真ん中を歩いた。
そして、コソコソとこちらを見ている人々に、精一杯の笑顔で会釈をして回った。
こんにちは! 私の旦那様は怖くないですよ! とアピールするように。
すると、人々はぽかんとして私を見た。
「あ、あの娘は誰だ?」
「閣下の隣で笑ってるぞ……」
「あんな可憐な嬢ちゃんが、あの『魔王殺し』の手を引いているのか?」
「女神か……?」
なんだかザワザワしているけれど、敵意はなさそうだ。
よし、この調子でお買い物を済ませてしまおう。
私たちは市場の通りにある、一軒の食材屋に立ち寄った。
店先には新鮮な野菜や、瓶詰めの保存食が並んでいる。
そしてお目当ての、琥珀色に輝くハチミツの瓶もあった。
「い、いらっしゃいませ……」
店主のおじさんは、ガタガタと震えながらカウンターの奥に縮こまっていた。
その視線は、私の背後に立つジークフリート様に釘付けだ。
「このハチミツを二瓶くださいな」
私が声をかけると、おじさんは「ひいっ」と悲鳴を上げかけた。
「ぜ、全部持っていってください! お代はいりませんから! 命だけは……!」
「えっ? そんな、困ります!」
やっぱり、相当怖がられている。
ジークフリート様が何かしたわけでもないのに、この過剰な反応。
私は悲しくなり、そして決意した。
この誤解を、私が解かなくては。
私は一歩前に出て、おじさんの目を真っ直ぐに見つめた。
そして、そっと微笑みかけた。
「店主さん。怖がらないでください。この人は、私の大切な旦那様なんです」
「だ、旦那様……?」
「はい。とっても力持ちで、働き者で……あと、甘い物が大好きで、ハチミツを楽しみにここまで歩いてきた、ただの可愛い人なんです」
「か、可愛い……?」
店主さんが、信じられないものを見る目でジークフリート様を見た。
背後でジークフリート様が「ぶふっ」とむせた音が聞こえたけれど、私は続けた。
「だから、普通にお買い物をさせてください。美味しいハチミツの代金は、きちんとお支払いしますから」
私はニッコリと笑って、規定の銀貨をカウンターに置いた。
その時。
私の体から、無意識の「なだめ」の波動――広範囲鎮静魔法がふわりと広がった。
店主さんの強張っていた肩の力が抜け、恐怖に引きつっていた表情が和らぐ。
彼は夢から覚めたように瞬きをして、それから照れくさそうに頭をかいた。
「あ、あぁ……そうかい。すまねぇ、奥さん。……旦那さんがデカいもんで、ついビビっちまった」
「ふふ、わかります。でも、噛み付いたりしませんよ」
「ははは、違げぇねぇ」
店主さんは笑って、ハチミツの瓶を包んでくれた。
しかも「美人の奥さんに免じてサービスだ」と言って、小瓶を一つおまけしてくれた。
「ありがとうございました!」
店を出ると、街の空気が少しだけ変わっていた。
遠巻きに見ていた人々が、ヒソヒソ話から、「見ろよ、普通に買い物してるぞ」「奥さんの尻に敷かれてるのか?」なんていう、微笑ましい視線に変わっている。
帰り道。
荷物を持ってくれるジークフリート様が、ポツリと言った。
「……お前は、すごいな」
「え? 私がですか?」
「あぁ。誰も俺の目を見ようとしなかったのに。お前が笑っただけで、空気が変わった」
彼はハチミツの瓶を大事そうに抱えながら、フードの下で小さく笑った。
「……『可愛い』なんて言われたのは、生まれて初めてだ」
「あら、事実ですよ?」
「……勘弁してくれ」
彼は顔を背けたけれど、その足取りは来る時よりもずっと軽やかだった。
こうして、初めてのデートは大成功(?)に終わった。
旦那様の恐ろしい悪評が、「愛妻家の熊さん」に変わり始めたことには、まだ誰も気付いていなかったけれど。
――そして。
この幸せな帰り道に、王都からの「招かれざる客」がすれ違っていたことにも、私たちは気付いていなかった。




